青年期 十五歳の晩夏
ちゃらちゃら音を立てる小銭の数が増えてくるにつれて、名前を覚えられることも増えた。
それは同業者組合の受付に陣取る活気溢れる女史達であったり、雑役人夫めいた仕事を共にする同業者であったりと色々だが、すれ違うときに片手を上げて挨拶する人間が増えるのはいいことだ。
「はい、今日の報酬だよ」
「ありがとうございます」
コラリー女史がカウンター越しに寄越すトレーの上には大銅貨が三枚乗せられていた。
三件の近場で片付けられそうな依頼の報酬、しめて七五アス。来たばかりの頃と違ってコツを掴み、地理を覚えたので効率よく稼げるようになったものだ。
「しかし、勤勉だねぇ坊やは」
「そうですか?」
トレーの上に銅貨と一緒に乗せられていた、報酬受領の確認証に記名しているとコラリー女史が掌で木片を弄びながらそういった。
六桁の数字と記号が振られたそれは、依頼達成の証拠となる割符である。
組合は依頼の受諾と共に報酬を先払いで受け取っており――証文を使った後払い方式もあるそうだが――代わりに割符を発行する。それが受諾の証明であると同時に、依頼が達成されたという証拠にもなる。
我々は依頼を出した顧客の下へ赴いて仕事を行い、十分な成果を提供した後に割符を受け取る。そして割符を組合に提出すれば、組合の手数料である二割をさっ引いた報酬が支払われるわけだ。
なんだか派遣バイトみたいなシステムで冒険者感が薄れてしまう手法だが、合理的なのでちょっと酸っぱい顔をして我慢している。報酬を払った払わなかったは勿論、後で割に合う合わないの話が出てくるので顧客と冒険者が直接金銭のやりとりをすると碌なことがないのだから仕方ない。
むしろ、ここまでやってくれなければ同業者組合が存在している意味が薄くなってくる。
なんと言っても組合は単なる伝言板ではない。管理仲介組織にして信頼を担保するために存在しているのだから。
「きっちに三日に一日だけ休んで、後の日は真面目に働いてる。しかも近場で纏めて片付けられそうな依頼があれば固めて受けて、雑な仕事もしないときた」
別に普通のことではなかろうか。いわゆるお使いゲー的な仕事も多いのだから、近場で片付けられそうなミッションを纏めて受諾し、移動を最小限に片付けるのはゲームでも仕事でも基本的なことだ。
なんといっても我々はマップをつついたら一瞬で現地到着、なんて離れ業はできないのだから、日銭を考えれば効率的に動かなければならないのだし。
「それに今のところ、失敗もないしねぇ」
「二回ほど割符を貰えなかったことはありますよ?」
「それは失敗の内には入らないよ」
それに全て完璧に達成してきたわけでもない。まぁイチャモンみたいなものだが、仕事の出来映えにケチをつけられて割符を貰えなかったことが二回ある。一回は荷物運びの仕事だが、運び方が荒かったと言われて怒られたし、もう一度は外壁補修の補助で仕事がすっトロいと文句を言われて駄目だった。
報告すれば報酬は貰えたけれど、説得しきれなかった以上はTRPG的には失敗と言えるだろう。
まぁ、仕事の出来にイチャモンをつけて依頼費用をケチろうとする不届き者は絶えないので、組合もその辺には目を光らせているのだが。割符を貰えなかった時は報告し、仕事の成果を確認してもらった上で後日に沙汰が下る。そして、組合が十分に仕事を果たしたと判断した場合は割符がなくても報酬が貰えるのだ。
私達に開示されることはなかろうが、我々が評価されるのと同じく依頼主も評価がされているのだろう。明治期の銀行みたいな風情だなと最初に来た時思ったが、こんな所まで銀行めいているのは少し面白かった。
「評判もいいし、こりゃ相当に早く煤が落ちるかもしれないねぇ」
「えっ、本当ですか?」
「具体的にいつ、とはいえないけど期待してもいいと思うよ。可愛らしい相方のお嬢ちゃん共々ね」
これは嬉しいことを聞いた。
煤が落ちる、というのは煤黒から昇級することの慣用表現だ。新人の泥が落ちて綺麗な赤になるという意味だろう。
なら、これからも精進せねばなるまい。
私はコラリー女史に礼を言って受付を辞した。今日はもう三件も仕事をこなしたので、まだ陽が傾くまでに随分と時間はあるけど引き上げるとしよう。
マルギットは荷物を持って先に宿に戻っているから、ちょっと摘まめる物でも買って帰ろうかな。成人したとはいえ、この体はまだまだ成長期、直ぐに腹が減って仕方が無いのだ。
いやはや、肉体労働とは大変なものだな。学生時代、文化部だった私には運動部の友人が常時菓子を持ち歩き、帰りの買い食いで特盛りの牛丼をぺろりと飲み込んだ上で夕飯まできっちり食べられることが理解できなかったが、今では“おやつ”と称してデカいカップ麺を平らげていた彼らのことがよく分かる。
ああ、あの体に悪そうな油の味が恋しい。
無い物ねだりをしても仕方ないので、現実で手に入るもので我慢するしかないのだけどね。茹でた腸詰めにしようかな、最近美味いのを仕入れている屋台を見つけて気に入っているんだよな。
などと暢気なことを考えて道を歩いていると、組合前の広場で行く手を遮られた。
相手の数は三人。ヒト種が一人と人狼が一人、そして鼠鬼が一人の組み合わせであるが、全員纏っている物は襤褸の寄せ集めで、浴場にも行っていないのか顔に垢が浮いており大分汚らしい。
有り体に言って下級冒険者として、実にそれっぽい風体であった。
「お前、財布返せ」
急に現れた彼らに何事かと問う前に、舌に熟れていない片言の帝国語が投げつけられた。三人の真ん中に立っている人狼がリーダー格であろうか。
「財布? 誠に申し訳ないのですが、全く身に覚えがございませんが」
「知らない、ない。俺の仲間、何人もお前、やられてる」
何言ってんだコイツと素で首を傾げたが、よく考えたら思い当たる節は幾つかあった。財布をスろうとする阿呆からスり返していることか。
つい先日、記念にもならないがスリ返した財布が三十個を越えたところだ。何やら機会が増えた気がしていたが、身綺麗にしている以上に狙われていたようだ。なるほどね、スり返すものを持たず挑んでくる野郎が現れたのも、このせいか。
割と当然のようにやられたらやり返しているが、これは公権力が下々にまで届かないこの地においては至極普通のことだ。むしろ自力救済を禁じられれば、後は奪われるだけになるのだから誰に誹る権利があろうか。
ましてや、やり替えされて文句を言いに来るたぁ随分と気合いの入っていないことよ。
「ですから、再度申し上げますが身に覚えがございません。何か証拠が? 逆さに振っても財布なんて自前の物しか出てきませんよ」
それでも公権力は使える時は使うものだ。私はさも悪いことなど生まれて一度もしたことがございませんが? という朗らかな笑みを慇懃な宮廷語に添えて返す。
すると、人狼の鼻に皺が寄った。彼らの種族特有の不快を示す表情だ。
「黙れ、ガキ、漂流者協定団、なまるよくない」
実にありふれてつまらない脅し文句が出てきた。あと、なまるではなく、ナメるではなかろうか。
漂流者協定団、というのはケヴィンから教わった“アレ”な氏族の一つだ。市壁の外側、掘っ立て小屋や天幕を立てて暮らしている流民の冒険者が組んだ徒党であり、取られるアガリが多いと聞いていた。
生活基盤が弱い流民が金を持っていなければ何をするかは、深く想像を巡らせるまでもなく察することができよう。
なるほど、市壁内部を彷徨っている見窄らしいスリは、こいつらの一部なのか。となると犯罪組織よろしく、縄張りで行われる犯罪行為の上前も掠めてそうだな。
「明日まで、盗った金返せ、全部で金貨一枚」
ははっ、随分と大きく出たな。反射的に零れそうになった乾いた笑いを抑えるのに少し苦労してしまったよ。
何が金貨一枚なのやら。ふっかけるにしても限度があろう。今まで貰ってきた財布の中身を全部足して、その上で倍にしたってその半分にも満たぬというのに。
されど、相手が無法を通そうとしているからといって、私まで無法を働いて良いわけもない。昇級できるかも、と言われた直後に昇級を棒に振るようなことをしたくない。
「三度目ですが申し上げましょう、貴方方のお仲間の財布など知りません」
あくまで合法的に行こうじゃないか。カッときてぶちのめしたり、口汚い言葉で煽り返すのは簡単だ。かといって一瞬スッキリするため、こんな見るからに小物な三下を相手にしたがために評価を落としちゃいられない。
はっきり言えば割に合わん。
「どうしても財布を取られたと言いたいのであれば、いつでも訴え出ればよいではないですか。幸い、直ぐそこに組合もあるのですからね? 時間外の看板が出ているようには見えませんが?」
やや大仰な仕草で組合を示せば、三人の気配が剣呑さを増すのが分かった。訴え出られる筈がないと分かっているからだ。
犯罪というのは証拠があって初めて犯罪になる。身元もしっかりしていて組合からの評価も高いと思われる新人に、札付きに近いチンピラがスリを訴え出て誰が真に受けよう。実態として私もスリ返しているので厳密には罪を犯しているといえるけれども……さぁて、一体どうやって証明してくれるのでしょうか?
なので、私は極めて合法的に振る舞うとも。非合法であるとは噯にも出さず。
ほら、APPが十八以上ありそうな邪神様の同位体も仰っていたじゃない。バレなきゃ犯罪じゃないんですよってね。
「では、失礼しますよ。仕事の後でお腹が空いているのと、ツレが待っているので」
するりと敢えて立哨の兵士が立っている方へ向かって立ち去ろうとする。これを相手にして得られる名誉も経験点もないのだから。
「お前、甘く見るな」
「お前の女、どうなってもしらない」
が……看過できない発言という物はある。
無意識に足が止まり、指が袖に隠してある妖精のナイフに伸びかけた。今日は荒事仕事ではないので武装はこれっきりだが、きっと“送り狼”をぶら下げていたら柄に手が伸びていたかもしれない。
脳裏に響くは歓呼の絶叫と軋る愛の囁き。私の赫怒に反応して“渇望の剣”が飢えの嬌声を上げていた。得物なら、ここにもっと良いのがいるじゃないと。
一度深く息を吐く。落ち着け、ここで刃傷沙汰は拙い。ましてや相手が札付きの悪ともなれば、今後に響く。手足の一本も切り落としてやりたいが、さっきも割に合わんと思ったばかりだろうよ。
……よし、落ち着いた。本当なら一服つけて頭を冷やしたい所だが我慢しろ。
この程度なら小競り合い、下っ端が出てくることはあっても組織全体を敵に回す程じゃない。むしろ、報告なんてしてないだろうさ。
スリの元締めにどうやって説明するのさ、スリである自分達が素人相手に遊ばれて、財布を盗られましたなんて。むしろ情けねぇと仕置きを受けるだろうから、落とし前をつけさせてからでなければ私の名前さえ出せまい。
安い挑発だ。本当に安い……。
「ああ、さっき気付いたんですが、言い忘れてました」
だから私も安い報復で済ませてやろう。
「靴紐、おかしなことになってますよ?」
吐き捨てるように言い残し、足早に広場を後にする。そんな私を彼らは追おうとするが、聞こえてきたのは転倒と苦悶の三重奏。
どうなるかと遠巻きに見守っていた周囲の人間は、不思議そうな顔で見ているのだろうな。
“互いの靴紐を結ばれて”無様に転んだ彼らの姿を。
<見えざる手>でブーツの靴紐を解いて結わえてやった。それもロープワークを駆使して死ぬほど解きにくい方法で。
彼らは一度学ぶべきだな、吐いた唾は飲めないってことを。そして、触れてはならない領域があると言うことを。
分かっているとも、マルギットが簡単にどうこうされる、見た目通りの可愛らしい少女ではないってことは。むしろあの程度の手合いであれば、あっという間に獲物が三つ転がっているだけだ。
しかし、できるできない云々の問題ではない。やるという意思を見せることが問題なのである。
さて、些か厄介なことになるかもしれないな。かといって大人しく財布をスらせてやる訳にもいかなかったし、防御しているだけでも目を着けられることは避けられなかったか?
もっと上手い対応があったかもしれないけど、起こってしまったことは仕方がない。
しかし、顔を覚えて貰うのはいいことだとさっき思った所だけど、いいことばかりとは限らないもんだな。関わり合いになりたくないと思った連中まで寄ってくるなんて。
少しどこかで一息入れてから帰るか。お茶でも一杯飲んで、煙草を一服つけよう。ささくれだった精神状態で難しい話をするものじゃないからな…………。
【Tips】三重帝国の刑法典において原告側が犯罪を立証できぬ場合、被告側を無罪として扱う。同時に被告側は完全に犯罪を犯していないことを立証する必要はない。
少し間が空きましたが更新です。絡んでくる三下を蹴散らすのは爽快ですが、経験点とか名誉点は入ってこないので微妙。
感想とRTをいつもありがとうございます。正直、どう広報していけばよいのか中々悩ましいですね。
というのも、また「ああ、ヘンダーソン氏の福音を書籍化してたんだ」との感想を見つけまして、もう半年以上になるのだがなぁ、と思った所です。




