青年期 十五歳の初夏 十一
剥く。ただひたすらに。一心に野菜の皮を剥く。
隊商の手伝いをしていたことで慣れた作業だ。コツはきちんと刃筋を立てて、最初から最後まで筋を乱さないこと。そうすれば野菜の皮は最初からこうなるよう作られていたかのようにするりと剥ける。
しかし、青玉の冒険者がちょっと背中を丸めて野菜の皮を剥いているのって、思えば凄い光景だよな。
「下級の内はだね」
つるりと見事に人参を剥き上げ、それを籠に放り投げながらフィデリオ氏は訥々と語り始める。
「仕事といっても雑役人夫みたいなものばかりだ。屋根瓦を直して欲しいとか、飼ってた猫が何処かにいったとか、ドブの掃除をしろとかいったね。後は荷物運びや荷物持ちの依頼も多かったかな」
「まぁ、覚悟していましたが地味ですね」
別に最初からファンタジーの王道冒険者に憧れて組合証を受け取った訳ではないから、現実を突きつけられたって落胆はしない。きちんと前情報があれば、業界に入った時のギャップに打ちひしがれて退職願を手にすることもないのだ。
あ、この人参、ちょっとだけ悪くなってるところがあるな。一部だけだし、抉って取り除けば食えるか。
「英雄譚に語られるような敵は早々いないさ。都市圏に狂した魔種なんて出るはずもないし、危険な怪異が巣くう洞窟が近場に残されるはずもない。街からほど近い森に魔獣が跋扈して木こりが入れなくなるなんてこともね」
「全ては治安のため、第一に潰されるってことですね」
「そういうことだ。危なっかしくて食事に使う香草も取りに行けないようでは、とても暮らしていけないからね」
街の外に一歩出たら魔物と遭遇、というのはゲーム的な都合であり、良い意味とつまらない意味での現実が併存するこの世界においては適用されない。経済圏が斯様な危険に溢れていたら、人類文明は成り立たないのだから。
故に街の周辺に大っぴらに盗賊が湧くこともなければ、尽きることなく補充される魔物が常時誰ぞかを困らせ、よく荘が根絶やしにされないなと心配になるほどに剣呑な依頼が張り出されることもない。
むしろ、それほど喫緊の依頼であれば、流石に領主も騎士を参集して対応させるとも。経済というものは一日でも止まってしまうと後々に響いてくるのだから。とくにこんな辺境の他国との窓口となる地域であるなら、三重帝国そのものの評判にも繋がるから尚更である。
冒険者の仕事とは、自分でやるにはちょっと手間だから、誰かに小銭を押しつけてやらせてしまおう。あわよくば、何処かの大きな組織に最低限の出来を保証してもらえればいいや、という思惑によって成り立つのだ。
「紅玉にもなると外にでる仕事も増えるよ。何処かの荘に手紙や言付けを運んで欲しいとか、格安でとりあえず頭数を揃えたい護衛仕事とか」
「盗賊退治とかはどうなんでしょうか。この辺りでは多いと聞いたのですが」
「うーん、それは少し難しい所だね」
聞いてみた所、この辺りの盗賊連中というものはかなり狡猾であるらしく、基本的に根城を持たず、定位置で目標を襲うようなことはしないようだ。
むしろ今まで遭遇してきたような地元民がパートタイムでやるような面子が多く、土豪なんだか野盗なんだか分からない連中が、一目ではそれと分からぬよう工夫して商売をしているそうな。特に酷いのだと隊商をしながらというのもあるそうで、特に凄惨な被害として荘が一つ真面な反撃もできずに潰されたこともあると言う。
思わず変なうめき声がでるくらいずる賢い。巡察吏とか凄腕の冒険者とかを躱しながら商売をするために頭を捻っているのだろうが、襲われる側としてはたまったもんじゃねぇ。
「だから余程間抜けな連中でもなければ、依頼として討伐が張り出されることはないよ。一所に留まると拙いなんて、この辺に季節一つ分も暮らしていれば嫌でも分かる」
代わりに野盗の首に掛かる懸賞は常時割高になるらしい。死んでいても首一つで五リブラも貰えて、生きていれば一〇から二〇リブラにもなるという相場の倍から四倍の値段。札付きの頭目であれば……。
「僕は一度、四〇ドラクマという賞金を貰ったことがある。最初は五ドラクマ程度だったんだが、詮議の結果余罪がボロボロ出てきたとかで懸賞が知らぬ間に積み上がっていたんだ。受け取りに行った時は驚いたね」
四〇……四〇!?
ちょっと想定外の数字に野菜を取り落としかけた。隣でマルギットも動きが止まっているのが分かる。
凄いな、平均的な農民の年収で約一〇年分。現代的な感覚でいえば三千万円から五千万円くらい? それはそれは大変な相手であったことは想像に難くないが、一度の仕事で得られる利益と思えばちょっと異常だぞ。
なるほど、そんな大捕物をしていれば詩の一つも謡われようものか。
「ああ、ただ……常に懸賞金が掛けられている首というのも幾つかある」
壮絶な金額を口にしながら大した事もなさそうに人参の皮を剥ききり、次の人参に手を伸ばしつつ聖者は言う。聞くに悍ましい所業を積み上げ、これだけの環境において活動を続ける野盗共の名を。
フィミアのエドゥアルドは荘潰しと呼ばれる大悪党で、今まで七つの荘を根切りにし広範に活動を続けている悪党だという。小鬼の彼は自身の血脈から成る基幹要因と、各地に潜伏させた配下を上手く使って派手ながら静かに仕事をしているようだ。あまりの巧妙さに、滅んだ荘で奇跡的に生き残った一人から名前が聞き出せるまで五年間も無名の怪物として畏れられたとか。
ヨーナス・バルトリンデンなる脱走騎士も悪名高く、配下の騎手数名と歩卒十数名からなる徒党で路上の急ぎ働きを数年にわたって繰り返し、巡察吏を真正面から叩き潰してきた悪党の英傑だ。かつては辺境で禄を食んでいた正式な騎士であったそうだが、あまりの苛政を窘められた所逆上して出奔、以後は地方を荒らし回る悪漢として広く名を売ることとなった。
また変わり種としてファム・ファタールとの忌名を持つ者がいる。隊商付き娼婦に紛れる一党であり、個人かも徒党かも知れぬ高額賞金首の一つだ。名も実態も今のところ確たる情報が得られていないものの、隊商に娼婦として帯同して隙を見て仕事をする悪党であることだけが知られている。
傾城と呼んでもまだ足りぬ美貌によって知らぬ間に全てが掌握され、気が付けば死体だけが野営地に残されるという実に恐ろしい仕事ぶりが語られる、ある種の都市伝説みたいな連中だな。
「奴儕を討ち取れば安くとも五〇ドラクマは下らないだろうね。勿論、死んだ後の首でさえだ。生きていれば、かつて南部を震え上がらせた“灰色の王”にも匹敵する懸賞額になるかもしれない」
「灰色の王……!?」
その名を聞いたマルギットが珍しく語調を荒げた。
灰色の王とは三重帝国の南部を長年に及んで荒らし回り、戦争にも等しい被害をもたらした群狼の頭目についた異名である。さる高名な魔術師が生きたままの家畜に食い殺されれば毒に変じるようになる渾身の罠を仕掛けるも、その家畜だけが何故かスルーされるという狡知の極みにあるような怪物で、あまりの経済的損失を危ぶんだ皇統家直々に一〇〇ドラクマもの懸賞金がかけられたそうな。
今も彼の偉大な狼の毛皮は、地味な灰色であるにも拘わらずバーデン本家の当主に大外套として纏われている。その威名は正しく生ける厄災として子供に聞かせる教訓話や、彼を討ち取った冒険者の一党の詩という形で生き続けるほど。
斯様な伝説の狼を他ならぬ狩人が狩ることができず、門外漢であるはずの冒険者――いや、面子に猟師の斥候はいたんだけどね?――に討ち取られたというのは南部の狩人血脈においてはかなりの“恥”として伝わっているとか。
一種の憧れであると同時に悔恨と畏怖が混じる怪物と比較されたとあっては、狩人の血が騒がずにはいられまい。
普段は上品な淑女めいた振る舞いが板に付いた彼女だが、本質はどうしようもないほどに狩猟者として出来上がっている。然もなくば洒落っ気に溢れ乙女らしいセンスを持つ彼女が、物騒極まりない大狼の牙を勲章としてぶら下げる筈があるまい。
「まぁ、君たちには早い。どれだけ実力があろうと冒険者は軍勢ではないから、無理をしてはいけないよ。冒険者の冒険というのは、楽しい物を探しに行くことであって、功名のため匹夫の勇を晒すことではないのだから」
尤もらしく、大人として子供に言い聞かせるのに素晴らしい警告。ただ、それが狩人としての本能を擽られてしまったマルギットに何処まで届いているかは分からなかった。
「真面目に働いていれば最初の昇格には半年もかからないかな。何かの偶然で大捕物に参加すればもっと早くなることはあるだろうけど、そういった“偶然”を狙って無茶する新人を減らしたいから、組合もあんまり特例はとらないし、本当に焦らないようにね」
再度の警告で冒険者としての初仕事である野菜剥きの仕事は締めくくられた。
「おお、三人居ると流石に早いね! 綺麗に剥けてるし上出来上出来!」
機嫌良さそうに仕事の成果を見ながら、女将さんは新しい木箱を調理台の上に積み上げる。
では次の仕事は別の野菜を剥き、カットすることだ。
その横で女将さんと旦那様――お世話になる宿の亭主ならこう呼ぶべきか――が並んで鍋に色々とぶち込んでいく。内容からして今日は牛乳仕立ての汁物のようだ。クリームシチューのようなとろみはないが、素朴な甘さがあるから美味いんだよなアレ。
延々と昼前まで野菜を剥いて一段落。後はご飯が出来たら呼びに行くからと休憩を頂いた。パンを焼いたり味付けしたりは、宿にとっての命である極意が潜んでいるため見せたくないのだろう。
好意はあっても線引きはしっかりとするか。うむうむ、無駄に甘いよりも商売人としては、こっちのほうが好感があるね。これも一種の雇用関係であるのなら、立場は明確であるほうがやりやすい。
ひさしの下に設けられた中庭のベンチに腰掛けて、しとしとと降る雨を茫洋と見上げながら二人並んで水を飲む。単なる蒸留水でも労働の後の一杯は美味いものだ。この後、荷ほどきやら何やらがあるので、本当の一杯は夜にとっておくことにしよう。
「それにしても」
ぽつりと呟くような一言に目を向ければ、我が幼馴染みは両手で握ったカップの水面をじぃっと見つめていた。
「地方には狩り甲斐のある獲物が沢山いるようでしてね」
琥珀の瞳は陰った陽のせいか陰影が深く鈍い黄金色のように見える。心の裡で燃えているのは意欲か、それとも欲求か。
無理もないか、獲物を狩るのが本意である狩人の前に大きな獲物、それも憧れぬ筈がない大怪物に並ぶ獲物をぶら下げられたとあっては意気の一つも上がろうもの。
いや、一番意欲を上げるに足る理由は、私も彼女も地方の荘に生まれたる者だからか。
荘そのものを襲い、生活を支える隊商を狙う怨敵をどうして見逃せようか。親の敵にも等しい奴儕が今日ものうのうと呼吸し、日々の労働によって積み上げた富を暴虐によってかっ攫い貪っている事実に何故我慢せねばならぬ。
自分の故郷が同じ境遇に立ったと思えば気が変になりそうだ。斯様な悪党、さっさととっ捕まえて本人の腸で首を締め上げ、腐り果てるまで街道に吊してやるのが似合いだ。
全ての地方に暮らす者であれば、自分の手で野盗を高く吊してやりたいと思うのは至極普通の欲求であった。
「いつか狙ってみる?」
からかうように、しかし嘘は混ぜずに問うてみれば、彼女は顔を上げて真っ直ぐに私を見返した。口の端をにぃっとつり上げて、ヒト種より格段に長い犬歯を見せつけるようにして。
童女の如き愛らしい顔に似合わぬ恐ろしい笑みが全ての答えであった。
ふと鼻腔を擽るのは血の臭い。長い長い犬歯を見ていると、あの夕暮れの丘を思い出す。
彼女の牙で耳たぶに穴を穿たれた約束の日のことを。
「ねぇ、エーリヒ」
思えば遠くに来たものだと思い出に浸っていると、不意に手を握られた。
どうしたのかと思って見てみれば、どうやら血の臭いは思い出によって脳内から引き出されたものではなかったらしい。
右の親指に血の玉が浮いているではないか。
「あちゃ……切っちゃったか」
どうやら皮剥きの最中に傷つけてしまったらしい。あれかな、四〇ドラクマのショックに野菜を取り落としかけた時か?
うっすらとした傷は、どうやらカップを握った時に開いたようだ。本当に薄く薄く傷つけたらしく、痛みさえなく今まで気付くことができなかった。
だとしても剣士として実に恥ずかしい。手前が持っている刃物で手前を傷つけるなんざ、赤面どころか割腹ものの恥である。こりゃあ自警団の身内に知られたら相当煽られるやつだな。いやぁ、遠く離れた地でのポカでよかった。
とりあえず消毒しておくかとポーチのスキットルを漁ろうとした所、手が強引に引っ張られた。
間もなく押し寄せるのは生暖かい体温と、背筋が震え上がる独特の感覚。
見れば、私の親指はマルギットの口中に納められていた。
じぃっと下から私の目を見上げながら、彼女は舌で傷口を嘗め上げる。何度も何度も、それほどまで念入りにする必要もないほどに。
暫く私の世界は暖かな舌の感覚と金色の瞳だけに占有される。庇を打つ雨の音も何処か遠く、感覚は指先以外の物が失せていった。
永遠に続くかと思った世界も、その実一瞬で終わりを迎える。小さな水音を立てて引き抜かれる指。唇と傷の間には銀色の橋がかかり、少しずつ伸びていったがやがて別れを惜しむような緩やかさで断ち切られる。
傷口からは、もう血が滲むことはなかった。
「今はこれで我慢しておきますわ」
狩猟者の笑みを作る幼馴染みに対し、私は何時もの甘く冷たい寒気を背に感じながら微笑み返した。
目に映る全てが彼女の獲物なのかもしれないと感じ入りつつ…………。
【Tips】マルスハイムの中央広場は普段初代領主の銅像のみが佇んでいるが、大物が捕らえられた時は巨大な催し物の場と化す。
去る連休のお供になればと思い更新です。
次回から冒険という名前の下積みが始まりますが、まぁダラダラと長くやる予定はないのでご安心ください。
といっても私の 長くはならない はあまり信用ならないとご存じでしょうから、どれほど筆に自制させるかによるのですが。
明日の夕方でこのライトノベルがすごい!2021 の投票締め切りらしいので、まだだったり、これといって投票する予定がなければ良かったら一票いただきたく存じます。
ブラウザ開いて内容書いてとなると大変なお手間だとは思いますが、書籍版の今後につなげられればと思います。何卒よろしくお願いいたします。




