青年期 十八歳の春 三
本日幾度目になるかも分からない何故を繰り返しながら、詩人は歌いすぎてヒリつく喉を酒で癒やした。
望外に美味い酒であった。すっきりした飲み口の白い葡萄酒、口当たりはまろやかに甘く、しかし諄さは全くない。舌の上を撫でるように濃厚な葡萄の甘みが一瞬で抜け、蜂蜜に近い後味が淡い雪のように去り残らない。隊商で雑事を請け負って口に糊する詩人には不釣り合いな酒であった。
「美味いだろう? 今夜の礼だよ」
言って酒を注いでくれる妙に親身な初老の男性。まぁ、確かにあれから都合三回も通しで歌わされれば、良い酒の一つも貰わねば割に合わないかと自分を納得させる。
それに隊商の面子にも面目が立った。自分の詩を聞いて上機嫌の調子を外した彼らは、折角だからと隊商の面々も巻き込んで宴会を始めたのだから。二回目の春の祝祭をやっているにも等しい大盤振る舞いには商売人どももニッコリである。追加の料理を求める彼らに持ち込んでいた商品も良く捌けたし、無料の振る舞い酒もあって文句を溢す者は帝国広しといえどどこにも居るまい。
今日は本当に望外のことがある日ばかりだと感慨に耽りつつ、ふと思い立って詩人は懐に大事に呑んだネタ帳を取り出した。各地の詩人が謡う詩の歌詞や譜面が書いてあるのみならず、いつか自分で完全自作の詩を作って公開するためのネタを暖めている大事な商売道具だ。
彼に機嫌良く貴種が呑みそうな酒を振る舞う男は、詩の後に詩人の手を取って熱烈に「息子の物語を届けてくれてありがとう」と感謝を述べていた。
つまり、この農家にしては些か力強すぎる男は英雄の父親。他の詩人が絶対に知らないネタを握っているということだ。
同じ詩にしても詩人のセンスや知識によって細部を変えたり、細かな追加をすることは多い。そして世の聴衆というのは、入れ込んだ英雄に対しては本人の人となりを知れる話、こと幼少期の話となると大変喜んでくれるものだ。
彼自身は“金の髪のエーリヒ”との知己でもなんでもないが、こうやって生地で聞き取りができるのは大変な強みとなる。この隊商の順路には西方も入っているので、いずれ新しいネタを仕入れることもできよう。
さすれば、それだけ他の詩人が知らぬ要素で詩を自分なりに高みへ持っていくことができるだろう。どの詩人もまだ詩の精度を高めようと聖地巡礼――時に冗談のように取材旅行をこう呼ぶことがある――に訪れていないのだから、彼の詩の名手として名を売る機会には恵まれている筈だ。
それに上手くいけば、そう、上手くいけばだ、最新の英雄だけあって存命の彼と彼の血族を通じて直接的な繋がりを作ることもできる。
生の英雄から聞いた英雄譚を血族からの聞き取りで飾る。これほど人気がでそうなことがあるだろうか。
英雄の幼き日の話を聞きたいといえば、頼んでもいないのに大勢が代わる代わる幼い頃の逸話を聞かせにやってくるではないか。
いわく、手先が非情に器用で五つの頃に兵演棋の駒を一揃い作り――実物まで持ってきた――集会所に寄付した。聖堂に見事な豊穣神の像を寄進するほど敬虔である。自警団訓練で数十から囲まれても涼しい顔をしていた。面倒見が良く同年代から年下にまで広く好かれていた。
そうだよ、こういうのが聞きたかったんだよと詩人は大きな収穫に笑みを作った。日常パートを好まない者もいるが、連作にして主人公に肉付けをするなら必須の部分。絶対に欠かすことのできない情報が黙っていても入ってくる状況に笑いが止まらない。むしろ肉付けだけでは惜しい、これだけ話が濃密であれば、牧歌的な旋律を添えて幼少期の物語に無二の相方として語られる“音なしのマルギット”も絡めて二~三曲自作できそうなほどだ。
他にも剣の名手で気付けば掌中より痛みも無く剣を弾き飛ばされた話や、狩猟の種族である蜘蛛人でも狐とガチョウの遊びで五分五分に持ち込む逸話、そして極めつけは“最愛の妹”を護った話と大収穫である。
誰も歌っていなかった、半妖精の妹を助けるため魔導師の丁稚として帝都に出稼ぎに出たという話は実によい。慈悲深く愛に満ちた英雄というのは、いつの時代でも聴衆に人気なのだ。美姫や冒険者仲間との恋愛に次いで、平凡だった男が英雄として立つ場面は盛り上がる。
これは是非使いたいと思い、それはもう一番盛り上がっている親族勢に根掘り葉掘りの勢いで聞き込んだ。
しかし、少し不思議に思うこともある。
金の髪のエーリヒは悍馬に跨がり剣を縦横に振るう英雄だ。武など欠片も知らぬ詩人でさえ、あまりの武威に震えそうになる自警団長殿の語りからしても間違いない。自分の子供でも褒めているような誇らしげな口調と、実演を交えた動きの見事さには口では語りきれない重々しい説得力もあった。
ただ、実に昂然として叔父がくれた手紙の冒険を語る――勿論、大事にメモをとらせてもらった――甥っ子殿が頻りに褒める魔法の腕前には首を傾げるばかり。
魔法を使う英雄も世には多いが、金の髪のエーリヒが魔法を使う描写は唯一知っている詩の中にはなかった。普通、生け捕りの報償として一〇〇ドラクマもの大金を与えられるような大敵を前に魔法という特別な強みを出さずして挑むだろうか?
話に組み込むのは少し難しいとは思う。一魔法を全く使わない英雄の物語に一人だけが魔法を添えて歌ったなら、それどこ情報だよと突っ込まれかねないのだから。
それでも、いつか使えるネタかと思いながら詩人は一言一句を逃さず、全て自分の肉に変えてゆく。
この隊商もいつか帝都に寄ることもあろう。ならば、真偽を確かめられる日もいつか来ようと期待して……。
【Tips】時に英雄の物語は詩人達が面白がって肉付けをした結果、地方によって全く違う内容に成り果てることもあるという。
「斯くして金の髪は財貨を手に入れ帰参せり。されど驕ることなく、彼の者は広く喜捨をし武勇に寄らぬ賞賛を得、今の彼の地で冒険を続けている……」
とある吟遊詩人が熟れた調子で英雄譚を歌い終えた。野営地の焚火を囲み、奇しくも彼の故郷にて同じ物語が語られている頃に。
まばらな拍手は少ない聴衆、野営の暇つぶしに聞きに来たものばかりだ。
見張りの担当から外れていて時間のあった護衛、特にやることもないので聞きに来た雑用係などは適当な暇つぶしになったと言いたげで熱を感じさせる反応ではない。
しかしただ一人、一番熱心に聞き入っていた青い肌が特徴的な巨鬼の男性は嬉しそうに手を大きく打ち鳴らしていた。
鋼色の髪は南方の巨鬼部族に多い髪色であり、東方や西方の部族には見られない形質だ。古びた巌もかくやの荒い造詣の顔と、焚火を反射して黄金に輝く三白眼は頭二つ抜けた長身もあって聴衆の中で凄まじく目立っている。なにより彼が異質であるのは、本来単独で行動することのない巨鬼の男性が一人部族を離れて隊商に加わっていることであった。
されど相乗り賃を出すのであれば文句はない。上背が二mもあり、ヒト種数人分の力仕事を一人でやれるとなれば事情など隊商主にはどうでもいい。
たとえ彼が更なる異質として武具を――見るからにヒト種向けの物を無理矢理体躯に合わせて引き延ばしている――持ち歩いていたとしても。
「おや、聞き逃したかな?」
身内の演奏であってもと義理で投ぜられた僅かな銅貨を集める詩人の後ろに一人の影が立った。
「あ、先生。ちょうど終わった所でさぁ」
とても美しい男性であった。豊かに伸びた長身は良く育った杉のように見栄えが良く、しかし大仰ではない肉付きがある種中性的な男性美を作り出す。また、ほっそりとした首が頂く顔は甘く整っており、秀でた眉が縁取る意志の強そうな琥珀の瞳が溌剌と内に秘めた自信を燃やして煌めいている。些か癖の強い黒髪をきちんと髪油で撫で付けて整えている姿は、よくよく観察せねば性別を誤る妖しい美を醸し出していた。
舞台の上で注目を一身に浴びるのが似合いといった風情であるが、簡素なローブに身を纏い、自身の上背にも等しい長い杖を抱く姿は彼が魔法使いであることを現していた。
巨鬼の男性と同じく、少し前に西方へ行く隊商に相乗りした魔法使いであった。巡検の途上にあるという、古杉の長杖を銀の鷹で飾った魔法使いはお客様待遇で隊商に迎え入れられた。中継地点であるエンデエルデで降りてしまうことを惜しまれながら。
そんな彼は吟遊詩人の詩を好み、暇があれば聞きに来ることで知られていた。今は隊商主から頼まれて壊れかけた馬車の車軸を魔法で直していたため、奏でられていた“金の髪のエーリヒ”の物語には遅れてしまったようだ。
「魔法使い殿、よろしければもう一度やりましょうか?」
以前、初めて聞かせたこの詩をいたく気に入られ、銀貨をおひねりとして頂いたことをめざとく覚えていた詩人は再演を提案する。しかし、焚火の近くに腰を降ろした魔法使いは小さく首を振って誘いを辞した。
「いや、構わないよ。僕のために同じ詩を聞かせられては周りも飽きるだろう。別のを頼むよ」
懐から取り出した手が弾き飛ばす大判銅貨を受け取り、景気の良いおひねりに気をよくした詩人は機嫌良さそうに六弦琴をつま弾いた。では、今度は皆様おなじみの古典を一席といって、帝国において愛される物語を吟じ始める。
「良かったんですか? 先生」
「ん? まぁね」
巨鬼の男性は隣に腰を降ろした、行き先が同じである魔法使いに小声で聞いた。彼もまた、金の髪のエーリヒの物語を気に入り、逸話の一つを聞いて地の果てことマルスハイムを訪ねようとしていたが故に。
「これから本場に行くんだ、幾らでも聞けるようになる」
「はぁ、まぁそうですが……」
「それに、君は金の髪の“剣友会”に参加したいんだろう?」
流し目の問いに巨気は応と答え、嬉しそうに語った。
西方の辺境域において謳われる“金の髪のエーリヒ”は一つの氏族を率いているとされる。
その名を“剣友会”。彼の腕に惚れ込んだ“幸運のジークフリート”が教えを請うたのを始まりとし、以後彼の清廉にして広い懐に憧れた若人が稽古を望んで始まったとされる剣の氏族だ。
この巨鬼、本来であれば部族の中で平時には雑事の全てを請け負い、戦場においては補助兵として矢玉や槍などの消耗品を運ぶはずの雄性体は、この剣友会に参加することを目的として西方に足を運んだ。
語られる物語の一つに、ロランスなる高名な巨鬼をして“我が鬼神”と讃えるほどの腕前と賞するものがある。悪逆の騎士討伐を前にして行われたとされる功績を称える詩に何か感じるものがあったのか、彼は自らの行き先を西方に定めた。
活動の地であれば更に詩人の活動は活発であることだろう。こと本人がその地で動いている以上、話の種には事欠かないのだから。
しかし、と一つ前置きして、特筆することのない腕前の詩を聞きながら若き魔法使いは懐から紙巻きの煙草を取り出した。優しく甘い匂いがする香草と薬草を混ぜ合わせ、漂白されぬ安い紙で巻いたそれは彼の手製であろうか。
「物語に憧れるのは結構だが、入れ込みすぎるのはよくないよ。憧れと理解とはまた違うことだ」
「へぇ……?」
巨鬼は学者先生は難しいことを仰るとばかりに首を傾げる。英雄の姿に憧れて剣を習いに行くことと、理解になんの繋がりがあるというのか。
「憧れは虚像を作り出す。いずれ“こうかもしれないなぁ”という幼い感情が“かくあるべし”と歪めば破綻に通ずる。よく聞いて、しかし実際に見て感じたことを大事にするべきだ」
「はぁ……」
甘い香りの煙に乗せて吐き出される言葉は、正直自分の名前も書けない彼にはよく分からなかった。そもそも帝国語にしても難しい単語を使われると意味が分からなくて困る。巨鬼は流浪の部族を作る故に複数言語の会話を習得するのが常であるが、彼の母語は南内海の方の言葉であるため帝国語は田舎言葉で少ししゃべれるくらいでしかないのだ。
「ふむ……まぁ、また時間のある時に来たまえよ。帝国語を教えてあげよう。代わりに南の言葉を教えてくれると嬉しい」
「おお! 本当ですかい、先生! ありがてぇこってす! 俺にできるこってしたら、それ以外にもなんでも言いつけてつかぁさい!」
態度から自分が伝えたいことの本質……というよりも意味が伝わっていないことを察した魔法使いは、ある意味において無垢で妙になつっこい巨鬼に教えを授けてやることにした。
「それはいいとして、先生はよしてくれたまえよ。僕はまだそう呼ばれる身分ではない」
「でも先生は先生でさ。魔法を使えるお偉いお人は“先生”だって隊商主もいってらしたぜ」
だとしてもさ、と謙遜する言葉には、恥ずかしさを打ち消そうとする細やかな抵抗が滲んでいた…………。
【Tips】隊商に随行する魔法使いが居ない隊商は、時に金を払って魔法使いに随行してもらうこともある。
かつてない感想の数に驚きながら、更新が遅くなって申し訳ない。
3巻作業をしていて時間がかかりました。
また五万文字くらい加筆しましたよ。
しかし、一体何カ君ちゃんなんだ……。
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