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青年期 十八歳の晩春 二十二

 古来、人はある程度の社会発展を遂げると武威を恐れるようになるが、こと必要になった途端に湧き上がる憧れは恐れを上回るほどに強烈なものである。


 地理的要因もあって諍いとは縁遠く、個人間の喧嘩さえ名主の上手い差配によって拗れることのなかった荘において“武”とは何とも無しに必要なのだろうが、あまり関わり合いになりたくないなと思わせるものであった。


 なにも彼等が安穏とした者だからではない。初期の荘民に戦火や略奪から逃れるべくやってきた異邦人も多く、生理的に暴力を受け入れがたい土壌が出来ていたからである。


 それでも一定の備えはされていた。自警団員はマルスハイムにて士長――軍属においては十人長にあたる――の地位にあったものだし、補佐二名も賦役に就き実戦経験を持つ者であった。


 軍事行動の経験者が率いるには、総勢十五名という自警団の人数は規模に対して少なすぎるともいえるが、人口の大半は未だ成人もしていない子供なのだ。移民初代にはそろそろ働くのが辛くなる者が現れていることを考えると、妥協的な点において正当な規模ともいえる。


 減税目的の予備自警団員を含めても三二名の自警団しか持たぬ荘において、賞賛を浴びるのは経済的な能力を持つ者。武芸者は冷や飯ぐらいとは言わぬが、冒険譚に憧れた子供から好かれる程度の存在でしかなかった。


 それが今や輝かんばかりの目で見られている。


 襲撃の気配に怯える荘にとって、鍛錬を積み武装を整えた冒険者達は何よりも目映い英雄に映るものだ。


 剣友会の面々は冒険者としては駆け出しが多いが、十分に基礎を収めた一端の武芸者揃い。全くの素人であっても気骨があれば周囲の先達、そして金の髪から揉まれれば多少腕に覚えがある程度では勝てぬ程度の実戦剣法を身に付ける。


 人を斬る腕前を持った者のみに放てる威圧。毛穴が開き、汗が滲む獰猛な雰囲気は彼等が“盾”として暴力に立ちはだかってくれるとなれば、この上なく希望を喚起するものである。


 また武人の気位を持つ彼等は、全員が十分な武装を身に付けていた。


 野盗から追い剥ぎ返した装備品は高品質とは言いがたいが、手先が器用な者の手で修繕されていることもあり実用には耐えうる物だ。


 くすんだ煮革は危難において鍛造された装甲もかくやに光り、数打ちの量産剣も万難を打ち払う聖剣に吾する。


 鍛えた肉体をそびやかし、肩で風を切って堂々と進む冒険者が威声を発しつつ方々へ散っていく。その中心に立つのは、平時であれば恐ろしいとしか感じられぬ、頬より走り唇を跨いで顎へ抜けていく面傷を持つ冒険者。


 簡素な手槍を担ぎ、腰に剣を佩いた姿は燦然と輝く英雄詩の名君の如し。冒険者の名を呼び、指示を出す姿を見て誰しもが福音を聞いた。


 自分達は助かるのだと。


 冒険者達は面傷の冒険者に従って持ち場に着く。夜に働くため休む必要がある者は、集会場の一角に借宿を広げて魔法使いより授かった“眠り薬”で無理矢理に休む。集団で動く際、彼等は多少の無理を合理のために曲げることを覚えていた。


 そして、冒険者が各々の仕事に向かうと同時、名主の家より金色が現れる。


 長い髪を風に遊ばせ、左を覆う外套より覗く剣の柄に掌を乗せて闊歩する姿は音に聞こえる詩が褪せる風格。


 無言で微笑み、自信を湛えて歩くだけで彼の者の力量が空気を伝播して染み込むよう。


 「諸君、うろたえるな、ここには我々がいる。君達を護りに来た」


 下手に動くことも出来ぬ故、広場に集まって行く末を心配していた農民達の心に言葉が染み入る。まだ何も始まっていないのに、ただその一言で全てが解決されたと感じるほどの安心感。


 「そして、そのために力を借りたい。一番大事なのは日常を護ることだ、さぁ、野良仕事に戻ると良い。今の時期に軌道に乗らせねば、秋に豊穣神の寵愛を得ることは叶うまい」


 荘民が纏まって動いていたのは、名主より襲われにくいよう集団行動をするよう言いつけられたこともある。だとしても大事な畑を蔑ろにするのは抵抗があっただろう。


 にも拘わらず従っていたのは、なにも名主に従うべきが最良と思ったからではない。


 離れて動くことが、彼等自身にとっても恐ろしかったのだ。


 いつ襲われるか、どこから矢が飛んでくるかも分からぬ状態で仕事に身が入るはずもない。


 死への恐怖は、その対象がどれだけ平和を享受していたかによって鋭さを変える。


 四半世紀も穏やかに発展し続ける荘に暮らしてきた彼等にとって、野盗からの襲撃が迫っているという圧力はとてもとても重かった。戦うことを考えて居なかったため、万一に備えて家長が義務として剣を持っていたとしても「抜くことはなかろう」と考えて居たから。


 絡みつく恐怖が金色の髪を靡かせる風に絡まって抜けていった。


 今まで抱いていた確信の無い「自分達は大丈夫」という平穏の思い込みと何ら変わりのない安堵であっても、荘民達は深く信じて自身の役割を果たしに行った。


 農夫は農地を耕しに、子は父を助けに、他の職工は日々の仕事へ。


 斯くして冒険者は仕事に戻る荘民を見送って決意を固める。


 その形の無い安堵を確たるものにするのが己が仕事であると…………。












【Tips】新たに荘を立ち上げるに際し、衛兵や傭兵、冒険者から力量に秀でる者を引き抜くのは良くあることだが、結局は代官や名主の方針によって防備は固められる。












 寄手側は守手側の五倍の軍勢を必要とする、というのが戦の常套句である。


 しかしそれは、略奪ではなく“戦争”が成立する場合の話だ。


 「うーん、色々惜しいな」


 モッテンハイムと呼ばれる我々が助成を請われた荘は、本当に良い腕の人間を集めて作ったのだと構造を見ていると分かる。


 マルスハイムの平原帯、灌漑用の小川を引くに易い位置に立地し、西と北に林業に適した林を持つと共にそれらが北風を和らげる。


 構造も大したものだ。集会場などの中枢施設や広場は上手く障害物を配置すれば籠城に向いたように作られており、いざ野盗や不届きな傭兵が集りにやってきても護るに易く、攻めるに難い形になっているではないか。


 窓は矢を射かける狭間にもなり、進入路となる出入り口や勝手口は急ごしらえの障害物の内側になるよう設計されており、地階の窓は複数人ではくぐり抜けられぬ大きさにされた念入り用には恐れ入る。


 きっと息子の晴れ舞台だとして、父親が専門家を大勢集めて緻密に設計させたのだろう。


 が、問題はそれを十全に活かす準備が出来ていないことだ。


 無理も無かろう。州都からは三日ほどしか離れておらず、一日歩けば中堅規模の都市にも辿り着けるような街で斯様な事態を想定することもない。


 雪が降らない地方でタイヤチェーンを用意しておくのと同じことだ。緊急時の備えとして持っていても、いざ必要となった時に使えない。褪色して読みづらくなった説明書を前にオロオロするのが関の山。


 万が一を考えて作られた荘であっても、その機能を十全に発揮するには戦争をする覚悟を決めた人間がいなければならない訳だ。


 拳銃だけぶら下げた田舎の駐在さんではテロリストに敵わない。必要なのは“この荘を死地とする”腹を括った戦士なのだ。


 やはり避難訓練は年に二度三度、できれば抜き打ちでやっておくべきだな。


 故郷ではよくやったものだ。警鐘が鳴れば全員で荘の中心に行き、予備自警団員や戦える男衆は武装して配置に着き、他の者は移動式の障壁を引っ張り出して防備を固める。時には夜半にいきなりやるもんだから、対応がグダグダになってランベルト氏から全員がこっぴどく怒鳴られたものだ。


 対応が遅かったら全員死ぬかもしれないのだから、ここも平穏にかまけずやっておくべきだったのだ。


 されどしていなかったことを悔いても仕方が無いので、できる限りの事を今からやるほか無い。そして、今からでもできることはあるものだ。


 まず、取り急ぎの防備を固めるため資材倉庫を開放してもらった。


 組み立てることで道を塞ぐ障壁や馬の侵入を防ぐ逆茂木を作り、籠城に備えて要所に配置するのだ。今は簡単に引いた図面を本職の職工が――入植二世だが良い腕をしている――仕上げている所であり、手先の器用な荘民を動員すれば三日か四日もあれば形になるだろう。


 後は警戒網の構築であるが、こちらは私が予め用意して置いた物がある。


 剣友会の馬車に積んできた荷物、その内に私が内職して用意した“鳴子”の一式があるのだ。


 鳴子とは原始的な警報器の一種であり、木の板に可動する木片を備えた楽器の変種である。本来は鳥威しとも呼び農地にやって来る害鳥を散らす防鳥具は、衝撃が加われば木片が揺れて木の板とぶつかり音を発する。


 これを調整し、風で揺れたくらいでは鳴らぬようにして脛くらいの高さで張り巡らせた紐に通せば、動力も燃料も使わない警報器の完成というわけだ。


 構造は簡素に、そして大量に用意しても大してコストの掛からぬ警報。警備体制を見直すという名目で雇われると決まった時、これを売り込もうと決めていた。


 私オリジナルの発想などでは全く無いし、西方で使っている所もあるにはあるが、やはり使っていない所では使っていない。そしてネットの集合知が無い世界において、どれだけ簡素な技術であろうと発想の種が無ければ湧いてこないもの。売り込む場所によっては、どれだけ構造がチンケな罠であろうと嵌まれば強いのだ。


 元手は殆ど無料――材料はゴミ溜めの壊れた家具、労力は<見えざる手>を全力稼働させる私だけ――のコレを一つ一リブラ、そして技術料で五〇リブラといえば名主は交渉もしないで買い上げてくれた。


 いや、本当は指し値が入ってもう少し安売りすることになるだろうなと思っていたのだ。ただ、事態がここまで逼迫しているとは思っていなかったので私も慌てて値段設定を変え忘れていたのである。


 ま、まぁ、アコギ過ぎないよな? 恨まれないような金額に収まってるよな? マルギットからちょっと糸を融通して貰っているくらいだし、むしろお得だよな?


 焦りを表に出さぬよう顔面筋に微笑みの陣形を死守させ、ウォルブタース氏から自由に使えるようお許しを頂いた人足に仕事を手伝って貰う。


 <野戦築城>のスキルは去年の仕事で必要性を感じ、<光輝の器>での収入に任せてお大尽した新スキルである。浪漫溢れるものだが、これでいて結構実用性が高く冒険者の仕事の要所で効いてくる。


 最初に取っていた野営の為の諸スキルでは届かぬほど硬い防備を作る術、それを思いつけると共に効率よく指示できるスキルは護衛仕事で輝く。夜襲を受けても撃退しやすい野営陣の貼り方に始まり、今のように野盗に怯える荘の防御を固めてやることも出来る。


 実際に地形を見ながら、どこが弱いかを考えるのは専門知識がないと難しいものなのだ。


 何処を攻められれば護りにくく、逆に何処を手厚くすれば護りやすいかは知識がないと難しい。物資が豊富であれば脳死で高い壁と幾本もの壕を掘ればいいのだが、時間も人手もない状態では知識とセンスが求められる。


 それに、この荘は平野に立っているので尚難しい。軍事拠点でないので仕方が無いが、こんな攻めやすい所で守勢を固めるのは中々に骨が折れる。


 それでも攻める側が考えることを逆用すれば、平地でも十分に戦えるし、人手だって減らすことができる。少なくとも四交代でたっぷり休みを取りつつ、荘の活動も滞らせぬようにせねば。


 まず、荘の北と西、森に面した面に借りた人手で杭を打ち込ませた。鳴子を設置するための支柱としてだ。


 そこに私が縄を張り鳴子を設置していく。


 単純だが、これこそ<野戦築城>の知識が求められる場面である。


 まず警戒網は北と西、森に面した部分を薄く、しかし厚くする。


 薄くとは目に見える立哨を絞り、敢えて手薄に見せておくことを指す。対して厚くとは、この鳴子の警戒網を厳重に仕上げ、後日には罠も作ることだ。生活領域に置く罠なので致死的な罠は使えないが、足止めも十分な嫌がらせとなるだろう。


 南や東の林が無い方向であれば、夜目が利く面々であれば夜間でも接近は容易に察知できる。ならばギリギリまで姿を伏せて近づける森から来るのが常道。


 大して深くもない林業用の森なれど、上手く伏せれば荘の境界まで気付かれず接近することも出来るはず。なので敢えて目に見えた警戒を手薄にすることで“攻めやすく”してやる。


 人はご丁寧に切れ目を容易して貰えばそこから袋を開けたくなるように、攻めるなら攻めやすい所が狙われることを逆用し、一見侵入しやすいが実は準備万端待ち受けてる場所を用意する。後は暢気にやってきた連中の鼻っ面を思いっきりひっぱたいてやるのである。


 名付けて「実は何処からも切れませんよ」作戦。


 逆張りして南や東から来るなら、そちらには普通に人員を厚く置いてあるので普通に潰すし、小勢で南を揺さぶったとしても警報網で接近を察知すれば伏撃にも挟撃にもなり得ない。最終的には森にまで警報網を広げて更に守りを固める予定だ。


 これをどうにかしようと思えば鋏、つまり両面から他所困難な物量をぶつける。或いは槌、同じく抗いようのない大軍で押し寄せるくらいしかなかろうが……そも、それを用意されては最初から詰んでいるので考慮に値しない。


 というより、そんな防御を諦めるような軍勢が潜む余地は無かろうよ。森から煮炊きの煙も上がっていないようだし、そんな大軍を養えるほどの補給線があれば疾うに気付いて逃げ出しているだろうとも。


 この段階の無理ゲーを強いられたら防備もへったくれも無い。残念ながら私は古代中国史に出てくる何かバグった武将ではないので、数騎で突っ込んで数万の軍勢を貫通できるようなぶっ壊れ方はしていない。十分の一くらいにして、縛り無しならワンチャン行ける……かもしれないが絶対にやりたくない程度だ。


 最初から無茶をやるより、どれだけ生きて逃せられるかの撤退戦を考慮せねばならぬ状況ではない。であれば、できるだけの事をするばかりである。


 さて、ガチガチに固めて「こりゃアカン」と諦めてくれればいいのだが。


 敵も人間であれば利益が欲しくて他人を襲う。利益を超えるほどの痛手を被らねば勝てぬと見れば退いてくれる。


 真っ当な、それこそ通常想定する野盗であればの話だが。


 これ見よがしな縄の奥側、に目立たぬように縄を張る。しかし、これはダミーで何処にも繋がっておらず、更にその少し奥に注視しても中々見えぬ蜘蛛人の糸を張って引っかける三段構えの罠を築く。


 さて、後は一度か二度、アホが引っかかって不利を理解してくれればいいが。


 いや、それより前に我らが斥候、音なしの仕事に期待しよう…………。












【Tips】鳴子。鳥避けを利用した罠。連動した紐や感圧版を踏めば揺さぶられた鳴子が鳴り、接近を報せるトラディショナルな人感センサーである。

Kindleの予約が始まってオーバーラップ文庫一位になったのでサプライズ更新です。

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― 新着の感想 ―
一騎当千行けるんだ……
[一言] この辺りのエーリヒのビジュアルイメージが、自分のなかで、某鷹の団団長と重なる。(アタマの辺の村人視点の描写) 「捧げる」とか言っちゃいそう。
[良い点] >> 長い髪を風に遊ばせ、左を覆う外套より覗く剣の柄に掌を乗せて闊歩する姿は音に聞こえる詩が褪せる風格。 嗚呼、この一文が某鷹の団の頭を想起させるね
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