青年期 十八歳の晩春 二一
眠れぬ夜を経て到着した荘は、明るい歓迎の空気とはかけ離れて重々しさが立ちこめていた。
「おお、金の髪殿、よくぞおいでくださいましたな」
「ギーゼブレヒト殿、如何なされた。顔色が……」
「ええ、このような景気の悪い顔をお目にかけて申し訳ない限りで。ささ、詳しい話は中で……」
領主の目に留まるほどの美女から産まれたと納得できる美貌を持つ蝶蛾人の名主は、しかして色濃い疲労で美しさを陰らせていた。ヒト種の白さとは異なる外骨格めいた白磁の肌は微かな灰に曇り、精神的な圧力のためか闊達な張りが失せている。
見るからに蛮族に襲われて困った村長といった風情だ。
GMとして何度となく同じ立場の人間を用意したが、その演技が生ぬるかったと感じるほどにウォルブタース氏は困窮していた。荘の前で出迎えた彼と彼の配下の自警団、誰にも彼にも疲労が滲み、春の終わりだというのに荘内に人が多い。
孤立することを避けるため纏まって動いているからだろう。それほどまでに状況は悪いというのか?
寄ったついでに商売しようとしていた隊商の発起人も当惑している。とりあえずと基幹要員――私とマルギット、そしてジークフリートにカーヤ嬢――が名主の個人宅に招き入れられた。
名主の家とは権威を引き立てる為に他の家より数段大きく作られるのが普通で、氏の家も例に漏れず立派である。いや、むしろ生まれを察せさせるほどに立派過ぎる。
応接間などを飲み込むため二階建てが多いのだが、よもや貴種のように子供へ一人一部屋与えられるよう三階建てにまで膨れ上がった私邸の威容は見る度に驚かされる。
ただ、この状況では、これ程の家に住める人間が対処に困る事態なのかと肩に掛かる重みを強めるばかりである。
応接間――これまた優れた調度ばかりだ――の長椅子に腰掛けて待っていると、先に侍女が茶を持ってやってくる。骨灰磁器の滑らかに白い茶器は茶道楽の貴種が愛用するものであり、蝶があしらわれた意匠からして名主の父からの贈り物であろうか。
磁器の上等さもさるもの、中に湛えられた液体を見て思わず目を見張った。
「なんだこれ……黒茶じゃないのか」
「薬湯……でもありませんね? こんな色、初めて見ました」
侍女が去ってから茶をしげしげと眺めるイルフュートの二人組。ジークフリートは胡散臭そうに茶器を手に取り、って、こら、もっと繊細に扱え! 下手すると農地が買えるどころじゃないんだぞこれ! 品質的にウォルブタース氏の婿入り道具だぞ多分!
「舶来ものかしら……珍しい匂いですわね」
透き通るような深紅の液体。恐る恐る手に取って鼻を寄せれば、十八年ぶりの懐かしい、しかし初めて鼻腔を刺激する香りが訪れる。
間違いない。茶の木から取れる葉を発酵させて作る紅茶だ。
客相手とはいえ、よくぞこんなものを出すな。しかも冒険者風情に。
東方交易路から入ってくることがあり、珍しい品として珍重されているとアグリッピナ氏の下で働いていた時に聞いていたが、よもやここで初めて口にすることになろうとは。
「なんだ、渋いなコレ」
「良い匂いではありますけど、確かに渋みは強いですね」
「ん……ジャムか何かあれば丁度良くなくって?」
好き勝手言っているがね君達、これも凄く高価だぞ。一杯で銀貨一枚だったら安い方じゃないかってくらい。東方交易路は金の河と呼ばれるくらいに大量の品が流通するようになったとはいえ、未だその量は多くないのだから。
それにしても懐かしく、染みる味と香りだ。いいなぁ、この調子で珈琲なんぞも入ってこないだろうか。
ちょっとした感動に打ち震えつつ茶を楽しんでいると、側仕えの男性に巻紙を持たせたウォルブタース氏がやってきた。
一同立ち上がって礼をし、社交辞令的な挨拶を再度交わす。
ただ、冗談でも決まり文句の「お元気そうでなによりです」とは口にできなかった。
「本当にお加減に差し障りはございませんか? 体調が優れないようでしたら、説明は日を置いてでも……」
「いえ、ご心配をおかけして申し訳ない。何分眠れぬ日が続いておりまして……問題解決のため、早くご説明したほうがよいかと」
見るからに憔悴した、しかし礼節には一切の陰りを見せぬ彼は手を叩いて側仕えに命ずる。
年かさの従僕は手に持った巻紙を机の上へ丁寧に広げ、ついで革袋の中から兵演棋の駒を取りだして方々へ配置した。
壮園の地図だ。それも適当なものではなく、スケールを考えて作られた荘外には決して出せないような代物である。
「こちらが現状の我が荘の防備です」
荘の中央に集会所と名主の住宅があり、傍らには代官の出張所と荘共有物の倉庫、そして自警団の詰め所がある。その周囲を囲むように農奴――奴隷身分ではなく年季奉公の農業従事者を指す――の長屋や小作農家向けの借家群があり、周囲に広がる農地の合間に自作農の持ち家が点在している。
人口は現状で四二二人と開発から三〇年経っていない開拓荘にしてはかなり多いため面積も広い。
灌漑様の小川や水車を利用した製粉所を備えた一角の壮園なれど、配置された駒の数を見るに防備が厚いとは言えなかった。
入る前に見た荘の構造から察するに弓手の駒が櫓で歩卒が立哨の地点か。
防備は荘中央の人口密集地と農地帯の倉庫群周りに集中しており外縁に行くにつれて乏しくなるが、荘の境界を護るよう腰の高さで石の壁が張り巡らせてある。
やはり護る範囲に比べて兵の数が少ないが、これはやむを得ないだろう。二一世紀の都市と違って住民を住宅地に集めて一気に護る訳にもいかぬし、専業の自警団員でガチガチに固めるの困難である。
一節によると国家が養える軍隊の人口は五%程度であり、徴兵軍で限界目一杯まで絞っても一〇%程だそうだ。
とはいえ、それは国家の話。より人口が少なく、片付けるべき現実的な仕事が多い荘においては更に少なくなる。
なにせ専属の自警団員は見回りや訓練、時に納税としての労役で外に出るため実質的な生産活動は行わないのである。働かない戦力に食わせてやると生産業の従事者に負荷がかかり、経済力の伸びが滞るため野放図に拡充することはできない。
故に我が故郷のケーニヒスシュトゥール荘でも自警団の選抜は厳しく、予備自警団員枠を作ることでお茶を濁していたのだ。
「まずはお詫びを……依頼の訂正をさせていただきたく存じます」
ほぅ、訂正とな。
「依頼を出した時には警戒と注意をしていただき、必要があれば改めて依頼をと考えていたのですが……こちらをご覧いただきたい」
氏の言葉に従って従僕が布の包みを出してきた。受け取って開いてみれば、中には矢が三本入っている。
手に取って様々な面から品定めした後、マルギットに渡してみると彼女は碌に見ることも無く机の上に置いて言った。
「ゴミですわね」
吐き捨てるような評価は仰る通りとしか言い様がない。
矢柄は直線とは言いがたく、鏃も錆や欠けが目立つ何度となく再利用された中古品。矢羽根もかなり痛んでおり、これでは安定性を高める役には立たないだろう。
これは? と目で問えば、荘近くの林へ採集に出た子供に打ち込まれたという。幸いにも命中こそしなかったが、驚いた子供が転んだ拍子に集めていた薪が掌に深く刺さってしまったそうだ。
「ふむ……これは一度に打ち込まれたものですか?」
「子供達から聞き取ってはみましたが、どうにも錯乱しよく覚えていないようでして。近い範囲で見つかったので、恐らくそうだとは思うのですが……」
三発も撃ち込んで子供に当てられないと考えるよりは、警告か脅しとして追い払ったと見るべきか。あまりにヘボ過ぎると馬鹿にしてかかるべきではなかろうよ。
「マルギット、君ならこれでも当てられるだろうけど、普通の射手ならどれくらいの距離でなら当てられる?」
「普通、の概念が曖昧で難しいところですけど……私が自信を持って言うなら固定目標で四〇歩、移動してるなら二五歩が限界ですわね。ちゃんと練習している弓手なら差し引き一〇から一五歩くらいかしら」
つまりゴミだが使おうと思えば使えるといった具合か。
「この矢を見れば間違いありません、野盗がやってきたのです。どうか追い払っていただきたい。勿論、依頼は出し直し報酬も上げさせていただきます」
「ええ、依頼を受け直すのは我々としてもやぶさかではありません。しかし、巡察吏に応援を頼まなかったのですか?」
何のために高い税金を払っているのかという話である。四公六民、或いは五公五民の年貢は惰性で払っているのではなく、こういった時に斬った張ったしてもらう為に支払っているのではなかろうか。
少なくとも本当に治安に問題がでる案件であれば、巡察吏が飯の種だとばかりに押し寄せて来るはずなのだが。
「勿論、早馬を出して代官にお報せいたしましたが……巡察吏が何処も手一杯で、直ぐには向かえぬと」
なんとも穏やかならざる返答だな。巡察吏が手一杯とは。
領主となる貴種や荘を預かる代官は、規模によるが巡察吏の部隊を一つ二つ、大きければ四つは組織する。三騎から八騎の驃騎兵――全員が騎士ではない――と支援要員を兼ねた歩卒が一〇名前後によって構成される巡察吏の部隊は、数少ない帝国の常備軍だけあって練度は高い。
伊達や酔狂で騎士という身分が無いように、日々馬を駆り槍を持ち弓を引く精兵は普通の野盗であれば、野戦で倍する数を相手どっても手傷一つ追わず蹴散らしてくるだろう。
しかれども、斯様に練度を高めた専業軍人は当然に燃費が悪い。イニシャルコストもランニングコストも「これ要る?」と聞きたくなるくらい高く、貴賤問わぬ立場より「断固として要る」と言われなければ用意したくないであろう。
つまりは必要十分な数が用意されている訳ではない。豊かな領地なら持ち回りで巡回をして予備戦力を置いておくこともできるだろうが、残念ながらエンデエルデにおいて余裕があるかは断言致しかねる。
無論国境線沿いの辺境領故に軍備は他領より手厚かろうが、そこは面従腹背の土豪共が跋扈しているだけあって額面通りの数とはいえまい。むしろ何割が潜在的な敵として“できれば使わない方が良い”輩なのか分かったものではない。
この状態で彼等の手が埋まるというのはゆゆしき事態だ。
真っ当な連中が全員仕事をしなければならない状態にあるということだから。
客の前でなければ頭を抱えたくなった。
ウォルブタース氏が貧村の、それも大して重要視されていない荘の名主であれば得心もいく。が、彼の立場と寵愛の篤さからして普通はあり得ない。他の荘からの救援要請を幾つかすっ飛ばして優先されるような身分である。
そこに手が回らないというのは殆ど内戦状態なのでは?
嫌だなぁ、怖いなぁ……勘弁して欲しいなぁ……。
鬱々とした気持ちを振り払い、顧客を不安にさせぬよう笑顔を作って対応する。
「ご安心召されよ、この荘を見捨てるようなことは致しません。早速配下を警戒に立たせ、森に斥候を出しましょう。その間に自警団員を休ませてください」
「おお……! 受けてくれますか、金の髪殿! 心より感謝する! 荘の民に被害が出ていたと思うととてもとても……!!」
やにわに立ち上がり私の手を取るウォルブタース氏。初老とは思えぬほど込められた力は強く、よほど現状に心を痛めていたと伝わってくる。
彼は、この荘に深い思い入れがあるのだろう。荘の者は皆己の同胞であると心底に刻んだ男の目だ。然もなくば、私財の金貨を叩いてまで冒険者風情を雇い入れ、荘の防備を固めようとはするまい。
「心中お察しいたします、ギーゼブレヒト殿。此の身も地方の出身、御身の気持ちは痛いほどによく分かる。直ぐに取りかからせましょう。マルギット、頼めるかい?」
「ええ、勿論よ我らが頭目。二人借りても宜しくって?」
「必要だと思えば倍まではいい。頼むよ」
任されてよ、たっぷりお昼寝させていただいたもの。そんな軽口と友にマルギットは換気の為に空けられた窓――こんな田舎で板ガラスを見ることになろうとは――から出て行った。
「ジーク、直ぐに編成して巡回をできるかい? 位置は……」
「おう、三人一組、一人は弓手でいつも通りだろ。この辺とこの辺でいいか? あとここにも置きたいが……」
端に置かれていた駒を手に取って配置するジークフリート。冒険者として知識を蓄積した彼の手は中々いい所を攻めている。
「そうだね、だが死角を潰すなら配置を少しずらそう。南の一画は畑が殆どで人は少ないし壁もある。あとで鳴子でも作って並べて穴を潰す」
「分かった、現地は任せろ」
「ああ、任せた」
こういう時、デキる同僚がいるとやりやすくて有り難い。
景気づけに拳を差し出せば、彼は少し目を泳がせて迷った後……拳をぶつけて応じてくれた。
うんうん、なんだかんだ言って男の子だ。こういったちょっとクサい仕草が大好きなのを知っているぞ。私だって大好きだ。
「それとカーヤ嬢、怪我をした子が居るらしいし診てやってくれないかい。あと、出来れば今のうちに……」
「眠気飛ばしの薬湯ですね、畏まりました。ギーゼブレヒト殿、怪我をした子は何処に?」
「今は家に居るかと……」
「結構。それと他に怪我人や、この状態で疲れている者が居れば……そうですね、集会場に集めて下さい。あと大変無礼ではございますが貴方もお時間がある時に足を運んでいただければと。よく眠れるようになる薬湯を処方しましょう」
「おお……! なんと、なんと有り難い! どうお礼を言えばよいか……」
お礼は我らの頭目へどうぞ、と笑みを一つ溢してカーヤ嬢も降りていく。
さて……何やら七人の侍染みて来てしまったが、幸いにも彼等よりは手勢に恵まれているし、上手く片付けられるよう頑張ってみるか。
「では子細を詰めましょう。今動ける男衆はどれほどで?」
何かで役に立つかと<熟達>で取って置いた<野戦築城>が煌めく時だ…………。
【Tips】荘の防備。一般的には荘の全周を覆うことは難しいため、巡察吏の救援を待てる程度の規模が整備される。いざ緊急となれば荘民総出で名主の私邸を中心に建物を用いて簡易の砦を作ることもあるが、そこまで行くことは通常では想定されない。
ヘンダーソン氏の福音を 3巻のKindle版予約が始まったのでサプライズ更新です。




