青年期 十五歳の春
この世界において生物的な強度において下から数えた方が早いヒト種において、数少ない他種族に勝っている点が一つある。
この世に存在する大抵の技術、それを自分達に向けて改造できる、ないしは元から便利に使えるという点だ。
「ハイッ!」
気合いの声を掛けて拍車でカストルの腹を蹴れば、齢を重ねども未だ脚に衰えを見せぬ駿馬は力強く大地を蹴って疾駆する。その勢いは慣れた乗り手でなくば、あまりの早さに振り落とされてしまうほど。
「も、もうちょっと揺れをっ、なんとか、できませんこと!?」
「これでも頑張ってるよ!!」
鐙は短く、腰を浮かし前傾に跨がる――いわゆるモンキー乗りと呼ばれる騎乗スタイル――形は馬への負担を軽減すると共に、上手いこと腰をサスペンションとして働かせれば背中に乗ったマルギットへの衝撃を軽減することができる。
とはいえ、不慣れな乗り手では一時間で腰と尻を駄目にする衝撃だ。それだけ気を遣っていても限界はある。私は殆ど聞いたことのない、幼馴染みがいらだたしげに発する舌打ちを耳にした。
外したのだ。あの驚異の腕前を誇る幼馴染みが。全ては不慣れな鞍上であるが故に。
さて、我々ヒト種は二本の手足を持っているが、巨大な種と小柄な種の丁度中間くらいという良い塩梅のサイズ感をしている。なので彼らが作る技術は大抵ちょっとした調整で私達にも使えるし、手か足、どっちか使う技術であれば異形の種族が生み出したものでもなんなりと流用できてしまうのだ。
その上、人類種の曙より知恵で文明を引っ張り、様々な発明をしてきた長命種と似た背格好という特大のアドバンテージもある。彼らは基本、自分達が「めんどくせぇし、したかないな」という発想で技術を生み出してきたため、他種族への気遣いというものは全くない。基本的に長命種の体に合わせて全てを生み出してきた。
するとあら不思議、この脆くて寿命も短いヒト種も自然と使えるという寸法だ。
それに対して我が親愛なる隣人、もとい幼馴染みのマルギットの下肢は蜘蛛である。当然、二本脚の生物のような騎乗はできない。蜘蛛人は種族柄、別の生き物に跨がって移動することに不得手な種族なのだ。
当然、必要でもなかったためマルギットは騎乗の技術を持たず、騎射もしたことはない。大幅にかかるマイナス修正を前にしては、さしもの幼馴染みも百発百中とはいかないようだった。
「これでっ、何度目っ、でしてっ!?」
「さぁ!?」
「呪われているっ……んではなくって!?」
「呪われるようなっ、悪いこと、したおぼえがないねっ!!」
無礼なことを宣いながら弩弓を折り曲げ――私がプレゼントした東方式のクロスボウだ――ボルトを装填する彼女に反論しつつも、出目の悪さはよくよく考えたら呪いの一種といえるのでは? と考えてしまった。
ともあれ、現状を語るのに複雑な過程はない。絶不賛野盗からの襲撃中だ。
ここは帝国西方域、大陸全図で見てもやっとこ西方の端っこに引っかかろうかという地点であり、麗しのケーニヒスシュトゥール荘より馬で一〇日ほどの距離である。辺境と呼ぶにはまだ遠く、むしろ故郷よりも州都に近い方と言える。
なんの因果でそんな所で馬泥棒に絡まれにゃならんのですかね。
馬に乗って追いかけてくるのは、さしてよい装具ともいえぬ男達が五人。最初は六人だったが、マルギットが一人叩き落としているので今の数になった。
見た目からして堅気ではない。半分傭兵、そして気が向いたら野盗もやるありふれた悪党であろう。この世の中、存外悪党家業だけで食っている人間だけではないのだ。そんな分かりやすい連中は、直ぐに巡察理に目を着けられて狩りとられてしまうからだろうが。
彼らは途中の旅籠でカストルとポリュデウケスに糧秣を食べさせていた私達に目を着けたのだろう。考えてみればまだ若い子供二人が持つには立派すぎる馬だ。奪い取るのは簡単で、実入りが大きい獲物に見えたことであろう。
最初は間を開けて着いてきて、人通りが少なくなってくる辺りで襲いかかる。仕事としては極めて単純だ。後は馬なんて奪ってしまえば書類がなくても買い取ってくれる所はいくらでもあるし、死体なんぞそこら辺に埋めてしまえば何処の誰かも分からない。前世と違って消息不明と判断するまでの時間が長い今生において、犯罪とは見られていなければ隠蔽することは至極簡単なのだ。
とはいえ我々も悪漢に怯えるばかりの子供でもなし、当然反撃に出て今に至ると。
今のところ、私はマルギットに攻撃を任せて回避と逃亡に専念していた。長い手綱で先導されているポリュデウケスにも気を遣いながら蛇行し、投げかけられる縄や鎖分銅を躱す。連中、相当手慣れいるらしく外しても馬を殺さないような得物ばかり使ってきやがる。
嫌な気配を感じたので手綱を右手に持ち替えながら、左の逆手で“送り狼”を抜剣。勿論片手ではとても抜けないので、こっそりと<見えざる手>を使ってのことだ。一目では分からぬよう工夫しつつ愛剣を手にし、抜き打ちで自分達を捕らえる軌道の投げ縄を切り払った。
それと同時に弩弓の弦が弾ける音が響くも、敵の数は減らない。
「ごめん、邪魔した!」
「お気になさらず!」
私が剣を抜いたせいで、背中に掴まっているマルギットの狙いがブレたのだ。まだまだ連携が甘いな。もう少しタイミングを計って動けるようにならねば。
「それにっ……」
機械的な装填音。手慣れていても一〇秒は欲しい装填作業を我が幼馴染みは瞬きの間に済ませる。単純に器用なのではなく、正確に素早く手を動かす術を身につけているのだ。短弓を見事に速射する腕前はクロスボウをとっても健在であった。
「なれてっ、きましたもの!!」
弓弦が弾け、投げ縄を投擲せんと頭上で回していた男の右手が吹き飛んだ。強固な板金鎧をぶち抜く威力を持つボルトを受ければ、細い手首なんぞは耐えきれない。
「流石っ!」
「残念! 狙ったのは肩でしてよ!!」
それでも当たるようになったなら十分すぎる。敵も漸く気付いてきたのか、追撃する足並みに惑いが見える様だった。
だがもう遅い。次の一射はより正確に、その次の一射はよりえげつなく正確に。逃げ場がないよう平地が続く場所で追い込みをかけたようだが、裏目に出たな悪党共。
獲物を見定める時は慎重にしなければならない。それが穏やかに寝ている大型犬なのか、空腹を丸まって耐えている狼なのか遠目には分からないのだから。
まぁ、彼らにはその教訓を活かす機会は二度と来ないのだが…………。
【Tips】修正値。行為の難易度によって予めプラスの修正やマイナスの修正を受けることもあれば、環境によって修正を受けることもある。地に伏して矢を放つことと、荒れる馬上にて弩弓を扱うのは全く違うことであるから。
私達は旅籠の寝台で向かい合って座っていた。
とはいっても別に色っぽい展開ではない。私達の間には共用財布が転がっているからだ。
「ひの、ふの、みと」
可愛らしい声と小さな指が小銭をより分けて数えていく。今日の旅籠が二人部屋で素泊まり一〇アス、夕食が奮発して二人で三〇アス、明日の朝食が二〇アスで頼んでおいた弁当が二五アス。体を拭う盥とお湯を借りて五アス、シーツを洗濯済みの物に敷き変えて貰って三アスなど諸々の雑費が一〇アス。
ついでに馬二頭の馬房と水、飼い葉が四〇アスなので本日の逗留費用はしめて一リブラ三〇アスなり。銀貨一枚と銅貨三〇枚、些か贅沢しているとはいえ結構な出費であった。
単純計算、マルスハイムまで二月かかったとすればざっくり計算だが最低でも七八リブラはかかるわけだ。
うん、世の人々が荘から出ない理由と、旅をするにしても野営する理由がよく分かるね。長旅したら年収の何分の一かが消し飛ぶとか洒落にならんぞ。
かといって我々は路銀に飢えて、痩せ細った財布を囲みうんうん唸って小銭を数えている訳ではなかった。結成直後の一党なんて常に財政難で、だれか一人が買った携帯食料を全員で分けて飢えを凌ぐなんてのもよくあること。さて宿にあと何日泊まれるかな? とギリギリを責めるロールは何時だって楽しかった。
あえて貧乏感を出すため常に武器や消費アイテムを限界一杯買い込んで「金がねぇ金がねぇ」と這いずり回る赤貧ロールをしたことを覚えている。その時はリーダーが神官だったため托鉢団を名乗って活動していたものだ。
大抵のNPCへの第一声が「もう三日も何も食べていないのです」だったのは今思えばやり過ぎだっただろうか。
閑話休題。私達の前では数枚の金貨が誇らしげに輝いていた。それも安っぽい金比率の低い貨幣ではない。きちんと一枚で一ドラクマ相当、或いはもっと価値がある上等な金貨揃いであった。
「しめて五ドラクマ四五リブラ三二アス。あらあら、大した小金持ちですわね?」
呆れた様な、困った様な判別し難い調子で我が幼馴染みは金貨を一枚取り上げて指で高々と天に跳ね上げてみせる。澄んだ音を立てて宙を舞うそれには愛らしい少女の横顔が刻印されていた。たしか仁恵帝コルネリウスⅡ世――もっと通りのよいなは親馬鹿帝――の金貨だったはずだ。
全ては汚い連中を禊ぐことで得た相対的に綺麗なお金である。
「都合七回……この数字の意味が分かりまして?」
「……なんだろね」
珍しくじとっとした目で私を見てくる幼馴染みから逃れる様にそっぽを向き、分かっているけど敢えてとぼけてみせた。
七回、なんの数字かといえば騒動に巻き込まれた回数である。
野盗や物取りに襲われたのが今日の襲撃を含めて四回。酒房で偶々手配書に乗っていた男――下手な変装だった――を見つけてとっ捕まえること一回。馬を盗んだと勘違いされたのか変な奴に絡まれること一回。剣をぶら下げているのを煽られたので、煽り返して乱闘になること一回。
「僅か一〇日でこれは異常でしてよ?」
分かってんだろ、と目で詰りながらマルギットは深い溜息を溢した。
「でも、ほら、路銀稼ぎにはなったし……?」
「身が持たぬ、と言いたいのですわ」
稼ぎとしては結構なものだったと思う。全員生け捕りにしているのもあるし、最後の二件も元々評判の札付きだったということで小遣い程度の迷惑料を貰えているから総収入は中々のものだ。
荘を出る前に相談して決めた私達のルールは、稼ぎは平等に、である。
収入は等分し、その半分は共有財産として生活費に充て、残りの半分を更に等分して各の個人収入にすると取り決めた。だから実際に稼いだ額はもっとあるのだ。
「普通ありえなくってよ? 辺境域でもあるまいに、ここまで野盗と縁があるなんて」
「……身に余る物を持ってるからというのもあると思うけどね」
「だとしても試煉神の寵愛でも受けたかと思う頻度では困りますわ」
仰るとおりです、と土下座する文化があったら迷わず土下座しているであろう文句。いやね? 別にわざとやっている訳ではないんですよ。お月様に戦国有数のドマゾよろしく七難八苦を願ったりなんてしてないし。
なんでこうなるんだろうなぁ……。
「どうあれ、暫く厄介事はお腹一杯でしてよ。路銀も十分すぎるほど貯まりましたし」
「あー……うん、そうだね」
「だから、私ちょっと考えましたの」
指を立て、彼女は諭す様に私に言った。たとえ少し脚が鈍ったとしても、隊商に身を寄せて西方に向かおうと。
当初は独立して最短コースで行くことを予定とし、彼女も同意していた。
それでも、この連日の戦闘には飽き飽きしてしまったようだ。
果たして私達が悪いのか、それとももっと別の悪戯が働いているのか。
事情は分からないけれど、私は強い意志を秘めた琥珀の目に見つめられると首を縦に振ることしかできなかった。
「じゃあ、明日二人で物色しましょう」
「そうだね……」
幸い西に行く隊商は季節柄少なくない。暖かい地方へ行って需要の高い物を仕入れるべく大都市を出た商人が幾らでもいる。そんな隊商に幾らか小銭を渡して潜り込ませて貰えれば、まぁまぁ安全に旅ができることだろう。
ただなぁ……憧れていた二人旅ってのとは違ってしまうな。安全な旅路とは代えられないけど、なんかこう、物足りないというか……。
「もう、そんな顔をしないでくださいまし」
残念に思っていると、内心を見透かされたのかマルギットがにじり寄ってきて手で両の頬を包んできたではないか。かと思えばぐにっと髀肉を捕まれて、笑顔に歪められてしまう。
「残念に思っているのは貴方だけでなくってよ?」
ああ、もう、こう言われてしまうとどうしようもないな。ほんと、私は彼女に勝てない様にできているのだろう。
「だから我慢してくださいまし。こうも毎日だと嫌気もさしてしまいますわ」
「……はい、かしこまりました、お姉様」
「大変結構。素直な子は好きよ?」
悪戯っぽく微笑む彼女に降参し、私は顔を潰す彼女から逃れる様に背中から寝台に倒れ込む。しかし、逃すかと蠅捕蜘蛛の蜘蛛人は持ち前の跳ねるような動きで腹に飛び乗ってきた。
明日は身を寄せる隊商を見定めないといけないし、早起きしなくてはなぁ…………。
【Tips】隊商。徒党を組んで道を行く商売人の集団。一つの商会によって組織されるものもあれば、力ある発起人の下に集まった小さな商売人の集団もあり形態は実に多用である。
二人旅、道中なにも起きない訳がなく(遭遇表的な意味で)。
ということで穏当な旅路とはいかなかったエーリヒ。例によって出目が腐っていた模様。
ここから数十話にわたる目的地への話にはならないのでご安心ください。
単に旅籠でいちゃいちゃさせたかっただけです。
改めて8月25日に拙作の第二巻が発売されます。なんともう再来週ですよ。
予約も始まっているので、是非ともお願いいたします。
そして先週にまた無駄に年齢を一つ重ねました。拙作をご支持いただいている皆様のおかげでなんとか生きております。欲しいものリストから沢山お酒をいただき、更には推しTRPGのルルブまでいただいてしまって感無量といった所です。
これからもご支援に足る作品を届けられる様頑張りますので、今後ともお付き合いただきたく存じます。




