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青年期 十八歳の晩春

 春の時節はいつでも大きな街が込み入るものである。


 帝国西方最辺境、ライン三重帝国に帰属する実質的な国土として最も西にある大地の州都、マルスハイムは春の終わりを迎えているだけあって実に多くの客で賑わっていた。


 雪に閉ざされていた北方へ向かう隊商、更に西へ向かって異国の品を手に入れようとする交易商、年季奉公で新しい農地に向かう小作人を満載した馬車。大勢の者達が帝国臣民と諸外国民を問わず行き交っている。


 「はぁー……すんげぇ人の数だなぁ」


 その光景に巨鬼(オーガ)の男はすっかり呑まれていた。帝国の南方、半ば三重帝国に服属しているに近い力関係の南内海沿いに発展する都市国家群に活動拠点を持つ部族に生を受けた彼は、人口数万人規模の都市を目にする機会が殆どなかったのだ。


 それは帝国に流れてきて、半年ほど経ってからも変わらない。武辺者として身を立てるため地方を流浪してみたものの、やはり辺境となると大都市は少ない。


 人口もさることながら、実態として住み着いている人間や出入りする商人によって人の数が膨れ上がった都市の活気は、彼にとって強すぎる酒のようでもあった。


 「帝都に比べれば控えめさ。幾つかの領邦州都は、これが比べものにならないほどだよ」


 「へぇ!? これよりですかい?」


 「大河沿いの港湾都市、エルベラントは市民権を持つ臣民だけで一〇万人を越えるし、鉄鋼と酒造の中枢であるノルトラインに至っては総人口二〇万超えだ。まぁ、後者は市壁の中に住んでいるのは五万人くらいだが、何処までも広がる都市圏は城塞都市にない見事さがあるものだよ」


 「は~、やっぱ先生はすげぇなぁ、色んな所に行ってらっしゃる」


  「そう大したものじゃないよ、官費を貰って旅行をしたようなものさ」


 かんぴ? と首を傾げる巨鬼を引き連れ、黒いローブの魔法使いは杖を慣らしながら入市の列へ近づいていく。しかし、その足は並んでいる庶民とは異なり、大門脇の衛兵詰め所へ向かっているではないか。


 彼の荷物を抱えてやっている巨鬼は並ばなくて良いんですかい? と問うも、魔法使いはさも当然とでも言いたげに懐から書簡を取り出してみせる。


 蝋印が施されたそれは、貴種によって認められた通行手形であった。余程の理由でなくば関も簡単に通れる代物を以てして、どうして手間どう必要があろうか。


 「袖すり合うも多生の縁と東方ではいう。荷物を持たせて悪いが、僕の護衛という体で通してあげられるよ。入市税も浮くから、駄賃にはちょうどいいだろう?」


 「えっ、これんな意味があったんですかい?」


 「知らずに運んでいたのかね……」


 「あ、いや、つい……」


 恥ずかしげに頭を掻く巨鬼、しかしさもありなん、巨鬼の男性とは専ら同族女性の奉仕種族的な側面が強い。何やら偉い人が大きな荷物を持っているとなれば、どうしても性分として自分が持ってやらねばという気分になるのだ。


 僕は賃金も払わず人に荷物を持たせるほど偉くも狭量でもないよ、と唇を少し尖らせる魔法使い。対して巨鬼は、この先生はたまに妙に可愛らしい行動をとるなぁ、と同性ながらドギマギさせられた。割と見た目が近いこともあり、巨鬼的にはヒト種は割と性的嗜好の内側に入りやすい種族なのだ。


 まぁ、かといって色々と凸凹しているため、番いになることがあるかと言われれば難しい所であるけれど。


 颯爽と門衛に手形を見せ、妙に恐縮されながら入市を果たした巨鬼は子供のように溢れる興味を隠さずに周囲を見回した。背の高い煉瓦の建物、少ないながらも立ち並ぶ街灯、帝都に比べれば整備不足も甚だしいが敷き詰められた石畳。全てが新鮮であった。


 なによりも心に響くのは、ここには英雄譚に謳われる生きた英傑達が何人もいるということだ。


 勇名と悪名が入り交じる人狼(ヴァラヴォルフ)の冒険者、餓狼のイェルン。


 槍の鋭さにおいて並ぶ者無き馬肢人(ツェンタオア)の傭兵、舌抜きのマンフレート。


 荒らした競技会は数知れず、専業軍人でさえ軽々打ち倒し叙勲の誘いを受けるも冒険者であることを選んだ坑道人(ドヴェルク)、酔狂のフーベルトゥス。


 無肢竜(ワーム)退治を始めとし民のため戦う英雄詩で名高い聖者フィデリオ。


 そして西方における最新の英雄、野盗狩り、剣に笑う者、施す者、多くの詩人が新しい二つ名を考えて我が名を高めんと新作詩を作る話題の剣士、金の髪のエーリヒ。


憧れた者達が活躍する地を実際に踏んで、どうしてその背を追う者が感激せずにいれよう。ここで自分も彼らのようにと思い、未だ来たらぬ先を想像し身を震わせる者は数多いる。


 現実と待ち受けたる泥のような道はどうあれ、この一瞬は尊いものだ。どれだけ振り返り、回顧しようが二度と訪れない瞬間なのだから。


 ここで冷たい主人であればキョロキョロするなと叱って先を促す所であろうが、浪漫を十分に解する魔法使いは小さく微笑んで“お上りさん”の道連れに歩調を合わせた。本来は彼の方が足が長いのでずっと歩みも早いはずなのに、小さな子供にも置いていかれそうな速度で歩きながら。


 「あ、しまった!」


 ふらふらと一刻あまりも興味が向くままに歩き――両手には下らない買い物が積み上がっている――巨鬼はやっと気付く。当て所なく進んでしまい、自分の目的地は疎か、未だに荷物を抱えている魔法使いの先生の行き先さえ無視するという無礼を働いてしまったことを。


 「も、もうしわけねぇ先生!」


 「なに、かまわないよ君。僕も十分楽しめたし、こっちに用があった」


 こっち? と首を傾げる彼に魔法使いは一件の酒房を手で示す。たった一つの挙動さえ演者めいて優美であることに感心しつつ、目が捕らえたのは一つの看板。


 「ええと、あーと……銀……銀……の……」


 「銀雪の狼酒房だよ」


 少し教わってみたものの帝国語はよく読めていない。代わりに読んでくれた魔法使いに礼を言い、暫しの間。やっとこ場所の名前と知識が結びついた巨鬼は、周りの人間が振り向くほどの大声を上げた。


 というのも、これが彼の目的地であったからである。


 魔法使いは、要所要所でこのお上りの巨鬼を誘導していたのである。目線で、先を行くことで、時に杖でつついてやることで。彼自身はここのことを入市手続きをしている時に衛兵から――銅貨を握らせてやり地図まで見ている――聞き出していたため知っていた。


 なにより、わからいでか。金の髪のエーリヒに教えを請うためマルスハイムにやってきたという冒険者志望が、彼の氏族(クラン)が拠点にしているという酒房へ第一に訪ねようとすることくらい。


 「君は金の髪の詩を聞いてここに来たんだろう? なら、一番に訪ねたいところくらい分かるさ」


 「はー……流石は魔法が使えるだけあるなぁ、先生は。やっぱ頭がいいこってす」


 「だから僕を持ち上げたって仕方ないよ。じゃ、入ろうか」


 「へぇ! って、先生もですかい?」


 いいからいいから、と背中を押されて巨鬼は酒房へと踏み入った。ふと、この先生がマルスハイムに行く目的が何かを知らなかったなと思い出しつつ。


 そこは質素ながら清掃が行き届いたよい雰囲気の酒房であった。広いホールの最奥に磨き込まれて綺麗なカウンターが鎮座しており、黒くもじゃもじゃした髪と髭が目立つ精悍な顔つきの店主が立っている。


 客は多い。特に年若い冒険者と思しき者達がカウンターやテーブル席で昼間から酒を呑んでいたり、顔を寄せ合って次の仕事の算段をしたりと実に賑やかだ。


 詩に出てきた通りである。銀雪の狼酒房は元冒険者の主人が若手冒険者向けにやっている店で、宿代も呑み賃も財布に優しい設定の宿であると。洗濯物を干せる大きな中庭があるので、そこで金の髪のエーリヒは後輩に剣の腕のみならず冒険者としての技量を仕込む氏族、剣友会を立ち上げたと謡われていた。


 知人がやってきたかなと幾人かの目線が新たな客に行き、姿を正しく認めて一瞬ギョッとしていた。巨鬼の来客は珍しいし、その横に並ぶ如何にも金の掛かった服を着ている魔法使いなど到底訪れようがない人種であるから。見るからに高貴な人物とその護衛といった様子の来客に、誰もが一体何の用だよと驚いている。


 好奇の目線もなにするもの、むしろ自分がその目線を方々に注ぎながら巨鬼は目当ての人物を探した。


 金髪で碧眼の冒険者、といえばアレかと目星をつける。


 カウンターの脇で一人静かに呑んでいる男がいた。麦酒の注がれた杯を片手につまみをつついている男だ。上背は高く肉もよくついている。背丈は巨鬼の男性として平均的な彼の首元くらいまであるので、かなり大柄といえる。


 そして傍らには都市部であるからか、きちんと袋に包まれた剣もある。一般的な長さの剣は、金の髪のエーリヒが使っているものと同じ形式だ。


 髪色は詩に謡われているように“光り輝く”とは言えないが、戯曲とはそもそも誇張されているもの。清涼なる美貌と形容するには大いに首を傾げるが、馬に乗って戦槌を振り上げる大男と切り結べるような相手といえばむしろ納得できる風体だ。


 大股で金髪の男に近づくと、巨鬼はできるだけ畏まって声を掛けた。ここに来るまで、どうやって挨拶すれば好印象かと魔法使いの先生と相談しながら覚えた、まだまだ不慣れた宮廷語で。


 「あ、その、失礼」


 「あ? お、おお……でけぇな、巨鬼か」


 酒を呑んでいて新しい客に頓着していなかったのか、何やら凄く上の方から降ってきた声に反応して顔を上げた金髪の男は酷く驚いていた。無理もない、自分より頭一つは背が高く、体の厚みがともすれば倍はあるのではなかろうかという巨鬼に絡まれれば驚きもしよう。


 ついでに言うと彼自体も巨鬼であることを加味しても中々に迫力のある顔をしていた。牙の長さは女性の巨鬼にも劣らず、角張った顔は厳めしく正しく巨像が歩いているような威迫。声をかけられた彼は、東方からの交易品に混じっていた“悪鬼”を踏みしめて立つ異教の神像を思い出してしまった。


 お互いに言葉に詰まる。巨鬼は、うわー、どうやって憧れの人に弟子入りをお願いすればいいんだという緊張で用意した台詞が全て飛んで。金髪の男は、えっ? 俺なんかした? 大人しく呑んでただけだけど? あっ、いやあの時の? と覚えの無い非を探して頭の中をひっくり返すのに必死で。


 だから気付かなかった。中庭に通じる扉が開き、朗らかに話ながら酒場に入ってくる一団があったことを。


 彼らは皆、気楽な服装をして運動直後の熱気を纏っている。殆どの者は絞れそうなほど大量の汗に混ざり、泥や薄い痣を体に纏わり付かせ模擬武器を手にしていた。刃引きのされた剣、先を丸めた槍、重心を真剣に近づけた木剣などには汗が染み込み、今正に渾身の力を持って振り抜かれていた形跡がある。


 「いやぁ、きつかったすわ今日」


 「なぁ、今日はすげぇ気合い入ってたしなぁ」


 「やめたくなり……はしねぇっすけど、やっぱイテぇっすね」


 「マスター、麦酒(エール)麦酒!」


 和気藹々と感想を溢しながらやってくるのは、人種もまちまちな若き冒険者達。担ぐ得物もそれぞれ違う彼らに共通しているのは、首からぶら下がっている冒険者証の色の彩度が低いこと。多くは煤黒で紅玉が僅かに混じるくらいの若人は、皆冒険者を志して然程時間が経っていない者達である。


 その中心に立つ者が景気よく銀貨を放りながら言った。


 「今日は皆頑張ったな。私から一杯奢ってやろう。店主殿、いつものをやってくれ」


 冒険者らしい野卑た歓声、テーブルから届く俺達には無いんですかという野次。


 そして、奇しくも騒がしさの後、酒場を揺らす大声が二つ重なった。


 「金の髪のエーリヒ殿とお見受けします!」


 「我が友!!」


 一つは巨鬼の銅鑼声。もう一つは男性にしては高い、感極まって震えた声。


 酒場の皆が、共通して「えっ?」という声を溢した。


 ごく少数は「そいつ違うよ」という驚きで。


 そしてもう一方は……庶民には断じてあり得ない、豪奢な刺繍が施されたローブの人物が訓練上がりの冒険者達の中心人物に駆け寄って、否、飛びかかりながらかけた声に反応して。


 「ミカ!?」


 「ああ、我が友エーリヒ! 久しいなぁ!! 壮健そうで何よりだ!!」


 舞台が似合いの美男子が飛び込んだのは、だぼついた平服に身を包み、周りとは対照的に涼やかに薄く汗ばむだけの男性。


 世辞にも大柄とも逞しいとも言えぬ痩身、括って後ろに流した髪は天窓から入る頼りない灯りの下であっても尚目映く、子猫目色(キトンブルー)の瞳は輝きを喪わない。


 旅の魔法使い。魔導院より魔導師に昇格する課題を熟すべく巡検(フィールドワーク)に出た若き聴講生、ミカは久しく離れていた友人。今は名高き“金の髪”ことケーニヒスシュトゥールのエーリヒに飛びつき、そして優しく受け止められた。


 自分よりも“背が高い男”に抱きつかれても嫌な顔一つせず、むしろ相手に衝撃が行かぬよう受け止めながら数度振り回してやることで勢いを逃しつつ、冒険者は陽が昇ったかのような満面の笑みを作った…………。




【Tips】写真もないこの時代、一部の特徴だけで人を探すことは極めて難しい。それが美化の入りがちな英雄詩や冒険譚の登場人物であれば特に。 

前回が間が空いていたので、埋め合わせにはならないかもしれませんが更新です。

朗報、エーリヒ一党にデバフ型ソーサラー合流。


余談ですが、最近は後書きで触れていなかったので久しぶりにTwitterの宣伝をば。

更新日を告知したり ヘンダーソン氏の福音を ルルブの片隅 とか言って本編で書くには細かい上に本編に盛り込むに微妙な設定の公開をしています。

IDは @schuld3157 ですので、よろしければフォローしてやってください。

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― 新着の感想 ―
[一言] さてはファイター『クラン』のLv1なのでは!?Σ(゜Д゜) 一時的だろうけどミカとの合流(^_^)v 敵は多勢か空からか(´・ω・`)
[一言] ミカと再会か、この調子でお姫様とか師匠とかともいつか会いたいなあ
[一言] GM「えげつないデバッファーが加入したから、もっとえげつないエネミー出しますね(暗黒微笑)」
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