青年期 十八歳の晩春 二十五
人は非日常にこそ神経をすり減らすものであり、彼等を護るのならば日常を護ることこそが肝要である。
モッテンハイムに逗留して四日、名主に頼んで防備を固める手助けをしてくれている面々を除いては、できるだけ常の生活を保つようにしてもらっている。不安そうにしていた彼等も、私達が警邏に立ち、いざという時の防備が仕上がっていく所を見ると安心してくれたのか、いつもの生活に戻りつつあった。
ただ、荘付きの猟師――マルギットの家と同じく代官許しの猟師だ――には申し訳ないが狩猟の仕事は諦めてもらっているし、子供達には折角の遊び場なれど森には近づかないよう硬く硬く言い聞かせてある。
命あっての物種とはよく言ったもの。暫く商売が出来ない猟師にはすまいし、遊び場を取られる子供達も可哀想だが、動死体がどれだけ埋まっているかも分からない所にはやれないのだ。
未だ日常にはほど遠いが、取り返せるように努力しよう。そこまでは我々の仕事ではないだろうが、受けた以上は全力を尽くすのが剣友会である。
「第一列! 構え!」
そして、これも仕事の範囲かといえば微妙だが、まぁサービスの一環と行った所か。
私の号令に従い、荘の若い二世衆が盾を構えた。飾り気のない円盾は、自警団の倉庫で埃を被っていた装備である。鎧などは少なかったが、流石貴族肝いりの荘だけあってか矢柄や盾などの消耗品だけは備えがたんとあったから、折角だし自警団に稽古をつけてやることになったのだ。
その序でに、自分の家族を護ろうという気概のある次男以降の面子も集め、促成の防衛軍を組織させた訳だが……。
「おわぁ!?」
「あだっ!?」
「ぎゃあっ!?」
どうにも前途多難であるな。
大きな円盾を重なり合うように構え、盾の壁を作った自警団の横列へ剣友会の面々が突っ込んでいけば、盾が空を舞いものの一撃で打ち崩されてしまった。鎧を着て腰を落とし、横列を突き崩すのは戦の基礎技術であり剣友会でも練習項目として扱っているが、こうも簡単に崩されると困るな。
特に突っ込む人員は横列一〇人に対して僅か三人、しかも牛躯人や豚鬼、巨鬼など産まれながらの肉体優越種族は入れていないというのに。
「んだごらぁ、情けねぇぞ! タマついてんのか!!」
「腰ぃ入れろ腰ぃ! 俺らが野盗だったら全員死んでんぞ!!」
「こっから反撃せにゃなんねぇんだぞ! 分かってんのか!! かみさんや惚れた女の顔思い出せぇ!!」
あまりの歯ごたえの無さに罵声を上げる一同。普段であれば、素人さんも混じってるんだからもうちょっと手心をだなと窘める所であるが、如何せん彼等には手早く戦力になって貰いたいためそうもいかん。
あれだ、痛くなければ覚えませぬというだろう?
しかし、自警団は何やってたんだかね。自警団長まで一緒に吹っ飛ばされているあたり、相当鈍っておるな、こりゃ。
荘の平和にかまけ、あまり訓練に気を入れすぎると反発されるから温めに行い、頻度も少なくしていたと見える。荘内の政治と言えばそこまでだが、本当に必要になった時に備えるのが防衛戦力なのだから、嫌われようと引き締めておくべきであろうに。
気分は分からないでもないがね。大きな街にも州都にも近く、名主のおかげで救援も直ぐ来るような立場で自警団と言われても……と弛むのは、拭いがたい人間の性だとも。だが、そこをぐっと堪えて最後の障壁としてそびえ立って頂きたかった。
なぁに良い機会だ、安くない金を貰っているのだから思い切り叩き直してやるとしよう。
「第一列、もう一度だ! 第二列はよく見ておけ! 成功しても失敗しても、何がよくて悪かったかが分かるからな!!」
指揮のため作った手旗で横列を組み直すよう指示し、配下にも突撃の準備をさせる。三人が危なげなく止められるようになったら五人で、五人が行けるなら同数で。最終的にはエタンやヨルゴスなどの生ける重戦車連中をぶつけて、圧倒的質量の理不尽さを味わっていただこうではないか。
あ、こんなん無理ぞ、と思ったら敢えて横列を解いて衝撃を躱し、その背を突く必要も出てくるからな。
戦場では盾ではなく長槍――帝国規格だと七メートルはある――で槍襖を作り、それでドツキ合ったり槍の隙間を小型人類が抜けて乱戦したり過激な戦法をとるが、少人数同士での戦列なら盾の壁の方が効率が良い。
掲げれば矢を防ぎ、並べれば物理的な壁となり、数百人の槍衾には遠く及ばぬ寡兵の槍衾を抑えきる。前世では紀元前から中世まで続く伝統ある戦法は伊達ではない。
私も故郷では訓練でよくやったものだ。乱戦に入るまでに矢を浴びせられぬよう、横列を素早く組んで盾で仲間と護り合うのは戦場の一風景。そして気ぃ抜いたらランベルト氏がタックルかましてきて、人が紙みたいに吹っ飛ぶから一瞬でもサボれないんだよな。
「うぉらぁ!」
「どわぁー!?」
「いってぇ!?」
再び崩される盾の列。もうちっと腰を落として、盾に角度を付けないと駄目だな。受け止めるより“流す”感じで行かねば、鎧を着た重量ある人間の突進は中々止まらん。跳ね上げるか、地面に叩き潰す感じでやらねば。
「がんばれー兄ちゃん! 立ってー!」
「アンター、情けないよー!!」
どの辺で助言するかと思っていると、外野からも野次が飛んでくるようになった。見れば、滅多にしないらしい軍事訓練を見に来た女子供が離れた所で人集りを成している。一部の者は差し入れなのか籠や水差しを持ってきており、後で昼飯を出してくれるつもりなのだろう。
その又昔、前世の故国において戦争は庶民の娯楽の一つであり、弁当を持って観戦に行き、その序でに落ち武者を狩るアトラクションであったと聞く。単に家の民族が農耕民族故の不退転バーバリアンなだけではなく、何処の国でも見られたそうなので人類種に根ざした本能の一つなのだろう。
彼等がこの光景を見ることで、防備が出来上がりつつあると思って安心して貰えれば何よりだ。だから野次を飛ばそうと追っ払うような無粋はするまい。
「あででで……お前なぁ! これめっちゃイテぇんだぞ!?」
「ぐおぉぉ、腰がぁ……」
「ああ! 待って! 帰らんで! 次! 次こそ良いとこ見せるから!!」
這々の体で立ち上がる男衆は野次に力なく反撃しているが、文句を言えるならまだ余裕だな。よし、もう一回。
悲鳴を上げつつ横列を組む彼等を見ていると、視界の端っこで白く目立つ人影があった。
気になって首を巡らせれば、観衆の中に恐ろしく白い女性がいた。
柳のように細く儚げな立ち姿、髪の延長のように映える翅は紋様も華やかで麗しい。少女の儚さの中に陰りのある切れ長なのに垂れた目は、まるで眩しい物を見るように私を見ていた。
名主殿の次女。ヒト種の女性と番った名主殿の下に珍しく生まれた蝶蛾人の娘子だ。ヒト種は、その繁殖力で異種と番ってもかなりの確率でヒト種を産む。だのに彼女は実に珍しく、ヒト種と番った名主殿の間に長女と同じく蝶蛾人として生まれ落ち、祝福された子として大事にされている。
将来は荘の有力者に嫁ぐか、新たな結び付きのため別の荘の名主に嫁に行く、はたまた代官の愛妾として抱えられ得る宝である。あの皮膚と同色の長く伸ばした抜けるように白い髪も相まって、心を奪われる男性は多かろう。
まるで作り込まれた西洋人形のようではないか。比喩ならざる白磁の肌色は、同じ人類か危ぶむほどの美しさを秘めている。
目が合った。かなり距離が離れているが、ここからでも分かる。錯覚でも自意識過剰でもない。
何故なら、彼女が小さく手を振ったから。
脇の辺りから伸びる副腕で籠を持ち直し、左手で落ちようとする長い裾を抑えて右手が振られている。上品な振る舞いは、貴種に侍ることも考えてか貴人に相応しい教育の匂いが漂う。
その仕草に男衆が色めきだち、剣友会の配下も陶然と見惚れていた。仕草の一つ一つが愛らしいお人だ。
はて、どうするべきかと暫し悩んだ。常であれば会釈の一つで済ませる所だが、マルギットに言われた言葉が記憶より浮かび耳朶に反響する。
もう少し愛想良くしてやれと。恋する女子の気持ちは分かるのだと言う彼女から、塩対応は止めろと――これでも愛想良くしているつもりではあるが――言われているし、少しは返した方が良いか。
とはいえ、ファンサ、ファンサなぁ……。
小銭投げるのは何か違うし、手でハート作ってやるのは私がやったら気色悪そうだし、そもそも通じるのか? ありがとう、と大声で言うのは子供っぽいしファンサになるか微妙な気がする。さりとて愛してるよ、なんて大仰なことアイドルでもあるまいし口にしたくない。マルギットにさえ、閨で囁くように告げる言葉を堂々と青空の下で張り上げられるか恥ずかしい。
暫しの逡巡、されど<多重併存思考>の全てを傾けて熟慮に熟慮を重ねた結果、やっとこ出てきた回答は、振り返れば頭が悪く恥ずかしい物だった。
唇に手をやり、投げるように渡す仕草。
いわゆる投げキッス、という奴である。
途端に上がる黄色い歓声、それに混じる男衆の小さな舌打ち。
ふと冷静になり、急に頬へ血が集まるのが分かった。
「……第一列、構えぃ!!」
盾の壁の練習の後、乱取りで素人を“優しく撫でた”のは決して照れ隠しではないし、八つ当たりでもない。
一人の少女、その憧れに応えることの何が悪いのかと、怒号に乗せて自分に言い聞かせた…………。
【Tips】投げキッス。古代ギリシアや古代ローマ時代よりあった親しい者同士の挨拶が変形していったもの。ライン三重帝国においては南内海より入って来た文化として小国林立時代より存在しているが、現在ではかなり“気障”な振る舞いとして認識される。
乱戦時の練習として剣友会と自警団の団員を適当な割合で混ぜ、二陣営に分けて乱取りをさせた。
で、適当なタイミングで私が一人で割って入ったのだが、まぁまぁ楽しかったよ。みんな必死になって一太刀くらいは浴びせようと捨て身で襲いかかってくるので、その感覚は戦場で重要だからと本気で相手をしてやった。
動機は恐らく、詩に謡われる冒険者に一撃当てれば荘で死ぬまで自慢できる武勇伝になるとかその辺だろうが、体ごと斬りに行く感覚は本当に大事なので大変結構。それくらいの気概があった方が、いざ実戦となった時も体が動くものだ。
無論、本気で逆襲したが、全力で当てたわけじゃないとも。足を払うなり投げるなり、顎を掠めるように一撃くれるなりで骨を折るような怪我はさせていない。流石に此処で寝込むような怪我をさせちゃ、何のための訓練か分からんからな。
木剣を地面に突き刺し、死屍累々の間を一人一人に声を掛けながら通り過ぎる。良かった所を褒めてやり、それから直した方が良いところを告げると死んだ声で礼が返ってきた。最後は無限復活制にして、ぶっ倒れるまで掛かって来いと言ったため精魂尽き果てたようだな。
倒れ伏す彼等の合間を縫っていき、最後の一人に声を掛ける。
期せずして、それは悩める少年、巨鬼のヨルゴスであった。
「気迫は十分。やはりその得物の方が楽だろう」
「……へぇ」
天を仰いで倒れる彼の傍らには、流石に巨鬼に適した木剣がなかったため特大両手剣を模した木剣が転がっている。人の身には扱いに難しい大身幅の剣なれど、彼の体躯であれば丁度良い長剣の寸法だ。
両手剣が片手剣の気軽さで振り回される、これの恐ろしいことと言えば実際に相対してみなければ分かるまい。手前の得物よりも長い物が、同じ軽さで速度を伴って振るわれる。しかも護りにくい上から、重力の援護まで受けて振り下ろされるのだ。退こうが横に飛ぼうが、少し腕を伸ばせば刃が届く間合いが凄まじく広いため処理に難儀させられた。
ただ、巨鬼自体は楽なれども腑に落ちぬという顔で天を睨んでいた。厳めしいことこの上ない金壺眼は苦々しげに眇められ、口は真一文字に結んで零れた牙を締め付ける。
厳しい表情には、コレで良いのかという逡巡の苦みが滲んでいる。
やはり、まだ折り合いが付いていないのだろう。
まぁ、仕方ないか。精神年齢でいえば十代の中頃、果たして手前が本当になりたい物は何かなんて難題をぶつけられてパッと解答が出るはずもなかろう。
そもそもにおいて、彼は憧憬の起源からして整理しかねているようだ。
果たして強くなりたかったのか、巨鬼の部族の中で男として認められたかったのか、それとも目映き戦士達の隣に立ちたかったのか。
これらを区別するのは難しかろう。全てが正解であり、全てが誤りとも言える。人間の感情とは、現実と違って一言で整理など出来ぬものである。
「答えは出ないか」
「……申し訳ねぇ」
「なに、謝ることはあるまい」
彼の隣にどかりと腰を降ろし、懐から煙管入れを取り出す。葉を詰め込み、火種入れからくすぶる縄を取りだして息を吹きかけ勢いを増させて一服。
「何になりたいか、なんて早々答えは出んよ。私とて模索中だ」
「旦那もですかい?」
おうとも。私は立派な冒険者になりたくて腕を上げ、格好良い兄貴と両立させるため帝都へ旅立った。そして今、約束を果たして幼馴染みと共に此処に立っているが、私が憧れる立派な冒険者に辿りついたかといえばまだまだだ。
詩に謡われることが通過点だとか、いつか世界を救ってみたいなんて大それたこっちゃない。
なにせ私が愛した冒険譚の英雄は、数え切れないほど居るのだから。
あの小汚い部室に集って紡いだ数多の英雄。偉業を為した者もあれば、下らない事故で死に別人に意志を託した者もおり、道半ばにて潰えた者も居る。
されど、その全てで私は“やりたいこと”をやったつもりだ。
高潔な騎士、銭ゲバの錬金術師、知識欲に狩られた狂気の魔法使いや生きることに必死だった混血児。どれもが楽しく、尊い思い出だ。
あの懐かしく遠い、褪せぬ追憶の数々を想えば理想は果てしなく多い。
もっと幼い子供がアレコレ考えるのと図式は同じだ。消防士、警察官、映画俳優、同時に抱く憧れのなんと多かったことか。
だからなんだ、エタンから言われた手前ではあるものの、無理に早く納得しろとは言わんよ。
「焦るなよ、ヨルゴス。逸りすぎれば成長は濁り、歪になる。迷うのはいい、だが焦るな。それが剣筋に出ていたからな」
「へい、旦那、ありがとうございます」
「……少しマシな顔になったな」
見下ろしてやれば、引き結ばれた硬い顔が僅かに緩んでいた。良かった良かった、ああもおっかない顔をしていれば童に泣かれるぞ。
「さぁ、立て。荘の女衆が差し入れを配ってくれている。馳走になろう」
「うす」
のっそり起き上がる私より大きな後輩。素直なのは良いことだ。彼はきっと伸びる。ともすれば、剣士としては私より理不尽な性能になるかもしれない。
この業界、一撃良いのを貰えば行動不能というのがデフォなれど、合金の骨格と肌を持つガチ生体兵器の巨鬼はちょっと枠から外れる所があるからのぉ。
ただ、まだ些か顔から険が取り切れないな。どうすれば打ち解けてくれるのか。
ふと、この辺りがきな臭いことを名主の雰囲気から察した隊商が、未だこの荘に留まっていることを思い出した。
それは隊商に付き添って商売している娼婦達も同じ事。
一度女性を抱かせてやれば、若さ故の硬い考えも柔らかくなるのであろうか。
そんなことを考えてしまった…………。
【Tips】肉体的な変化は起こらぬものの、童貞を捨てる前と後で男は確かに変化を遂げる。
公式には本日が3巻発売日なので更新です。
更新報告など多々頂き本当に嬉しい限り。ありがとうございます!
この調子で4巻に繋げられればと思いますので、引き続きご支援いただければ何よりです。
また、コメントいただくまで忘れていましたが、ついに拙著が百万文字超えましたよ。
二年間で文庫本二冊分、まぁ頑張った方ではないでしょうか。
完結には時間がかかりそうですが、何卒よろしくお願いいたします。