青年期 十八歳の晩春 十二
大勢の冒険者を束ねる同業者組合の組合長という仕事は名誉あるものであり、年俸も中々のもので付帯する権利を考えると傍目には良い地位に映るであろう。
内情を知れば三重帝国皇帝の椅子と同じく拷問椅子である、とマルスハイム冒険者同業者組合の組合長、マクシーネ・ミア・レーマンは薬湯を啜りながら思った。
冒険者同業者組合は、その成立を神代にまで遡る古い組織であり、文明規模においては珍しく国家を跨いで存在する国際組織である。
とはいえ、かつてあった総括本部は神代が終わり国が分かたれると共に喪われ、今では組合間で緩く連帯し、冒険者を国家間紛争に用いることを協力しないという暗黙の約定でのみ繋がっている。
それでも官に近くとも官に非ず、僧院に近くとも神殿ならざる組織は国内において実に微妙な立場にある。それこそヤッパをぶら下げたならず者の日雇い共を纏める組織、お上からいい目で見られないことは明白である。
更に組織の都合上、三重帝国においては組合長を貴種に任せぬことを原則としている。最早懲罰を下す者が神しか居なくなったとは言え、神代の神々が結んだ盟約は今も生きているがため、神に障らぬよう繊細に忖度しているのである。
これで仕事の内容にも遠慮してくれればと、専属の薬師が調合した胃痛と神経疲労を癒やす薬湯が手放せなくなった彼女は思わずにいられなかった。
組合長の椅子に億劫そうに座る壮年の淑女は家名にフォンを冠さぬ通り貴種ではないが、卑しからざる身分の生まれである。というのも先代マルスハイム伯の庶子であり、現マルスハイム伯の異母姉にあたるのだ。
地方において冒険者同業者組合は不足する労働人口や治安維持要員の穴を埋める存在であり、中央と違って決して軽々には扱えぬ。ここの頭が使い物にならないと地下の者はよかろうが、行政能力の補助という重要な側面に支障を来すため下手な人物に任せられないのである。
そのため、貴種をつけぬという原則はあるものの……どうしても頭の良さは言うまでも無く、教養や政治センスを持つ人間が必要となってくる。西方諸外国の隊商や使節が帝国で最初に訪れる地ともなれば尚更だ。
ならば貴種ではないが、教養と政治のセンスどちらも併せ持つ人間を用意すればいいじゃないとなり、認知されぬものの庶子として大事にされてきたマクシーネに白羽の矢が立ったのである。
貴種であっても家を出ればいいとも言えるのだが、そも貴種の特権や名誉を捨ててまで地に下り、しかも野蛮な無頼を束ねる気苦労と身分差により常に謙らねばならぬ顧客との折衝が伴侶としてつきまとう仕事に誰が喜んで就こうというのか。
我が生まれは呪われた生まれであると、バーデンの血脈に続く豊かな黒髪に白髪を混じらせた淑女は嘆く。
目の前に広がる、厄介極まる顛末を書いた親書のせいで、ただでさえ年の割に多い白髪が増えたかしらと淑やかに伸ばした髪を摘まめば、少し気になるほどのパサつきを帯びているではないか。
やはり心労は美容の大敵であると言わざるを得ない。若い頃は本家の娘衆からも羨まれた髪も、こうなっては悲しみを募らせるばかり。
「あんのボケ弟……」
普段は包み隠してる下町調の雑言が思わず口に出た。幼い頃は非公式な場に限られたが、純粋に姉上姉上と慕ってきた往年の姿が霞むほどの無茶振りに淑女は毒づかずにはいられない。あの無垢で可愛かった子が、どうしてこんな“悪辣な”手段に出るようになったのやら。
実際に重みを持ったなら床を貫き地面に突き刺さりそうな程に重い溜息を吐き、組合長は日に三杯は飲むように言いつけられている苦い苦い薬湯を飲み干した。せめて魔法の薬と名乗るであれば、良く効こうと蜂蜜のような甘みを持たせられないものであろうか。
ともあれ、次の会食までにまた毛染めを頼まねばと考えながら書簡の下書きをしていると控えめにドアが叩かれた。普段であれば、この時間は余程のことがなければ客を取り次ぐなと言ってあり、今は繊細な事案を抱えているため重大事以外での相談もせぬように命じてあるのに配下がやってくる。
あまりに嫌な報せに額に汗が浮いた。じっとりといつまでも滴らぬ、気持ちの悪い脂汗が。
こういった来訪の時、良い報せが持ち込まれたことなどなかった。子煩悩な先代がまーたお忍びで抜け出してきたとかならどれほど幸福であろうか。
しかし、現実とは得てして苦い物。それこそ、さっき飲んだ薬湯が甘く感じられるほどに。
配下であろうと見られると良くない書簡を纏めて机にしまい込み、入室を促して秘書より手紙が手渡され事情が説明される。
内容に目を通し、一瞬意識が遠くなりかけるも……曲がりなりに十年以上も組合長をやってきた誇りで立て直す。白む視界を頭を軽く振って正し、こめかみに手をやって考える。少なくともここで時間を掛けるのは悪手中の悪手であるため。
「……応接にお通ししろ。お茶とお菓子も出して、一番良いのを。この間、馬鹿弟がご機嫌とりに寄越した舶来の珍しいお菓子があっただろう、あれにしてくれ」
本来立場ある人間が客人と約束も交わさず合うようなものではない。
されど事情によっては多少の無作法も容れるべきだ。こと上位である手前が怒らせぬ方が良い下の物を相手にする場合は。
むしろ相手がお暇な時にと言っているのだから、こちらが直ぐ通す分には体裁も整いやすい。
クソッタレ、という呟きを精神力にて内心に留め、組合長は立ち上がり礼服に着替えるため側仕えを呼びつけた。弁えた彼女達であれば四半刻の更に半分もあれば準備を完璧に終えることであろう。
それくらいの時間であれば、せっかちが多い冒険者共でも焦れて暴れはするまい。
特に詩に名高く、臨時の昇格を認めるため自ら人品を見定めた金の髪であるのなら。
また白髪が増えるなと思いつつ、マクシーネ・ミア・レーマンは頭の中で慎重に話を組み立てに掛かった…………。
【Tips】何年かに一度、各国の組合が折衝の場を設けることもあるが政情不安や戦争により中止されることも珍しくなく、近年においてはライン三重帝国の第二次東方征伐戦争を原因として開催が取りやめられている。
分厚い絨毯、重厚な長机、詰め物とコイルで座り心地の良い長椅子。そして嫌味にならぬ程度に著名な画家の手による風景画が数点。
うん、調度品から察するに組合でも一等良い応接間だろう。貴種を通してもギリギリ不敬にも驕りにもならぬ塩梅は、当代組合長の絶妙な政治センスを伺わせる。
ひとまず奇襲攻撃は成功といったところかな。
まぁ、基より有能そうな御仁であるとは分かっていたから、ここまで気合いを入れれば無碍にはされぬと分かっていたけどね。逐電の騎士、ヨーナス・バルトリンデン討伐に際し“紅玉のままであれば制度が歪む”として緊急の昇級を持ちかけられた時、半刻ばかし面談したものだ。
折角の機会。値踏みされるだけでは勿体ないだろう? 自分が所属する組織の頭を値踏みし返すのも冒険者としては大切だ。
おかげで今は琥珀の組合証をぶら下げることができている。普通であれば、最低でも一年は紅玉で実績を上げねば昇格は認められないとされる位階だ。
本来は黄玉への二階級特進を提案されてはいたのだが、流石に特別が過ぎれば周りからのやっかみも多かろうと見て琥珀にしてもらったのである。おかげで今は当たり障りなく、周りからの評判も良い冒険者をやれている。
今でならそろそろ黄玉になっても反発は少なかろうから、昇進のチャンスが来ないかと狙っていたのは事実。とはいえ、今逆さに振ろうとしている瓢箪から何が出てくるかまだ分かってはいないけれど。
さてはて、立派な駒が出れば良いが、毒薬が詰まっている可能性もあるからな。
さりとて一党の為であれば毒杯を呷らねばならぬこともあるため、どっちみち来ないとう選択肢はなかったが。酒に毒が入っていると分かっているなら、予め解毒薬を用意するか自前の免疫力にて抵抗判定をねじ伏せるだけのことよ。
GMには大いに嫌われるが、時に漢探知は下手にスカウトが仕事するより有効なこともあるからな。
うん、それに頼りすぎる輩にはボーナス報賞の宝物殿が目の前で瓦礫に埋もれるという罰則を与えたりもしたけれど。今となっては頭を抱える彼らの絶望顔も良い思い出である。
ただ、こちらが文句を言う立場であると分かっていても気楽な応接室とはいかないな。コトがコトだけにどれだけ厄い案件に関わらせられるか分かったものではない。
少なくとも一度関与し、件の娘の面を見てしまった以上、内密にの一言で済ませてくれると楽観視すべきではない。
否、むしろ私達を使い倒すため、あんな雑な仕事をした可能性もあるからな。
まったく、世の中には魑魅魍魎みたいなおっかない権力者の手練手管で満ちあふれている。もっと楽しく未知を追いかけるだけの冒険者でいたいものだが、世間様もそうそう楽はさせてくれんという訳か。
ともあれ斯くあれ、今は悠然と構えておくのが上策。露骨な怒りや困っていますという態度を示せば漬け込まれる。あくまで優雅に、なんてことありませんが? とでも言いたげに澄まし顔で笑っておけばいい。
笑っておけば良い……のだが。
「なぁ、ジークフリート」
「っ……!? おっ、おう!?」
ちょっと声をかけただけで、このキョドり様であるよ。
こういった畏まった雰囲気が苦手なのは分かるが、もう少し落ち着けないものか。叱られるならまだしも、一応文句を言う権利はこっちにある。流石に借りてきた猫よりも緊張されると私もやりづらいのだが。
一方でミカは慣れたものだ。むしろより大人数に囲まれて研究発表をしてきただろうから、私よりも経験値が高いかもしれない。嫌だな、きっと下手なことを言うと教授に「その分野については門外漢だが」とか「私のテーマへの理解が甘いからだと思うが」と致命的な前置きをして精神を殺されるんだ。魔導院はおっかない所だなぁ。
「あまりビビるな。別に命をとられるわけじゃない」
「だだっ、誰がビビってんだよ!」
君がだよ、と速攻で返してやりたくなる見事なまでの萎縮っぷり。むしろ君、これよりずっと死が近い場面で先頭を切って戦ってきただろう。私の代わりに剣友会の代表をやることもあるんだから、もっと泰然とした態度を身に付けて貰わねば。
「じゃあ言葉を変えようか。そう緊張するな……そうだね、まずは茶でも飲みたまえよ。これは良いお茶だ」
「そうだね、ジークフリート、ゆっくり飲むと良いよ。冷ますには勿体ないお茶だ」
ミカからの援護もあって、渋々とジークフリートは出された茶に手を伸ばした。結構無遠慮に掴んでいるが、これ一回の報酬で買えるか怪しい程度には良い品だと思うよ。ビビる所と大胆な所が私やミカと違うから、やはり見ていて新鮮で面白いな。
「……良い匂いだけど濃いな」
「茶菓子があるからな。ほら、私の分を一切れあげるから冷静にな?」
「ガキじゃねぇんだぞ!?」
とかいいつつもちゃっかり練り菓子を一切れ持っていくジークフリート君かわいい。冗談はさておき、この練り菓子は異国の物かな。豆に甘みを足して芋か何かを繋ぎにしているようだが、中々異国情緒ある味で美味い。和菓子とはまた違った色合いなのと、見たことがない形なので、この世界独自の菓子だろうか。
だが、何にせよ良い情報を得られた。
菓子と茶に気を遣う当たり、引け目に感じていることは確実。後は焦りも感じているな。これだけ早く私が動くとは思っていなかったに違いない。
いい傾向である。さて、これなら上手く転がせるかも……。
そう思っているとノックの後にドアが開く。私とミカは習性として、ジークフリートには事前に頼んでおいたので自前の反射神経で反応して立ち上がる。入室する目上を出迎える際、目下が立っているのは何処ででも変わらぬ礼儀であるから。
「失礼、お待たせしたかな」
些か硬い男性調の宮廷語と共にやってきたのは、壮年の艶っぽい大人の女性であった。
白髪交じりの腰元まである長髪が形の良い瓜実形の輪郭を縁取り、どこか眠そうな半目の下には薄い隈が刻まれている。唇は笑みなど浮かべたことがないように硬く結ばれ、高い鷲鼻が厳格な雰囲気を引き立てる。
一部の隙無く鮮烈な青の礼装で身を飾る彼女はマクシーネ・ミア・レーマン。我々を率いる組合長であり、尊きバーデンの連枝が一人。“灰の姫君”とあだ名される切れ者だ。
異名は尊き血を受け継ぎながら地下の代表をする、高貴と下賎の淡いに立つ灰色の立場から取られたのであったか。後はバーデンの女性は年を取ると白髪で艶やかな灰色に染まることもあり、誰もが庶子である彼女の親を分かっていると揶揄する意味も含まれるのだろう。
さて、強い札を握っているのはこちらだが、手札の数は向こうの方が段違いに多い。となると、向こうの強みを潰せるように強力な札を効率的に切る必要がある。
彼女は決して一筋縄ではいかないからな…………。
【Tips】漢探知。罠によるダメージ覚悟でドアや宝箱を開き力業で突破する方策。当然装甲点や種族特性などでダメージや状態異常に対応する前提あってのことで、単なる自爆とは区別される。
しかし罠を発動させるという前提により様々な不利益が避けられないので、善良なPL諸子は普通にスカウトやレンジャーに仕事を頼もう。
本日はナザレのショユア君の誕生日前日なのでお祝いに更新です。
そして描写に興が乗ったせいで応接に通されただけで一話が終わるという体たらく。
テンポとか……お考えになられないんで?
それとプレゼントにかるかは分かりませんが、またAmazonのKindleセールでヘンダーソン氏の福音を 1巻が半額になっております。大幅加筆+新規エピソード満載の上、ランサネ様の挿絵が盛りだくさんですよ。
短期打ち切りが怖くてまだ買ってなかったお方には3巻が2021年1月25日に発売されるので、そろそろどうでしょう?




