青年期 十八歳の晩春 十六
後書きにて告知があるので、よければお目通しください。
悩み事がある時、体を動かすと気が紛れて頭がすっとする。
「腕で振るな! 腰と腹で振れ! 手は添え物! 力を込めるのは腹と腰!! 全身で斬れ!!」
「「「応!」」」
威声の良い返答が銀雪の狼酒房の中庭に響いた。
今日はあらかじめ予定していた鍛錬の日ではないが、ふらりと訪ねてみれば仕事に行っていない者が何人かいるものだ。そして、同様に中庭で率先して剣を振っている者も同様。
今日は動きたい気分だったので稽古をつけてやることにしたのだ。並んで剣を振る彼らの周りをうろうろし、構えや動きを見て一人ずつに助言してやる。
「エタン! 肩から力を抜け! 女を抱くのと同じで変に力むな! マチュー! 踏み込みと腕の動きを合わせろ! 踏み込みから二拍も遅れちゃ下肢の力が剣に通らん! カーステン! 残心を忘れるな! 斬った後で別の敵に斬られるぞ!!」
私自身は熟練度で剣の腕が上がるものの、身についた技量の感覚を掴むために何度も剣を振っている。この辺りの感覚は格ゲーと同じだ。どれだけ高性能なキャラであろうと、その動きとクセを掴まねば達人の使うネタキャラには勝てやしない。
だから、動きの善し悪し、そして何故悪い動きをしてしまうかは分かるものだ。
牛躯人のエタンは種族特有の巨躯に頼ったゴリ押し我流剣法のクセが抜けきっていない。もう少し自然と脱力すれば、今より三割は剣速も伸びると思うのだが。あれでは小柄な同格や格下にはゴリ押しで優位を取れても、技量や体格で上回る同格や格上には良いカモだ。
脱力、脱力……剣の柄に脂でも塗ってみるか? 下手に力むと滑ってすっぽ抜けるから丁度良いかもしれない。
隣で剣を振るマチューは人狼であるが、なんというかセンスが剣技といまいちかみ合っていない。足運びがどうにも剣士のものではなく、ここを矯正しないと折角のしなやかな人狼の体が勿体ないな。
それさえかみ合えば剣友会でも指折りの剣士になれると思うのだが。暫く剣を振らせるのではなく、徹底的に歩方だけ仕込むか。
よく見えるよう身長順で並ばせている列の中、一番小さな左端に居るのが小鬼のカーステンである。彼は結構筋がよく、小柄さを活かせばヒト種以上の体躯を翻弄できる良い剣士になりそうだが、如何せん動作が雑過ぎる。
一刀一刀残心を絶やさず次に備えろと全員の耳にタコを作ってやるつもりで言ってるのだが、彼はその辺を手抜きしがちだ。いびっているみたいで好きではないが、今後残心を怠っていたら素振りの最中でも一発ぶち込んでやるか。
戦場ではタイマンなんてそんなに無いからな。特に護衛仕事なんて奇襲を受けるのが前提の節があるし、乱戦になった時の戦術は意識どころか塩基配列に刻む勢いでやらねばならん。前の一人を斬ったと油断して、後ろから切り倒されたら笑えん。
ゲームなら1:1交換は上等な方だが、現実世界でやられると割に合わなすぎるのだ。交換どころか死なずに一〇や二〇は楽に斬り捨てられるようにしてやる。
その後、型が崩れる度に剣の先で小突いて訂正し、百回ほど素振りを熟させた。まぁ、小突いたといっても先んじて木剣を出し、乱れた振り方なら自分から当たりに行くようにする方法なので反感は少ない……と、思いたい。
訓練の場では精神論も鉄拳制裁も嫌いだが、痛くなければ覚えませぬとも言うしな。
「旦那ぁ! 一本いいっすか!」
「元気が有り余ってるようでよろしい! 来い!!」
「おぉっす! 胸ぇお借りしやす!!」
素振りが終わったら体を解して休憩と命じたものの、まだ足りない面々ばかりで次々に打ちかかってくる。木剣や槍、それぞれ腕に覚えのあるメインウェポンで真っ向からぶつかってくるので私も良い運動になる。
色々問題を抱えている者は多いが、誰もが敵を確実に斬れる技量を身に付けており実に心強い限りだ。剣も槍も自分の体ごと叩き込む勢いなので躱しづらく、同時に受け流すのにも技量が要る。
普段は善良な荘民を装っている、奇襲でなくば隊商も襲えぬ半端物共ならば五人も集まれば五倍いても軽く蹴散らせるだろう。
とりあえず全員べっこんぼっこんにしたけどな。勿論、仕事に差し障ってはいかんので<奪刀>で剣を弾き飛ばすに留めるか、急所に寸止めで物理的には痛めつけていないが、冒険者として立った以上は自負がボッコボコだろう。
しかし、人は強者の存在を自認してこそ上を目指せるのだ。
それこそ私だって、まだアグリッピナ氏とか下水道で遭遇した仮面の奇人もとい貴人なんぞが居るから、もっと性能を盛らないとと常に思えるのだ。
少なくとも私はまだまだ未熟である。弱いとは言わんが最高峰にはほど遠い。
今の私が斬りかかった所で、アグリッピナ氏には片手間で殺されるだろうからな。無詠唱かつ一瞬の隙無く短距離ワープしてくる上、確殺の魔法を全方位から叩き込んでくる世界のバグみたいな存在と並ぶには、まだまだぶっ壊れ具合が足りぬ。
最低限、三丁歩いてやっと斬られたことに気付く位の技量は欲しいものだ。<神域>の高みに指を掛けたところで、剣の道は未だ果てしないものである。
「よぉし、ここまで。次は本当に休めよ。それから連携の鍛錬に入る!」
「「「おぉす……!」」」
最終的に全員でかかってこさせた会員達からは、最初と比べると随分と元気が落ちた応えが返ってきた。流石に身を入れた素振り百回から乱取りとなったら疲れもするか。
汗を拭いつつお互いに柔軟体操をしている彼らを見守り、適当な樽に腰を降ろして革袋から水を飲む。普段であればこれで気も晴れるが……やはり、昨夜受け取った手紙の内容もあって思考の靄を完全にかき消すには至らなかった。
幸福に脳味噌を漬け込みすぎてカウンターに忘れてしまった二通の手紙。
ライゼニッツ卿からの手紙は電波濃度が濃かったが、前世であれば友人から送られてくる萌え語りのメールみたいなものだったので大した被害はなかった。ただ、貴方が帝都にいればと言うのはエリザと同じなれど、頼むからミカにさせたコスプレ語りの後でするのをやめてくれ。
最初に彼を見つけてしまった時と同じく、謎の設定を付けて並ばせるつもりだろう。
ともあれ変態はいつも通りだったのでいいとしよう。お洒落させて悦に入っているだけの比較的無害な変態だから。
TRPGの死霊と言ったら塔に引き籠もってゾンビを量産し世界を滅ぼそうとしているとか、一見真面そうでも平然と人体実験かましてきたりするので、そんなのと比べたらずっとずっとマシだ。
さしもの魔導院とてどれだけ優秀であろうと、裏で美少年・美少女の剥製をコレクションしていたら流石に討伐しているだろうからな。
問題はアグリッピナ氏からの手紙である。
惚れ惚れするほどの上流階級向けの宮廷語で記された内容は、エリザと同じく最初こそ挨拶と平凡な近況報告であったが、その後がどうにも不穏であった。
なんでもアグリッピナ氏はウビオルム伯として治水事業を始めたらしい。
普通であれば「ふーん、頑張ってくださいね」で済ませるところだが、ちょっと待っていただきたい。
私はもう彼女の丁稚でも側仕えでもないのだ。何故そんな投機に走れば結構な利益を得られそうな情報を教えてくるのか。
決まっている。あの外道のことであるから、私がこの情報を“知っている”という事実一点において何かしらの得をしくさるのだ。
さにあらずんば関係者以外に報せないような情報を流してくる筈がなかろう。
小猿部川治水だろうが薩摩義士伝だろうが私に関わりが無いなら好きにやってくれという話だが、あまりにも不穏過ぎる。
なんだって今更、既に運河として十分機能しているマウザー川を拡張するような大工事を始めるかな。
マウザー川はマルスハイムを横断するように流れる西方衛星諸国家の大山脈を起点とする運河であり、西方辺境領を抜けた後は中央部に差し掛かる直前で南方へ折れて海に繋がっている。かつては流量が少なく不安定な川であったそうだが、それも小国林立時代より前の帝国によって拡張され、立派な運河へと整備されたそうだ。
今では辺境の物流を担うと共に農業用水や生活用水の取水目的で大事にされている川であり、マルスハイムにおいて出される排水は全て浄化されてからでなければ捨てられないほど重要視されている。
このマウザー川、帝国内部を流れている距離は短く、常々惜しいと思われていたらしい。
あと少し角度が鈍ければ中央の平原地帯にも物流が繋げられ、運河としても便利で、北方との連携も楽になったのにと。
そこで本格的に内政の充足体制に入った帝国は、その一環として流通網の整備に入ったそうだ。
現状の基幹街道の再整備及び延伸、幾つかの主要街道の基幹街道への格上げ。そして大運河整備……国費を大量投入してやる真っ当な事業でなければ、中国大陸における“いつもの”と言いたくなりそうな展開である。
我が祖国はそこら辺かなり有情で、強制徴収して無賃で国民を働かせたり、資材にするため川縁に住んでいる人々の家をぶっ壊したりしないので反乱なんぞは起きまいが、動いている金や利権の規模を想像するだけでクラッと来る。
失敗すれば普通に国が傾きそうな事業の中で、特に重要視されるのが運河網の拡充整備であるという。
マウザー川の近くには大陸中西部を南北に流れるレイベ川が通っており、地図上でみれば山を迂回して指で一またぎの距離だ。実際にはとんでもない距離があるが、俯瞰するかぎり二本の川が合流していれば三重帝国の北部と中部、そして西部を行き来できて便利なのになぁと思わずにはいられない立地である。
いや、のみならず帝国全土に目をやれば、更に惜しい立地の川はいくらでもある。ここがもう少し太ければ、ここの水量がもっとあれば、この二つの川が相互に接続されていれば。人の便利さのみによって存在しない世界には、斯様な“あとちょっと”が無数に存在している。
しかし、これらを公共工事によって繋げられれば、どれほどの利があるだろうか?
そんなサンドボックスゲームで遊ぶ趣味人のような発想を今上帝はガチでやってしまったらしい。普通に考えたら誇大妄想狂か費用対効果って知ってる? と言いたくなる経済音痴で片付けられるが……魔法が存在するこの世界においては前世界と比べるとかなりリーズナブルに行える。
むしろ紀元前でさえナイル川を紅海まで通す偉業が完遂され、十九世紀の時点でもイリノイ川とシカゴ川を連結するような大工事が実現されているのだ。多少の不合理をつま先で蹴飛ばして押し通す技術が存在する以上、決して不可能とはいえないのである。
これ以外にも長期的に帝国内で多くの河川を接続し、運河網を再整備することで流通・交通面での利便性を格段に向上させる企画が動き出しているようだ。
計画期間は何と五十年であり全十四段階! 如何にも寿命を持たない連中が練る壮大な計画であるが、国家の体力を考えれば妥当なのか?
経済学や建築学に造詣の深くない私には何とも言えぬが、実際に動き出しているということは頑張れば実現可能な領域にあるのだろう。アグリッピナ氏が乗り気であると考えれば、より確度が高く思えてくるから恐ろしい。
が、ここで一つ気付く。
マウザー川はマルスハイム一夜城こと現マルスハイムの基礎を造るに至って重要な役割を果たした川であり、当然西の果てへ向かって流れている。
そして西の果てでは新たな要塞線を構築する工事が始まっているわけだ。
うん、これ臭くない? 凄く臭くない?
手紙は「計画が進んだら仕事の依頼を寄越す機会もあると思うので、その時はよろしく」と軽い――言うまでも無く貴種的な言い回しで――締めくくられていたが、凄まじい臭気に昏倒しそうになった。
なんだろう、回避した弾丸が空中で鋭角に曲がって追尾してきたような気分だ。
まだ決まった訳では無いけれど、私の勘が告げている。
かなり高い確率で碌でもないことになるぞと。
それを避けるために手を考えてはみているものの、さてはてアグリッピナ氏が関わっているとなると、無理に避けた方が痛手を負うような布石を潜ませていそうで恐ろしい。
伸るか反るか……いつか苦渋の決断を迫られる日が来そうである。
嫌な想像を追い出すべく、煙草を一服しようかと思えば、中庭のドアを潜るようにしてのっそりと大きな影がやってきた。
「あれっ、旦那?」
「おお、ヨルゴスか」
上半身裸で軽く汗を掻き、愛剣を手にしたヨルゴスだ。彼は中庭を見渡し、鍛錬した形跡が見える同胞を見て何事かと目を見開いている。
手招きすれば小走りに寄ってくる彼は、きっと今日が鍛錬の開催日でないため私が居ることに驚いているのだろう。
「どうだ、少しは慣れか? 組合への登録は済んだかね」
「へぇ、先輩方に手伝っていただいてなんとか……」
「そうか、それは良かった。ところで走って来たように見えるが、鍛錬かい?」
「ええ、まぁ、土地勘がねぇんで仕事する前に道ぃ覚えた方が良いかと思いまして」
あと、走るのは日課でしてと凶相を歪めて笑う巨鬼。なるほど、いい心構えだ。走るのは持久力を養うことに繋がるし、この仕事は歩いてナンボの所があるから大変素晴らしい。
やる気があるのはとても良い。高みに上れる才能があろうが、ダラダラやっていたら伸びるものも伸びないからな。
「恐縮でさぁ……で、旦那はなんでここに? 今日はたしか……」
「単なる気まぐれだとも。さて、気まぐれついでだ」
気概を褒めてやった所、嬉しそうにする後輩にはご褒美があってもいいだろう。
一丁揉んでやるとしようじゃないか…………。
【Tips】帝国の物流を真に支えるのは運河である。建築に必要な大量の木材及び遠隔地より持ち込まれる石材といった、帝国の骨格を成す材料は地面を引っ張るには重すぎるからだ。
2020年は書籍化するなど様々なイベントがありましたが、偏に皆様のご支援あってのことと改めて深く感謝いたします。しかし、何分喪中ですので新年の挨拶は控えさせていただきます。
代わりに一つ、Schuldによる勝手企画、サイン本プレゼント企画など実施させていただきたく存じます。
オーバーラップ公式では、もうこういった企画がないのと人に会う機会が少ないので献本された見本が減らなくてですね。
オーバーラップ様からの許可が得られたので実施いたします。
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①Twitter(@schuld3157)アカウントのフォロー。
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感想とか添えてくださったら嬉しいです。
※既刊写真は紙・電子のスクショどちらでも可。
③応募期間は2021年1月10日まで。
④あくまで個人企画です。当選者はTwitterのDMにてご報告。
⑤ぶっちゃけSchuldの処理能力は高くないため、当選発表及び発送には時間がかかると思います。
以上の点をふまえ、ふにゃふにゃしたサインが欲しかったら応募してください。
2020年最後の更新にお付き合いいただき、ありがとうございました。




