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青年期 十八歳の晩春 二十六

 運動部とやらに所属したことがないのだが、もし前世で部活動をやっていたら、こうなることもあったのだろうか。


 「あの、どうぞ、お使い下さいまし」


 「おや。ありがとうございます、ご親切にどうも」


 女衆が配る差し入れを貰おうと列の最後尾に近づけば――こんな時、剣友会では順番を守るよう徹底させているので私を先に入れさせたりもしない――横から塗らしたタオルが差し出されたではないか。


 見れば、そこに居るのは名主殿の次女君である。楚々と微笑み、その愛らしい表情に甲斐甲斐しいいじらしさを感じてしまう。


 一応ファンサとやらをしてみたが、満足していただけたのだろうか。だとしたら幸いなのだが。


 貰ったタオルは有り難いことによく冷えていた。井戸水で絞ったのか、運動で火照った体には嬉しい冷たさだ。顔を拭い、首の汗を浚った所でどうせなら上体全部拭いてしまおうかと上衣の裾に手をかける。


 「きゃっ……!?」


 服から頭を引っこ抜くと同時に響く小さく細い悲鳴。なんだ? と思えば、真っ白な彼女が両手で顔を覆っていた。しかし、指の間から目が見えているから、それでは意味が無いと思うのだが。


 いや、むしろ何故顔を隠したのかと思い……やっと、男性の裸が恥ずかしいのかと思い至る。


 「あっ、これはご無礼を。田舎育ち故、気が利かず申し訳ない」


 「いえっ、そのっ! お気遣い無く! ちょ、ちょっと驚いただけですので!!」


 白磁の肌を紅を塗ったような朱に染められては、ちょっとと前置きされても到底納得できないのだが。


 いや、無理もないか。大事な大事な荘の関係を強くする娘子だ。良くも悪くも“荒い”荘の男衆とは間を取らされていたのだろう。それならば田舎の婦女なら見慣れている男の裸に恥じらいの一つも覚えよう。


 とりあえず一度脱いだ汗まみれの服に袖を通すのは不快極まるが、彼女に裸身を晒し続けるのも悪いので着ようかとした所、なにやら袖を勢いよく掴まれてしまった。


 「そのっ……本当に、お気遣い無く……なんでしたら、洗わせてください……」


 消えるような声で提案する彼女が、顔を隠したまま副腕で上衣を掴んでいるではないか。少し力を込めれば引っこ抜けそうな力なれど、手腕と比べれば二回りは細い手が震えるほどに力んでいる様を見ると、何もしてないのに悪いことをした気分になるな。


 「ですが、こんな汗まみれの服を洗って頂くわけには。汗臭いですよ」


 「そんな! 汗臭いなんて! その、良い匂いです! とても!」


 良い匂い? と首を傾げた所、彼女は自分が口にしたことを漸う理解できたのか、ただでさえ赤かった顔を更に赤くしてしゃがみ込んでしまった。どうやら異性の匂いに言及してしまったことが、羞恥の許容量をぶち抜いていってしまったらしい。


 「私……なんて……はしたない……」


 おっと? 待って、本当に待って頂きたい、本格的に私が悪いことした感じになってきてないか!? 周囲の視線がガンガン刺さってるし、泣かせたな? と言いたげな殺気が方々から飛んで来てるぞ!?


 私か? 私が悪いのか? という腑に落ち無さを感じつつ、どうにか意識を切り替えて対応を考えよう。これはあれだ、ファンサに(なぞら)えるなら握手会でいざ推しが目の前に来た段階でテンパって変なこと言っちゃったってのと同じやつだな?


 「落ち着いていただきたい、私は何も気にしていませんとも。はしたないなんてとんでもない。気を遣って貰って嬉しくない男などいませんよ」


 ともあれ冷静になって貰わねば。しゃがみ込んで上衣を握る――そう、しゃがみ込んでおいて未だに離していないのである――彼女の手を取り、優しく優しく、可能な限り落ち着いた声音で語りかけた。


 「そんな貴女にはしたないなど、一体誰が思いましょう。これほど世話を焼いて頂き、嬉しくない男などいないのと同じで、貴女の気遣いを笑う者など何処にもおりませんよ」


 「……本当、でしょうか?」


 「ええ、勿論です。ですから愛らしい人、どうか苦しまないでください」


 諭すように言って、やっと彼女は顔を上げてくれた。するとどうだ、ヒト種にはあり得ない赤い色合いの目が上目遣いに私を見てくる。元の造詣の良さも相まって、庇護欲をかなり擽られるではないか。


 「さぁ、お立ち下さい。膝を汚してはいけませんから。そして……」


 美形って狡いよな、上目遣いになるだけで交渉を優位に持って行けるのだから。これを撥ね除けられるのは余程冷えた頭脳を持った人間か、異性、ないしは異種族に興味を抱かぬ者だけだろう。


 「久しぶりのご挨拶を、悲しいままで終わらせないで下さい。フィレネ嬢」


 「……はい。お久しゅうございます、エーリヒ様。息災で何よりです。日々、武を司る神々に御身の武運をお祈りしておりました」


 立ち上がらせて名を呼べば、またいじらしいことを言って四本の手全てで手を取ってくる。分かってか分からずか、教育か本能か、ともかく男性の自尊心を擽るのが上手いお方である。


 これ、童貞だったら絶対に凄く舞い上がって入れ込んでいただろうな。それこそ、この荘に永住しかねない勢いで。


 「では、此度の件は神々のお導きやもしれませんね。貴女を守る者もなく危難に晒さずに済んだ」


 「まぁ!」


 さっき鳴いた烏がもう笑ったというか、切り替えが上手いらしいお嬢様は華が綻ぶような笑みを浮かべて下さった。それから、また私の手を取っていることが恥ずかしくなったのか真っ赤になって一歩後ずさる。


 実にお忙しいお方だ。


 「あっ、あの、お水は如何でしょうか……」


 「ええ、頂きます」


 で、私はこのファンサービスをいつまで続けりゃいいのでしょうかね…………?












【Tips】蟲の流れを汲む亜人種の血は赤以外にも体の構造に従って多様な色合いを見せるが、蝶蛾人(プシケ)のそれは蜘蛛人(アラクネ)などと同じくヒト種に近い赤色をしている。故に彼等も“赤面”することができるのだ。












 異性に触れたことのない中学生みたいな――年代的に間違いではなかろう――やりとりの後、一日を訓練に費やしてクタクタになる訳にもいかぬので訓練は解散となった。


 名残惜しそうにするフィレネ嬢を名主殿の家に送ってやり、やや必死さが滲む上がってお茶でもというお誘いに仕事を名目として断りを入れた。


 なにも熱っぽい表情で舞台の演者でも見てくるような彼女に嫌気が差したのではない。誰かに推されて悪い気はしないが、そんな彼女の思いにつけ込むのは何処か違うような気がしただけである。


 少なくとも私は、乙女が夢に描くような立派な騎士様ではないのだから。


 とはいえ、ファンサは十分だろう。これでも我が幼馴染みに対応が塩っ辛いと苦言を呈されることもなかろう。今度指摘されたら、ふふんと笑って反論してやろうではないか。


 さて、宿として借りている集会場で荷物を漁って着替えてから、大工仕事の場と化している広場に行ってみれば、そこには多くの防御用設備が整っていた。


 「あ、金の髪の旦那」


 「お疲れ様」


 まだ年若い矮人の大工は、この荘の建物の大半を立てた大工衆の長子であり、次代を約束された跡継ぎだ。今回の設備作成では私の適当なメモから完璧な図面を仕立て、戦の気配に怯える門下のケツをひっぱたいて仕事をさせた大人物である。


 矮人(フローレシエンス)らしい小柄な体躯から溢れるほどの熱意を発散しつつ、彼は一つの障壁を自慢げに叩きながらさっき最後の仕事が終わった所だと告げた。


 三日か四日もあれば形になるとは思っていたが、これだけの大仕掛けを四日で完成させたのは素直に感服させられる。


 「良い仕事じゃないか、棟梁」


 「よせやい、誰が棟梁だ。俺ぁまだオヤジにゃかなわねぇよ。単にみんな慣れてねぇ品だから、スレてねぇ俺の方が上手くやれただけのこったよ」


 謙遜しつつも誇らしげに成果物に片肘を預けてもたれかかる跡継ぎ殿。しかし、本当に良く出来ていた。


 移動用の防御障壁は、形容するのであれば折りたたんだ状態の卓球台のような見た目をしていた。分厚い二重構造の板を三本の支柱で挟み、支柱には移動用の車輪が備えられている。


 使い方としては、これを押して建物と建物の間に運んで隙間を塞ぎ、広場を防御陣地に変えるのだ。


 勿論、持っていっただけでは車輪で動いてしまうため、各支柱には固定具を打ち込むための金具がある。テントのペグと同じ要領で鉄杭を地面に叩き込めば、あっという間に不動の防壁が出来上がりという寸法である。


 それだけではない。障壁の上面には有刺鉄線も螺旋を描いて張ってあり――以前に魔宮でミカも使っていたが、割と普及しているようだ――簡単に乗り越えられぬよう工夫され、転々と空いた隙間は銃眼として機能し水平に矢を放ったり、槍を突き込んで敵を追い返せるようになっている。


 要所要所を金属で補強した移動障壁は、確実に地面へ固定したなら喩え巨鬼が戦槌を振りかぶろうと簡単には破壊できないだろう。これを壊したいなら火砲を水平射して支柱ごと吹き飛ばすか強力な魔法で薙ぎ払う、ないしは城門用の衝車が欲しいところだ。


 欲を言えば魔法を付与して更に固めたい所であるが、物に術式を刻むのがそこまで得意ではないので断念した。触媒を作るだの今も活用している技術は結局アグリッピナ氏の監修あってこそだし、柔軟性に富んだ即興能力の持ち合わせがないのが辛い。


 もし技術があったなら、帝都の城壁さながらに“矢を跳ね返す”術式だの“斥力障壁”だのを大盤振る舞いしたかったが、無い物ねだりしても仕方ないので我慢しよう。流石に今ストックしている熟練度を全て使ったとしても、その領域には遠く届かないからな。


 やはり魔法使いと魔導師の間には大きな隔たりがある。感覚で使っているだけの私には出来ないことが多すぎた。


 悔しさを誤魔化すように壁を押してみれば、重量はあるがきちんと動く。流石に一人で動かすのは無理だが、数人いれば順調に現場へ持って行けそうだ。


 「うん、動きも良いし、実に頼りがいがある壁だ」


 「だろ? 明日にゃ試しに広げて見るかいね。いざっつー時に矢玉から守ってくれる壁があると分かったら、荘の衆も安心できっだろ」


 「頼むよ。何度か練習して、どんな時でも素早く防御に入れるよう備えようじゃないか」


 「おうよ。それと逆茂木も見てくんなよ。こっちも中々の出来だぜ?」


 同じく用意された逆茂木を見てみれば、同じく二つ折り構造の“使い終わった後”の事を考えた物になっていた。三本の支柱の間に渡された一本の横木に先を尖らせた木が天を向いて備えられているが、これは可動部が横木に組み込まれていて角度を選んで横に向けられる様になっている。


 障壁と同様の固定具も足下に備わっているため、倉庫にしまっておくときは尖らせた馬の突進を阻む木を立てておき、使うときには展開できる便利な仕組みであった。


 「戦場ん持ってくなら、こんだけ凝る必要はねぇだろうが、俺らにゃぁ後を考える必要もあっかんな。一遍使ってお終ぇじゃ木材がもったいねぇよ」


 「仰る通りだ。前線に引っ張って行くには重かろうが、荘の中を引っ張る分には十分だ」


 よしよし、彼等は絶望していない。勝った後のことを考える精神は大事だ。生きてやる、その意志一つで生死が決まるのが刃が舞い血飛沫が散る戦場なのだから。


 絶望という病に冒された集団の寿命は短い。諦めた途端に気骨が萎え、頭を占めるのはどう勝つかではなく、どうすれば苦しまず死ねるかになる。良くても投降したら受け入れて貰えるだろうかであり、決して勝利を掴もうとしなくなるのだ。


 畢竟、この病に憑かれて籠城が成功した試しはない。


 彼の恐ろしき病に罹患せずいられているのなら、我々にはまだ勝機がある。


 さぁ、荘の皆が努力して良い物を作ったのだから、我々も気張ろうじゃないか。


 良い仕事をしてくれたから、差し入れに酒でも職人衆に出してやろうかと思い、財布を懐に呑んで荘の外れへ足を伸ばす。そこで同行していた隊商が露営を広げており、こんな状況でも商売をしてくれるのだ。


 などと思っていると、ばったり数人の剣友会員と出くわした。いや、会員だけではなく自警団員も混じっているではないか。


 「あ、旦那、こ、これは奇遇っすね……」


 「へ、へへ、ええ、まったく……」


 些か引き攣った、ないしは不自然な笑みを作って笑う会員と自警団員。目的地を同じくしているであろう足取り、そして隠そうとするからこそ露骨に浮かび上がるものを察して、私は思わずジト目になることを止められなかった。


 「程ほどにしておけよ? 休憩も大事だが、まだまだ忙しいんだから」


 ぶっ倒れるほど訓練をして尚も“遊べる”体力を褒めるべきか、それとも気を抜き過ぎだと諫めるべきか中々に悩ましい所だな。あんまり気を張って消耗されてもなんだが、剣ではなく腰の振りすぎで仕事に支障を来されては、あまりの無様さに怒鳴らずにはいられまい。


 なんにせよ度を過ぎねば女を抱くのは精神衛生によろしく、また腹も据わるものだから一概に叱責もできぬ。人間、多少はいい目を見ておかないと“何としても死ねない”という強い意志は湧いてこないものだからな。


 その逆で、残念な思い出があれば、アレを最後にしてたまるかとより頑強な意志が湧いてくることもあるのだけど。


 「えーと、金の髪殿もいかがです?」


 「ええ、ほら、折角会った訳ですし……ねぇ?」


 が、彼等を置いて先に行こうと思っていると自警団の者から予想もしない誘いを受けた。驚いて振り返ると、彼等もまた引き攣った笑みを浮かべている。


 気まずさを誤魔化そうとしているようにも見えるが、僅かに暗い感情も見える。昼間に荘の宝と良い雰囲気になってしまったので、同じ所まで降りてきて貰いたいのだろうか。


 ああ、いや、商売女と遊んだことで如何にも潔癖そうなお嬢様の印象が悪くなることを期待している線もあるな。


 ま、別に怒りはしないとも。狭い荘の宝を余所から来た無頼に掻っ攫われるのは気分もよくなかろう。例えそれが、どう足掻いても手前の手が届かない高嶺に咲き誇る花であろうとも。


 男なら気合い入れて酸素ボンベを担いで高嶺に挑めよと言いたい所だが、誰もが誰も斯様な諦めの悪さを持っている訳でも無し。少々こすっからい事を考えても仕方なかろう。


 隔意を抱かれるのには、こう言うと何だが少し慣れてきている。


 マルスハイムでもよくあるものだ。気取っていると言われるのは軽い方、剣じゃなくて“ケツ”の腕だろうと揶揄されたこともあるほどだ。それと比べれば可愛い物である。


 しかし、呼び止められてふと思いついた。


 昼に考えてしまったことを実現させるのであれば、今が丁度良いのではなかろうかと。


 また難しいことを考え始める前に、転機を作ってやった方が良いのかも知れない。


 それに一人で行くなら踏ん切りが付かなかったとして、大勢と共に行くなら平気という小心者も多い。


 私が見る限り彼は戦うことに関して疑いようもない勇気があるが、俗事に関しては小心者だからな。


 誘いを笑みで言外に断ってから、剣友会の面子にヨルゴスは何処に居たと問えば、急にどうしたとでも言いたげな困惑が返ってきた…………。












【Tips】個人が発起人の隊商は、隊商主の差配によって予定を変更し自由に滞在を延長することや行き先を変えられることが強みである。


 しかし、商会などが出資し順路、行き先を指定されている隊商に関しては自由が利かないため、こういった場合危険に陥りやすい。なればこそ彼等は強力かつ大量の護衛を抱え、危険性を真っ向から叩き潰す準備をするのだ。

平日の更新だと19:00頃より今頃がよいのか色々考えております。

一時3巻がAmazonのライトノベル総合4位に最高で居たので、多大なご支持をいただけたのだと嬉しく思います。

あと1巻の電子版が各媒体にて3割近く割引されているので、よろしければどうぞ。

4巻に繋げられるよう、続きが気になっていただけたならご支援をお願いいたします。

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[一言] エーリヒがただのクソ野郎な件について
[一言] ヒト種における「流石にやらないだろう」は、基本的にエーリヒには通用しない。
[良い点] 男色の疑いが出てきてしまう
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