青年期 十五歳の夏
荒れる息を抑え疾駆する。手足を振り回し、全身を一つの機構として完成させる。前に出る、着地する、更に足を出し続ける一個の機械として。
屋根の上というのは不整地の極みだ。屋根瓦が敷き詰められた誰かの天井である場所を地面としているだけあって、走るのには全く向いていない。瓦の作り出す段差は不規則でつま先と踵を遠慮無く飲み込もうとしてくるし、自然の悪戯で割れていたり接着が甘くなったりしている瓦は踏むだけで足を取る。
雨を流すためにとられた傾斜も絶妙に小憎らしく、ただ真っ直ぐ前に進むと言うだけの行為を困難たらしめる。平衡感覚が狂わされ、傾いだ靴底は十全に地面を捕まえることさえ適わない。
そして一度バランスを崩せば、傾斜がついた地面は正しい姿勢を取り戻すことさえ妨げるときた。今もまた気をつけて踏んだはずの瓦屋根が傾ぎ――おそらく基礎が腐ってやがるな――体が右に泳いでしまった。
腕を振って反動で上体を立て直し、踏み込む足を強引に左へ叩き付けて復帰する。少々無茶な動きをしたため脇や腿の筋が苦痛で苦情を告げてくるが、今それどころじゃねぇんだよと無視する。
やはり屋根の上というのはヒト種の世界ではないらしい。より優美で、軽量化が施された体を持つ種族の場所なのだ。どうにかこうにか真似事をすることはできても、秀でた者達と同じ動きができる筈もなし。
「おわっ!?」
そんな所を無駄に重い体と無様な二本足で走っている理由は一つ。追いかけねば成らぬ相手が逃げ込んだからだ。
その相手は今、屋根の上をぷらぷら歩いていた背の高い有翼人の脇をすり抜けていった。さっきから彼奴はこうやって私を挑発するように走りにくいところを駆け抜けて行きやがる。
「ちょっと失礼!」
「って、今度はヒト種か!? 無茶すんな落ちたら死ぬぞ!?」
買い物帰りらしい籠を抱えた猛禽系の有翼人から投げつけられるご尤もな心配に右手を掲げることで応えた。
そりゃそうだ、地上三階の高さは伊達じゃない。
高さは目算だが十五メートルはあるだろうか。下は石畳か土がむき出しの道なので、転落すれば普通に死ぬし、良くて全身の骨が粉末になる。全力で受け身を取ろうが、ヒト種の脆い肉体では軽減に軽減を重ねても痛手は避けられない。無常なGMであれば判定のサイコロさえ振らせてくれず、笑顔で新しいキャラ紙を寄越してくるな。
相手はそれを分かっていてここを選んだ。
追っかけてくるならお好きにどうぞ。ただし責任は自分でおとり遊ばせ。
そんな小馬鹿にした表情で私を見返し、時折ちらっと振り返って必死に着いてきていることを確認している。
ええい、なんとも恨めしい。野郎、ちょっとそこで待ってろ、必ずとっちめてやるからな!
奴はひょいと屋根と屋根の間を飛び越えていく。時には一歩分の幅もあるかも怪しい足場を中継にして、到底一息では飛び越えられない高みを跨いで。
私はそれに追いつくので必死だ。参った、この夏に次に上げるステータスを<瞬発力>か<持久力>かで悩んで<持久力>に振ってしまったから早さが足りない。いや、<精良>まで引き上げた持久力があったからこそ、今も無様ながら振り切られていないとみるべきか?
しかし美事な動きだ。私が動きにくいルートを一瞬で選んで走っているし、時折フェイントをかけて小回りが利かないヒト種の身を振り回してくる。だのに素晴らしい走りには疲れが一切滲むことはなく、緩急を付けた走りでスタミナを切らさない。
おのれ、帝都の連携に優れた衛兵や近衛猟兵相手に大立ち回りしてみせた私が子供扱いではないか。
「ふあっ!?」
必死に踏み出した一歩が盛大に空回った。見た目はなんてこともない瓦が着地と同時に前に滑っていったのだ。そう、緩やかな傾斜で地面へ誘う前方へ。
世界が横滑りし体に宿っていた慣性が乱れて体が泳ぐ。既に力は完全に乱れ、手足をどう振り回しても正しい位置へは持って行けない。
なので私は無駄な抵抗をやめて大人しく肩から屋根に転がり、瓦屋根を一枚犠牲にして滑り落ちることを避けた。代償として肩が泣きたくなるくらい痛むが、ごろごろ転がって地面に落っこちるよりは大分マシだ。血と砕けた骨が詰まった肉袋になるくらいなら、瓦を一枚弁償して痛い目を見る方がずっといい。
それに、こっちに来ればもう私の勝ちはなくとも……仕事の失敗は無いのだ。
「マルギット!」
「はぁい」
声を上げるが早いか、それとも彼女が応えるか早いか。追っていた相手が飛び越えようとしていた建物の狭間より腕が一本にゅっと生え、その首根っこを捕まえたではないか。
甲高い悲鳴、それは猫が上げる抗議の悲鳴を想起させる。
と、いうよりも猫の悲鳴そのもの、いやむしろ猫そのものが悲鳴を挙げていた。
「よーやく捕まえましてよ……」
マルギットの手に捕まえられたのは一匹の猫だった。黒や灰と茶色が絶妙に混じり合った錆色の猫は四本の足をばたつかせ、全身をのたくらせて逃げだそうとしているものの、より大きな獲物と格闘することもある狩人の手は小揺るぎもしない。
「あいででで……堪忍するんだな魚泥棒め」
そう、今日私達が受けた依頼は泥棒をした猫を捕まえることだ。そしてとある人物のところまで引っ立てるだけ。僅か二〇アスの日当欲しさに汗まみれになって駆け回った理由の全てである。
「申し開きはお白砂で聞きましてよ。ところでエーリヒ、肩は大丈夫でして?」
「あー、まぁ痛いけど平気平気、風呂に浸かってゆっくりしてりゃ直るよ」
回転を止めるため打ち込むように肩を叩き付けたが、加減をしたので今後の活動に支障がない程度の痛みだ。それに受け身も取ったので他の部分は無事である。
「あと、これも落としてないしね」
顎でくいと示した所には、元通り何事もなかったかのように瓦が嵌まっている。
ああ、下に落っこちていったら危ないと思ったから<見えざる手>で拾っておいたのだ。流石にこれで人死にやけが人を出したら割に合わないどころの話じゃないからな。
「私の相方は本当に気が回ること。さ、下手人を差し出してお駄賃をいただきましょうか」
「そうだね。痛みの対価というには実に細やかだけど」
軋む体を抱えて猫と共に地面に降りる。私は壁の凹凸を利用して少しずつ勢いを殺して降りているけれど、蜘蛛特有の“しおり糸”を使ってスルスル一息に降りられるマルギットが実に羨ましい。
さて、こんな見るにつまらないことが冒険者の仕事だ。
昨日は失せ物を探して一日街をさまよい歩いた。雑踏の中、泥や石畳につま先を突っ込んで落っこちた指輪を探すことの無為さといったらない。物の価値が良かったから五〇アス貰えたが、割に合うかは汚れた服を見ると微妙である。
一昨日は屋根の修理を手伝って、延々と瓦を抱えて方々を上ったり降りたり。こんなもん瓦屋か左官屋の仕事じゃなかろうかと思うけど、専門技師を雇うと冒険者の倍から四倍もかかるならケチりたくなる気持ちも分からんでもない。それでも日当は三〇アス、泣けてくる。
三日前は少し冒険者らしさが増して、酒場の用心棒……という名目で掃除や皿洗いを半日やった。一枚も皿を欠けさせず、きちんと拭って綺麗にすることで褒められる日が来ようとは思いもせなんだよ。因みにコレで一人頭一〇アスだ。
そして今日は猫を追いかけ屋根の上で追走劇ときた。世の若人にこれが駆け出し冒険者だと見せてやれば、肩を落としてさぞ重い息を吐くことであろう。
だが、それがいい。
実に充実した駆け出し冒険者ライフだ。私は中盤以降のレベルが上がり、準英雄級の名だたる怪物に喧嘩を売り、高名なダンジョンに押し込み強盗をかける展開も大好きだが、こういった序盤特有のカツカツ具合が本当に好きなのだ。
往々にしてリソースが少ない方がロールは盛り上がる。魔法一発撃てば解決する事態でも、低レベルのPCはMPが少ないためミドルやクライマックスを考えれば軽々には使えない。故に皆、頭を捻ってロールで誤魔化そうとする。
これこそがTRPGではないかと思うのだ。普通のゲームであれば、魔法を使わざるを得ない所で他の選択肢はない。されど我々には融通が利く人の形を取った神がいるため、割となんとでも出来る。
ちょっと踏み越えりゃ終いだろと言いたくなる段差に悩まされない世界のなんと素晴らしいことであろうか。
うんざりするような内容の仕事もかつての幻想を思えば楽しいもの。マルギットは多少辟易している様子ではあるが、三日に一度設けた休養日に一緒に遊んでストレス解消をして貰っているので大目に見ていただきたい。
ともあれかくあれ、疲れた体を引き摺ってやってきたのは市壁の際も際、再外縁に近い場所。
そこは端的に“ゴミ溜め”と呼ばれる、都市にて吐き出される汚濁の行き着く場所であった。
といっても不法投棄物が山と積み上げられた文明の業そのものを晒す場所ではなく、壊れた道具や屎尿集積人が市内からかき集めてきたゴミを集めている場所に過ぎず、名前の割に酷い匂いがすることもない。
ここは市内で出た不要物を一旦集め、再利用する前準備をする場所だ。
家財であれば修理出来そうな物は木工職人が安い金を払って持って帰るし、どうにもならない物は打ち壊して薪に代える。屎尿は肥桶に入れて寝かし――きちんと管理されていれば意外と臭くないものなのだ――肥料に作り替える下準備をする。そして一角に積み上げられている堆肥の山は、市壁の外で働く農夫にとっては同量の貨幣に等しい宝の山である。これを買い取るために大八車の群れが春先に大挙としてやってくるのが、この街の恒例行事であると聞いた。
都市とは一つの生き物である。中で出た物は無駄なく活用しなければ、腹に抱えた多くの生き物を養っていくことはできない。うむ、実に効率的かつエコでいいじゃない。
ここまでやっても最終的に処理しきれないものは、蓋をされた大穴に放り込まれる。それが行き着く先は帝都の下水に存在した汚濁を処理する強塩基性の粘液体だ。マルスハイムにもあの恐ろしき掃除人を株分けした個体が当然のように存在し、生きているだけで物を汚す我々の罪業を受け止めてくれている。
掃除夫や屎尿集積人――中には入れ墨を入れられた前科者も多い。恐らく労働奉仕の罰則なのだろう――の間を抜けて、私達は歪な“玉座”へと訪れる。
それは歪な構造物であった。壊れた家具やベッドを雑に積み上げて東屋の如く仕立てた、子供が夏休みの課題として稚拙に作り上げた木工細工のよう。
しかして、ガラクタの玉座に座するは一匹の大きな猫であった。
顔に黒いポイントがあり、堂々たるボリュームを誇るクリーム色の毛並みも美しい猫の名はロード・ルドヴィク。君主の称号を冠するのは茶目っ気で贈られたものではなく、文字通り彼がこの都市における猫の君主であるからだ。
「閣下、拝謁の栄誉に浴し光栄の極みに存じます」
「不詳、冒険者めが不徳の臣下をお連れいたしましたわ」
臣下の礼を取って大仰に接するのは何も悪ふざけをしてのことではない。猫というのは、三重帝国にとってそれほど価値があるものだからだ。
三重帝国の大きな都市では猫を保護している。彼らは衛生を乱す小さな害獣や虫を捕る掃除夫であるから。
猫が多い町と少ない街では流行病の数が全然違うというのは三重帝国成立以前より言われていることであり、小国林立時代にも猫を保護していた国は多くあるという。帝国もその慣例に則り猫を大事にしているのだが、それ以外にも理由がある。
それが彼らのような猫の君主の存在だ。
不思議と猫が都市部で数を増せば、一匹の偉大な猫が生まれるという。その猫は他の猫を統率し、良く遇すれば都市に益をもたらし、粗雑に扱えば大事な猫を連れて姿を消すそうな。
故に帝国においては公益のため猫の君主を置いて大事にし、彼ないしは彼女の臣下を丁重に扱う。なんといっても故意過失問わず、猫を殺せば三〇リブラの罰金刑に課せられるほどだ。ともすれば下手な人間より大事にされているともいえた。
私達がロード・ルドヴィクの前に錆猫を連れてきた理由は一つ。彼が窃盗の下手人を引っ立てることをご所望なさり、依頼を貼り出したからである。
猫の君主は何処の都市でも配下の猫たちにこう通達している。汝、店の商品を攫うことなかれ、と。
個人の物を掻っ攫うのは隙を見せた方が悪いのだが、猫の君主は大事にされる代わりに臣下である普通の猫に経済活動を行う店を襲うことを禁じている。
ただ、中にはこういった堪え性のない個体もいるもので、そんな猫は“おしかり”のために捕縛命令が出る。
そうして私達冒険者がたまに猫狩りにかり出され、屋根の上を馬鹿みたいに走り回らせられるのだ。
尾を抜いても体長が一mを下らない大柄な猫は、のっそりと威厳のある仕草で立ち上がると悠然と地面へ飛び降りて、マルギットの手に掴まった錆猫へと歩み寄った。
錆猫は大変怯えているらしく、耳は伏せられ、尾は丸まって股の間に挟み込まれている。ふぅと掠れるような威嚇を猫の君主はだからなんだと鼻で蹴散らし、目一杯顔を寄せた後……人間でも思わず「おぅ」となる凶相で錆猫を威圧した。
情けない声を上げて縮こまる錆猫を見て満足したらしいロード・ルドヴィクはくるりと身を翻して定位置に戻り、優雅に毛繕いを始めた。
これにて一件落着ということか。
マルギットが手を放せば、錆猫は火が付いた花火のような勢いで何処かへすっ飛んでいく。軽い仕置きのように思えるが、猫にとっては大変重い物なのだろう。これで彼も魚屋の目を盗んで商品をかっ攫いはすまい。
豊かな毛を撫でて、ふわふわした顔をこね回したくなる衝動を堪えて再度臣下の礼を取り君主の前を辞した。そんな我々に一瞥をくれることもなく、抱えた尻尾を丁寧に丁寧に毛繕いする姿は平常通り。
今日も猫は寝床にいまし、世は事もなしということか。
「これで二〇アスで、財布の中身は……」
「共用が三五アスになりますわね」
依頼料を受け取るため同業者組合に帰る道すがら、二人でとりとめのない話をする。仕事のことだったり、次の休日のことだったり色々だが、今日はとりあえず財布の話だ。
一人頭五アスの小遣いで共用財布に一〇アス入る。半日仕事でこれなら、午後にちょっと頑張るか、軽い買い物でもして自炊で生活費を浮かせるべきか。まだ自転車が倒れるほど財布の中身が薄くないとはいえ、気を抜くのもどうかと思う金額だ。
因みにマルギットが言った共用財布の中身は、この都市に来て以降の稼ぎだけを入れた共用財布だ。全額入れた共用財布と個人の財布は大事に鍵付きの箱にしまってある。
あんまり金を持ちすぎると気が緩んで中弛みしそうだと思ったので、率先して縛りプレイをしているだけのことであった。
ほら、日々の生活でも多少は縛りがあった方がメリハリもでるじゃない。私も前世だと収入に余裕はあっても一日千円までしか使わないとか、五階以内なら階段利用とかの縛りプレイをしてたし。
それに、駆け出し冒険者の羽振りがいいと、変なのに目ぇつけられそうでもあるしね。
「次の休養日は何か買い物でもしようか。ランタンの油とかを買い足したいし」
「いいですわね。私も髪をくくるリボンが傷んでしまって。後はピアスも新しく欲しいかなって」
「また増やすの? でも、耳はもう一杯じゃない?」
楽しい休日の話に移ってみれば――三回に一回は休養日に貯蓄から一人一リブラまで使って良いというご褒美を設定した――マルギットは自分の耳を弄りながらそういった。
ただ、私をして彼女の小さくて形の良い耳は大分ジャラジャラしているように思える。
丸い装飾や棒のようなシンプルピアスが多く、鎖で飾りをぶら下げるタイプの物は私と分け合った桜貝の耳飾りだけなのに――そういえば、最近めっきり揺れないな、この子――かなり渋滞気味に見えた。
無理ではないが、これ以上何処に穴を開けようかというのか。
「んー、悩ましい所ですけど……舌とか?」
「舌!?」
「あとはおへそとか」
「へそ!?」
「何を驚いていらして? お母様にはどっちもありましてよ」
あ、あったけど、そりゃ確かに最初に見たときはギョッとしたけど。また凄いところに開けようとしているな……。
「冒険者になった記念のを開け忘れていましたので、折角だし特別な場所に一カ所どうかと」
「いや……でもそれ痛くないの? 穴が安定するまで大変だって聞いたけど」
「お母様曰く、そこまで痛くないそうですわよ。舌なら口の中なので安定するのも早いみたいですし。ただ、腫れて暫く喋りづらかったとは言っていましたけど」
軽く言っているが、この辺りの価値観はやはりヒト種と蜘蛛人では結構違うな。市井のご婦人で耳にピアスをしている人はボチボチ見かけるが、寡聞にして舌やへそなどは一般的ではないはず。
何か大物狩りを成し遂げた暁には刺青も増やしたいといっていたし、その辺りの文化はどうにも馴染むのが難しかった。
まぁ、妖艶なのはたしかだ。童女にしか見えない彼女が大人の装いで身を飾るところは。
「それに……痛くてもエーリヒが開けてくださるなら我慢できてよ?」
ぞわっと尾てい骨の辺りから首筋まで這い上がってくる心地よい寒気と共に凄いことを言ってくる幼馴染み。荒事に浸り敵手の指とか腕を切り飛ばすのに慣れていても、幼馴染みの体となると全然違うんだぞ。
ただ……分かって言ってるんだろうなぁ、彼女は。
さて、なんと返すべきかと悩んでいると、不自然に肩をぶつけて通り過ぎようとしていく影があった。
襤褸の服を着たヒト種の男性だ。彼は謝罪もせず通り過ぎていき、そそくさと向かいの小路へ消えていく。
「またですの?」
「ああ、まただね」
溜息と共に問うマルギットに答え、私は懐から“二つの財布”を取り出した。
一つは何時も使っている私の財布。こっちに来てから買った、袋に紐を通しただけの粗雑な財布で、中身は僅かばかりの銀貨と銅貨だけ。
もう一方はより粗雑な麻の布を由来も知れぬ紐で縛った巾着の財布。開けてみれば、悲しくなるほど少ない銅貨が転がっているばかり。
ここ暫く頻繁に巾着切りに襲われるな。仕立てが良い服ではなくても、洗濯して風呂に入り身綺麗にしていれば金があると思われるのか数日に一度の頻度で遭遇する。それもこれも、後ろ盾のない冒険者の悲哀か。
ま、そんな慮外者には、ちょっとした授業料として襤褸布で包んだ石を押しつけて財布を貰っているので、別に好きにすればいいさと思っているけれど。
ちなみにこの小技に魔法は使っていない。伊達に<器用>を<寵児>に上げていないのだ。ちょっとした巾着切りの真似事くらいなら、専門技能がなくとも鼻歌交じりにやってのけるとも。
ふむ、夕飯を食うには心許ないが、お茶をポットに一杯もらえるかな。
「マルギット、組合に行く前にお茶にしない?」
「あら、素敵なお誘いね。謹んでお受けしますわ」
自分が財布をギられたことに気付いた阿呆が戻ってくる前に、私達も小路を通って塒に行くとしよう。そして女将さんの美味しいお茶で一服つけながら午後の予定を決めるのだ。
この平穏にして剣呑な時間が、実に冒険者らしくていい。
私は空しく音を立てる小銭を弄びつつ、言語化し辛い充足感を堪能した…………。
【Tips】刺青。針などを用いて皮下に紋様を刻み込む世界各地で見られる文化。三重帝国においてはファッションとしての刺青と、特定の紋様を用いた“犯罪者の証”である刺青は明確に区別される。刺青刑は一種の見せしめ刑であり、肉刑に処すほどの重罪ではないが軽微とはいえない罪への罰であり、主に窃盗、強盗、傷害を犯した者の目に付きやすい場所に入れられる。
冒険者のお仕事第一弾。
そして無意識に目をつけられることをするエーリヒでした。
誤字報告をいただけるのは大変ありがたいのですが、できれば誤字報告機能を使ってご報告いただければ有り難く存じます。
というのも、わぁい感想だぁ、と思って開いた所、誤字報告だけだと少し悲しい気持ちに成るので……。
ここ暫く更新を優先して誤字修正ができていないので、新しい更新に流されてしまうデメリットもございますので、お手数ですがご協力いただければ有り難く思います。
仕事とかが落ち着いたら、丁寧に直していく予定です。




