青年期 十八歳の晩春 十三
知らぬまま死地に赴くことと、知って赴くことは大きく違う。
前者であれば無様に藻掻きながら死ぬしかないが、後者であれば足掻いて罠をかみ砕く準備のしようもあるからだ。
穏やかに挨拶を交わした後、続く会話も努めて穏やかになるよう心得る。当たり障りのない話題の筆頭、気候の話で春の終わりを言祝ぎ、この調子であれば秋に敷き詰められる麦穂の絨毯や葡萄の房の重さが楽しみだと暫し会話を楽しんだ。
そして、大きな話題を切り出す前に軽い話題を片付けておいた方が後々楽になるものだ。
「さて、組合長、改めてお忙しい中お時間をいただき誠にありがとうございます。御身の多忙さは重々弁えておりますので、後日でもよかったのですが……」
「なに、貴殿に対して閉じる門は我が組合にはないとも。冒険者の誇り、その一部を取り戻してくれた大恩はマルスハイムの終わりまで讃えられて然るべきだ。長年突かれて来たからな、あの不忠物の首をいつになれば犠牲者の墓前に捧げられるのかと。厄介事を片付けてくれた貴殿の為なら、私の都合などどうとでもつけよう」
「不逞騎士の一人二人で御身の貴重なお時間をいただけるなら安い物です。麗しの組合長の隈が薄く出来るなら、槍衾にでも飛び込んで見せましょうとも」
ニッコニコと胡散臭いまでの笑みを浮かべて麗句を並べるも、相手も去ること綺麗な笑みを返して熟々と止まることなく麗句で返してくる。軽いジャブの応酬なれど、流石の年期というべきか。参った、まったく感情が読めん。
冷や汗の一つでも垂らしてくれる可愛げを見せてくれれば楽で良いのに。
まぁ、優位はこちらにある。じっくり焦らず締め付けよう。最初っからやろう、な? と盤面を更地にしてくるような札は握っておるまいからな。
「さて、まず本日参った用件の一つを……ご紹介申し上げたい者がおりまして」
「ああ……隣の魔法使い殿、いや、魔導師殿か?」
水を向けられたミカは座ったままで腰を折り、貴種も顔負けの整った上級宮廷語で名乗りを上げる。この辺りの一般儀礼もかなり上達しているところを見るに、本当に帝都で努力を重ねていたのだなと感じ入るばかりだ。
「魔導院の末席を汚しております聴講生のミカと申します。この度は研修及び行政府への魔導院からの支援とし、マルスハイム出張所への出向を我が師より命じられて参上いたしました」
ひくりと口の端が一瞬だけ痙攣したように見えた。
よし、効いている。地方、それも一般人であれば魔導院も魔導師も普通の魔法使いと区別などつかないし、そもそも「なにそれ」といった代物だが貴種であれば違う。
魔導師が持つ権利、特に教授と呼ばれ貴族位を与えられた怪物共の力は劇薬に等しい。そして、そんな師の名代として派遣されている聴講生が持つ政治力学的な重みは決して軽くないのだ。
彼女の内心を察するのであれば、なんでそんなの連れて来やがったテメーといった具合かな。
彼が社会経験を積むべく冒険者として活動したい旨を――体面もあるので、生活費のためなど口が裂けても言えない――代わって説明すれば、直ぐに組合証を発行しようと請け負ってくれた。直ぐに書類が用意されて手続きも最優先で進めてくれるそうだが、待遇としては他と同じく煤黒に過ぎない。
それでも私の一党で仕事をすれば、あっという間に昇進することだろう。
特例は文字通り希でこそあれ、全く無い訳ではないのだ。それこそ貴族のご令息が若気の至りで冒険者になりに来ることも――普通の親なら殴って止めるだろうが――南国で雪が降る程度には起こりうるからな。
今も詩に語り継がれる“末子のスキルニル”という継承権を持たぬ末弟の男児が冒険者となり、神の化身に見初められるなどの偉業を果たして帰参し、当主位を継ぐに至った話も創作ではなく実話として残っているのだから。
かといって、流石に青い血が流れる方に猫探しやらドブさらいなんぞをさせる訳にもいくまいて。将来を嘱望される魔導師の卵であっても同様だ。「うちの子に何させてくれてんだだゴラァ」と親や師匠にモンペされては困るからな
もし本当にそんなのが来たら?
大抵はお守りとして位の高い冒険者の一党を斡旋し、本物の底辺仕事をさせないようにするのさ。特別扱いではあるが制度は一つも曲げずに済むし、裏社会的な意味では無い汚れ仕事をさせないでいい賢いやり方だろう?
今回は向こうからお守り役を引っ張ってきた形なので、組合としては面倒も少なくて有り難いのではなかろうか。
とはいえ、その物好きなキャラはパワーレベリング済みのガチ勢なのだが。ドブさらいをやらせたら二秒でケリが付く将来有望な造成魔導師志望と誰が知ろうか。
きっと私の一党と絡んでいなければ、引く手数多過ぎて勧誘合戦で死人が出かねないのだろうな。彼が一人いるだけで護衛請負料がうなぎ登りなのだし、邪魔者の一人や二人殺したとしても囲い込むだけの価値はあるから。
さて、第一目標は楽々突破。
では本命を叩き着けていこう。
茶を一口飲んで口を潤してから、今日一番良い笑顔を意識して切り出す。
「それでですね組合長、先日私どもの一党が請け負った護衛の件でも少々お伺いしたいことがございまして」
「……聞こう」
反応は些か判断が難しいな。やはり守りが堅い。彼女も茶を飲みながら、あくまで泰然として言葉を受け止めている。私がここに来る理由など疾うに知っていただろうから、頭の中で手順を幾つも作っていたのだろう。
事実、質問に対する返しは実に滑らかであった。
私達が物資護衛仕事としか聞いていなかったと抗議すれば「政治である」と尤もらしく、かつ反論しづらい回答が返ってくる。組合自体は独立していれど、仕事まで完全に政治とは無縁でいられないので如何ともし難いのは事実。
むしろ清廉潔白であれとダダを捏ねてのたうち回った所で、こいつ頭が足りていないかおとぎ話の世界から来たのかな? と白い目で見られるだけだ。
物資護衛であることを想像し、重要人物らしい者を守っているとは聞いていなかったことや、襲いかかってきた相手の質に関しても返しづらい答えがやってくる。代行業側の問題であるとされると中々に返しづらい所がでてくるのだ。
勿論、組合には持ち込まれる依頼が正当なものかを確認する義務がある。
簡単な仕事だと偽って冒険者を安く使い倒そうとする依頼主を掣肘しないのであれば、最早組合を介して仕事をする意味が無いからだ。この原則は仲介業者を挟んでも変わりは無いものの……どうしても行政府のお札がついた仕事となると訳が違う。
独立独歩といえば聞こえは良いが、完全に全てから独立して存在することはできない。こっちの都合も分かってくれよと泣かれれば、彼らの下で仕事をしている冒険者もあまり強くは出られないものである。
それも既に抗議の文は送っており、依頼料の適切な再査定及び詫び料まで約束されているとあればね。
現代と違い、お偉方がなにかやらかしたところで責任など問いようもない。別のお貴族様が攻撃の種にするならまだしも、無位の我々がわめこうがお上には詫びる必要性も義務も無いのだから。
根本的に法律が違うのである。
現代法典は権利を制限し人民の利益を最大化しつつ国益を守るよう構築されているが、古代から近世までの法律というものは、基本的に統治の合法性を担保するために作られている。
最初から民は統治されるだけの存在であり、統治される民が上に文句を言うなと構造が押さえ込んでくるのだ。これと戦おうと思えば一揆や強訴しかないのだから何とも性質が悪い。近代憲法がない世の中というのは実に生きづらいものだなぁ。
それにしても組合長殿、軽い札できちんと私が握る“組合の怠慢”という大物をいなしてくるな。やはり回避能力を持たない大物は簡単に置物になるから困る。
まぁいい、これ以外にも優位に持っていく札はあるのだし、そっちに活躍して貰おう。
「なるほど、お説ご尤も。政治であると仰るのなら、私も口を出しますまい。まして全ての事態を見通せと、神々にさえ能わぬ奇跡を要求もいたしません。此度の一件はやむを得なかったのでしょう」
「おい!?」
思いのほかの諦めの良さに組合長は驚き、ジークフリートが腰を浮かしながら声を上げる。私は横目に戦友を見て「今は任せろ」と無言で頼む。
むにゃむにゃと何か言いたげに口を蠢かせる彼だが、やがて諦めたのか不満げに舌打ちを一つ溢して腕を組みドカッと腰を降ろした。膝を広げて不遜に座る姿は、せめてもの不満の表明。
分かるとも。君は良い奴だし責任感もあるからな。きっと糞仕事に巻き込まれて死んだ紅玉三人のことを気にしているのだろう。
だから金だけではなく謝罪が欲しいのだ。人間が詫びを求める心に理屈はない。理不尽に死んでいった彼らの墓、道ばたの何時か忘れ去られる土饅頭に成り果てようと、お前達に糞を食わせた奴に責任を取らせたぞと言ってやりたい気持ちには大いに共感する。
だが、今それは必要じゃないんだ。組合長に頭を下げられた所で一銭にもならんし、彼女から謝罪を引き出そうが今使える札にもならない。
責任を取るべき立場ではないからな。
賠償を取り今後同じことが無いよう努める義務こそあれ、それは依頼主がやらかしたことへ責任を持つことではない。結局、しでかしたことの責は依頼主にあるが、責任を負わないで済む構造ができている。
ましてや真の依頼主となる行政府に謝罪などさせようがあるまい。この時代の国家は存亡の危機でもなくば、他の国家や宗教にすら軽々に謝罪しないものだ。民に頭なんぞ下げようものなら、その統治の信頼性に傷が付くからな。
本当に嫌になる。神が実在しようとも人間の汚さは同じもの。上手いこと考えて支払い以上の利益を得ようとする者は絶えないのだ。
だが、何も卑怯臭い手が使えるのはそちらだけではない。
忘れちゃいかんよ、私達は足運びの軽い根無し草。
河岸が気に食わなんだら、幾らでも乗り換えることは出来るんだぜ。
「ただ、依頼主との信用関係に関わりますからね……申し訳ありませんが、我々は今後行政府からのお仕事は遠慮させていただきたく存じます」
「なっ……!?」
お、効いてる効いてる。初めてお堅い美人の表情が崩れてくれた。
我々冒険者は名指しの依頼を持ってこられることは多いが、受ける受けないの裁量権はこちら側にある。組合から是非受けて欲しいと持ってこられる仕事は評価にも繋がり、報酬も悪くないことが多いが……如何に金貨と言われても糞がべったり塗られていたら価値は激減だ。そんな物を財布に放り込むのは御免被る。
そして我々は丁稚ではないのだ。仕事を頼まれても「いやです」と断る権利がある。
仮に貴族相手であろうと神代から続く冒険者同業者組合の形に則っている以上、断られたらそれ以上のことはできない。
仕事を断られたことで面子を傷付けられたと難癖を付けてくるのは結構だが……これでいて私は結構名が通っており、組合としても手放したくない駒の一個だ。適当な雑用と違い、邪魔になったのでそこいらに埋めて終わりとはいかない。
むしろ喧嘩を売ってくるなら上等である。前にも言った通り、私は権力を使って悪目立ちするのは大嫌いだが、必要とあらば使うことに躊躇いはしない。
今回のケースであれば、あの腐れ外道も半笑いで協力してくれることであろう。
諸外国との流通に関わる西方辺境域。そこへ力を伸ばす足がかりが出来ると聞けば、交易路整備や流通業に力を入れていたウビオルム伯アグリッピナ様も大変な興味を示すことであろうよ。
海外貿易の利益は莫大だからな。国一個が食っていけることもある事業に参入できるとあれば、切れ味鋭い政治手腕を存分に振るって乱麻をみじん切りにしてくれよう。
「此度のようなことがあり、政治とはいえ碌に説明もないとなれば……大事な同胞の命にも関わりますからね。冒険者の権利として仕事を選ばせていただく」
「待っていただきた」
「いえ、待ちません。あ、ご安心を、守秘義務は守りますとも。我々は今回の依頼では“誰にも会っていなかった”……そうだね、ジークフリート?」
「え? あ、ああ、そうだな」
結構、一つ頷いて残った茶を飲み干し席を立った。ミカも大凡の事態を察したのか小さく首を振って腰を上げ、ジークフリートも追従する。
「もし心配だと仰るのであれば、我が友の手を借りることにはなりますが、他言しない旨の魔導誓約書を交わしても構いませんよ。それくらいは私の方で手配いたしますが、如何に?」
「そうですね、必要となるならば出張所で取り交わせるのでお口添えしよう」
「いや! 金の髪殿、お待ち頂きたい! どうか話を!」
仕事を受けるのと同じで、訪問するのは相手の都合も考えてやるが、帰るのはこっちの都合が優先される。お話しすることはもうないのだから、待ちませんとも。
その糞仕事の続きを私の方に持ってくるな。政治的暗闘なんざアグリッピナ氏の側仕えをやっていた時期で腹ぁ一杯なんだ。
「申し訳ないが……仕事の不手際があったのは事実でしょう? 残念ながら、真意を隠して仕事を持ってくるような依頼主の仕事は受けたくありません。ええ、きっと行政府に責は無く、依頼料の中抜きでも試みた仲介業者が悪いのでしょうから、これ以上先の仕事に関して文句を申し上げることは致しませんとも」
しかれども、斯様な不逞の輩が絡んでいるようでは安心して仕事は受けられないため、信頼できる依頼主を自分で選ばせていただくとキッパリ宣言しておく。
向こうが権利を行使するように私も権利で柵を踏み散らしてやった。続きを言いたそうにしている彼女に深々と腰を折り、面会の時間を取ってくれたことに感謝を述べる。
遠回しにこれ以上は何にも聞く気は御座しません。そう言い捨てて私達は組合を後にした。
アードリアン恩賜広場にて伸びを一つ。解決したとは言いがたいが、とりあえずの面倒事は避けられたな。
後は強攻策にでも出てきた時だが……その時は本当にアグリッピナ氏へ文を出さねばなるまいな。
直裁に刺客を送り込んでくるだけなら全員伊達にして返してやるだけだが、反乱先導の疑いをかけられちゃたまらんからな。
それとも半年ほど国境を跨ぐ護衛仕事でも受けて姿をくらましてやろうか。一党を引き連れていけばかなりの稼ぎになるし、そろそろ異国の地も踏んでみたいと思っていた所である。ミカとまた離れるのは辛いが、ほとぼりを冷ますのには丁度良かろうよ。
「さて、午後も空いているのだろう? 我が友」
「まぁね。だけど事情をもう少し詳しく聞きたい所ではあるかな……」
やれやれと髪を掻き上げる我が友に巻き込んで悪かったと謝罪し、追々説明することを約束する。
では、憂さ晴らしに観光としゃれ込もうか…………。
【Tips】冒険者が持つ数少ない権利の一つに依頼を選り好みできる権利がある。貴種によって組合が圧をかけられようが、最終的な決定権は冒険者にあるのだ。
どれだけ綺麗に見える服であろうと、内側に糞がへばりついていれば価値などないのだ。
どうにも書いている内にわちゃわちゃして文章と内容にまとまりが無い気がしてきます。
さて、巷では三巻の予約がぼちぼち始まっているようで、ランサネ様による素晴らしい書影が公開されましたよ。
ここにリンクを張ることはできないので、宜しければ題名で検索してください。
ええ、如何せん続刊の約束h(以下検閲削除)




