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青年期 十五歳の初夏 七

 美味い酒の味を久しく忘れていた。そう感じ入り、巨鬼は舌を焼く酒精に目を潤わせた。


 生まれは西方、産湯は戦陣の天幕で浸かるという極めてありふれた生まれをした巨鬼の一人であるロランスは自身を落伍者であると断じている。


 齢は五〇を過ぎた頃から面倒になって数えていないが、戦陣を越えること八〇余、参加した会戦は二〇を越え、決闘を交わすこと六〇強。部族会議により“不羈なる”の尊称を受けてより挙げた名のある首は都合一八。


 この頃は良かった。部族においても早い段階で戦士として――巨鬼の戦士とはすなわち雌性体であるため女戦士とは呼ばない――二つ名を預かるようになった頃は順風満帆の人生であった。


 しかし、名誉を授ける式典にて、並んで膝を折り戦化粧を受けた相手が良くなかった。


 彼女の名はローレン。今では“勇猛なる”と至尊の一歩手前にある誉れ高き名を預かる部族有数の戦士。


 いつからであろうか、同年代であるがため競い合うが如く錬磨し、戦場にて肩を並べた彼女に追いつけなくなったのは。


 膂力で負け、上背で負け、武勲で負け、剣一本で歯が立たなくなる。


 限界を感じて異国の勇者より二刀の技を教わって少し巻き返したかと思えば、そんな物は些細だと言わんばかりに詩にも唄われる敵手の首をひっさげて返ってこられる。


 そうして遂には二つ名の位においても抜かれ……果ては全てを賭けて挑んだ決闘で話にならぬほど蹴散らされた。


 手前の人生は何だったのかと折れた心を叩き着けるように敗北の地に打ち付けた拳の痛み。否、それよりも心に刺さる「よい一戦であった」と朗らかに笑う敵手の声。


 なにがよい一戦か。どこによさがあったか。巨鬼として最低限の礼節さえ失う覚悟がなければ、どれほど叫んで胸ぐらを掴んでやりたかったであろうか。


 余りに苦い敗北の味だけを舌の上に残し、絶対に勝てぬと思った敵手はふらりと遊歴に旅立った。


 それを追うように、あるいは部族から逃げるように自身もまた西方へ遊歴に出たのは何故であろうか。ロランスは今になって思い出すことができなかった。


 傭兵になるでもなく、冒険者という道を選んだのは恐怖のためか。はたまた武から徹底的に遠ざかることが出来ない身にこびりつく未練のためか。どうあれ荒事でしか生きていけぬ身で口に糊をし、気が付けば随分と経つ。


 さして興味も無いが首元を飾る冒険者証の色が鮮やかになり、知らぬ間に取り巻きが出てさせておくに任せていれば氏族ができて、黙っていても金が入ってくるようになった。


 仕事はこなすが、往事であれば食指を擽るような強者が同業者にもいるのに突っかかって行かなくなって長い。


 ただ配下を鈍らぬ程度に揉み、時折ご機嫌取りで連れてこられる芽がある若いのと遊んでやる緩やかに錆が浮いてくるような日々。


 それが吹き飛ぶかのような一時であった。


 脇腹に木剣が触れる感触は落雷のようで、左手に感じる脱臼の熱は愛撫の如く。


 久しく忘れていた、戦士として巨鬼が魂から求める闘争に浸る幸福。疎みに疎み、遠ざけていた筈の闘争の味といえば万の言葉を弄しても一端として表しきれまい。


 あれほど悔しく、辛かった敗北の味のなんと甘美なことか。


 やはり巨鬼という生物は“こういう”生物なのだと思い知られる一瞬であった。


 惜しかりしは命を賭けた殺し合いでなかったことか。やはり生の実感は鋼を介してこそ滾るもの。木剣ではとても物足りない。ましてや手前だけが相手を殺しうる武器を持っているとなれば口の中が渋くなる程に勿体なく感じる。


 なにより彼も。隣に窮屈そうに座って酒を嘗めるように呷っている彼も本気にはなりきれていなかったことが口惜しかった。


 「ん……? 北方の酒は舌に合わぬか?」


 「何分舌がまだ若いようでして」


 悪いのは自分である、本気にさせてやれなかった腕前だ。本身の剣であれば、木剣より身に馴染む得物であれば更に早く動けたことは言い訳になるまい。彼も今日初めて持たされた得物で見事に戦い抜いてみせたのだから。


 しかし、それでも、全く奥を魅せてくれないのは名残惜しい。命のやりとりが恋しくなるほどに。


 戦いの最中、微かな違和感が挙動に混じる。使えない何かを求めるような、刹那の無きに等しい逡巡。戦士であれば誰もが一つは持つ奥の手を無意識に欲していたのだろう。


 どのような形であれ、いつかそれを見たいものだと思い巨鬼は強い酒精を飲み干した。


 「物足りぬな」


 それでもまらない物を感じる。折角これだけ高ぶった気を楽しく宥めることができないとは。


 「姐御、お代わりでしたらいくらでも」


 「あ? うむ、大義である」


 側に甲斐甲斐しく侍る配下が琥珀色の蒸留酒を酒杯に継ぐも、欲しいのは並々と揺れるそれではないのだ。


 だが、できない。一時の享楽に溺れた後を思えば断じてできない。


 というより現時点で大分拙いことになっている。


 さて、鬼種とは本能的に闘争に耽る種族であり、辛うじて身内同士で滅ぼし合わない程度の理性はあるものの文化は全体的に闘争に寄った物である。


 その中の一つに“つばつけ”とも呼ばれる文化がある。


 かつては復讐者ほど熱心に自らを鍛え立ち向かってくるということから、率先して復讐者を残すという悪趣味な文化があった。戦の名乗りも鬨の声も、生き残ってしまった者へ「汝の仇はここにあれり」と声高に主張するものだったほど。


 そして恨みの力ほど強い物はない。今や口伝にも残らぬほどの昔々、巨鬼は驕った文化のため相当に手酷い反撃を受けた。かつて誉れある八二部族と威名を以て語られた部族が、今や三一部族に減らされるほど。


 流石に調子に乗りすぎたと悟った巨鬼は、悪しき文化を捨てはしたものの、形を変えて幾分か穏当になった文化を受け継いでいる。


 それが“つばつけ”。これぞと見初めた将来の敵手を主張する行為である。


 巨鬼にとって唇とは剣を持つ手の次に神聖な部位。戦の前に口上を述べ、敵手に栄えある部族の名と父祖に連なる己の名を告げ、そして最期の時来たらば自身を討ち取りし愛しの怨敵に賛辞を送る場所であるが為。


 その神聖な部位を許すということは、他の種族が行うそれより格段に深い意味を持つ。


 手の次に大事な部位を捧げて示すことは一つ。


 これは私の獲物だ、手ぇ出したらぶっ殺す。


 実にシンプルにして力強い主張だ。


 巨鬼にとって好敵手とはある意味で親よりも尊い存在とも呼べる。当然、それにかける思い入れは強く、時には血を分けたる同胞であっても唾をつけた相手にちょっかいをかけたならば命を賭して報復に走るほど。


 “つばつけ”は軽々に行わぬ行為であり、巨鬼はこれぞという相手を見出し将来の敵手として切望することになれば故郷に文を送る。そして文は遊歴に出ていても連帯を保つ部族の者達にも伝わり、自然と個人同士のつながりを通して他の部族にも伝播する。こうやって巨鬼は全くの不運以外で敵手を失わぬように気を遣い合ってきた。


 そんな連絡網にローレンが唾をつけた相手がいると伝わり、大層驚いたのをロランスもよく覚えていた。鬼神と呼んで差し支えのない暴れっぷりを誇る戦士が見出した相手だけあって、どんな怪物であろうかと当時は色々と考えさせられたものだ。


 今では空恐ろしい想像を巡らせた相手が隣に座っているのだが。


 まっこと楽しい時間であると同時に空恐ろしい事実であった。


 確かに試合に過ぎぬとは言え、巨鬼の“つばつけ”は生半可なものではない。壊してしまうことを考えたならば怒りを買うことは必定。


 もしも“あの”ローレンが本気で怒りに身を任せ刃を振り回せばどうなるか。考えるだけでロランスの胃は小さく縮み上がった。


 ましてや“多義的に食べてしまった”とくればもう……。


 酒で錆び付いていながらも何とか仕事をした手前の記憶力を褒めてやりながら、ロランスは口の中に上ってきた酸っぱいものを酒精で押し流した。


 同時に隣で彼も杯を空けている。ヒト種であればとっくに昏倒してもおかしくない強さの酒精を呷って顔色の一つも変わらないのは良い酒飲みだと褒めるべきか、かわいげが足りないと頬を突っついてやるべきか悩ましくもあった。


 「で、だ」


 葛藤を誤魔化すように再度注がれた酒を呑み、ロレンスは隣の少年に切り出す。


 「本当に氏族に加わるつもりはないのか?」


 酒の席、飲み始める少し前に少年は氏族への加入を断っていた。互いに敗北を譲らないのであれば、これくらいは認めてくれと前置きして。


 別にロランスも知らぬ間に出来ていた手前の氏族に強い拘りがあるわけでもなし。されど手前の下に集ってきた者達を無碍にするのも悪いので頭目の真似事をしてやっていた。


 手前が出張らねば落ちない場面では面倒極まるが酒を抜いて顔を出したし、時には徒党の大きさを頼みに出された依頼に対してきちんと面容を備え陣を構えて片付けた。稽古をつけてくれとねだる熱心な奴にはコツの一つ二つ教えてやるくらいのこともする。


 だが、誘った理由はそれではない。


 氏族の配下であるなら、稽古と称して多少遊んでも合法だろうと欲目を出してみたのだ。


 結果はすげなく首を横に振られてしまったが。


 「約束がありますので」


 約束? と首を傾げてみれば、彼は膝を見下ろして目を細めた。酒を呑む勝負だというとくっついてきて、蒸留酒を仰ぎ早々に潰れた幼馴染みを見て。


 膝の上で潰れ、猫のように丸まって眠る彼女の髪を優しく弄びつつ一等おっかない巨鬼のお気に入りは言った。


 「二人で冒険者をやると決めて出てきましたから、最初は二人で頑張ってみたいんですよ」


 思わず自分も目を細めてしまうほど眩しい。落伍者を自認する巨鬼はそう感じ入りつつ、ならば無粋な手出しはするまいよと微笑んだ…………。












【Tips】つばつけ。巨鬼の部族に見られる伝統的な占有の宣誓。戦いに飢える同種に対し、将来的な敵手であるため手を出すなと示すための儀礼的な接吻。時に強者を求めるために復讐者を好んで残す彼女の達の闘争に特化し過ぎた文化が運だ一つの儀礼。












 最終的に空けた蒸留酒の瓶が八本を数える頃、流石に胃の容量に限界が来てギブアップを宣言した。


 仕方がないじゃない、ガタイが違うんだもの。


 巨鬼の上背は三mを上回る。ヒト種の体の五割増しから倍近いと考えれば、胃の容積だって当然違う。物理的に体内に納められるものの両が段違いなのだ。


 肝臓の能力が許す限りアルコールを分解して、正しい意味で排泄して容量を稼ぐことはできたけれど結果として相手も同じ事をするのだから量で追いつくことはできなかった。


 ただ、潰れていないということで無効試合になっただけだ。そもそものレギュレーションが間違っているともいえるけれど。


 いや、本当に良かった。吐いて胃の中を空けたら呑めるだろう? とか言われなくて。


 流石にローマ貴族の真似事は洒落にならんよ。第一、吐いたってリセットにはならんのだし。ストレスで胃は収縮するし、胃液で喉も焼ける。ついでに体が「吐いたってことは具合悪いんだな」と認識して本当に体調が悪くなる。


 決着がつけられないのは痛恨の極みなれど、食べ物にも酒にも失礼な無茶まではすることもなかろうとロランス氏のお許しをえて、私達は妥協に至った。


 ただ、本当に酔っ払っていないことの証明として、剣を抜いて一指し舞わされるハメになったけど。<うわばみ>特性を持っている私でも、大酒かっくらった後の剣舞は色々と利いたな。


 しかも、そこそこで済まそうとしたら居ても立ってもいられなくなったのかロランス氏まで混ざってきたから困る。愛用らしい二刀を抜いて、くるりくるりと間断なく紡がれる円弧の動きは昼の時と同じだけれど、使い込まれた真剣の冴えは別人のようにすら見えた。


 切っ先が触れぬほどの至近を縫うように掠め合わせる剣舞をどれだけ舞ったかは曖昧だ。ほんの数分で終わったような気もするけれど、身にのし掛かる疲労と筋肉の軋み、そして得もいえぬ高揚感のせいで数時間のようにも感じる。


 なんとも不思議な時間だった。


 その対価であるからか、私達は黒い大烏賊亭の二階にある寝室を無料で借りられた。


 簡素な部屋だった。しかし、一階の荒れ具合と比すれば不釣り合いなほどに清潔に保たれている。


 シーツは洗濯したてとは言わないが油染みが付いていることもなければ、ちょっと逆さに振るだけでシラミが大量に飛び出してくることもない。毛布も鼻を寄せれば眉根に皺を寄せねばならないほどでもない。


 大分気を遣って良い部屋を回して貰えたと見える。


 とはいえ、ここを拠点にしたいとは思えないできだったけど。


 早々に潰れて、後は夢の住人と化した幼馴染みを寝床に横たえてやる。剣舞を始めるまではずっと私の膝で寝ていたのだが、舞っている間はトロンとした目ではあるが一応起きてこちらを見ていた。


 それも終わってしまうとやはり限界だったのか寝落ちしてしまい、私が宴席を辞する理由になったのだけど。


 思えば全部に気を遣われていたのではなかろうか。先に潰れたのも、こうやって寝ているのも。


 穏やかな寝息を立てるマルギットの髪を解いてやり、服の裾や襟を開いて寝やすくしてやる。


 すると、彼女の襟元から紐で吊した冒険者証が滑り出す。墨色のそれは差したる価値もないものだが、紛れもない冒険者の証。


 ああ、私は本当に冒険者になれたのだな。改めて実感を覚えると共に脳味噌に痺れるような気持ちよさがはしった。


 窓際にでて板きれだけの覆いを跳ね上げ空を見上げる。随分と時間が過ぎて、もう月が昇っていた。欠けてゆく月だ。朔に近づいていく、かつての私だった月。


 いやはや、まったく。


 長いキャラ作だったこと…………。












【Tips】キャラ作。キャラクターシートに自らの分身であるPCを記入すること。スペックのみならず、来歴を決め終え、セッションに至るまでの道筋を決めることで完成する。 

経歴票

・家族に異種族が居る

・かつて仕えた主がいた

・師匠と呼べる人がいた


そして目的は格好良い冒険者になること。これは紛れもなくLv1ファイターやで……。


そういえば このライトノベルがすごい! でもご投票いただけているようで大変有り難い限りです。

ここで疵痕の一つも残せれば、更にTRPGの布教にもなるかと思いますので、ご投票がまだで枠が空いているようでしたら是非一票いだだければと思います。

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高レベルシナリオのキャラ作なんよ
[気になる点]  それでもまらない物を感じる。折角これだけ高ぶった気を楽しく宥めることができないとは。 ↑ 『それでも』の後、【ままならない/つまらない/締まらない】などが入るかと思います
[一言] ヘンダーソンスケールで巨鬼のおねーさんとの話があるかもしれない。
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