ヘンダーソンスケール EX
ヘンダーソンスケール EX(計測不能)
通称、酒に酔った変人の悪ふざけ。
ヘンダーソンスケール 1.0 Ver0.3
漂泊卿の世界を下敷きとしております。
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小洒落た露天の茶屋にて、平服姿の聴講生は肩身の狭さを感じつつ茶を啜った。
場所は帝都北方は目抜き通り。貴人が楚々と歩き、平民では手が出ない金額の店が立ち並ぶ高貴な通り。
その中でも東方渡りの“紅茶”なる珍品を出し、それに合う季節の果実をあしらったパイを饗する店の露天席で、弟子は自分の財布からは大分はみ出しそうなパイをつついていた。
全ては師が、あまいもの食べたい、などと年頃の娘のような事を宣ったからである。
弟子を前にして嬉しそうに、しかし手付きは貴人も恥じ入る程に礼節を守って動かす“漂泊卿”は、普段の傍若無人さとは逆しまに、どうにも“こういった”場所に一人で赴くのを恥じ入る傾向があった。
彼は酒好きであるが、同時に甘党であり砂糖や蜜、クリームと果実を使った季節の菓子に目がない。斯様な趣味を持つ男が帝都の一等地に最新の流行と美味を極めた喫茶店が出来たと聞いて、興味を示さぬ筈も無かろう。
声をかければ多くのご婦人が喜んで着いてくるであろうに、何故か師は何時もの如く弟子を道連れに選んだ。それから惜しげも無く平民の月給に届くであろうパイを幾つも――というよりも全種類か――頼み机の上に広げさせるのだ。
本当に良く分からない人である。そんなことを考えつつ、自分であったら破産しかねない散在をしてご満悦の師に弟子は渋い表情を向けた。
「ん? どうした? 美味しくなかったかい?」
「いえ、大変美味しいです。無花果ってこんなに甘くできるんですね、それにパイも凄く歯ごたえが良くて」
「うむうむ、やはり一流が作ると違う物だ。私が手慰みで作る砂糖煮では出せぬ上品な甘さだな」
小言を言って上機嫌でパイを食べている師の機嫌を損ねる事はないかと思い直し、弟子も改めてパイに挑み掛かった。
微かな渋みを感じる赤いお茶、そして勢の極みを尽くしたパイは確かに舌に得もいえぬ幸福をもたらしてくれる。
されど、年頃の娘としては、腹回りがどうしても気になる強大な敵手でもあるのだ。
牛酪がほどよく香るパイの生地には、香るほどに大量の牛酪、即ち乳脂肪がぶち込まれているに違いない。また、舌触りが良く官能的に甘い果実の砂糖煮の数々は、製法として“果実と等量かそれ以上の砂糖”を用いて親の敵のように煮込んだ呪物だ。
こんな代物を腹一杯に詰め込んだ次の日には、体重と体型がどうなっているかなど考えたくもなかった。
師に相談したところで、軽く運動すればいいと参考にならぬことを言うし、女性として尊敬すべき所もあるシュポンハイム卿は実に恨めしいことに食べても太れない、と手前の腹を悩ましげに見るので最早救い難くもある。
さりとて数少ない学友に打ち明けた所で、まずこんな高級店で腹一杯になるほど美食を堪能した事を咎められて相談にはなるまい。
結局、暴食の対価として馬鹿みたいに帝都を走り回らねばならぬのかと思うと、少女は実に暗澹たる気分にさせられた。
「きゃっ!?」
が、溜息の代わりに出てきたのは驚きの悲鳴であった。
唐突に。そう、何の脈絡も無く帝都の平穏を裂いて一筋の閃光が煌めいた。一拍遅れて襲い来る旋風は通りを浚い、幾つもの帽子を天高く舞い上げ、机上の食事を台無しにしていく。
幸いにも師弟の席は師が恒常的に張り巡らせた抗物理結界のおかげで惨禍を免れたものの、方々で転んでしまったご婦人の悲鳴や驚かされた馬が上げる嘶きなどが上がり、正に地獄絵図といった具合である。
「ま、またですか……」
しかし、帝都の住人が混乱から日常に戻るのは早かった。
爆発の源が帝都の南西、狂人の塒である魔導区画であったからだ。
物騒な術式や魔法薬をこねくり回す魔法使いと魔導師の根城を発生源とする爆発は、頻繁とは言わぬが年に数度は起こる物。都市区画を隔てる結界により外に大きな被害は出ぬものの、時折余波で市民が迷惑を被ることが間々あるのだ。
突発的な迷惑に悲鳴を上げる弟子を見て、まだまだ青いと笑う師であったが、笑顔の裏では一抹の不安が鎌首をもたげていた。
というのも、爆発と小さなキノコ雲が上がった方向。
あれが彼の所属する学閥、その頭目が私的な実験や同好の士を集めて“茶会”を催す私邸の位置と被っているからだ。
まさか、巻き込まれはすまいなと思いつつ、漂泊卿は少し冷めた紅茶を啜った…………。
【Tips】烏の巣に工房を持つ魔導師であっても、商売のため魔導区画に私邸を築いて余人を招き入れる秘匿性の低い工房を別途用意することは珍しくない。
特に貴族との付き合いがある教授においては、彼等を対象とした商品を展開することで研究予算を底上げすることも仕事の一つである。
漂泊卿、という蔑称にも近い異名を受けるほどの力量を身に付けてからエーリヒ・フォン・ダールベルク卿が困惑することは滅多に無かった。
体の中で渦巻く膨大な魔力。概念の階に足を掛けた剣の腕前。個人にて大軍を圧倒する慮外の術式。戦闘魔導師の徒党をして「これをどう殺せば?」と匙を投げる<空間遷移>の術式を援用した<報復障壁>なる“ズル”に等しい護り。
のみならず友人・知人の面々は大抵の厄介事に簡単な解決の筋道を用立ててくれて、一千五百を超える年俸と更に入ってくる論文の稿料により唸りを上げる財力は大抵の無理を押し通す。
が、そんな漂泊卿をして頭を抱え、外聞もなく蹲らざるを得ない事態が起こっていた。
嫌な予感はしていたのである。楽しいお菓子の時間を終え、さて久しぶりに真面目に講義の準備でもするかと希少な勤労精神を発揮しようとしていた所、漂泊卿の下に一通の伝書術式が舞い降りた。
払暁派でもライゼニッツ卿に連なる魔導師が好んで用いる物で、愛らしい小鳥を模したそれは紛れもなく閥の主催者が寄越す私信だ。
大抵面倒臭い用件が書き付けてあるそれに渋面を向けた後、いやいやながら漂泊卿は内容に目を通した。流石に自身の所属する閥の主催から送られてきた手紙を黙殺するのは憚られたからである。
斯くして、只一言「たすけて」と書かれた只ならぬ書状を見た漂泊卿は彼女の工房――魔導区画ではなく、魔導院の工房――にて膝を折った。
一目で困り果てていると分かる有様の死霊から引き合わされたのは、一人の麗しい女性であった。
年の頃は十代の終わりか二〇の頭といった所であるが、洗練されて落ち着いた立ち振る舞いからは三十路といっても納得できる年季が香る。
足下に着くほど伸ばして束ねた黄金の髪は、太陽の欠片を使って鋳造したかの如き妙なる輝き。乳を流したような肌を彩る青い目は、澄んだ湖面を掬って作ったと言われても得心が行き、蜜を塗ったと錯覚するほど潤んだ緋色の唇は、一文字に結ばれているのが惜しいばかりに官能的な艶を持つ。
鋭い輪郭と高い鼻によってある種男性的に整った美貌の彼女は、触れ難く白い僧衣を纏っている。荘厳なれどあくまで質素な僧衣は金糸の縁取りのみで楚々と飾られ、胸に揺れる金の聖印は日輪を模した“陽導神”の信徒たる証である。
飾り気のない僧衣は徳の高い僧の証拠であり、太陽神の祝福が形となった髪と相まって実に似合いの雰囲気である。物静かな立ち振る舞いと貴種の前に出してもケチの付けられぬ礼儀作法からして、得に見合った高僧であることをうかがわせる。
それだけであれば、奇異にこそ思えど漂泊卿の心が混沌に飲まれて膝を屈することなど無かったであろう。
たしかに不死者を疎む陽導神の僧が死霊であるライゼニッツ卿の所に居るのは珍しいが、猫と鼠が友誼を結ぶこともあるのだ。そういった人付き合いもあり得るかくらいで納得したはず。
ただ、彼の心を折ったのは、そんな立場によるものではない。
彼女の名乗り。そして、一目見た瞬間に感じた共感にも近しい直感。
「拙僧は陽導神の信徒……故あって卑しくも権僧正の位を預かっております、ケーニヒスシュトゥール荘のエーリカと申します」
さて、三重帝国のみならず大陸西方にて主要な個人名は、その多くを神代の英雄や国王、または聖人などを由来に持ち、綴りによって同じ人物を由来とする男性名と女性名が併存する。
有名な所であれば古代の軍神として名が残るアレクサンダーは女性形ではアレクシスであるし、北方離島圏の名高き女王ヴィクトリアは男性形であれあばヴィクトールとなるように男性と女性で呼応する名があるのだ。
これに照らし合わせると、エーリヒの女性形はエーリカとなる。
謎の既視感と近い共感、そして同郷を名乗る見知らぬ“自身”と似た身体的特徴を持ちながらにして、逆しまの立場にある女性。
それをしてエーリヒは悟った。また同時に尼僧も感じ取ったであろう。
コイツは性別を逆にした己であると。
暫しの放心の後、ゆらりと立ち上がった漂泊卿は全ての立場をかなぐり捨てて死霊に迫った。掴める胸ぐらがあれば、遠慮無く掴み上げたであろう勢いで。
全てを詳らかせにせよ、然もなくば全霊を持って敵対するとの意を言外に込め。
涙目の死霊は語る。
曰く、気に入った子達の幼少期の姿を観測したかったのだと。
公然の秘密であるライゼニッツ卿の困った性的嗜好の標的は幅広い。上は狭いが、下は下であるほど良いとする実に極まった物で、赤子でさえ可愛らしく飾ることに余念の無い奇人である。
そんな彼女は講演も講義も研究も一段落した頃、一つのよからぬ思いつきをしてしまった。
お気に入りの子達の過去の姿を見れば、より楽しめるのでは無いかと。
通常、そんな邪念は荒唐無稽な妄想として寝床の中ででもやれという話であるが、この場合は人が悪かった。
伊達や酔狂、単なるコネと金の力で魔導院の教授に収まることは出来ぬように、それらを束ねる莫大な魔力と気が遠くなるほどの研鑽を重ねねば閥を率いる教授にはなれない。そして“実に性質が悪い”ことに、その手の立場にある人間はいつだってどうにかして頭の悪い妄想を現実にしようとしてきた。
まぁ、故にこそ今の文明があるのだと言われればそこまでだが、この狂える死霊は一時の思いつきを本気で試してしまったのである。時間という、本来人が触れてはならぬ物の一端に指を掛けてまで。
余りに頭が悪すぎる、だが馬鹿さ加減に反して結構な重大事に漂泊卿は頭を抱えつつ、断固たる意志で言った。
二人にさせてくれと…………。
【Tips】時間を操る魔法は数多の魔導師が憧れ、研究してきたが、公的に確立された術式は一つとして存在しない。
厳重に人払いした己の工房、その最奥の書斎にて漂泊卿は煙管を取りだして喫煙の断りを入れた。
凜と高い澄んだ声の快諾を受けて煙管を加える彼は、一際“強い”沈静効果を持つ葉を摘めて煙を呷った。本当に拙いとき、三日間研究で完徹した後に難事に挑む時でもなければ手を付けぬ煙を吸い込み、狂気によって脳に空いた隙間にそれを流し込んで漸うの平静を取り戻す。
そして、暫し両者は見つめ合った後……。
ナニカが壊れたように腹を抱えて笑った。
「ぶはっ!? 乳、でけぇ! しかも、私よりっ、タッパあんじゃん!?」
「あははは!? なに!? ちっちゃい! かわいい! あっはは! 抱けるわコレ!」
「ふっ、ふふふ……あー、私も抱けるわこれ! 何!? なんなのコレ!?」
二人は重々しい現実に脳が壊れたのか、一旦全てを擲って“楽しむ”ことで腹を括ったようだった。
互いを指さし息も絶え絶えに数分間笑い転げた後、喘ぐように息を吸って目尻に涙を蓄えた尊い立場に相応しからざる有様の二人はポツポツと互いの経歴を照らし合わせた。
そして知る、お互いが相似形の世界に未来仏の手によって送り込まれた逆位相の同一人物であることを。
薄れつつある前世の記憶を照らし合わせ、二人は元々性別が違うことを理解しあった。
エーリヒは前世において更待 朔であったし、エーリカは前世において更待 月子であった。TRPGという遊戯に耽溺し、同じ死因で没し、こちらにやってきた同位体。
しかして、その性別だけが逆でないことが面白かった。
魔導師が自らの来歴を語れば、尼僧もまた自身の来歴を語る。
彼女は早い段階から上位世界肝いりのコネを活用することに吹っ切り、<信仰>カテゴリの技量を伸ばした僧として己を完成させようとした。この辺りの割り切りは、やはり男性よりも女性の方が思い切った所があるようだ。
神々の中でも強い権勢を誇り、同時に幅広く強力な<奇跡>を振るう陽導神に信仰を捧げる彼女を俗に表現するのであれば戦闘僧といった所か。
破邪の力を拳に乗せ、滾る陽光により体を賦活して前衛にて暴れ回る自己再生型の僧としてエーリカは相当に強力な位階にある。神の加護を得た拳はあらゆる“不条理”を解けた糸もかくやに打ち消し、素手で鋼を“引きちぎる”膂力は形ある全てを打ち砕く。
その上、沈んでも必ず昇る太陽の不滅性を肖った身体賦活の奇跡は、肉体をちり一つ残さず滅したとしても陽が昇れば再生するという理不尽性能。魔導師として単体で国家を滅ぼしうる神出鬼没の爆弾魔も、あまりのマンチキン具合に爆笑を禁じ得なかった。
まぁ、秘匿術式や攻撃をそのまま跳ね返す空間遷移を改造した報復結界の無茶苦茶っぷりを尼僧に笑われたのでお相子というところだが。
一頻り趣味を楽しみ、この世で唯一となった同好の士と思い出話を共有した後、二人は大きな難題について語り合う。
さて、どうやってお家に帰ろうと…………。
【Tips】世界の広がりは人間では正気のまま受け取れぬほどの広がりを持ち、茫漠なまでの可能性を秘める。
ウイスキーの瓶を半分空けて濁った脳が生み出した悪ふざけです。
多分明日には後悔しています。
笑ってやってくれれば幸い。