表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

121/298

青年期 十五歳の冬 七

 雪が降り積もる中、蒸し風呂で気絶寸前にまで暖めた体を真っ白な雪原に放り投げるのは、真夏日によく冷やした果実水を呷るのと同じくらいの気持ちよさがある。


 我慢に我慢を重ねた末のカタルシスとでもいうのだろうか、熱を持った体が一気に冷えていき、脳味噌が透き通っていく様な感覚は実に得難い快感だ。


 「くぁぁぁ、つめってぇ!」


 「ひゃああ、癖になるな!?」


 冬でも定期的に開かれる蒸し風呂の日に荘の男衆と混じって――流石に成人したので、子供の方にぶち込まれることはないのだ――汗を流していた。そして、南方では滅多にない積雪に川の代わりに突っ込めば、いつもと違う快感を味わえる。帝都でも雪が降ることはあっても、流石に浴場の中庭で雪に突っ込んだりはできなかったので初めての体験だ。


 いやぁ、これ悪くないな。雪は面倒臭いけど、この心地よさが味わえるなら良い物のような気がしてきた。なるほど、ミカが蒸し風呂に行く度に故郷の冬が恋しいと溢していた気持ちがよく分かる気がした。


 冷水風呂や川に飛び込むのも悪くないのだ。だが、この、なんだ、纏わり付いてくるような優しい冷たさは新感覚だな。


 荘の男衆と子供に戻った様に賑やかに雪を浴び、時にぶつけ合って冷えたら再び蒸し風呂へと逃げ込む。この寒暖差が交感神経を刺激して体の調子を整えてくれるのだから、やはり体に心地よいことは適度にこなしておくべきなのだなと実感させられた。


 暖炉の周りに屯し、水を足して大量に噴き出した湯気を一身に浴びること暫し。ゆであがりそうな暖かさに耐えていると、隣に腰を降ろす気配が。


 「ああ、親方」


 やってきたのは荘唯一の鍛冶師である坑道種(ドヴェルク)のスミス親方だ。ヒトと比べると随分と長命な種の彼は外見的な変化は殆どなく、記憶のままの姿をしている。ただ、出立の前より少しだけ髭が立派になったくらいだろうか。


 まぁ、この湯気に満ちあふれた空間では水気を吸ってぺったり潰れているので、雨に濡れた猫のような残念さだけがあるのだけど。


 「よぅ、エーリヒ。頼まれてた調整な、終わったぞ」


 「もうですか? ありがとうございます」


 体を白樺の枝でこする――むしろ打ち据えるという方が似合いの豪快さだが――ついでに仕事が上がった報告をしてくれる氏に礼を言った。実は帰郷からそう間を開けることなく鎧の調整を頼んでいたのだ。


 大きな破損をした訳ではないが、少し背が伸びたのか肩周りに違和感があったのである。そこを調整して貰うために持ち込んで、採寸しなおして調整してもらったが想定より早く終わってしまった。


 やはり大きな都市で冒険者や傭兵相手に仕事をしていた熟練の鍛冶というだけあるな。数年前に帝都でやった大立ち回り、その末に痛んだ煮革鎧を職工の同業者組合に修繕に出していただいたが、その時に担当して貰った鎧鍛冶が大変褒めていたのだ。


 素材そのものは市井でもありふれた普及品であるが、その一つたりとて粗末なものはなく、仕事にも雑さが全く見えない。帷子の編み込みも偏執的に丁寧に揃えられており、布の様な手触りに感嘆していた。


 形状も素人には分からないが、刃を立てにくい絶妙な曲面が採用されており非常に質が高いものであると評価していたな。魔法の守りもなく、神の加護も刻まれていないにしては破格の防御性能を発揮できると。


 また、成長に合わせて整えられる機構にも感じ入り、似た様な構造は普及品の鎧を作る際に取り入れられているものの、これ程までに無理なく調節できるデザインは貴重であると言いながら頻りに確かめていた。あれはきっと、彼なりに技術を盗もうと努力していたのだろう。


 帝都は産業に乏しい都市だが、鎧鍛冶や刀匠は多い都市である。それらは全て分かりやすい権威の象徴であり、数年に一度、帝室主催で催される馬揃え――いわゆる軍事パレード――で家格を競うため用いられる多義的な武装であるが為、帝都では戦がなくとも常に高い需要を誇るのだ。


 実戦に用いられることがなくとも、持ち主を堅牢に守る鎧と、敵手を守りごと切り伏せる名剣には実用以上の火力があるという訳だ。


 斯様な都市で鎬を削る鍛冶――フランツィスカ様の紹介なので下手な人物を寄越されまいと思ったが、まさか親方に見て貰えるとは思わなかったが――に認められる品を使っていたという事実に驚くばかりであった。


 「まぁ、随分と派手にやってきたもんだな」


 「おわかりで?」


 「わからいでか。切り傷、打ち傷、矢の擦過、鎧を触ってりゃ嫌って程見る傷だらけじゃねぇか。それどころか魔法の傷までありやがる。何処で何やってきやがった」


 「ははは……お恥ずかしい限りで」


 私は蒸し風呂の熱気以外で頬を赤く染めた。装甲点に頼らざるを得ない場面が幾度かあった未熟を恥じたのだ。


 思い返せば結構な無茶ばかりしてきた。


 最初は洋館の巨鬼から始まり、追い剥ぎまがいの傭兵や魔剣の迷宮――そこ、喚んでないから脳内に電波を飛ばしてくるな――帝都での大立ち回りにアグリッピナ氏の護衛道中。防ぎきれず、躱しきれず受けた攻撃の多いことよ。


 その全てから鎧は私の命を守ってくれた。傷つくことはあっても致命の一撃からは何時だって守ってくれたのだ。


 例外と言えば、帝都地下の大型貯水槽で戦った仮面の奇人もとい貴人であるが、あれは例外オブ例外だから除外だな……仮に金貨を百枚単位で積み上げた板金鎧であっても、彼の攻撃が防げたかは怪しいし。


 元より軽量身軽、回避と受け流しを旨とする軽戦士型の構築が基本である私を最後の最後で助けてくれる鎧には感謝すること頻りである。いやほんと、護衛道中だと不意打ちも多かったから、着込みがなかったらヤバかった場面はいくらでもあるしなぁ。


 ほんと、隙を見ては死角から短刀をブン投げてくる多足類の暗殺者には肝を冷やされっぱなしであった。


 「が、お前さん……」


 ふと肩を強く掴まれた。何事かと思えば、スミス氏は自分の仕事を確かめる時の様な神剣そのものの目で筋肉を観察しているではないか。


 「肉の付き方にゃ歪な所はねぇから文句はねぇが……ちょっと傷がなさ過ぎねぇか?」


 「はい?」


 彼は心底不思議そうに私の体を観察し、所々に視線を飛ばして筋肉の発達をたしかめつつも、何かを思い出すように指を添えていく。


 「例えば此処、帷子が解れるほどの刺突なのに疵痕の一つも残っちゃいねぇ。肩の防具の具合をみるに、ここも酷い打ち身で多少のクセがついたっておかしかねぇはずだ。何より、あの“一回ねじ切れた”みてぇな左腕の部分はなんでぇ」


 流石ですね親方、修理跡が素人では分からないくらい綺麗に治してくれたのに何があったか分かるなんて。


 「縫った跡もねぇが、魔法薬で治しても多少は“接いだ”跡が残る筈なんだぜ。それがなんだおめぇ、女みてぇな肌してからに」


 「いやぁ、ちょっと良い薬のアテがあっただけですよ」


 そう、過保護な……というか趣味的に薬を宛がってくる連中がいただけだ。そのせいで私の体は古傷とは無縁で寂しい限りである。


 このままだとアレができないんだよな。風呂とか寝床で「この傷か? こいつはな」と自然に武勇伝を語るロールが! 色っぽいシーンで男臭さを発揮することができないんだよ!!


 私はいぶし銀なロールに憧れがあるから、やっぱり古傷には思い入れがあるんだよな。特にGMが覚えていてくれて、話の中で触れて貰えた時は嬉しかったっけ。


 このままだとアレなんだよな、ぱっと見健康志向の普通の人だよな。筋肉は付いてきたけど、バッキバキって程じゃないし。


 どうせならアレだ、余所の星でチェーンソーくっつけた小銃で地底人とドツキ合ってる面々みたいなマッシヴさがあってもいいんだけど。


 「おっ、冒険の話か!?」


 私達の話を耳ざとく聞きつけたのか、冒険に目がない長兄が外から雪を纏わり付かせながら帰って来た。


 ……思えば兄も良い体に仕上がってるんだよな。家は結構裕福だから炭水化物もタンパク質もバランス良く採れてるし、義姉も母と同じく均整の取れた食事にこだわりがあるのか野菜も多く出してくれるため栄養の質は高いと思う。


 その上で休むことなく農作業に精を出し、雑事を片付けていると毎日が自然と鍛錬となるので男衆はみんな良い体をしている。自警団ともなれば、皆整った戦士の肉体をしており、由来を聞きたくなる古傷まであるときた。


 特にランベルト氏は凄い。今も近くのベンチに腰掛けて瞑目し、淡々と汗を流しているが、なんかもう圧が凄すぎる。人柄を知っていても隣に座るのにちょっと気が引けるくらいの威圧感がある肉体だもの。


 岩盤のように厚い胸板、梁もかくやの肩幅、巨大建築の基礎が如く据わった腰と柱の威容を誇る脚。肉体を縦横に走る古傷、縫い跡、貫通した矢傷から火傷で引き攣れた疵痕。ただ黙して座っているだけで、こうもありありと“強さ”を主張できる肉体があるのだ。


 これに憧れないでどうして男の子――尚、実年齢には目をつぶるものとする――を名乗れようか!!


 いいよなぁ、私もなりてぇなぁ、あんな動く仁王像みたいな見た目に。


 何があって鎧にあんな傷が付いたのかと問い詰めるスミス氏に、兄の冒険欲を満たしてやるついでに話して聞かせながら、私はついついランベルト氏の肉体を横目で見てしまう。


 何処かから「お願いだからそのままでいて!」という電波を受信しながら…………。












【Tips】魔法や奇跡などで四肢を再生、あるいは破断した四肢を再接合した場合は接合痕が残ることが多いが、傷が残らない治し方も存在する。


 傷を移す、または負傷を“なかったことにする”ような魔法や奇跡においては、最初から傷を受けていないのと同じ扱いになるからである。












 なぜか神田川という単語が頭に浮かんだが、はてこれは何を意味していたのだろうか。たしか前世関係だったと思うのだが、最近は色々と薄れてきていて困る所が多い。


 その割に妙に技術的な記憶は薄れなかったり、思いついたらどんどん思い出せるのが不思議でならないが、思い出せない辺り雑学的でどうでもいい単語だったのだろう。


 「どうかなさいまして?」


 「いや、なんでもないよ」


 首を傾げながら問いかけてくるマルギットに外套を被せてやり、私は彼女を抱き上げた。


 しっとりと風呂上がりの余韻を漂わせ、普段は括った髪を湿らせたまま流している彼女には妙な色気があった。冷たい外気に晒さぬよう、大きな布で頭巾のように頭を覆っているところも色気をかき立てている。なんというか、頭巾から少し零れている髪が凄く琴線を擽ってくるのだ。これも一種のチラリズムとでもいうのだろうか。


 男衆の後に風呂に入った女衆であるが、私はマルギットから終わる頃に迎えに来てくれと頼まれてやってきていた。


 それもこれも、川の近くに立っている蒸し風呂小屋は見晴らしが良い所にあるので、蜘蛛人であるマルギットが移動に難儀するからだ。


 別に腰元まで埋まる大雪でもあるまいし、ましてや接地面が多く体重を分散しやすい蜘蛛人であれば動きに気をつければ沈み込むこともない。現に彼女はこの雪の中も猟師としてきちんと仕事をしている。


 しかし、節足動物の流れを汲む彼女たちは寒さに弱い。体を十分に温めた後では尚更で、濡れた髪のままのんびり歩いてたら風邪を引くほどだ。


 故に可能なら誰かに連れ帰って貰いたいのである。冷える雪に振れる時間を短くし、できるだけ早く帰って髪を乾かす。そのために彼女は私の二本の脚を求めた。


 幼馴染みの要請に迷わず応えた私は勿論、マルギットのご母堂もお父上に抱えられて一足先にお帰りなられた。何やら「今日は猟師小屋の方で過ごしますからね」と意味深な言葉を添えて。


 「ああ、やっぱりエーリヒは暖かいですわね」


 「ヒト種だから蜘蛛人と比べればね。それに暖房を使っているだけだよ」


 首筋に捕まり、自分の外套だけではなく私の外套にも包まった彼女は幸せそうに吐息した。寒くないよう、懐に温石を呑んでいるのだ。多孔性の石を暖めて真綿で包んだだけの簡易な防寒具でも、複数持っていればかなり暖かい。この季節に外を彷徨く際の必需品だ。


 捻りもなく障壁で寒さを防いでもいいんだけどね。魔力を消費するのもなんだし、折角だから風情を味わいながら帰りたかったのだ。


 「そう? エーリヒの暖かさが一番だと思いましてよ? お家に持って帰りたいくらい」


 「恐悦至極にございます……あと、家まで送るんだから、持って帰ってるよね、実際」


 「あら、そうでしたわね」


 うふふと笑う彼女を抱いたまま、雪を踏みしめ家を目指す。この後は暖炉に火を入れ、何度も布で髪を挟んで優しく拭い、また暖炉で布を乾かして水気がなくなるまで繰り返す。<清払>の魔法でも少しアドオンをかませてやれば一発で乾かせるのだが、手抜きはよくないからね。


 なによりご婦人から髪を梳いてくれと頼まれたのだ、断っては男が廃ろう? それにこういうのは手間とは言わない。風情というものだ。


 「ふふ、雪が溶けて冒険に出れば、こうやってのんびりお風呂にも入れないのかしら」


 「そんなことはないよ。マルスハイムにはきちんと公衆浴場があるから」


 「あら、そんな心配でなくってよ? 長い遠征の途上を思えば、乙女として少し不安になるだけですわ」


 雪を踏みしめながら雪が去った後の事を語る。今はまだ勢いも強いけれど、そう間を開けずして豊穣神の休暇も明けるだろう。


 そうすれば私達は辺境へ旅立つ。マルギットは家督は妹にと実にあっさりご母堂を説き伏せたようだし、ご母堂も長女だというのに全く躊躇いがなく私達を見送ってくれる。


 それでも、こうやって馴染んだ荘の風景から離れるのは寂しかろう。


 私だって帰ってきたばかりなのに名残惜しくて仕方なくなりつつあるのだ。


 今はせめて、こうやって忘れないよう荘の光景を噛み締めながら時間を過ごそう。


 ゆっくりと静かに。


 そう、髪を乾かすくらいゆっくりと…………。












【Tips】三重帝国において男女間で髪を預けることは深い信頼と愛情を示す。

少し間が空いてしまいましたが更新です。

有り難いことに皆様のご支援をいただき、ヘンダーソン氏の福音を 2巻の発売が決定いたしました。

発売日は8月25日に決定し、既にゲーマーズなどで予約が始まっております。


1巻はおり悪くコロナ禍真っ只中の発売であり、2巻も未だ災禍冷めやらぬ中の発売ではございますが、まぁなんとかご支援いただければと存じます。

外道とおっかねぇ妖精共の挿絵が素敵な仕上がりになっているのと、七万文字くらい書き下ろしたぞ!

Web版を読んでいただいてても満足できるよう1巻に引き続き努力いたしましたので、2巻も手に取っていただけたらと思います。文庫版なので、まぁちょっといいラーメンでも奢ってやった心地で買っていただければ何よりです。


さぁ、予約してくれ! そうすれば部数がふ(ry

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=219242288&s
― 新着の感想 ―
読み返して改めて気づいた 妖精ズ、特に今は遠き都での貴婦人は離れるからこそ祝福を授けたのね… 祝福のおかげ?で今後も古傷とは無縁な優男になるという事か…
[気になる点] 蒸し風呂から雪原?ヒートショックで死ぬ気で?
[一言] 2巻発売決定おめでとうございます。 もちろん予約しますとも!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ