青年期 十八歳の春 二
何故こんなことになった、と詩人は重い唾を飲み込んで冷や汗を垂らした。
彼は隊商に付いて回り、雑用をすることで日々の食事を賄いながら行く先々で演奏する吟遊詩人である。正直に言えば腕前はまだまだで、自分でも持ちネタが少ないと思いながら日々を生活と練習に費やす若人だ。
いつかは聴衆を満帆に集めた劇場で一心に注目を浴びながら一人会を……などと夢を抱いてはいた。
しかし、立ち寄った西方でたまたま耳にし、「おっ、いいな」と思って模倣しただけの詩でここまでの目に遭わされるとは思ってもみなかった。
詩人は今、荘の集会場の演台に座らされていた。目の前で開演を今か今かと待つ満座の聴衆は、立って動ける荘民が全員出張ってきたと言われても疑わぬほどの密度。しかも贅沢に酒や食い物が振る舞われており――何やら壮年の男性と若い男が紙切れを僧に渡して酒を用意させていた――実に賑やかだ。
たしかにいつか数百人の観客を前に一席打ちたいとは思っていた。だが、こんな突発的に、しかも訳の分からないシチュエーションでやりたかった訳ではないのだ。
主人公の名を上げた後、荘民に詰め寄られ本当にケーニヒスシュトゥールのエーリヒなのかと凄まじい勢いでで詰問を受けた。金の髪と子猫のような青い目、簡素な長剣を佩き盾を持つ煮革鎧を着た軽戦士と知っている限りの情報を告げれば、彼らは口々に間違いないと叫び、方々に散って今の席が整えられる。急に客を奪われた露店市の店主勢から、後で詰められるのではないかと不安になる勢いであった。
一体だれが想像できようか。商売の途上、特に意識せず立ち寄った地が持ちネタの英雄の生地であり、更にその地に彼の物語を持ち込む第一号になるなんて。隊商の末端は次に訪ねる荘の名など気にはしないし、もし知っていたとして差して意識はしなかったろう。精々地元の英雄ならウケがいいかなと考える程度。
神のお導きのような偶然に目を回しながら集会場に連れ込まれれば、名主から大判の銀貨を握らされて最初から最後まで通しでやってくれと頼まれる。否といったら逆さに吊すぞ、と言わんばかりの剣幕に、まだ年若く経験の足りぬ彼は餌を啄む鳥のように首を上下させることしかできなかった。
「さ、始めていただけますかな」
笑顔で酒杯を手にした名主に促され、おずおずと詩人は六弦琴を手に取った。
ええいままよ、どうあれ仕事は仕事だ。こうなれば出来る限りの技量を尽くし、観客を沸かせば良い。いつかやるなら、今日やったとて同じことなのだから。
「ええ、では今からお聞かせいたしますは、西方にて語られ始めた最新の英雄、金の髪のエーリヒのお話にございます」
「いよっ! 待ってました!!」
正直、彼もこの話に詳しい訳ではない。マルスハイムにて名高い詩人が著した英雄譚であり、一年前から方々に広がり始めたとしか知らず、題材になった事件自体も二年近く前の出来事であるらしい。
電信もないこの時代であれば、辺境発の物語が伝播する速度としては遅くも無く早くも無くといった所。本場ではシリーズ物になっているのやもしれぬが、詩人はこの一曲しか知らなかった。彼が知る理由となった詩人も又聞きの曲を模倣したに過ぎないがために。
続きを聞かせろと詰め寄られたら困るなぁ、と思いつつも語りは広場で進めた所にまでたどり着く。
「みやれよあれを、黒き悍馬に跨がりし金の髪を靡かせる英傑を。馬上にて弩弓を放ち、邪悪の旗を穿ち暴虐に果敢に立ちはだかりしはマルスハイムの冒険者、ケーニヒスシュトゥールのエーリヒ」
名を出した瞬間、聴衆からの歓声が上がり「待ってました!」だの「よっ、大統領!」だのと合いの手が上がる。いつから俺の出し物は一人舞台や演劇になったんだと思いつつ、折角盛り上がっているのだからと水を差すこと無く詩人は続きを歌い上げる。
「聳える邪悪と比すれば小兵としか呼べぬ痩身なれど、剣を抜き放ち竿立ちになった馬より檄を飛ばす様は見る者の闘志を掻き立てる。おお、聞けよ響き渡る雷鳴に劣らぬその檄を。見よその恐れを知らず義憤に燃ゆる猛き背を」
おじちゃんかっこいい! と最前列にて齧り付きで聞き入っていた少年の驚喜。両手を渾身で握りしめ聞き入る一団を見るに、この“金の髪のエーリヒ”の同胞であろうか。単なる偶然に過ぎぬが、凄いところに来て、凄い偶然で曲を選んでしまったものだ。
「折れるな者ども! 古里の家族を想え! 絶望も諦めも墓穴の内ですれば十分に過ぎよう! 戦列! 生きる意志のある者は我に続け!!」
詩人は英雄譚というよりも軍記物のような台詞だと聞いた時には思ったが、これで萎えかけていた戦意を掻き立てて冒険者と護衛が戦う覚悟を決めたのだから大したものだ。最前に飛び出して挫けかけた士気を立て直した英雄は、自らの旗印を矢で怪我されて真っ赤に怒り狂った悪逆の騎士へまっしぐらに駆けてゆく。
自身も愛馬に跨がり直し、打ち破られた獅子人の亡骸を蹴散らしてエーリヒへ突撃するヨーナス。一騎打ち再びの展開に場の空気が引き締まるのが分かった。
「天を揺るがす剣劇の音、見るに恐ろしき戦槌は、鋭く磨き上げられし白刃にいなされ空を切る! その名は“送り狼”。礼を示し庇護を求める者を故郷へ送り、非礼を為す悪漢を討つ正義の刃!」
聞いたかと非常に興奮して隣の息子と思しき男の肩をバシバシ叩く初老の男。なにやら展開よりも剣の名前に反応しているようだが、何かあったのだろうか。
「絡み合うように二騎の騎手は幾合も激しく打ち合う! 上段、下段、いなされる戦槌より火花が散り、ついに金の髪の剣が悪逆の騎士に届く! 兜の面覆いが歪んで跳び、額を割られしヨーナス! しかし、奴儕は姑息にも騎手同士の戦いで避けるべき乗騎へ魔の手を伸ばしたではないか!」
場は盛り上がっているものの、詩人には小兵の剣が戦槌をいなせる理屈がよく分からなかった。普通、重さに負けて獅子人のように潰されるのでは無いか? と思わないでもない。もしかして、馬上戦闘の下りは展開のための創作ではないかとの考えが脳裏をよぎる。
「おおしかし、その抵抗も堂々と打って立つ英傑の前には儚き足掻き! 身軽な英雄は槌を払えば、怒りのままに飛び上がりその胸に強烈な蹴りを見舞った! 無様に地へ這いつくばる悪逆の騎士! 対し宙にて蜻蛉を切って愛馬に戻る金の髪!!」
まぁ、吟遊詩人は夢を売る商売だ。どれだけ派手だろうが、どれだけ過剰だろうが客が盛り上がるなら文句はない。果たして鎧を着込んだ痩身の男が一息に鐙から足を放し、跳び蹴りに移れるかは疑問が残るが喜色溢れる歓声の前では意味のないものだ。
一騎討ちに敗れた騎士。しかし往生際が悪い彼は、頭目が敗れたことを信じられぬと見ていた配下に攻撃を命ずる。はっと気を取り直し、頭目を支援せんと配下が攻撃を加えようとしたが、それを遮る者達があった。
「悪逆の騎士が従える弓手が主人を扶けんと矢をつがえる。だがしかし、その矢が金の髪を揺らすことなし。丘陵の影より現れし金の髪の盟友が卑劣な横やりを力強く打ち払う!」
なんとも用意の良いことに金の髪のエーリヒは同じく仕事に参加していた盟友を回り込ませていたのだ。どうせ一騎打ちに勝ったところで、このような悪行に手を染める悪漢が「参りました」と武器を捨てる筈も無し。勝った後のことを考え、勝利をより完璧な勝利にするべく備えていた。
「金の髪が駆る愛馬の兄弟馬に股がりしは、彼が一党の盟友“幸運のジークフリート”! そして、その後席に掴まり、邪なる射手を精妙なる射撃で撃ち払うは亜麻色の髪も麗しき蜘蛛人の乙女“音なしのマルギット”!」
蜘蛛人の名を出した時、女衆が集まっている一角から黄色い声が聞こえてきた。何事かと目線をやれば、まだ若い女達が手を取り合って騒いでおり、妙に派手な格好をした同じく蜘蛛人の女性が酷く痩せた男性の首に飛びついているではないか。
模倣した詩でしか知らないのだが、彼女もこの荘出身であったのだろうか。
「たった一騎、されど友に劣る事なき勇気で突貫するジークフリートの剣が閃き、悪しき者に従いし奴儕の命脈が絶たれる! 勇敢なる騎兵の背に悪意を向ける者もまた、その目を瞬きの早さで矢を放つ乙女に射貫かれて頽れた!」
いよいよ物語の盛り上がりは最高潮、後陣の射手が打ち倒されてヨーナス・バルトリンデンの戦陣は崩壊しつつある。その最中、隊商の後列から更なる援護の手が差し伸べられた。
「怖じ気づき、歩みが止まる悪徳の戦列を俄に襲うは馬車の上より投ぜられし魔法薬! 忘れるなかれ、彼らの中には“若草の慈愛カーヤ”の守りがあることを! 秀でたる魔女が精製せし目くらましの魔法が戦列で弾け、忠誠を捧げるべきを誤った騎手が馬上より落ち、歩卒は槍を取り落とす!」
魔女が使ったのは複数種の刺激が強い薬草から成分を抽出した魔法薬で、素焼きの入れ物に入れて投じれば、着弾先にて瞬く間に広まって効果範囲にある者の鼻目を潰す。こればかりは鎧を纏おうが秀でた剣術を身に付けようが躱しようのない恐ろしい攻撃だ。こんな悪辣な魔法薬を作り出す魔女に“慈愛”の名を与えるのは歌ってる側としてもどうかと思ったが、盛り上がった観客は気にならぬようであった。
「さぁ、立てよ我らが剣の友よ! 一息に押し崩せ! 今こそ勇気を見せるとき! 命を賭けるに値するは今なるぞ!! 鋭き鋼の牙を天に掲げる英雄の号令に、横列を組んだ冒険者の応じる声の猛々しきこと! 地平に響き渡る鬨の声! 踏みならされる足音は一糸乱れず高らかに! 並ぶ穂先はきらびやかに! ただの一当て、正しき者の刃の下に悪漢達は刈られる藁の如く倒れ伏す!」
怯えていた護衛達が統制を取り戻し、即席の戦列が野盗の軍を踏み散らす。目を潰された兵卒は抵抗も出来ず全身を刺し貫かれ、騎手も馬が混乱し動けぬところを集られて引き摺り倒され、命乞いする間もなく首を捌かれる。
図式があっという間に引っ繰り返った。
されど、しぶとく諦めが悪いのが悪党だ。金の髪が仲間に指示を出す間に何とか立ち上がった悪逆の騎士は槌を取り上げ最後の抵抗を試みる。雑兵など何人居ても同じだと。貴様さえ潰せば終いだと忌々しき冒険者に躍りかかる。
対する金の髪は馬上で徒の、それも馬さえ叩き潰せる得物を持った相手に騎乗したまま戦うのは不利と見たのか――そもそも、足を止めた騎兵とは脆弱なものだ――さっと飛び降り、今度は地面での斬り合いに挑む。
「おお、一度敗れ地に塗れど、数多の誉れある騎士と冒険者を屠りし悪逆の騎士の腕に陰り無し! 槌は暴風の如く吹き荒れ、地を削り、大気を薙ぎ払い恐ろしげな音を立てて襲い来る! 一度触れれば肉体が木っ端と散華する暴威の前に立ちはだかれた者は未だなし!」
最後まで強敵は強敵のままで。弱い相手を屠っても盛り上がらぬ。一気に空気を熱するように六弦琴の旋律はかつてなく高まり、奏者の指が熱を帯びるほどの調子に達する。
「だが、未だ無かろうが“今この時”には関わりのないこと! 盾を持ち、剣を構える金の髪! ただの一歩も退くことはなく! 恐れの欠片も笑みの浮かぶ顔に滲むこと無し! 死を前にして微笑むことのできる戦士が携える、勇気という無二の武器の前では義の無き槌がなんとする!」
紙一重で一撃浴びれば致死の攻撃を躱し、隙を伺う軽戦士は戦わぬ者からすれば正気とはいえぬ存在だ。人は死ぬのが恐ろしいから重い鎧を纏い、幾重にも着込みを重ね、神の加護や魔法の防護に縋る。
しかし、軽戦士はそれらの守りを“殺すためには邪魔だ”としてかなぐり捨て、致命の一撃を叩き込む一瞬のために見向きもしない。煮革の鎧と帷子では気合いの入らぬ斬撃、勢いが死んだ矢、威力を失った砲弾の欠片くらいしか防げまいに頼りなさなど感じさせぬ自信を抱えて危険に身をさらす。
その有様は、端から見れば勇者と映るか、狂人と映るか。
全ては結果が左右する。
勝てば勇者、負ければ身の程を弁えぬ愚か者。
さぁ、ここからだ。詩人は腹を括って最も難しいパートに挑む。
聴衆が飛ばす声援、野次を聞きつつ最高に高まった旋律を……敢えて一度ぱったり止める。
そして、数拍の後に最高に盛り上がる上り調子の乱れ弾き。複数のコードを行き来する運指は余りに難しく、作曲者から煽られているようにも感じられるほどだ。お前に俺の曲が弾けるのか? と試されているようなそれを詩人は普段無理なく弾けるよう易化して退いていた。模倣した詩人は無理して退き、音を濁らせていたのを格好悪く思ったからだ。
されど、今日はなんだか弾けるような気がした。まるで詩歌神の加護を受けたように“いける”という気が沸々と湧いたのである。
「嵐の前にただ一度白刃が閃いた! 短き裂帛の声! 無為に荒れる嵐の前に、武とはすなわちこれそのものと言わぬばかりに研ぎ済まされた一刀が差し込まれる! そして、ああ、そして見よ! 空を彩る赤き血潮! 数多の命を奪いし不義の右腕が血錆の槌諸共に宙を舞う! 果敢なる勇者の前に不義の騎士は討たれたり!!」
英雄譚における最高の一瞬、倒されるべき敵が倒されるして打ち倒される一幕。聴衆は喜びに沸き、酒を呷り、いや勢い余って酒杯を投げ捨てて歓呼の叫びを打ち鳴らす。
「悲鳴を上げ地に伏す不義の騎士! その首に剣を突きつけ、金の髪は勝利を叫ぶ! 和には死なさぬ! 汝、その身を以て悪徳の代価を払い、踏みつけられし民の苦しみを知るがよい! さぁ、鬨を上げよ! その名を叫べ! 辺境を悪行に震え上がらせし暴虐の騎士に終わりを運んだ英雄の名を!」
本来は詩人が歌うはずのエーリヒの名を何度も呼ぶ部分は、誰に言われるでもなく聴衆が引き継いだ。これほど盛り上がった演奏が未だかつてあっただろうか。最初は躊躇い、言われるがままに弾き始めた詩人も喜びを覚える。ああ、いつか地元の恩恵など受けずとも、自らの腕一本で聴衆をこの領域にまで持っていってみせると新たな誓いを立てるほど。
しかし、この名を呼ぶのを止めてくれないと、エンディングに入れないのだが。興奮が冷めやらず騒ぎ続ける聴衆に付き合い、根気よく六弦琴の旋律をループさせながら詩人はどうしたものかと頭を悩ませた…………。
【Tips】吟遊詩人の詩は本来合いの手などを乗せる文化はない。
未だかつて無い感想の数と詫び経験点の要求に急いで書き上げました。
3巻作業あるのに!
ということでLv1ファイターにぶつけられる地方ネームドエネミーの図。実際にやられたらちょっとGMに正座してもらって全員で囲んでお話する案件。
ジークフリートも援護はつけて貰ったとして慣れない馬に乗らされた上、単機で迂回して後衛に突貫を駆けるという、下手すれば矢でヤマアラシみたいにされる難行を強いられたのでご褒美で詩に出して貰えた模様。よかったね! 故郷に錦を飾られるよ! 尚、改名のせいで通じない模様。




