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青年期 十八歳の晩春 二十七

 ヨルゴスは自分の人生を自分で制御できている自信がなかった。


 あの日、自身が属する氏族の頭目に二度目の敗北を遂げた日からずっと考え続けていた。


 己の内に燃ゆる力への憧れ、その根源が何なのか。


 問われた通り、手前は“巨鬼(オーガ)の戦士”になりたかったのかと考えた。


 あの戦化粧を施され、壮大な宴と共に送り出される名誉ある戦士達。幼き頃から巨鬼は男女問わず、誉れ叩き戦士達の背を見て育つ。


 生まれ持った重厚な肉体、汗に煌めく鈍色の肌、力を秘めてうねる筋肉。そして何より、生来の身体能力に奢らず、限界を踏み越えるように練り上げた精神と武。戦うために産まれた本能をより高次へ導く高潔さが彼女たちを美しくする。


 ヒト種より尚も巨大なヨルゴスの身の丈にも負けぬ巨剣を担ぎ、期待と尊敬を一身に受けて戦場へ向かう背に憧れなかったと言えば嘘になる。


 では、彼女たちの横に並び、誉れ名を受けたかったのかと言われれば、魂にてひねり出されるのは言葉にし難き感情だけだ。


 己が男であるため戦士になれぬことをヨルゴスは重々分かっていた。かといって女に生まれたかったのかと問われれば、不可解な事にこれも否なのだ。


 女に生まれていれば楽であったことに疑いはない。身の丈に合った鎧、自身の為だけに鍛造された剣と手に合わせて作られた柄。以前の担い手が新たな得物を得たため、倉庫に捨て置かれた名も無き剣と比べれば振り心地は格段に良かっただろう。


 人類にて並ぶ者少なき巨体。大岩を持ち上げる膂力。鋼を凹ませる握力。牛と真正面から押し合って負けぬ体幹。その何れも素晴らしく、憧憬を抱かずに居られぬ純然たる強力な力であるが、やはり憧れの域を出ないのだ。


 巨鬼の戦士。彼女たちが尊いのは、それらを「だからなんだ」と基礎に置きつつ、決して奢らず武を研ぎ済ますからなのだ。故にヨルゴスも憧れを抱きはするが、何もせず与えてやろうかと問われた所で首を縦に振る気にはなれなかった。


 彼は強くなりたくても、強さを“与えられたい”とは一度も思ったことがないからである。


 では、純然に強くなりたいだけかと考えても、やはり彼の頭は完全には肯定しなかった。


 断じて師と呼ぶことは許してくれなかったが――教えを与えてくれると言った時に呼んだら引っぱたかれて鼓膜が破れた――剣技を仕込んでくれた巨鬼は、頑なに巨鬼の剣を振ろうとするヨルゴスに言ったものである。


 もっと身幅にあった物を持てと。


 巨鬼の剣は伊達でも酔狂でも、ましてや見栄えに拘った訳でもなく巨鬼の身の丈に見合った物が作られる。武器において大は小を兼ねるため、剣にしても実に長大でヒト種と並べれば“悪い冗談”としか映るまいが、彼女たちの常軌から大きく逸した肉体には丁度良いのである。


 だが、かなり大柄であればヒト種にも居ないことはない上背のヨルゴスには長すぎるし重すぎる。もしも強くなりたいだけであれば、手に余る剣よりも馴染む得物が幾らでもあっただろう。


 だのに先人の教えを捨てて、彼は巨鬼の剣を愛用した。今でこそ振れるようになったものの、最初は酷い物で何度重さに負けて潰れたか。一度はその合金製の骨格、しなやかにして堅牢な手首の骨に罅まで入れてしまった。


 今も尚、この行軍にも担いできた剣、どれだけ使い込もうが手に馴染んだとは言えぬ得物への執着を否定しない。


 では一体何に憧れてきたのか、ヨルゴスは幾夜の浅い眠りを超えても辿り着けなかった。


 氏族を擲ってまで一端の戦士となるべく度だったのに、手前が何になりたいかなど今の今まで考えたこともなかったのだ。


 ただ戦士になりたいなら、今すぐこんな身の丈からはみ出した得物など捨ててしまえば良い。金の髪が言うとおり、適切な両手長剣に持ち替えればいいのだ。


 だのに、手は吸い付いたように柄から離れず、結局今も借宿に残してある。


 強くなりたいのに半端にこびりつく憧れはなんなのか。


 悩んでも悩んでも答えは出ない。自身が頭目と仰いだ冒険譚の英雄から教えを受け、確実に力を伸ばしても“答え”だけは貰えなかった。


 それは私が決めるものではない。断固として言い切った金の髪、その蒼い目には己にない“芯”があることをヨルゴスは察していた。


 そんな芯を手に入れれば、変わることは出来るのだろうかと野営に備えて各地点に焚火を作る手伝いをしながら茫洋と考えていた。


 結局、この行いもまた自分で人生を制御しているとは言い難い。人生の制御が効いているなら、これほど迷うこともなかっただろうから。


 そして、制御できぬ証左として、また訳の分からぬまま彼は自分が選んだ場所ではない所へ立たされる。


 隊商に付いて回る娼婦。その天幕の内へ。


 最初に他ならぬ頭目に呼び出された時、また相談に乗ってくれるのかもと思った。


 荘の外れに向かって歩く中、何故か剣友会の他の面子や自警団の男達と合流した時は不思議でしょうが無かった。


 何故彼等に温かい目で見られた上、羨ましいぜとか頑張れよと言われて肩や背中を叩かれたのか。


 挙げ句、隊商の露営に付いたかと思えば、数ある天幕の内に法理夫込まれたのか。


 どういった理由があり、金の髪は年かさの尼僧と思しき――胸に揺れているのは豊穣神の聖印であった――女性に銀貨を握らせ、彼にあった子は居るだろうかなどと聞いたのか。


 「おお、格好良いねぇ、アタシ好みの良い男ぶりじゃないか」


 もやもや悩んでいる内に天幕の入り口を割って入ってくる者があった。荒い下町風の帝国語を引き攣れてやってきたのは、扇情的な薄着の人狼である。


 背が高く肉付きも良い人狼種族は女性も大きくなる傾向が強く、現に彼女はヨルゴスの顔の半ばまで上背が達する見事な体躯をしていた。その上で見事と言う他のない艶めく灰色の毛並みを輝かせ、亜人種特有の上段の胸が豊かに膨らみ、下に続く副乳の細やかな起伏も見られる。


 また、目を惹くのは魔種であるヨルゴスからは性差を確認し辛いものの、恐ろしく精悍で頼りがいのある顔つきをしていることだった。


 それは美しいというには些か獰猛すぎるものの、十分彼の美的感覚を擽るものであった。


 氏族の戦士達を思い起こさせる、自信を持つと共に一本の揺るがぬ芯を持った女の顔。姐御と呼びたくなる頼りがいのある笑みを浮かべた彼女は、客である巨鬼の前にしゃがみ込むと不遜にも顎を捕まえてじぃっと顔を睨み付けてくるではないか。


 「だが惜しいねぇ、うじうじ悩んでる野郎の面だ。折角アタシ好みなのに、それじゃ興が削がれちまうよ」


 「え? へ? あ? す、すみません……?」


 「謝ってんじゃないよ、馬鹿かいアンタは。そこで謝っちゃ、みっともなさの上塗りじゃないかい」


 客相手とは思えぬ口調、そして手を離したかと思えば額を叩かれた。人狼の手は肉球が備わっているが、物を持てるよう硬くなっており、元の膂力も凄まじいため中々の衝撃である。大木のような首がなければ筋を痛めていたであろう衝撃にヨルゴスは仰向けに倒れてしまう。


 「ま、いいさ……細かいこと考えてウジウジするのが野郎の可愛い所でもあるからね」


 「あ、あの!? お、俺、その」


 「分かってる、分かってるよ」


 鋭い爪の生えた指が器用に衣服を傷付けることなく上衣の釦を外していく。露わになる青い肌と分厚い筋肉。彼がナニカに焦がれて鍛え続けた時間の証明。そこを優しく、掠めるように指先が撫でていき、巨鬼の喉が無意識に低い唸りを上げた。


 「アンタ、難しく考えすぎなのさ……自分に素直になってみな」


 「自分に……素直に……?」


 「ああ、素直になるしかないくらい、遊んでやるからさ。この天幕の下に居る間は、取り繕った思考は全部捨てっちまいな」


 朗らかに、獰猛に、犬科特有の牙を見せつける笑いを作った後、彼女は迷える巨鬼の男に唇を落とした。


 その後は、あっという間であったとしかヨルゴスには理解できなかった。味わったことのない他人の口腔の味は、行為の前に濯いだのか心地好い香草の味がした。


 体に染み入る自分以外の体温は何処までも優しいのに鮮烈に熱く、皮膚を擽る体毛と共に飲み込まれるようだ。


 掌が沈み込む異性の体の柔らかさも、耳を揺らす挑発的な声が甘く高くなっていくのも全てが初めてで理解が追いつかない。


 特に腰が熱くなりすぎて炉の鉄もかくやに溶けてしまったのではと錯覚するばかりの感覚は、無骨に過ぎる彼の精神には甘すぎた。脳髄が痺れて白く染まった世界に誘い込まれて、己の認識すらもがぼやけていく。


 体が頂へと誘われて、熱い物が零れたことに気付くことさえ遅れるほどに。


 幾度達したかも分からぬほど交わり合った後、荒い息を吐いて人狼が巨鬼の胸板に倒れ込んだ。貪るように息を吸い、舌を大きく出して熱を発散させようとする様は、余程消耗したのかと自身も腹から下の感覚がないヨルゴスに奇妙な心配を抱かせた。


 最後の方は命じられるがままに彼が動き、責め立てていたというのに。


 「はぁ……良い子だ……まさか五回もするなんてね」


 「え、あ、えー……」


 「だから謝るんじゃないよ。褒めてんだ、男ならちったぁ喜んでみせな」


 寝転がったまま再び額を叩かれて、ヨルゴスはどう反応するべきか悩んだ。


 ただ……どこかスッキリしている自分にも気付いていた。


 別に何も解決してなんかいない。今も自分がどう強くなりたかったかなんて分からないし、これからどう解決していくかの糸口も掴めない。


 「まぁ、なんだ、悩んでたら変な所でおっちんじまうよ。冒険者なんて因業な仕事してんだ、少しは気ぃ抜いてねぇと潰れっちまう」


 それでも一つ分かったことがある。


 「仕事して、アタシら守ってくれんだろ? だったら余分な力は抜いて、大事な所で気張りな。んで、終わったらまたおいで。幾らでも可愛がってやるよ」


 多分これが、男であり……自分が憧れた物の小さな一部であることを…………。












【Tips】広義における人類、人類種、亜人種、魔種の三種は一節において“交配可能”かつ近似種への“性的嗜好”が近いことを基準に分類されたともいう。












 やはり長く娼婦達を見守ってきた豊穣神の在俗僧は、種族が違えど的確な判断をするらしい。


 巨鬼とは女性優位というよりも女尊男卑と言っても良い社会体制をしており、女性は基本的に“気に入った男を組み敷いて絞り上げる”ことに悦びを覚えるらしい。


 斯様な知識を僧が知っているのは、街に居た頃に男娼を巨鬼の戦士に宛がったことがあるからだそうだ。


 そして、男性の性癖は女性の性癖の対となるように出来ていると仰った。種として繁栄するために不可欠な交配、それを“心地好い”物にするため、精神の構造が合致するのが人類なのだという。


 つまり、ちらっと見る限り精悍で頼りがいのある女傑といった風情の人狼を宛がった彼女の選別眼は正しく慧眼と呼ぶべきなのだろう。


 他の面子も気に入った子と天幕にしけ込んでいったし、何時までも突っ立っていても間抜けなので早々に引き上げるとしよう。


 「お優しゅういらっしゃいますね」


 娼婦の天幕まで来て遊ばず帰るバツの悪さもあって早足で帰ろうとしていると、天幕の影から声をかけられてしまった。


 気配自体は感じていたので驚くこともなく目をやると、護衛仕事の初日に水を持ってきてくれたご婦人がいる。私のファンと名乗った若い娼婦だ。


 「ご配下の面倒まで見られて、ほんにぞっとしますえ」


 あの人同じく、蕩けて陶然とした顔で私を見る彼女は、帝都暮らしが長く田舎でも花街とは縁が薄い私には理解が難しい地方語で話す。


 たしか、この場合のぞっとする、は気に入ったとかそういう意味で使うんだっただろうか。


 褒められて悪い気はしないが、足止めされて他の娼婦にも目を付けられてはどうにも決まりが悪い。金のある客は四人も五人も侍らせて遊ぶから、私も金を持っていると見られて商売に巻き込まれると困る。


 まぁ、彼女からはそんな商売っ気は感じないのだが、場所が場所だからな。


 「頭目として、配下が安らかに働けるよう気を配るのも仕事の一つですよ」


 「いこうご立派なお言葉でありんす。ご配下も、主様のようなお方につけて、ほんに幸せでありんしょう」


 「そう思って貰えているならいいのですが」


 思わず気恥ずかしさに頬を掻く。こういった方面で褒められることは、世辞を除くとあんまり無かったからな。彼女の言葉には不思議と気遣いや嫌味が滲まないので、何故だか素直に受け取ってしまう。


 私も冒険者として活動して随分になるのでスレてしまったと思ったが、純な所も残っていたとみえる。


 純粋過ぎるのは弱点ともなるが、少しは残っていて欲しいので舞い上がってしまわぬようにせねば。


 持ち場があるのでと言えば、彼女は引き留めることなく「ご武運を」と見送ってくれた。


 うん、管理している僧が良い人なら、所属しているご婦人も良い人になるのだな。


 全てが終わって帰る時、祝いとして全員に奢ってやっても良いかもしれない。戦でささくれだった心を抱えて凱旋するより、気持ちよく帰れたらやる気も出ようし、次の仕事も頑張ろうという気になるだろうからな…………。












【Tips】豊穣神の加護ある天幕においては、睦言が外に漏れぬような祝福がもたらされる。彼女は交わりを悦びであると分かっているものの、秘める美しさを理解しているからである。

色々どたばたしてこんな時間になってしまいました。

ヨルゴス君、ちょっとだけ男になるの図。


3巻は各通販で品切れ状態ですが、倉庫に在庫があるようで週明けにでも補充されるとのこと。

オーバーラップ公式通販では引き続き特典ペーパーも付くので、よろしければご支援いただきたく存じます。


そろそろ助走も終わりという所ですね。

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― 新着の感想 ―
誤字脱字報告です! あの人同じく、蕩けて陶然とした顔で私を見る彼女は、帝都暮らしが長く田舎でも花街とは縁が薄い私には理解が難しい地方語で話す。 ↓ あの日と同じく
[一言]  今回、あまりに誤字が多い。ある程度のケアレスミスは仕方がないが、西尾維新宜しく通常用いないような漢字・熟語を使い、かな表記が適切な言葉をも敢えて漢字表記にするスタイルを選ぶならば、誤字には…
[一言] ヨルゴスか……アンデッドになりそうな名だなあ
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