青年期 十八歳の晩春 十
<光輝の器>の笑いが止まらなくなる性能を実感して以降、ずっと気にしていることがある。
自分の面子を護ることもだが、相手の面子も慮ってやることだ。
アポ無しでいきなり突っ込んでいって要求を突きつける絵面は格好良いやもしれないが、自分自身の印象や、押しかけられた相手が周囲から「その程度のヤツなのか」と見られることにも繋がってしまうからな。
何を言いたいかと言えば、慣例と形式は大切ということだ。少なくとも私は王様に「オッサン」と呼びかけて首が跳ばないライトな世界に生きていないのだし。
「こんなものかな。マルギット……は、しんどいか。カーヤ嬢、推敲をお願いできるかな?」
食堂の隅っこの定位置――いつも私達が使うようにしていたら、自然とそうなっていた――で書き上げた書簡をカーヤ嬢に渡す。近頃はちょっと有名になってきたからか黙っていても入ってくる熟練度に物を言わせ、<宮廷語>技能を<上級宮廷語>にアップグレードした上で<熟達>まで伸ばしており、貴種に宛てても恥ずかしくない文章が書けるようになった。
とはいえ人間がやることに絶対はないので、人の目を通すことも重要だ。こと私がやるとなれば、むしろどっかでトチっていると思い込んでかかった方が良い。神がかり的な致命的失敗を踏み、手前どころか一党諸共に吹っ飛んだ経験など両手の指でも足りないのだから。
思いを馳せれば脳裏に過ぎる数々の悲喜劇。回復で致命的失敗を振り頼みの綱の前衛に手ずからとトドメを刺し全滅したこと、絶対に成功しないと大団円に辿り着けぬアイデアチェックで無情の一〇〇を振り見当外れな手がかりを得て人間を辞めた夜、よもや一党全員が忘れちゃならんフラグを頭からすっ飛ばしキーパーソンを置いてラスダンに挑み立ち尽くした無常な時間……うっ、頭が。
「よく書けていると思います。私にはちょっと難しい表現が多かったですけど」
「最終的に貴種が目を通すならこんなものかと思ったけれど……口幅ったく思われそうなら、もっと平民っぽく知識が足らない感じに直そうかな」
「お前のイメージなら別にタカビーでも問題ねぇだろ、金の髪殿」
「酷いことを言うなジークフリート……」
高慢に振る舞ったことなどなかろうよ、と唇を尖らせてみると、ウケるどころか鼻を一つ鳴らしてそっぽを向かれてしまった。解せぬ。
ともあれ内容的に問題なさそうなら、このまま出してみるかな。
「あら、おはよう魔法使いさん」
「おはよう、女将さん。黒茶を一杯いただけるかな……」
封筒にしまおうと丁寧に畳んでいると凜と響く耳に良い声がする。高く澄んだ声の主は痛飲の余韻を滲ませることなく、中性時よりもクセが強まった髪を掻き上げながら現れた。
「おはよう、ミカ。よく眠れたかい」
「おはよう、エーリヒ。良い部屋を宛がってくれたのでね。天上の雲もかくやの寝心地であったとも……おや、そちらのお嬢さんは?」
糸くず一つついていないローブを隙無く着こなす友は、カーヤ嬢を一目で昨夜の祝いに居なかった人物だと気付いたらしい。この辺りは魔導師のサロンにも顔を出してきただけあって実に如才ないな。
「お初にお目に掛かります……同業のお方。イルフュートのカーヤと申します」
「ご丁寧にどうも、麗しい同業の方。僕はミカ、魔導院の聴講生でエーリヒの友。彼の紹介でここに泊まらせていただきました」
「あら、貴方のお名前は頭目よりよく伺っておりますわ。お話よりもずっと艶やかでいらっしゃる」
「こちらも貴女のお話は詩人の口より聞いておりますよ、若草の慈愛殿。なるほど、どうやら世の詩人は表現力に乏しいようだ、全く言葉が足りていないね」
「そんな、お上手でいらっしゃいますね。貴方の隣では霞んでしまいそうで、頭目様の表現は嘘ではなかったと驚くばかりですわ」
淑女らしい楚々とした笑いを溢す我が一党のヒーラーと、これまた浮名を欲しいままにできそうな見事な振る舞いのデバッファー。どちらも大変様になっていて朝から目によろしい限りである。
美男美女が並んで笑っている光景は実に良い。今はまだ利かないが、その内邪毒にも朦朧にも利くようになるに違いない。
しかし、自分の相方が他の男を褒めるのがそんなに気にくわないのか、ジークフリートが露骨に不機嫌そうに顔を逸らした。更には机を指で小刻みに叩くおまけ付きだ。
みっともないと窘めるべきではあるものの、男心として分からないでもないので見逃してあげようか。
……まぁ、これカーヤ嬢も“分かって”やってることなので、触れるのは無粋というのもあるのだけど。
いつだかの酒の席で彼が別の卓に顔を出していた時、ぽつりと溢していたのだ。
嫉妬してるディー君可愛い……と実に色っぽい顔つきで。
その時、隣に居たマルギットと一緒に「あ、これあかんやつや」と瞬時に感じ取ったね。
元々は幼馴染みが心配で一緒に田舎から出てきた純朴な魔法使いが、一体どうしてこうなってしまったのか。いや、元から結構上手く操縦しているきらいがあったので、都会にアテられたなどではなく既に“仕上がって”いたのが今になって表出しただけなのかもしれない。
今のところ、カーヤ嬢は惚れ惚れするほどの操縦術を我々に見せつけてくれている。ジークフリートを嫉妬に駆らせて向こうから告白するように仕向けた手腕、そして中弛みしそうな付き合って数年の期間も上手く引き締めている所は感服すること頻りである。
いやぁ、彼女が“そこそこの良いとこ産まれ”でよかったな。生まれが産まれであれば、国の一個くらい傾けそうな気がしておっかないのだ。
今後もジークフリートには頑張って貰わなければ。
「ところで、お邪魔してもよかったかな? なにか一党でのご相談中だったようだが」
「なに、君を拒むような席など私達には一切ないよ我が友。君も黒茶だけではなく、朝食などどうだね、絶品だよ」
「そうかい? それなら軽くいただこうかな」
誰が一党だと叫ぼうとするジークフリートを目で制し、空いている席から椅子を持ってきて座るよう促すと彼は控えめに頭を下げて卓に着いた。廊下側の空いた場所、俗にお誕生日席とか言われる場所である。
女将さんに朝食を頼むミカに今日の予定を聞いてみると、まだお勤めはないので暇なものさと笑っていた。なんでも到着する目処が立つと同時に“使い魔”に手紙を持たせて訪問のお伺いを立てた所、行政府には明後日、魔導院の出張所には明明後日に出頭するよう命じられたそうな。
この辺りの余裕を持たせた予定感は実に貴種らしい。長旅の後、数日の準備期間を用意してくれるのは彼にとってもいいことか。
「ところでエーリヒ、幾つか聞きたいことがあるのだけど」
手早く運ばれてきた朝食、香しい黒茶を楽しみながら投げかけられた問いは、冒険者になる手続きはどうしたらよいかというものであった。
「お恥ずかしながら、旅費やら研究費は官費を潤沢にいただいたのだけど……」
滞在費がね、と物憂げに溜息を吐く我が友。お金に余裕のあるお姉様方の前であれば、自分が養ってあげようと仰る方が列を成しそうな流し目の破壊力は凄まじい。分かっていても心に刺さるのだから、本当におっかない育ち方をしたものである。
今より幼い時の儚さを感じる風貌でも十分凄まじかったのに、大人になって耽美な雰囲気を帯びた今、そうやって影を感じさせる顔をされると、いっそ淫靡ささえ感じられるので実に悩ましかった。
「まぁ、飢えて死なない程度の物は出ているんだけど、残念ながら一聴講生に対して魔導院の財布の紐は固い。説得力に欠けると思うけれど、財布の分厚さは君と居た頃と大して変わらないのさ」
「じゃあなんでぇ、そのハデな服は」
「これは自弁したものではなくてね……」
戦友からジトっとした目で問われ、対して遠い目をして自嘲気に微笑む我が友。目の端っこで私を見る彼は、分かるだろう? と言葉を介さずに告げていた。
あー……うん、知ってた。たかが数年で二〇〇年醸造の変態が変わる訳もなし。私が居なくなってからも粘着され、コスプレさせられ続けてきたのだろう。
今思えば、このローブも確かにミカの趣味からは少し離れている。彼は本来活動的なので動きやすい造詣を好み、奢侈さより機能美が映える簡素なものを愛した。
それがどうだ、この刺繍塗れの如何にも良家のお坊ちゃまですと言いたげなローブは。同系色の糸であるため派手でこそないが、密かに財を主張する豪奢さは好みの対極といえよう。
しかも、ようよう見れば彼の得意分野とは離れた魔法の数々が付与されている。刺繍の全てが術式陣を構築しており埃や汚れを弾き、日の光による褪色を防ぎ、ちょっとやそっとでは傷が付かぬよう保護されているではないか。
艶やかな絹は紛れもなく東方から交易路を通って渡ってきた物であり品質は最高級、手ぬぐい一枚の大きさでも農民が土地家屋を売り払っても買えないような代物である。染めた刺繍糸も同様の絹糸であることを考えれば原価だけで気が遠くなりそうな代物である。
その上で貴種お抱えのお針子衆が辣腕を振るい、流行の被服造詣師の手による意匠ともなれば価値は如何ほどか。
挙げ句の果てに閥を預かる性能がぶっ壊れた死霊が術式を考案し付与したとくれば、金貨を山にしても欲しがる貴種は幾らでもいるだろう。
とはいえ……これは彼を引き立てるために生み出された衣装だけあって、本当の意味で着こなせる者は殆ど居ないのだろうけど。
「古着屋に売る訳にもいかないし、困ったものだよ」
「世界中探しても、それを買い取れる古着屋などあるまいよ」
やれやれと首を横に振る我が友。きっと私の代わりに随分と卿の変態性の餌食となってしまったのだろう。まだルルブとは別の意味で薄くて高い本みたいに、ちょっと動けば見えそうになる水着なんぞを着せて喜ぶ人ではなかったのでいいのだが、それでも舞台の上でしかお目に掛からないような服を一日に何度も着せられる苦行は楽ではあるまいよ。
のみならず、その様を絵にされて悦に入られているとなればもうね……。
まぁ、彼にはよく似合っているから私としてはいいのだけどね。顔が良いというのは見てるだけで精神力が回復する……。
「いった!?」
脛に刺されたような痛みが走り、思わず声が出た。
見ずとも分かる、この感覚はヒト種の足で蹴られた痛みではない。外骨格の鋭い足、つまりマルギットに蹴られた痛みだ。
「あら、ごめんあそばせ……手持ち無沙汰で少しぶらぶらさせていたら、当たってしまいましたわ」
隣に目をやれば、机に伏せた腕の間から目だけを覗かせて私を見ていた。
……窘めねばみっともないほど緩んだ顔をしていたか。反省反省。
「ええと、大丈夫かな……?」
「ああ、気にするな友よ。で、冒険者になると」
「生活費のためにはやむを得ないだろう? 麦粥ばかり啜る生活は御免被るよ」
麦粥は貧乏食の代表みたいなものだ。三重帝国が成立するより以前、小国群立時代より更に前の帝国があった時代の主食も、食文化が発達した今では粗食の代表とは悲しい話である。
安くて腹にも溜まるが、味も調味料を掛けねば淡泊極まる“とりあえず生きていく為の食い物”を彼に常食させる訳には行かない。十八といえばまだまだ食べ盛りなのだし、沢山食べて貰わなければ。
「なら私達も丁度組合に用事があった所だ、一緒に行こうじゃないか」
「それはありがたい。僕なんかで務まるかは不安だけどもお願いするよ」
「なぁに、魔法使いというだけで引く手数多な業界だ。むしろ君が否と言わないなら家で囲い込みたいくらいだとも」
「ふふ、そうかい。君になら……囲われても悪くないかな」
片肘を突いて頬を手に乗せた彼は、なんとも魅力的に笑ってそう言った。
実に有り難い提案である。なにせ魔法使い、その中でも造成魔導師を志す彼は隊商護衛においてこの上なく力を発揮する職種だ。荒れた道を整えてくれるのみならず、徒党を組んで襲いかかる連中の足下を泥濘に変えて行く手を阻み、木材に親しむため馬車の車軸なども治せるとくれば、旅路において怖い物の殆どが消えて失せる。
彼が一党に加わるだけで護衛の依頼料は倍……いや、相場の四倍はふっかけても安いくらいになる。規模によっては七~八倍でも喜んで迎えられるだろう。
こう言ってくれているのだし、是非一党に加わって貰わねば。煤黒から始まろうと何だろうと知ったことかね、こういう時にこそ小っ恥ずかしい“金の髪”の勇名を使う時。私からのお墨付きがあると噂になれば、階級の低さなどあってないようなものに出来る。
私は“悪目立ち”するのが嫌いなだけで、権力は使える時にやり過ぎない程度に使う性質である。
だってねぇ、ある物は活用しないと勿体ないだろう? コネクションでセッションが楽になるなら誰にだって媚びを売るし、組合の階級と似た偏執狂に取り憑かれた世界においては靴だって舐めてきたのだ、他人の威を借るならまだしも私自身の力を使うのに一体何を躊躇うことがあろうか。
とはいえ、あまり濫用するのも考え物だが。この辺で調子に乗るとあれだからな、最悪キャラ紙を没収されて嫌味な敵NPCにされかねないので節度が大切である。
さて、午後からのんびりと思っていたが、彼も今日一日暇ならば予定を少し変えるとしよう。
行けるか? と目で問うて見れば、ジークフリートはうんざりしたように溜息を吐いてみせた。
心底嫌そうに見えるが、これが彼の了承の態度だ。付き合いも長くなってきたので十分に分かる。きっと気怠げで厭世的な態度を取るのが格好良いと思うお年頃なのだろう。
では、嫌なことは早めに片付けるに限るな…………。
【Tips】約束を取り付けぬ訪問は相手に対する侮辱の中でも最上級の一つに数えられる。
言外にお前の予定などどうでもよいと軽んずることや、どうせ暇なのだろうと馬鹿にすることに繋がるからである。
土曜の午後のお供にと思い更新です。
アポイントは実際大事、飛び込み営業など鬱陶しいだけである。




