青年期 十五歳の初夏 八
冒険者になって初めて迎える朝は爽やかな朝日に迎えられて……ではなく、しとしとと景気の悪い雨に降られて始まった。なんだか最近、こうやって運命が私の出鼻をくじこうとしている気がしてならない。
隣には低くなった気圧と酒精神の長居に悩まされて頭を抱える幼馴染み。そしてついた席には昨夜の宴席がもたらした混沌の名残がありありと残っている。
むしろ朝食として饗される物が昨晩の残滓だらけだ。明らかに朝に食うには重い物ががっつり揃っている。
この辺はあれなのだろうか、文化圏的に三重帝国だけではなく諸外国の影響も強いだろうから、残り物を使っても全然平気に朝からがっつり食べる文化もあるのか?
「まぁ、言っとくとだな」
対面で堅くなった黒パンをトマトの汁物の残りにつけてふやかしながら、昨夜の酒の影響を色濃く残したエッボが言った。
「氏族ごとに大体縄張りにしてる酒保ってぇのがあんだよ。別に氏族に加わってなくても普通に泊まれるが、まぁ空気感ってぇのはよくねぇよな」
なにやら昨日のうちに街のしきたりなんぞを教えてやれとロランス氏から命じられているらしい。因みに当の本人は指定席であるソファーで高鼾だ。初めて見たときにも言ったが、きっちり見た目を整えれば美人なのに惜しいな。
衝動的に髪に櫛を通してやり、顔を拭いて化粧を施してきちんとした服を着せてやりたくなった。
いかん、数年にわたる貴種仕えのせいで妙な面倒を見る癖がついてしまっている。駄目な女性に甲斐甲斐しく尽くすというのは前世だと性癖に刺さっていたけど、今世だと普通に仕事にしていたから微妙な気分がするな。
気を引き締めねば、まずは自分を養うだけでも大変なのだから。
「まぁ、言っちゃなんだがウチはデカさの割に穏当な方だぜ。入会金だって有り金全部た言わねぇし、リンチに耐えろだとか、どっかで誰かに喧嘩売ってこいなんつぅ無茶もさせねぇから」
「そんなのが居るんですか?」
「たりめぇだろ、俺らなんざ首にぶらさげてるもんが冒険者証ってぇだけで、行政府のお札がぶら下がってるヤクザもん共と気性じゃ大差ねぇぞ」
言われてみれば至極納得できた。場合によって普通に斬った張ったで日銭を稼ぐ無頼が穏当な訳ないわな。集団になれば倫理観は酒より揮発し易いのだから倍率ドンといったところだし。
「わりぃこた言わねぇから近づくなってぇのが幾つかあんだ。此処いらで一等やべぇのつったら……」
市壁外苑に天幕を張って寝泊まりしている流民の集団、漂流者協定団は数が多く人数を必要とする仕事を堅実にこなすが、アガリの六割以上が上納金として取られる貧乏が貧乏を産む地獄のような集団だという。
また都市北部の外れ、半ば放棄された街区――そんな場所があると帝都暮らしに慣れると驚愕ものだ――を勝手に根城としているバルドゥル氏族は上納金こそロランス組と同程度なれど、頭目が魔法使いらしく“ヤバい薬”を扱っているとの噂が絶えない別の意味での問題集団だという。
そして最も悪名高いとされるのがハイルブロン一家。犯罪者スレスレの連中の集団で氏族への入会には有り金全部か私刑に耐える、もしくは……。
「誰か浚ってきて目の前でぶっ殺させるなんてぇ噂も聞く。紛れもなくアタマのトんじまった奴らだ」
「どうしてそんな人たちが看過されているんでして……?」
「そもそも、それに加わりたいと全く思わないんですけど」
頭痛がするのか左手でこめかみを押さえ、右手のフォークで気もそぞろに豆の煮物を突っついていたマルギットが極めて同意できる疑問を口にした。
「そりゃあ決まってんだろ、潰すのにも金がかかんだよ。で、町中ででけぇ面がしてぇっつぅ俺にゃ到底理解できねぇことに憧れるボケも少なかねぇのさ」
答えを引き継いだのは、朝からよくそんな物食うなと言いたくなるほど大量の串焼きを抱えたケヴィンだった。中庭で焚火でもして温め直してきたのか、油が滴るそれに齧り付きながらお寒い事情が語られる。
「言うなりゃてめぇらの内側で好き勝手やってる間は領主も知ったこっちゃねぇのよ。悪さするにしたって税を納めるでもねぇ移民や流民相手なら守る金も勿体ねぇし、ましてや根無しの冒険者や傭兵同士でなら街に火ぃ放たねぇなら好きにしろって話だ」
「それで大事に育ててる警邏の兵卒やら騎士が怪我しちゃたまんねぇからな」
「そうそう。俺らと違ってくたばりゃ年金だの見舞金だのかかんだろ? 市政に響かねぇかぎりは割にあわねぇこたぁしたくねぇのが為政者の性ってぇもんよ」
つまり、街を大きく混乱に陥れることがなければ多少の悪徳は許容されるということか。確かに彼らを取り締まって得られる利益というものは少ない。街の治安云々の問題はあるにせよ、目に付かないところでやられる分には存在しないと同じというのがこの時代。おおっぴらに目立ち、領主のアガリにさえ響かなければ潰すコストの方が上回り得にはならない。
領主は自領の運営により利益を得る経営者ともいえるため、不採算事業には手を出さない。悪徳を取り締まるため予算を与えられ仕事をする警察とは、治安維持を担っているという点において同じなれど、そこが明確に違う。
これが帝都のように都市の目的が決まっているなら違うだろうけれど、ここは混沌と発展を切り離すことができない辺境だ。制御しようがないことに資源を蕩尽するくらいなら、目を逸らした方が良いというのも理解できなくもなかった。
むしろ目こぼしするために多少の金を受け取り、邪魔になるものの相手をさせている可能性も考えられるな。金さえ握れば何でもやる輩は冒険者に限らず一定数存在するだろうし。
やはり人間は何処に行っても基本設計が同じならやることは変わらない。悪徳が栄えぬ世というのは何処にも存在しないらしい。
悪いことをするにもばれないように節度をもってか。厄介だね全く。
「大変参考になりました。関わり合いにならないようにします」
「君子危うきに近寄らず、ですわね……」
「そうするこった。揃いの入れ墨だの色塗った布だの巻いてる連中にゃ気ぃつけるこった」
折角大事なことを教えて貰ったので十分に気をつけるとしよう。にしても往事のカラーギャングみたいな連中だな。私が学生になる頃には取り締まりが厳しくなってすっかり失せてしまった文化とはいえ、こっちに来て体感することになるとは。
いやはや剣呑剣呑、本格的に冒険者家業って気がしてきたな。
パンをかじっていてふと思い返す。昨日は別のイベントが起こったせいですっかり忘れていたけれど、門で出会った禿頭の冒険者ヘンゼル氏から教えられた名前を。
もしかして、フィデリオって人もヤバい人だったりするのだろうか。
詳しい人が話を聞かせてくれているのだからと聞いてみれば、意外な名を聞いたとばかりにエッボとケヴィンが驚いてみせる。
「子猫の転た寝亭のフィデリオつったら、聖者フィデリオじゃねぇか」
聖者? また何やら凄い肩書きがでてきたな。
「こっちの方じゃ吟遊詩人が詩を書くこともある有名な冒険者だぜ。流しの僧で、たしか元は……聴罪僧だっけ?」
「あ? 聖堂騎士じゃなかったか?」
聖者の名の通り、元々は聖堂に属していた僧であったらしい。告解を聞き贖罪による赦しを説く僧と“槍の穂先と馬蹄で信仰を語る”と言われるガンギマった僧とでは大分属性が違うが。
これは帝都にいた時、あまり僧の階級に詳しくなかった私がツェツィーリア嬢に聞いた話であるが、世間には二種類の僧侶がいるそうな。
一つは修道僧と呼ばれる聖堂に暮らし専属的に奉神に務める僧であり、一般的に僧侶といえばこちらを指す。神への奉仕と縋ってくる民草へ救いを与え、時に教えを授ける人たちで自身の修行と神への奉仕を第一に働いている。
対して僧として修行し、神から秘蹟を与えられながらにして聖堂に属さない僧を在俗僧という。
世間では“流し”とも呼ばれる、拠点となる聖堂を持たずに活動する僧だ。
彼らは独自の観念を持って修行のため聖堂を離れた僧であり、自称僧侶ではなくきちんと神から信仰を認められた僧である。ただ、僧会の意向や聖堂固有の掟に従っていては自分が信じる奉神は適わないとして世俗に出ただけで、いわゆる破戒僧とは全く異なる存在だ。
聖堂がない地域に教えを広めることを使命として旅立った者もいれば、自ら市井を回って教えを説いていくことを志す者もおり、またまた背教者を狩ることに命を燃やして聖堂を飛び出す者もいる。
胸に秘めたる思いは十人居れば十人全員が違うものを持っていれど、聖堂を離れて活動しているという点については同じである。
かといって修道僧と在俗僧の仲が悪いかといえば、そんなこともないそうな。まぁ中には世俗と関わりを立たねば真の信仰は得られないと考える僧もいるし、聖堂に引き籠もっていては奉神もままならぬと主張する僧もいるので難しい所ではあるが。
ともあれ、聖者フィデリオは何かしらの意図を持って聖堂を離れ、冒険者家業をしている僧らしい。
長い槍と盾を扱う堂々としたヒト種の男性であり、冒険者としての階級は青玉。上から三つ目にあたるかなりの高位冒険者だ。最上位の紫檀が名誉称号であることを考えれば、実質上から二つ目と考えれば凄まじい勲功を積み上げてきたのだろう。
「えーと、あいつ何の僧だっけ?」
「さぁ? 武神とか夜陰神じゃなかったのは覚えてんだが」
商売敵なのにふわっとした認識だ。いや、上の階級過ぎて取るべきパイが被っていないから商売敵ではないのかもしれない。
「なんにせよ悪い噂はねぇ、むしろ善人だな。割に合わねぇ依頼でも必要だと思えばやるし、大したアガリだろうが野郎の目に悪徳と映りゃ鼻にもかけねぇ」
「氏族も作ってねぇよ。一党を率いちゃいるが、その面子も余所の氏族に参加してたりしてなかったりする寄り合い所帯らしいから、街のバランスにゃ影響のない野郎だ。ああ、いや、市井のモンに大分好かれてっから、敵対すりゃ買い物も出来なくなると考えりゃ大したもんか」
「そうだな。ついでに……何があっても怒らしちゃいけねぇって事実もある」
街のバランスに影響こそ与えないものの、怒らせると拙い人物。なんだか凄い強キャラ感があるな。どんな逸話があるのかと聞いてみれば、冒険の話は広場に行けば吟遊詩人がぼちぼちの頻度で唄っているので聞けるという。
しかし、その手の輝かしい詩に出てこない逸話を聞くことができた。
曰く、“フィデリオの一夜潰し”なる悪漢の百人斬りをやったとか。
なんでも名前が知られ始めた頃に、今は崩壊してしまった悪質な氏族が彼に絡んだそうだ。アガリをかすめ取ろうとしたのか傘下に加えようとしたのかは知らないが、兎角無礼な勧誘を行い、断った代償として彼が根城にしていた酒保の娘を攫って傷物にしてしまったという。
それにキレたフィデリオは一党の仲間を率いてカチ込みをかけたそうだ。
真ん前から、正々堂々と盾と槍だけを頼りにして。
最終的に悪質な氏族は全員が伊達にされ、面子をぺしゃんこにされた彼らは以後の商売を続けられず姿を消したという。
なんとも壮絶な話であった。
何よりオチが格好良い。カチ込みに行った足でフィデリオは城館の前まで赴き、金貨の入った袋を門に叩き着けて啖呵を切ったそうだ。
「我が行いを私闘として悪行とするのであれば、そなたらの働いた看過という悪行を代わりに拭っておいてやったぞ! そのついでに駄賃をせしめられるのだから、神に伏して感謝するがいい!!」
そして傷物になった娘を娶り、今も無二の妻として根城と定めた酒保ごと大事にしていると。
「か、格好良い……」
どうしよう、普通にドストライクのタイプなお話だぞ。ちょっとだけ居残りしていた酒精神がさっさと帰り仕度をしてくれるくらいにテンションが上がってきた。
「相変わらずこういう話が好きですわね、エーリヒ……」
「いやいや、こういうのが嫌いな男はいないでしょ。ねぇ?」
呆れたと言わんばかりに溜息をつくマルギットに反論してみれば、同席している二人も肯定してくれた。やっぱりこういった話は男の琴線にぶっささるのだよ。
「まー訪ねるのは勝手だが、用心はしとけよ」
「だな、どうあれ同業者だ、根っから穏やかな善人たぁ決まってないからな」
等閑な警告は耳からするりと抜けて、私の夕方の予定は早々に決まるのであった…………。
【Tips】悪質な氏族。行政府が本格的に排除を試みない程度の悪行を嗜む氏族は少なくない。しかし、中には小銭を握らせて目こぼしを受けているような者もいれば、ばれぬよう慎重に動いているだけで死罪になりうる段階の悪徳を働く者もいる。
現代の倫理観で見れば酷い話でも、理屈と現地の事情を考えればやむないのかと思う酷い事情というのは結構あるものです。
そしてキツい試練や代償があったとしても加わりたいと思う人間が絶えないのも同じ。
今のやりにくく利益も出づらかろうにヤクザが消えないのと大体一緒。