青年期 十八歳の晩春 十一
楽な服ばかり着ていると、たまに礼装を着る時に硬っ苦しくて仕方がない。
「まぁ、こんなものか」
遠見の魔法を使って俯瞰視点で自分を見下ろし呟いた。元々は<見えざる手>を多重展開した上で広範囲戦闘をしようと取った魔法なれど、使い方が幅広く大変便利である。
午前中から冒険者同業者組合を訪ねることになったので早速出陣……とはならず、着替えてから行くこととなった。
というのも、実に面倒くさいことだが常に鎧を着て剣をぶら下げていれば格好が付く訳ではないからである。
自分が所属している組織の上に用事があるなら、それ相応の格好をしておかなければならない。書簡を書いてアポ無しで突っ込まないのと同じで、これも最低限の礼儀と格式の問題だ。
こればっかりは何処に行っても変わるまい。少なくとも手前の会社の上役に会いに行くのにジャケットも羽織らずタイも締めずスリッパのままでとはいくまいて。たとえ笑顔で応対してくれたところで、考査の表には無情な棒が引かれることになるだろうよ。
後、面倒くささに見合う意味もあるのだ。礼装を着ていくということは、相手を尊重していますよという意思表明になる上……本気で顔出してんだから軽く扱ってくれるなよ、と無言で恫喝することにもなる。
そのため、私達はお偉いさんに会う時用の服を一着ずつ持っている。
されど上等なものではない。冒険者の薄い財布を逆さにし、頑張って古着屋でできるだけ見栄えの良い物を選んできただけだ。かつてアグリッピナ氏の従僕として着てきた、簡素ながら上質な仕立ての服とは比べるべくもない。
だってねぇ、一から仕立てると高価なのだ。そんな金があるなら装備に回すわ、と言いたくなるくらいに。
こればっかりは仕方がない。報酬が入ろうが装備や消耗品に金をつぎ込み、女遊びなんてせずただただ冒険に備えるような構築ばかりしていた人種が今更滅多に着もしない服に金を使えと言われて財布の紐を緩められるだろうか。
要は見窄らしくなくて格式に見合ってりゃそれでいいのである。後、根無し草の冒険者があんまりしっかりした礼装を着てたら着ていたで生意気だからな。
少し草臥れてはいるがキチンと洗濯されたダブレットとズボン、これくらいが丁度良いのである。
いやまったく、帝都から離れて仮装の呪縛から解き放たれてよかった。立派な礼装なんて用意されたらたまったもんじゃないからな。上席から寄越された服を着ずに死蔵させるなんて無礼も働ける訳がないから始末に悪いことこの上ない。
何はともあれ準備は整った。服に隙は無く、髪もきっちり結い上げた。ちょっと奮発して買った香袋も懐に呑んで甘い果実の匂いがするので印象は悪くなかろう。
後は外套を羽織り、護身用に妖精のナイフを袖口に仕込ませて部屋を出る。殆ど同じくして向かいの部屋からジークフリートが出てきた。
私と同様に暗色のダブレットと細身のズボン、そして小洒落た半外套の礼装には文句を付ける所はないのだが……。
「んだよ」
「いや、なんでもない、キマっているなジークフリート」
「嫌味かテメェ」
嫌味のつもりはないのだが、ぶっちゃけ似合っていない感はある。
なんというべきか、あれだよ、ほら、坊主頭で活発な少年が入学式で半ズボンのスーツを着せられている。あんな印象があるのだ。
頭はきっとカーヤが何とかしようと髪油を付けたのだろうが、野放図に跳ね回ろうとする髪の弾力に抗しきれずに居る。服も傷んでいたり汚れていることはないのだが、様になっていないというか、嵌まっていないというか。
まるで駄目とは言わないのに、あと一つ二つ足りない。そんな感じがする装いであった。
やはり彼には戦姿こそが似合うのだな。この間、念願叶って新調した小札鎧、あれを纏った出で立ちはなかなかの武者ぶりであった。よく彼をからかう剣友会の面子も冗談の一つも出さず褒めていたので、本当に似合っていたのだ。
無理をさせるのは心苦しいが、剣友会一派の責任者として参加した以上は我慢して貰うしかない。
こんな格好……とブチブチ文句を溢す戦友と廊下を歩いていると、不意に泣き声が聞こえてきた。
いや、泣き声というよりも鳴き声と言った方が正しいそれは、子猫が親を求めて上げる甲高いそれ。
おや、と思っていると廊下の角から恐ろしく薄い気配が唐突に現れた。
「ん? 君たちか、おはよう」
可愛らしい刺繍の施された前掛けが妙に似合う優しげな雰囲気の男性、実質的な宿の若旦那であらせられる“聖者”殿であった。
「朝からめかし込んで……また厄介事かね」
冒険者として未だ現役、基本を教え込んでくれた上、階級が上がると共に上役との付き合い方も仕込んでくれた熟練冒険者の威容が衰える気配はない。
ただ、その腕に抱かれる、愛らしい毛玉だけが時間の経過を教えてくれる。
父親の腕の中で丸まって泣いている猫人の子供、艶やかな黒い毛並み、思わず触れたくなる桃色の鼻、そして形の良い二等辺三角形の耳。まごう事なき聖者と女将さんの間に産まれた一粒種である。
「おはようございます、まぁちょっと野暮用ですよ」
「っす、大したことじゃないです」
「君らが大したことじゃない、といって大事でなかったことはそうないから心配だが、まぁ気をつけて行ってきたまえよ」
新しいキャラ紙に輝かしい将来を記入し続けて泣いている赤子をあやしながら、聖者は苦笑を浮かべてそういった。今は私達のことより豊穣神が目覚めると同時に産まれ、大陸中央部の言葉で“純粋”を意味する名を与えられたサフィーア嬢のお守りに集中したいらしい。
それもそうだろうな、長らく冒険の為子供を作ってこなかったご夫婦の間にできた待望の赤子とあれば可愛さも一入だろう。それこそ目に入れても痛くないとばかりの可愛がり具合であるのだし。
彼女が周囲からの祝福を雨のように浴びながら産まれてくるまでは中々に難儀した。身重の妻に今度こそ間違いがあってはたまらぬとフィデリオ氏はぱったり冒険にでなくなったし、それに臍を曲げたヘンゼル氏の愚痴混じりの酒に何度付き合わされたことか。
その上で女将さんが中々動けないとのことで、一時私達が代わりに表に立ったりしててんやわんやであった。無事に産まれてくれた今では良い思い出だが、子供を作ることがあるとしたら色々覚悟せねばと密かに思ったものである。
……そういえば、兄が私と同じ年齢の頃には、もうヘルマンがいたんだよな。
まっこと冒険者とは道楽稼業であるなぁ、嫁御もまともにとらず、家を構えることもなくその日暮らしと来た。世間様から後ろ指指されても、こりゃあ仕方ねぇや。
「では行って参ります。サフィーア嬢も、あまりぐずって父上を困らせないようにな」
「泣くのが仕事でも、あんまり働き過ぎるなよぉ」
全体的に小さいせいで、まだまだ本物の猫に近い風情のサフィーア嬢の鼻筋を掻くように撫でてやったり、顎の横を軽く擦る挨拶をしてやるも泣くことに忙しいらしく笑ってはくれなかった。さてはて、姫君は何がお気に召さないのでしょうかね。
「いやはや、やはり僕では駄目かな。お義父上でも駄目だし、やはり母は偉大と言ったところかな……」
みゃあみゃあと元気な赤子を宥めるべく、子守歌代わりにか聖歌を口ずさみながら聖者は廊下の奥へ消えていった。中庭で風にでも当たりながら散歩させてやるのだろうか。
「……子供か」
思うところがあったのか、ぽつりと意味深なことを呟くジークフリート。ふと見てみれば、精悍さを増した顔が感慨で苦みを帯びていた。
「予定でもあるのかな」
「ねぇよ、アホ。第一俺とカーヤは……そういうんじゃねぇ」
「照れ隠しもここまでくれば筋金入りか」
笑って言えば、珍しく怒鳴るでもなく真面目な顔で睨まれてしまった。
「俺ぁ…………なんでもねぇ、行こう」
苦い物を言葉と一緒に無理矢理飲み込んで戦友は背を向けた。彼は彼で今の関係に思うところがあるのだろう。我々端から生暖かく声援を送っている側には分からぬ苦悩もあるのだ。
なにより彼は英雄を志して荘から出てきたのだ。
未だ自分一人を扱った詩もなく、幼馴染みの方が一党に貢献していると決め込んでいる今、自分のことを深く考えるのは当然であろう。それこそ、そろそろ顔を出しても良い頃合いだろうに一度も帰郷しないほど重く捉えているのだから。
内心で彼は自分自身のことを認めていない。未熟であると、まだ“何者にもなれていない”と強く思い込んでいる。
そんなことはないと言ってやりたくもある。私も彼のように本当の意味で若かった時期はあるし、その経験を活かして若い冒険者を演じたこともあるので理解はできるのだ。
故に、なればこそだ。余人に、たとえ戦列で肩を並べて戦った相手に言われたとしても受け入れられないことも分かった。
往々にして若い頃は思ってしまうものなのだ。
テメェに俺の何が分かると。
自分も相手のことなど分かってはいないのにな。
なんともまぁ、面映ゆい限りだ。かつての自分を見ているよう、などと偉そうなことは抜かすまい。しかし、あの反吐のような、思い通りにならぬ酸っぱくて苦い感情を抱えている若人の背中には色々と考えさせられる。
ただなぁ、ジークフリート、君はもう少し自分を誇ってやってもいいのだよ。
都合の良いラブコメのようにカーヤ嬢が何かの偶然で君に惚れ込んだわけではあるまい。荘で確固たる地位を持つ魔女医の娘、それも魔力を持った長女が家を出て君を助けるためにどれだけの覚悟が要っただろうか。
それだけの相手が君の一挙手一投足、ちょっとした感情の揺らぎを慈しむために心血を注いでいるのだよ。
カーヤ嬢だけではない。なんやかんや私に倣ってからかうことも多いが、剣友会の面々も君を認めている。第一、私の戦友というだけで冒険譚に謡われんと故郷を出た鼻っ柱の強い冒険者共が兄ぃや兄貴と呼ぶ訳がないだろう。
彼らも多少は手前の腕前に覚えがあって冒険者になったクチだ。むしろ私にさえ突っかかってきた連中が先輩というだけで敬意を払って頭を下げる訳がなかろうよ。
苛烈な戦場にあっても君は退かない。肩に矢を受けても味方を鼓舞して戦列を維持させ、折れることなく勝利に食らい付く。遊歴の騎士を仲間につけた野盗とかち合い、元あった頬の疵痕を広げるような傷を受けながらも痛みに蹲ることなく、決死の覚悟で勝利をもぎ取ったのは他ならぬ君なのだよ。
だからもっと胸を張ってくれたまえよ戦友…………。
【Tips】身分に見合った礼装を纏うことも訪問時の礼儀としては重要であるが、敢えて外した格好で訪れて相手を挑発するという技法も存在する。
しかし、失敗すると礼儀知らずとしての悪名だけが広がるので極めて高度な技法であるため軽々に真似してはならない。
昼食の時間を目前に控えた気が抜ける頃、冒険者同業者組合は忙しい時期を抜けて穏やかな時間が流れていた。
春先というのはどうにも忙しい物だ。行き交う隊商が護衛を求めて依頼を大量に持ち込んでくるし、新人の冒険者もこの時期が一番多い。
そして勝手の分かっていない新人が現れると苦情も多い物だ。仕事の出来が悪いと真っ当な苦情を持ってくる依頼主、逆にカモにされて怒鳴り込んでくる世間知らず、そして氏族のいざこざに巻き込まれて泣きついてくる根性なし。
何に付けても仕事が絶えることがないのだが、春の終わりだけは隊商も街を発ち、新人も新しい巣穴を見つけ、多少は向いた仕事やコツが分かって落ち着いてくる。夏は夏で仕事が増えて忙しいのだが、職員達はこの繁忙期の合間の穏やかな時間を心から楽しんでいた。
彼らがやってくるまで。
下品に勢いよく開かれるようなことはなく、あくまで上品に開かれたドアの向こうを見て多くの職員は「あっ……」と呟いて何かを察した。
良く晴れた春の日差しを受けて冠もかくやに輝く金の髪。その後ろで仏頂面をぶら下げた幸運のジークフリートが控えている。
それ自体は珍しい光景でもない。冒険者である彼らは日頃組合に通っており、何度も見た馴染みの顔である。
しかし、その装いがいけなかった。
難癖をつけることすら難しい礼装を纏った姿は、常の用事でやってきたのではないと雄弁に語っている。にもかかわらず平素通りの人好きのする笑みを貼り付けていることが不穏で仕方がない。
たったそれだけでも組合中が職員、冒険者問わず凍り付くというのに何やら偉そうな魔法使いを連れているとは何事か。いっそ鎧を着て剣を抜いて討ち入りにでも来てくれた方が分かりやすくていいとさえ思えてくる。
受付に座っている職員の諸子は強く思った。
頼むから自分の所に来てくれるなと。
今は忙しい時期に働きづめであった熟練の職員に休みをやるため、新人や代理の人員しかいないのだ。ややこしい事態に備えて数人は熟練は確保しているが、不運なことにいつも金の髪を相手している職員の一人、エーヴは昼休憩に出ていて不在ときた。
聡い冒険者の数人は、しれっと金の髪に挨拶して組合を辞しているではないか。
彼らは一度知っているのだ。汚い仕事に巻き込まれて“ブチ切れた”金の髪がどれ程に恐ろしい存在なのかを。
空気さえも肌を割きそうな殺気が立ちこめる修羅場は今でも職員の中で語り草だ。決して不正になど手を染めまい、そう神に誓いたくなる地獄を味わわずに済むのであれば、汚い銀貨の数枚にどれほどの価値があろうか。
普段は裏方でそろばんを弾いている代理の職員の元へ金の髪が立った。まだ殺気は放っていない。口角を緩く上げた人の良い笑み……しかし、対面した彼女には分かる。
全く目が笑っていなかった。
適当な対応なんてしたらぶった切るぞとでも言いたげな圧の微笑。しかし、その剣呑さを感じさせぬ優美な手付きで手が懐へ消え、一通の書簡が取り出される。
「ご多忙な中申し訳ない。こちら、組合長にお渡し願えるだろうか。なに、急ぎではない、何かとお忙しいだろうが折を見て返事をいただければ有り難い」
普通であれば、ここで書簡を受け取って組合長の手紙入れに入れておけば仕事はお終いである。読むかどうか、返事の出す出さないは彼が決めることなので、職員が関与することではない。たとえ破落戸の元締めなどと揶揄されようと、組合長にも相応の権力と立場があるのだから。
しかし、それではならない。斯様な仕事がまかり通るなら、私書箱一つ置いておけば事足りる。態々受付に人を座らせておくのには相応の理由があるのだ。
職員は笑みが引きつりそうになるのを意志の力でなんとか抑え、絞り出すように言った。
直ぐにお取り次ぎ致しますので、別室にてお待ち下さいと…………。
【Tips】冒険者同業者組合の繁忙期は春の初めと秋である。夏も仕事は多いが比較すればマシな方であり、冬には暇を持て余す。そのため、熟練の職員は繁忙期に集中して働き、閑散期に纏めて休みを取る労務形態となっている。
服飾規定の緩い職場でノータイ、ボタンダウンのシャツ、気楽なグレーのスーツで過ごす人の良い上司が白いシャツでニコルのネクタイを締めダブルのダークスーツまで着込んだ上、前日に白髪を染めて出勤してきた時の緊迫感。つまりはそういうことです。




