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青年期 十八歳の晩春 五

 温めの湯船に浸かりながら、巨鬼は後頭部に残る柔らかさに思いを馳せていた。


 なんというべきか、彼の短く、されどヒト種と比べると幾分か長い人生においても膝枕をされた経験というのは殆どなかった。元々巨鬼という種族自体が、下の関係の者とは肉体的な接触において友好を図ることをしないためである。


 巨鬼の子は生まれて一月もすれば立つようになり、乳離れも早い。女児であれば戦士として大切に育てられるものの、男子に関して母親の興味は恐ろしいほどの速度で失われていく。とはいえ、女児にとっての大事にするというものも、“死なないよう気をつけてブチのめして鍛える”という、他の種族から見たら正気かコイツらと言いたくなる可愛がりなのだが。


 ともあれ、男性の膝を借りたことは幾度かあった。優しくはあったが寡黙に過ぎた父が休憩の時に幾度か寝かしつけてくれたこと。また、戦場において補助兵として働いた際に気絶し、戦友が気遣って膝を貸してくれたこともあった。


 しかし、種族差を加味しても男性の膝は、ああも柔らかいものなのだろうか。


 「おい、新人、大丈夫か? またのぼせてねぇか?」


 ヨルゴスは同じ湯船に浸かる牛躯人によって現実に引き戻された。


 彼らは今、浴場の中でも温めに温度を調整された湯船にいる。大半の面々は、体も暖まったしもう一遍蒸されてくるか! と元気に蒸し風呂へと向かったが、あれが暑すぎると感じる者達も居るのだ。


 別に全員が連れ立って同じことをする必要もなし、各々向いた温度の風呂で過ごすということで分かれている。


 ヨルゴスは大丈夫だと言ってみたものの、あまり信用していないらしい牛躯人の表情は険しい。まぁ、無理もなかろう。一度ぶっ倒れた者は、またぶっ倒れるのではないかと心配されるものである。生半可な剣では傷もつけられぬ肌を持つ巨鬼も、内側は脆いと分かればそんなものである。


 余計な心配をされ続けるのもなんなので、ヨルゴスは意識を逸らすため先達に当たる牛躯人に問いを投げかけた。


 剣友会は、どのような氏族なのかと。


 詩に謡われはすれど、それはあくまで武勇伝を彩る一説。高名なる剣士を慕って若人が集まっている事実で主人公の格を上げる演出であり、求人広告のように親切な解説がされている訳ではない。


 一応、ここにたどり着くまでに隊商についていた冒険者から“氏族”の構造は聞いていた。入会金を支払い上納金を差し出すことで組織の力を借りる互恵的な構造を持つ組織として認識しているが、エタンと名乗った牛躯人は笑って否定した。


 剣友会は氏族ではないと。


 「へぇ? 氏族ではない……?」


 「おおよ。まぁ、俺らは氏族のつもりでいるが、実態としちゃ氏族じゃねぇ。あの人を慕って集まった、武器が好きでヤクザ家業に進んで身をやつした餓鬼の集まりよ」


 否定より始まった説明は、極めて単純なものであった。


 金の髪は氏族を作ることを良しとしなかった。金に困っている訳でもなく、大勢の配下を引き連れて偉そうにしたい訳でもない。されど自分を慕って集まった若人を無碍に追い出すことを良心が咎めたのか、かなり考え込んだ末に氏族とは異なる組織構造を選び取った。


 剣友会は入会金を取らない。そして上納金も存在しない。ただ金の髪の下に集まった者に彼が教えを授け、同時に集まった者達で効率的に仕事をする一種のサークルのようなものである。


 金の髪は言った。ただでさえ冒険者になるため地方から出てきて金のない若人から、更に搾り取るような真似をしてどうするのかと。それを積み上げて財貨を作った所で、食う飯や呑む酒が美味いものか。


 彼は実質的に氏族の長となるものが持つ権利を捨てたのである。同様に自分の下で、更に未熟な者を導く立場にある者からの搾取も禁じて。


 この点を鑑みるに、厳密には剣友会を氏族と呼ぶことはできまい。


 「ってぇことは、旦那には何もしなくていいと……?」


 「おう、むしろ金持ってったら変な目で見られるぜ。そんなせせこましい小銭を懐に入れんでも、あの人ぁ既に遊んで暮らせるくらい稼いでんだから」


 言われてみれば納得できるようで、同時に納得もできない不思議な話だった。


 謡われている物語の中でも金の髪は莫大な報酬を得ている。悪逆の騎士、ヨーナス・バルトリンデンの生け捕り報酬は一〇〇ドラクマを下ることはなく――詩によっては盛りに盛られ、三〇〇ドラクマとも言われるが――同時に捕らえた配下の分を含めれば、それだけで農地を買える額に達しているはず。


 また、何かに祝福されて、或いは呪われているように金の髪は野盗に襲われている隊商に縁が深く、悪党退治の機会に事欠かぬ。悪逆の騎士ほどではなかろうが、この辺境で商売をやれている野盗の首となれば、生きていれば金貨の一〇や二〇は硬かろう。


 景気よく剣友会の者達に食事や風呂を奢っている所を見るに、自身の一党や同道した隊商の冒険者と護衛にも報奨金はきちんと分けられていることに疑いはない。さもなくば、施す者などという二つ名が囁かれることもなかろうて。


 だとしても、個人の懐には一般人では人生をどれほど積んでも届き得ない金貨が集まっているはずである。


 しかし、それでも、そう、それでもだ。


 人間とは欲深な生き物である。金などあればあるほど良いと考えるもので、積み重なる財貨に弱い。一生で使い切れぬだけの金を荒稼ぎしても、まだ足りぬとばかりに薄ら暗い商売を続ける者がどれだけいようか。


 にもかかわらず、金は要らないとは中々難しい話だ。


 「なんつぅかね、まぁ金に興味が無い人なんだよ。金ってぇのを便利な道具としてしか見てねぇっつうのかね、もっと価値ある物に変えられると思ったら出し惜しみしねぇのよ」


 「もっと価値ある物……ですか」


 「そうさな、物は言うまでもねぇが、人脈とか信用とかそーいうんだろ。つっても、俺も一年ほどあの人んくっついて剣ぶん回してるが、学のあるお方だ、頭ん中でどんな難しいことこねくり回してるかなんざ想像もつかねぇよ」


 知ってっか? 帝都でお貴族様の側仕えをしたことがあるらしいぜ。そう言われて、ヨルゴスは少し納得がいった。あの魔法使いの先生も帝都から来たので、付き合いはそこからかと。


 「まぁ、剣友会つっても、剣一辺倒の集まりでもねぇしな。仕事のやり方とか、上手い野営の貼り方、あとまとめ買いすっと安くなるってんで、旦那が沢山買い込んだ保存食を良い値段で融通してくれんだ。あの中庭あんだろ? あすこでな、安く買ってきた肉とかをみんなで保存食に仕立てたりもするんだぜ。賑やかで楽しいもんだ」


 剣友会はその名に反して単に剣の腕を教えるだけの場に非ず。冒険者としての働き方すら仕込む集まりなのだという。


 野営と一口にいっても中々に難しい行為なのだ。疲れずに眠ること、上手に調理すること、手早く設営することなど慣れていなければできないことは多い。幼い頃から野遊びに親しんでいたとしても、一夜を星の下で明かし、翌日元気に動くというのは存外に難しいことなのだ。


 仕事を熟すことや受けることも同様であり、知らずに冒険者をやって痛い目を見た者は枚挙に暇がない。金の髪は、そういった悲劇を回避する術を教えてくれる。


 「ただ、掟はある、難しいこっちゃねぇがな」


 されど、人が集まって出来た集団である以上、良い所ばかりではない。人が集まればよからぬことを考える者はあるもので、そういった慮外者を統制する必要が出てくる。


 故に幾つかの掟が剣友会にはあった。


 最も重き物。それは“剣友会の威を借りることなかれ”である。


 金の髪は剣友会を氏族として運用しないと決めるに至り、一つの懸念を抱いた。たとえ自分が剣友会という組織をどう定義しようが、この名を悪用し、金の髪の名を傘に着て私腹を肥やそうと試みる者が現れるだろうと。


 故に彼は剣友会の名を前に出して活動させることを禁じた。


 誇ることはよい。売り込むために使うのもよい。自らが所属している集団を誇る権利までは奪わない。


 しかし、それで利を貪られては剣友会を作った本旨が変わってしまうのだ。


 「剣友会の威、そして旦那の威を用いた場合は破門だ、それだけは硬く心に刻んどけ新入り」


 「……はい」


 「今んとこ……五人くらいだな、縁切られたヤツぁ。勘違いしたアホ、最初からそれ目的だったクズ、調子乗って箍飛ばしたマヌケ。一遍旦那が本気でブチ切れたことがあったが、ありゃぁマジでおっかなかった……二度と見たくねぇ」


 過去を思い出してか、暖かい風呂の中に居るというのに牛躯人は大きな体を振るわせた。僅かに青ざめた顔は、何があったかは聞いてくれるなと雄弁に物語っている。


 優しげで気っ風のよい金の髪が本気で怒っている所は想像など付かなかったが、一角の人物であると体つきや雰囲気から分かる彼がここまで恐れるのだ。それはもう恐ろしいことが起こったのだろう。それこそ、知らぬ方が幸福であるほど。


 恐ろしい記憶を振り払うように彼は剣友会の掟を語り始めた。


 掟といっても、最初の一つを除けば然程仰々しいものでもない。


 清潔の徹底、ならず者ではなく冒険者たれという矜恃、誠実であることの大切さなど、どちらかといえば倫理教育に近い物。


 されど、最も大事な基本を護ることこそ難しく重要なのだと金の髪は言う。


 「まー言われてみりゃ分かりやすい話だわな。小汚ぇヤツも、チンピラみてぇな荒い口を聞くやつも、ましてや一般人に凄むような冒険譚の英雄は居やしねぇ。ああなりたくて冒険者になったなら、ああなれるよう振る舞えってのは分かりやすい話だ」


 「はー……その、俺ぁこっちの方に疎いんですが……」


 「お、そうか、生まれは何処だ?」


 「南内海の都市国家群の合間でさぁ。こっちの方だと、冒険者の扱いってぇのはよくないもんですかね?」


 聞かれてエタンはヤクザ物、ならず者、チンピラ、と指を折りながら冒険者が端からどう扱われているかを挙げていく。結局の所、得物をぶら下げ定職に就くのではなく荒事を選んだ無頼に過ぎないのだから、評判がいいはずもない。


 「こんな所だな。どうあれ俺らは根無し草で、まともに働くより浪漫を追い求めた夢見がちな阿呆だ。世間様からの目がきついのは仕方ねぇこっちゃな」


 「やっぱり、どこででも変わらないものなんですなぁ」


 「木っ端だチンピラだと言われながらも、確かに詩ん中に在るような英雄はいたのさ。俺らは俺らが焦がれた理想を追い求め、体現することが大事だろ?」


 ま、これも旦那の受け売りだがな、と恥ずかしそうに笑って牛躯人は鼻の下を指でこすった。


 改めて思う。今であれば、中庭で魔法使いの問いに自信を持って答えることができそうだと。


 彼の下であれば、立派な戦士になれそうだと…………。












【Tips】剣友会。金の髪のエーリヒが主催する冒険者の集団であるが、実質的な構造は氏族から外れる。剣の稽古と共に冒険者としての教育を受けられる互助組織であり、剣友会の中で一党の面子を融通して仕事を行ったり、時に金の髪が依頼を受けて郎党を率い隊商護衛に参加するなど大きな仕事の取り扱いもある。


 そのため、剣士を志していないが、冒険者としての彼に憧れて参加している者もいるため、剣一辺倒の組織でもない。












 あれから風呂を上がる頃には陽も随分と傾いてきた。かなり長い時間浴場に居た計算であるが、三重帝国においては普通のことだ。風呂に入り、水や軽食を嗜みつつ休み、また風呂に入る。湯や湯気にゆっくりと疲れを溶かすよう、時間の流れを気にせず贅沢に過ごすことが入浴なのだから。


 「本当にいい湯だった。やはり風呂は魂を癒やしてくれるね」


 「旅路の中、星の下で体を拭うのもまた風情があるが、この気持ちよさは格別だからなぁ」


 体を湯気でふやかさせ、丁寧に磨き抜いた金の髪と黒髪の魔法使いは気持ちよさそうに伸びをしつつ歩く。後ろに続く一緒に入っていた面々は、背中まで流し合う二人を未だにどういう関係なのか図りかねているようではあったが。


 「さぁ、戻ったら呑むぞ! 再会を祝す杯ほど美味いものもそうない! あ、そうだ、ヨルゴス、宿は決まっていたりしないな?」


 集団に少しずつ馴染んできた巨鬼は、唐突に聞かれて思い出した。宿の手配をしていなかったことを。荷物こそ預かって貰っているが、まだ泊まる手続きをしていなかったのである。


 「ああ、言わずともいい、その面を見れば分かる。安心しろ、銀雪の狼酒房に泊まれ。色々と便宜を図って貰える間柄だ、雑魚寝部屋なら三アスで泊まらせて貰えるぞ。それとも個室が良いか? 八アスあればなんとかなる」


 銀雪の狼酒房は元々初心者にも優しい値段設定の宿であるが、剣友会が活動の拠点とするにあたって優遇してもらえるような間柄になっているらしい。とはいえそれも、剣友会メンバーが総出で宿の仕事を手伝っているからなのだが。


 「ただ、流石にミカが泊まるにはどうかとは思うが……」


 「おいおい、忘れたのかい我が友、僕は君と一緒に草を寝台に、路傍の石を枕にして寝たこともあるだろう。宿の格なんて気にはしないよ、むしろ上等な酒房じゃないか」


 「周りが落ち着くまい、偉大なる教授殿」


 「からかうなよ、名高き金の髪」


 また二人にしか分からぬやりとりをし、朗らかに笑って肘で突き合う二人。しかし、剣友会の一同は金の髪に一理あると思った。


 銀雪の狼酒房は冒険者が屯する木賃宿にしては環境がいいものの、魔法使いの先生が一夜を明かすような宿かと言われれば否である。それに歯に衣を着せず感想を言うなら、あまり偉い人が近くに泊まっていられると落ち着かない。


 「君は私が使っている宿に来るといい。そこなら良い部屋もある」


 「おや、君はあそこに泊まっているのではないのかな?」


 「当たり前だ。あれは初心者に優しい宿だぞ? 私が部屋を埋めて、贅沢に個室を使いたい気分になった初心者が一人泊まれなくなったらどうする」


 銀雪の狼酒房は剣友会の活動拠点でこそあるが、金の髪の寝床ではない。彼の寝床は別にあり、一部の面子にしか知らされていないのだ。初心者の枠を食わぬよう彼が気を遣っていることもあるが、昔からの付き合いだと言われれば全員納得するしかない。


 暖かな炉端の色が滲んだような街路を和やかに話ながら歩けば、銀雪の狼酒房にたどり着く。後は風呂の後にしていた歓迎の宴を存分に楽しむだけ。中ではお預けを食らい、まだ相伴に預かれていない客や冒険者が手ぐすねを引いて待っていることであろう。


 いや、待っているのはおこぼれ狙いの冒険者だけではなかった。


 紅く染まった街の中、道のど真ん中を塞ぐような勢いで仁王立ちしている者が居る。


 両の手をがっしりと組み、まんじりともせず立っているのは一人の男だ。


 背は然程高いとはいえない。金の髪と良い勝負といった所か。仕事あがりなのか汚れた旅装を纏っており、腰には袋で蓋をした剣がある。野放図に伸びてつんと尖った黒い髪、挑戦的な目は不機嫌そうに眇められ、硬く結んだ唇に合わせて右の目尻から顎の中頃まで延びる引き攣れた面傷が歪んでいた。


 「おせぇ! いつまでちんたら風呂に入っていやがった!!」


 ヨルゴスには彼が誰か直ぐに分かった。金の髪と比べればとても簡単なものだ。


 黒い髪、強い意志を秘めた目、そして冒険の最中に負った彼の代名詞とも言える唇を跨いだ面傷。


 銀雪の狼酒房の前で“幸運のジークフリート”と称される、金の髪のエーリヒの戦友が吠えた…………。












【Tips】三重帝国都市部の浴場における平均入浴時間は一刻から一刻半ほどと言われる。 

大変有り難いことに このライトノベルが凄い! 2021 にて

文庫部門にて33位

文庫・ノベル合算アンケにて37位

WEB投票にて15位

今年度新作がすごい にて20位

にランクインいたしました。これも全て皆様の多大なるご支持によるものです。本当にありがとうございます。


今後とも精進して参りますので、お付き合いいただければと存じます。

4巻以降も出せたらよいのですが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 見事なミカ君とのいちゃらぶでした これ後になって中性とか女性体になったミカ君見たらヨルゴス君の性癖が捻れない?大丈夫かな?
[一言] ジーくん!ジーくんじゃないか! 教授殿との掛け合いが楽しみ!
[一言] TRPGはよく分からんけど、RPGじゃお金カンストは珍しくないし、そんなもんに価値は置かんよな。
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