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青年期 十八歳の晩春 十九

 名前を売る為には、たまにはサービスしてやる必要もあるものだ。


 まぁ、それで安売りし過ぎて値引きの種にされては困るので、塩梅が難しい所だが。


 時季外れに街を出る隊商があったので、ついでだし無料(ロハ)で着いていってやるというと何やら凄まじい歓迎を受けた。三日で離れるといったのに飯は向こう持ちにしてくれた上、振る舞い酒まで出るときた。


 随分と豪儀な話である。地方を回って荘の御用聞きをしている地域密着型の隊商の割に気っ風がいいものだ。


 とはいえ、そんな隊商だからこそ話のネタになると思って歓迎してくれているのだろうか。さる高名な冒険者誰それが買った、と枕詞を付ければ大した物でなくとも売れることもあるという。刃物商も着いているので、きっとそれを狙われたのか。


 別に商売の売り文句に使われた所で私に迷惑が掛かる訳でもなし、好きにさせてやるつもりでいる。こうやって野営を広げようとしている中、沸々と具材を蓄えて煮えている鍋の相伴に預かれるなら安い物だ。


 カストルとポリュデウケスが牽いている剣友会の荷馬車には往復分の食料と飲用水を用意してあるが、二〇人以上の腹を満たそうとすれば高く付くので、三日分も食費が浮くのは大変に有り難い。


 しかも、家には良く食う奴が多いからなぁ。ガタイの良い連中は大きさに見合って山ほど食うし、そうでなくても関係なく食う。小鬼がヒト種より小柄だからといって、私より省エネとは限らないのだ。


 今も私が見張りとして――剣友会は平等に全員が見張りをする――立ちながら夕餉の支度を眺めていたら、家の面子が良い匂いに釣られて集まっているではないか。中には自前の保存食を手に、これ削って入れたら美味いぞと提案している者も居た。


 うん、良きかな良きかな。平和で穏やかに隊商と付き合える冒険者は良い冒険者だ。安心して道を行くための護衛から圧力を受けちゃたまらんだろうからな。


 それに、まだマルスハイムを発って一日経っていない距離。さしものエンデエルデといえど、これだけ州都に近ければ野盗も出ない。護衛と楽しくやっているくらいが丁度良いし、少しであれば羽目を外しても許してやろう。


 なんといっても、隊商について仕事をしている娼婦の一党もいるのだから。


 言うまでも無いが田舎には花街なんてないもので、旅の間に貯まるモノもあるため隊商について活動する娼婦の需要というものは多い。家の荘にも来ていて、時折お相手の居ない者がこそこそ訪ねていたものだ。


 夜中にあんあん五月蠅いのはかなわないが、不満が溜まって気が荒くなるよりはずっとよろしい。


 数少ない女衆の視線がちょっと冷たくなるかもしれないが、彼女たちは彼女たちで立派な冒険者なので理解してくれることだろうとも。


 命が掛かった仕事の後は、男女問わず高ぶるものだからな。


 「もし、主さんや」


 ほんわかした気分で剣友会が楽しそうにしているのを見ていると、声をかけられた。


 近づく気配自体は随分前から察していたので驚くこともなく振り返れば、そこには娘衣装を着た若いヒト種の女性が水差しとコップを手に立っていた。


 「お水、如何です?」


 「おや、お気遣いどうも」


 愛らしい女性だった。卵形の輪郭をしっとりと濡れたように艶やかな黒い髪が飾り、大きくて目尻の垂れた、ともすれば眠そうにも見える目は黒に近い褐色。すっきりした鼻筋と対照的に肉感的な唇が女性としての色気を前面に押し出しているが、左目尻の泣きぼくろが掻き立てる儚さが嫌味に感じぬよう濃厚な色気を中和している。


 背は私の鳩尾あたり。女性としては少し小柄なれど肉付きがよく、柔らかそうな丸みが娘衣装越しにも感じられるほどに豊かである。この時代、どちらかといえば痩せた体よりも肉が付いた体の方が美しいとされるが、痩せすぎず太りすぎずの中間、最も人気がでる体型と言えるだろう。


 魔性、という言葉が頭をチラついた。


 絵に描いたような美人ではない。全ての顔の部品を美しく映えるよう緻密な計算の末に配置されたかの如きアグリッピナ氏や、腹は細いのに胸と尻だけは豊かというある種戯画的な体つきのライゼニッツ卿のような“触れることもできなさそう”な隙の無い美人ではないのだ。


 なればこそ、危うい程に美しい。人は誰しも完璧な黄金比に惹かれる訳ではない。むしろ広く人気を集めるのは、少し目をやれば近くに居そうな美人なのだ。


 その点、彼女は多くの男性を掻き立てる要素を完璧に備えていた。美男美女を帝都で浴びるほど見た私でさえ魔性と感じるほどの物を。


 寡婦のように艶やかに、乙女のように純粋に、顔と立ち振る舞いだけでは年齢を測れぬ彼女は娼婦であった。娘衣装の襟を飾る黄色いリボンで分かる。花街の半公営娼館に勤めぬ、いわゆるモグリの娼婦は一目でソレと分かる目印を帯びるものだ。


 一般の婦女と間違われないようにするのは当然で、商売中か否かの判別にもなる。つまり彼女は隊商について商売をしている娼婦の一人で、今は給仕の手伝いをしているのだろう。


 受け取った水は冷えてこそいないが、混ぜられた薄荷の爽快感で気にはならなかった。二口三口で飲み干して盆に返せば、お代わりは? と聞かれたので辞退する。調べる限り細工はないのだが、元々喉が渇いているわけでもなかった。


 あんまり沢山飲むと行軍の最中に催して困るからな。我々は職業病に近いレベルで水を断つことに慣れているのだ。


 カップを返し、さて見張りの続きと外に目をやるが……気配が中々離れない。


 何か気になることでもあるのかと思いはしたが、話題を振られるでもないのでそのまま黙って警戒し続けた。夜には相方が頑張ってくれるので、彼女が寝ている間は私が気張らねばならぬ。


 あれだろうか、商売のお誘いなのだろうか。私にはマルギットがいるので、お願いしようと思ったことはないのだが。花街へ連れ立っていく同胞や――私とジークフリートはいつもそこで離脱する――しなだれかかってくる女給を躱してきたし、昨夜は昨夜で……おっと、この辺にしておこう。


 何はともあれ、満足し合える関係があるのだから必要が無いのだ。たまに手加減してくれと冗談を言われることもあるけれど。


 黙っていれば去るかなと思っていたが、そのまま傾いていた陽が殆ど地平に被る所まで来たので流石に耐えきれずに振り向いた。すると、彼女は目尻を下げた蕩けるような笑顔で私を見ているではないか。


 ほぅっと頬に紅を差したような顔色は、陶酔であろうか? 目線が合っても彼女は微笑みを絶やさず、ただただ私を見ている。


 あまりに気になりすぎたので、何かと問うてみれば、やっと真っ当な反応が返ってきた。


 「彼の名高い金の髪……そのご尊顔を拝んでござりんす。前から一度、お会いしとうて……」


 頬に手を当て陶然と語る彼女……なんだただのファンか。妙に色気のある調子で言われたので驚いたが、たまにこうやってしげしげと見られることがある。詩に聞く冒険者の姿を見てみたい人間は以外と多いのだろう。大して興味が無くとも、有名人が地元にロケで来ていると何となく足を運ぶのと似た心境だと思われる。


 とりあえずファンサービスとして握手をしたところ、大変喜ばれたので対応としては成功か。


 「本当に詩のように逞しくて、いい目の保養になりなんす」


 妙な訛り――後で移民訛りの宮廷語だと知る――の彼女は握手した手をそのままにしなだれかかってくるので、穏当に身を引いて“その気は無い”と示した。すると、きょとんとした顔をされたのだが、にっこり笑ってやった所意図を察したのか体を離してくれた。


 いやね、流石にね、そこまでのファンサービスはしないから。


 他の歩哨に立っている者にも水を持って行って欲しいと頼むと、彼女は名残惜しそうに何度も私の方を振り向きながら去って行った。


 うーん……危ない。独り身だったらコロッと負けていたかもしれない。それほどに凄まじい愛らしさだった。


 なんというべきか、見ていて疲れない美形というのは希少なんだよな。本当に顔が整っていると、隣に立っているだけでも圧があるのだ。アグリッピナ氏やフォン・ライゼニッツは内情を知りすぎて完全に慣れてしまったし、ミカは男性でも女性でも凄い美人であるが友人という気安さのおかげで潰れずに居られるが、初対面であれば相当に体が凝ったであろう。


 実際、美形かつ有能な人材で蠱毒をやっているような三重帝国貴族には美形が多い。初代が若干アレであった所で、何代も美形の嫁や婿を貰っていると、その内に美形因子の濃度が濃くなってきて押し潰される。


 蠱毒的な血縁関係の末に構成された美男美女の集団の側に居ると本当に疲れた。仕事だからと納得させた所で、雑誌の誌面や銀幕を彩れるような美人と会話するのは精神を削られる。


 そんな疲労を一切覚えないのに美しい造型というのは本当に希有だと思う。あれならば、詩や楽器を覚えれば帝都の花街でも良い店に勤められるのではなかろうか。何だって地方で隊商付きの娼婦などという、この職の中でもかなり下層の働き方を選んだのか。


 間違っても本人に聞く無粋など出来ないので知りようもないが、きっと難しい事情でもあるのだろう。


 いやはや全く、世の中はままならんな。


 「旦那、そろそろ交代しやしょう。もう二刻もお立ちですぜ」


 「お? そうか? なら代わるか……飯はどうだった?」


 「へぇ、中々豪勢でしたぜ、肉まで入ってやした。暖かい汁物が出るだけでも御の字なのにありがてぇこってす」


 エタンが交代を申し出てきたので、私も休憩するか。日も沈んだのでマルギットを起こして夜間警戒についてもらわねば。


 「あ、そうだ、旦那、一個お願いがあるんですが」


 去り際になんだと思えば、ヨルゴスが一昨日からずっと考え込んでいて不気味なので、そろそろ何とかしてくれと言われてしまった。そういえば今日はヨルゴスをエタンの班に組み込んでいたのだが、ずっと仏頂面を見せられれば気にもなるか。


 「あー……あれなぁ……」


 「え? なんすか、ちょ、何言ったんすか旦那」


 ここで分かったと軽々に答える訳にも行かぬので、どうにも困って後ろ頭を掻きつつ肩をすくめてしまう。確かに悩ませたのは私ではあるのだけど、悩みを解決するのは彼自身でしかないからな。


 事実、今回の仕事も巨鬼の剣を担いで参加していることからして、未だ自分の中ではっきりと固まっていないのだろう。


 実に難題だ。今までに無い課題である。


 良きにつけ悪しきにつけ家の面子は分かりやすい。冒険譚の英雄になりたい、詩に謡われてみたい、剣の聖に至りたいと“手前が何をしたいか”がハッキリした分かりやすい奴揃いだ。


 金を稼ぎたい奴にせよ、金を稼いで何がしたいかがハッキリしているのでいい。捻りも無く贅沢な暮らしをしたい者を初め、農地を買って故郷で分家を建てたい奴、一家を小作人から抜け出させたい者、嫁を取るための予算獲得や都市の市民権を買いたい者まで様々だが、やはり一貫しており終着点が決まっている。


 だからこそ、若者の自分探しめいて悩むヨルゴスは難しいのだ。


 言うは容易いが、手前がどうなりたいかの理想像というのは複雑怪奇であるからな。仮に前世を含めて五〇年近く生きようと、その答えは未だ分からぬ。


 きっと、どれだけ生きた所で回答など見つからぬのだろう。


 人生そのものという遠大な謎に挑む冒険者の助けになるのは難しいが、ちょっと頑張るとしよう。


 「まぁ、なんとかしてみるさ。女抱かせて解消する類いの悩みでもないからな」


 「ああ、そっち系っすか。あっ、そういえば旦那、女で思い出したんすけど、さっきすっげぇ色っぺぇ黄飾りの子いたんすけど、みました?」


 黄飾り、とは娼婦の隠語だ。彼女たちが身に付ける黄色いリボンを指し、他にも単に黄色と呼ぶこともあれば、リボン付きなんて呼び方もある。最後のは強そうだなと思うが、誰にも分からぬネタなので言っても詮無きことか。


 「なんだ、興味があるのか?」


 「ええ、すげぇいいなぁと……ただ、俺ぁ牛躯人なんで、イマイチヒト種の女からはウケが悪いんすよねぇ」


 受けが悪い? 普通にマッチョで格好良いから女給からはモテていたと思うのだが。


 何故かと聞けば、どうにも牛躯人の交合は乱暴に過ぎるらしい。特に同種族同士であれば、事前に“殴り合って”テンションを上げてから致してみたり、互いに絞め技を掛けつつ事に及ぶこともあるのでヒト種にはハードすぎるようだ。


 あー……なるほど、女を抱くように、という助言は的外れだったか。


 これが種族格差……猥談に混じって色々勉強した方がいいのだろうか。やっぱり本を読んでいたり、普通の人付き合いをしているだけでは分からないことも多いのだなぁ。


 次の鍛錬までに上手い喩えを見つけようと誓いつつ、その場を任せて馬車に戻った。


 相変わらずマルギットは毛布に包まって猫のように寝入っている。深く長い寝息が眠りの安らかさを報せているので、起こすのが申し訳ないほどだ。


 肩を揺すってもむずがるだけで起きない……が、気配だけは覚醒したようだ。


 仕方ないな、と頭を撫でてやっても、もうちょっとと身動ぎするだけなので、やむなくうっすらと開いた唇へ自身の唇を落とした。なんだか最近、こうやって甘えてくることが増えたような気がするな。


 「んぅ……夜の見張りですわね……」


 「ああ。その前に夕飯を食べよう。それから夜目が利く面々と一緒に頼むよ」


 心得ましてよ、と起き上がり伸びをするマルギット。ヒトとは骨格が違う彼女の伸びは、床に手を突きぐっと腰から背中を伸ばす猫の仕草とよく似ている。


 十分に伸びをしたかと思えば、彼女はそのまま私に這い寄ってきて昇るように首の定位置へ掴まる。中々に際どい仕草におもわず胸が跳ねた。


 そうして首筋に顔を寄せた彼女が呟くのだ。


 嗅ぎ慣れぬ香の匂いがすると。


 慌てて弁明した。水を差し入れてくれた子の移り香で、ファンだというので握手してやっただけであると。


 我が相方はふぅんと意味深に呟くと、恐ろしく美しい顔を睫が絡む程の至近に置き笑顔を作った。口が裂けてしまいそうなほど大きな笑みは、このまま呑まれかねないという危機感を掻き立てる何処か不穏なものだ。


 「別に遊んでも構わなくってよ? 何度も言うけど、そこまで狭量なつもりはないし……」


 得物は強ければ強いほど燃えますものねぇ、と背筋に愛しい悪寒を走らせてくる彼女。


 私はそれに引き攣った笑みを返しながら、夕飯をもらいに行こうかと言って誤魔化すのであった…………。












【Tips】巡回娼婦。隊商や傭兵団などについて商売をする娼婦の一座。行く先々で仕事をするのは勿論、着いている相手とも仕事をする一種の互恵関係にある隊商の派生。


 主として都市圏からあぶれた娼婦や在俗の豊穣神尼僧が発起人となることが多く、僧会からの支援を受けていることも珍しくないので安全性は高い。

発売日も少しずつ近づいてきたので更新です。

そろそろオーバーラップ公式で立ち読みが解禁されるかと思います。

口絵も一枚公開されるので、是非どうぞ!

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― 新着の感想 ―
だよな?お金の匂いがするよな?
[一言] 「悪」の匂いがぷんぷんするぜぇ!
[気になる点] この娼婦集団の話、再読してる今も微妙に引っ掛かるね
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