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青年期 十五歳の初春

 遠足で一番楽しいのは前日の晩に荷物を詰めている瞬間であると強く信じてる。


 背嚢へ荷物を丁寧に詰めていき、干渉しないよう空間を最高効率で使うのは中々に難しいが、同時にきちんと納めきった時の達成感が大きい仕事だ。私は冬の間に解いた荷を再び鞄へ押し込み、更には空いたはずの土産が入っていたスペースへ妙に多い餞別を詰め込んで、四苦八苦しつつも辺境へ旅立つ準備を終えつつあった。


 雪は去っていた。荘民達はいつもより長い豊穣神の休暇によって短くなった畑を起こす時間に追いかけられながらも、なんとか春の祝祭を始めんと慌ただしく準備を始めている。


 固く閉ざしていた農具倉庫を開けて鋤や鍬の油を落とし、大事に残してある種籾の調子を確かめる。僅かな間に酒蔵の樽を数え、各戸で銀貨を差し出し長い冬の終わりを言祝ぐ予算も集め始めている。


 今年の春は慌ただしくなりそうだ。春の到来が遅くなる分、早く種を蒔かなければ時機を逸してしまう。さすれば秋の実りは細り、四公六民の良心的な税制といえど重くのしかかる事となる。


 金納と物納が入り乱れる税制をしているから農民の必死さは尚のこと深い。別に一年払えなかったとて“高く吊されたり”土地を没収されたりはしないが、翌年に割り増しで追納しなければならないとくれば、それはもう必死にもなろう。誰だって、頑張ればしなくていい出費だというなら、しなくて済むに尽きるのだから。


 出立の時機が遅れると拙いのと、元々雪解け時に出るから畑仕事は手伝えない旨は家族に伝えてある。勿論、家族は誰も文句は言わなかった。元々私は働き手として除外されていたのだから。


 それでも身内が働いている中で動かないというのは些か良心が咎めるので、準備を少しは手伝った。子供の頃から<基礎>で習得していた<刃物研ぎ>のスキルで農具を研ぎ上げてみたり、数が必要になる上に割と直ぐ駄目になったり無くなる木製の楔を量産する。楔は柵の補助からオリーブの樹木の補強まで色々な使い出があるため、毎年幾らあっても足りないのだ。


 後は最後に置き土産として……金貨を一枚、暖炉の上にこっそりと残していく予定だ。細やかな親孝行と今冬の宿代といったところだな。


 正直財布は分厚くないが、最初から金貨がうなりを上げる財布でパワープレイをしたかった訳ではないので丁度良い。路銀には十分なくらいの銀貨は残してあるから、農作業を手伝えないお詫としても丁度良いだろう?


 いやぁ、後がないと気合いが入るな! 自分達が飢えないのは前提として、カストルとポリュデウケスの分も稼がにゃならんし!!


 そんなことを考えつつ背嚢の蓋を閉め、直ぐに持ち出せる様に勝手口へ運んでいると居間で長兄と出くわした。


 「なんだ、エーリヒ、まだ起きてたのか」


 兄からは軽く酒気が漂っていた。おそらく春の祝祭に備えて寄り合いにでも顔を出していたのだろう。祭りの段取りや料理の分担、何処の家が予算をどれだけ出したかなど名主と家長勢、後は僧院の司祭様が集まって相談するのは毎年のことだ。


 それに父ではなく兄が顔を出すと言うことは、家督の継承は順調ということか。子も生まれ、髭も生え揃ったから父が口出しを減らし、寄り合いへの出席も任せ始めているのならば良い感じだ。


 これで拗れて親子関係が悪くなるなんて、何処ででも見られるトラブルだからなぁ。


 「ええ、出立の準備を終えようと思って」


 「そうか……なぁ、本当にもう行くのか? せめて祝祭くらいには顔を出してけよ」


 荷を片隅に固めておけば、兄は私に座るよう勧めながらそういった。


 何度か提案されたことだが、あまり長く居ると私自身が離れがたく感じてしまうので祝祭の前に出立することは確定事項だ。何よりあれは、趣旨として今から頑張る荘民達へご褒美の前払いという側面もあるから、農作業をしない私が参加するのは狡い気がしてならなかった。


 故に辺境までの長旅も加味して、祝祭には参加せず出立することに決めていた。


 それにもう手遅れだろうに、今日の昼は出立祝いとしてかなり豪勢な食事を振る舞ってくれたのだから。


 本当に楽しい食卓だった。母は私の好物を覚えてくれていて、好きな物だけをずらりと並べる大盤振る舞いをしてくれたのだ。


 優しく甘い根芹菜(セロリ)摺り下ろした汁物(ポタージュ)、サクサクの衣付き豚肉(コトレット)、そしてシンプルな調理法なのに家ごとに全然味が違う玉菜の塩漬け(ザワークラウト)。どれも本当に美味しかった。贅をこらした貴種の食卓に比べればあまりに慎ましやかだが、アグリッピナ氏について回った一年間に食べたどんな料理より美味しく感じられたな。


 私は、人生であとどれだけこの味を楽しむことができるのだろうか。


 前世でも似た感慨を味わったことがあるが、今回は一入だ。


 一人暮らしといっっても電車で数駅しか離れていない所でしていたし、四半期ごとに休暇で数日泊まることもあれば、何かにつけてイベントで顔を合わせることも珍しくはなかったのだから。


 それに話そうと思えばいつでも話せた。ちょっと電話を取り出せば、時間も距離もすっ飛ばしてあっという間だ。電子変換された、似ているだけの声を挟んだ会話に過ぎずとも、家族の温もりを簡単に抱きしめることができる。


 だが、今生においては違うのだ。


 電話は疎か手紙でさえ確実に連絡がとれるとは限らない。ついでに人間がずっと死にやすいときた。


 流行病、野盗、事故、前世と比べると今生は死があまりにも身近過ぎる。遠く離れた家族の安否さえ知れぬ状態のなんと不安なことか。


 さりとて留まることもできない。ずるずる出立を引き延ばしていいことなどないのだし、自分はここに永遠に居られる訳でもないのだから。


 「予定通り行きますよ。これ以上は未練だ」


 「そうか……未練か。未練だな」


 実家なのだ。それは居心地はいいだろうさ。幸いにも私は家族関係に恵まれているのだから。しかし、自分でやりたいことを選んだのだから、踏ん切りはしっかりつけねばなるまい。きちんと踏み込まねば、跳躍は転倒に変じてしまうから。


 私の言葉を聞いた兄は、ふと何か思いついたのか懐を漁り始めた。


 そして、一つの革の覆いに包まれた水筒を取り出した。


 角形で微かに婉曲したそれはフラスク、あるいはスキットルと呼ばれる蒸留酒用の水筒だ。出先で水を消毒したり傷口を洗ったりと蒸留酒の用途は広いため、野外作業が多い大人は大抵これを持ち歩いている。


 たしか前世では酒税法逃れで流行したという背景があったと聞いた気がするが、こちらでは普通に実利的な面で広まったもの。単なる格好良い演出のための小道具ではないし、アル中御用達アイテムでも断じてない。


 同郷人が「野営で格好良く酒を呑みてぇ!」とかいって広めた訳でもない……と、思いたい。たぶん。きっと。


 「持ってけ、餞別だ」


 「え?」


 「たしか持ってなかっただろ。あって困るもんでもねぇしな」


 兄は酒を飲むでもなく、スキットルを私に押しつけた。ずしりと重い錫製のそれには、きちんと中身が詰まっている。おそらく会合で出た酒を持って帰ってきたのだろう。


 持っていないのは事実だった。私は魔法が使えるので、あんまり必要性がなかったのだ。そもそも街道沿いの旅籠を使った無理のない旅程を組むことが殆どだったので、使う場面が見当たらない。


 だが、今後はそうもいかないだろう。野営をすることも増え、何日も屋根のあるところで寝ないこともある。何よりマルギットと二人の時以外にはおおっぴらに魔法を使えないとくれば、今までの快適さは僅かなりとも失われる。


 実に有り難い餞別であった。


 「それにあれだ……“分かちがたい旅の友が懐にいなけりゃ、風邪を引いちまうだろう”」


 じぃんと染み入る様にスキットルの重さを受け止めていると、酒精以外の原因で顔を赤らめた兄が鼻の下を擦りながら言った。


 「あー……イェレミアスの神剣サーガの」


 「あっ、おう、うん」


 今のは兄が大層気に入っている冒険譚の一説だ。主人公を見送る家族の台詞であり、序盤以降に登場しないけれど、印象的な情景であったことは覚えている。


 格好つけて引用したことに気付かれたのが恥ずかしいのか、更に顔を赤らめる兄を更に刺激することは止めた。その恥ずかしさは分かる気がするからね。


 それにまぁ……弟として悪い気はしなかったからな。


 「有り難く頂戴いたします」


 「ああ……」


 スキットルを開けるとつんとした蒸留酒の香りが立ち上る。北方離島圏の強い蒸留酒を再現したものか、麦と泥炭の独特の匂いがした。


 一口呷って――まだ若い私の舌には痛みに近い味がした――差し出せば、兄も受け取って一口飲む。何も言わず、私達は見つめ合って小さく笑った。


 兄は「じゃあ寝るわ、お前も早く休めよ」と一言残して夫婦の寝室へと去って行った。


 朱に染まった照れを隠しきれぬ耳を見て、可愛らしい兄貴だと思いながら私は寝酒にしてもキツすぎる酒精をもう一口呷るのだった…………。












【Tips】蒸留酒。水の消毒から傷の手当てまで広く使える万能品。と、いう名目で仕事の合間にも携行される酒好き御用達の一品。麦を蒸留した酒の本場は北方離島圏であるが、三重帝国でも葡萄酒を蒸留した地場産の蒸留酒が流通しており文化としては広く浸透している。


 ただし技術的に醸造するだけの酒より高度な設備が要求されるため、ピンとキリの差が通常の酒より激しく、飲用には耐えがたいものも多い。












 幼子の「いっちゃやだ!」という言葉の破壊力は凄まじいやね。あれだけ固く振り返りはすまいと誓っていたのに返りかけたもの。


 振り返るという行為は何とも格好悪いような気がしている。踏ん切りがついていないような、未練がましいような、自分が下した決断なのに納得がいっていないようで端から見ていると大変イライラする。


 ただ、これが自分の立場となれば、途端に振り返りたくなるから困るわ。


 「おじさまは大人気でしたわねぇ」


 「からかわないでおくれよ」


 穏やかにゆれる鞍上、耳の後ろから甘い声でからかわれる。背中に背嚢の如くへばりついたマルギットだ。


 私達は今、荘を離れ街道を歩いていた。カストルに多めに荷を乗せて追従させ、ポリュデウケスに跨がっている。二人乗りするのであれば、一頭に疲れを偏らせないための工夫だ。


 「あんなに小さな子達に群がられて。慕われるのも難儀なことでしてね」


 「泣かれるとは思わなかったよ」


 見送りは壮大とはいえなかった。誰も彼も忙しいから、ひっそりと出立したのだ。


 しかし、甥っ子のヘルマンや、この冬の間に量産した玩具――冒険者ごっこの装備をパーティーが三つは組めるほど作ってやった――を与えたことで妙に慕ってくれた子供達が押し寄せてきたのだ。


 見ていて危なっかしかったらから、色々教えてやったものな。武器の握り方、盾の構え方、転んでも危なくない転び方なんて自警団のまねごとみたいな方法で遊んでやった。


 最初はお礼を言ってくれたり頑張ってねと激励してくれたりだったが、なにやら思うことでもあったのかヘルマンが泣き出すと、そりゃあもう大変だった。つつかれたドミノのように全員が泣き出して大騒ぎだ。


 いやぁ、ほんと難儀した。どんな魔法を見せてやっても泣き止まないのだもの。


 こんな所で泣いてちゃ立派な冒険者にはなれないぞ、と大声で叱ってやってようやくだった。


 慕われるのも考え物だな。ただでさえ去りがたくあるのに、更に未練を感じてしまうのだから。


 「残りたくなりまして?」


 「……べつに」


 「ふふ、相変わらず強がりがお下手なこと」


 楽しそうにからかってくる幼馴染みに隠し事はできないらしい。私は照れ隠しとしてポリュデウケスに拍車を一ついれて、歩く速度を速めた。予定より出立が遅れたから、少し急がないと今夜泊まる予定の旅籠に日が暮れるまでに着けなくなる。


 「私も、ちょっと考えたことくらいありましてよ」


 「というと?」


 「このまま荘に残って暮らしたらって」


 彼女も私と同じ事を考えたことがあるらしい。荘に残り、模範的な荘民として暮らしている自分の姿を。


 私は都会に憧れて家を出る若人ではないから、故郷に幸せがないなんてことは思っていない。ここに残ることで得られる幸福もあったのだろう。


 だけど、それをして私は冒険の興奮を選んだ。思えば、彼女を付き合わせてしまったことになるのだろうか。


 「かといって、貴方と交わした誓いを後悔したことはなくってよ? そこは勘違いしないでくださいまし」


 馬鹿な問いをする前に釘を刺されてしまった。何だろう、今馬の手綱を握っているのは私なのに、完全に手綱を握られているような気分だ。


 男は女性にいつまでも勝てないものと前世でも今世でも物語にうたわれていたけれど、どうにも締まらないな。まったく、世の真理ってやつぁこれだから。


 「ありがとう、マルギット」


 「どういたしまして、エーリヒ。さぁ、地の果てまでどれくらいかしら」


 「夏には頑張って着きたいね」


 リズミカルな馬蹄の音を聞きながら、私達は故郷を離れ地の果てへと向かう。まぁ、なんだ、別に荷を膨らませる訳でもないのだし、故郷への想いや“もしも”を持っておいても悪いことにはなるまいよ。


 「ここより更に西……帝国の果てはどんな感じなのかしら」


 「楽しみだね」


 「ええ、そうね、楽しみですわね」


 それより膨大な未来が待っているのだ。理不尽や不運に出くわすこともあろうが、冒険の先を輝かせるのは結局自分自身である。


 さぁて、新しいレコ紙をもらいに行こうか。












【Tips】出稼ぎに荘を出る際には出身を明白にする割符を預かり、帝国臣民である身分の保障とする。これがあるとないとでは、余所の地で働く難易度が大きく異なる。


 帝国臣民としての身分は二〇年以上の定住及び労働・納税、三〇ドラクマの金納などで手に入れることができるが、身分確かならざるものが認められるのは極めて難しいことである。

長くなりましたが漸く出立です。

暫く辺境への道中をやって冒険者になるといった所ですね。いやぁ、長かった。

これで漸くLv1だな。


さて、改めて告知ですがヘンダーソン氏の福音を 2巻が8月25日に発売することとなりました。

現在各サイトで予約が始まっておりますので、よろしければ予約してやってください。なんといっても予約が増えると初版部数が(以下検閲削除)。

2巻はウルスラと出会いロロット救出までの話になりますが、今回も七万文字は書き下ろしたのでかなり違う内容になっておりますので、よかったら手に取ってやってください。前にも言いましたが手に取るとは遠隔表現であって要は(以下検閲削除)。

大変素晴らしい挿絵の数々をいただいておりますので、是非どうぞ。書影は既に発表され、私のTwitterや公式Twitterなどでも見ることができます。


また、ご過分な指示をいただき 好きラノ で新作7位にランクインいたしました。

これへの感謝企画ということでTwitterにて

 #TRPGプレイヤーが異世界で最強ビルドを目指す

とハッシュタグをつけてTweetしていただいたら私のふにゃふにゃしたサイン入り書籍(1巻)が貰えるキャンペーンをやっています。期限は2020年8月2日、つまりは今日中ですのでよかったらどうぞ。


書籍化作業のため更新が鈍っていたので、また週一くらいで投稿できたらなと思っています。

まずは糞ブラック勤務態勢に打ち勝つところからですが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] ご過分な指示は草
[一言] 昨日読み始めて、めちゃくちゃ面白くて全部読んでしまいました! ドハマリしてます!更新頑張ってください!
[一言] Web版の継続を祈念して1巻を購入し、2巻を予約しました。 このウキウキする物語が最後まで読めますように、、、 なんの神様にお祈りしましょう?(笑)
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