青年期 十五歳の冬 六
三重帝国の南方にしては珍しく深々と雪が降り積もる日、私達は越冬する天道虫のように居間の暖炉に張り付いていた。
寒いのだ。木と石造りの家は断熱性に優れているとはとても言えず、吹きっ晒しより数段マシとはいえ四肢末端より凍り付くほど寒い。出立の日の豪雨といい、なんだって私が何かを思い立つとこうもイレギュラーが続くのだろうか。
暖炉前の一番暖かい所は赤ん坊の特等席だ。一番弱い子供はきちんと暖めてやらないと、あっという間に神の御許に旅立ってしまうから。
次に良いところは腹を膨らませた嫁御の居場所。次代を紡ぐ女性は三重帝国において、ことのほか大事にされる。絶対安静とばかりにかごの鳥にする大事ではなく、食事でも居場所でも一等良いところを貰えるのだ。
次に家長である父が最後に余った近くに陣取り、隣に母が寄り添って、後は人に遮られてあんまり届かない熱を我々兄弟が奪い合うように拾っていくのだ。
……あれ? 家長は今ハインツ兄の筈なんだが、どうして斯様に立場が悪いのだろう。あれか? 結婚式で私の兜割にテンションを上げすぎてやらかしたのが尾を引いているのか?
だとしたら悪いことをしたなぁ、と思いつつ、私は内職として削っていた木造の出来映えを確かめた。
模範的な荘民が冬場にすることといえば内職だ。空っ風に追いやられて家に引き籠もり、高い燃料代にぴぃぴぃ言わされながら明かりを灯して手工業に精を出す。田畑を耕せなくとも農民に暇な時間など一時たりとてないのである。
金髪も豊かな美女の似姿をとる豊穣神を模した木像の仕上がりは、私基準ではまぁまぁと言った所か。器用を<寵児>に引っ張ったおかげでディティールの精緻さは一角のものと思えるようになったけれど、<審美眼>では“小手先に頼った秀作”という微妙な評価が下される。
専業では無く<艶麗繊巧>頼りの腕前ならこんな所か。一時そこそこの価格で取引されても、後の世には残らない部類の歴史上にはいくらでもある品といった具合だね。
内職としては十分ではあろうさ。今冬の宿代程度にはなろう。
私が毎度の如く木像作りに精を出すように、兄たちは農具の柄だの日用具を新調すべく材木をひたすら削り、母と義姉は繕い物に没頭する。この時代、布が高価なのもあって被服は大変高価であるので、女性の手仕事といえば専ら家族が着る服を作ることや、町に持って行って売る服を作ることであった。
それ故、女性は料理と裁縫の腕が一番の美的要素であり、顔は三番目と言われることもあるそうな。
「いやぁ、しかしアレだなぁ……」
地味な作業をする家人の中で、一際地味な作業をしていたハンス兄さんが心の底から感情を込めた言葉を吐く。
「エーリヒ、お前冬が来る度に帰って来てくんねぇかなぁ」
写本のため羊皮紙へ綺麗な文字を神経質に書き付けていた兄の言葉には妙に感情が入っていた。それもこれも、私が作った魔法の光源が部屋の中央に浮いているからだろう。
「そうよねぇ、暖炉の薪代も浮くし……」
母が頬に手を添えて、主婦の苦労がたっぷり滲んだ吐息をこぼす。今、暖炉で煌々と燃えている火は薪を熱源としていない。私が魔術で作った、魔力を燃して熱を放つ魔導院で披露したら鼻で笑われるほど原始的な炎熱魔法だ。
「あれだけ貯まっていた洗濯物も一発で終わるし」
「壊れてた屋根も綺麗に直ったもんなぁ」
兄夫婦も内職の手を止めること無く勝手なことを抜かしてくれる。先日、暇を持て余した私が家中の洗濯物や脂でくすんだ古着に<清払>をかけて周り、いつだか父上が修理しようとしてぶち抜いた屋根の縁を<見えざる手>を使って片手間に修理したことを言っているのだろう。
「お貴族様が魔法使いを囲う理由がよく分かるぜ。家くらいでも掃除するのに下男が二人いるんだから、どうやってあんなデカい屋敷を維持してるんだろうと不思議だったんだわ」
良いところのお家に婿入りしたミハイル兄さんならではの感想ありがとう。あと、あんたこんな頻繁に戻ってきてていいのか? 私の帝都話を聞きに来たらしいが、普通に内職してるあたり、良いところ旦那様としての自覚がちょっと足りてなくない?
あ、いや、そうではなくだね……。
「善意で頑張った私を体の良い召使いみたいに扱わないでおくれよ」
あまりの扱いにちょっとげんなりしてしまった。いや、分かっているけどね、全員が本気で口にした訳でもないことくらい。
ただ黙々と内職をしていると気が滅入るから、気分転換のお話の話題として選んだだけなのだろうさ。
「魔法というのは本当に大したもんだよ。なぁ、ミナ」
「そうねぇ、私も使えるようになるなら使いたいものよ」
家族にまで秘密にしておくことはなかろうよと思って、少し奮発しすぎたかもしれない。家族が驕って魔法が当たり前になった……などと心配しているのではなく、私が冒険に出た後、一度覚えた贅沢を忘れるのが大変だろうなと思って斯様な話題が出た風情であるので悪い気はしていないけども。
「エリザもこんな風に魔法を使えるようになって帰ってくんのかねぇ」
「あら、じゃあ帰省したらエーリヒのようにお手伝いしてくれるのかしらね」
「冗談言わんでくださいな母上。エーリヒから聞いたろ? 自由に出歩けるようになる頃にゃ下手すりゃお貴族様だぜ」
暢気な次兄と母に対して、貴種との付き合いがある三男は大分反応がシビアだった。羽ペンでこめかみを掻く彼は、翌春より代官の下で働くことになっているだけあって貴族文化にも随分と理解がある。
故に分かるのだ。貴族位を持つ者と持たぬ者の差を。
仮に家族であったとしても、後に出世して貴族位を持つ者に対して我々は軽々に声をかけてはならない。血のつながりがあったとしても謙り、名に敬称をつけて呼ばねばならなくなる。
感情ではなく、国体がそれを強いるからだ。
仮に当人が許しても貴族社会がそれを許さない。貴種そのものが軽んじられることとなれば、国体にひびが入り、牽いては帝国の鼎の軽重を問われることとなるのだから。
精々、余人を介さぬ小さな部屋で気軽に接するのが限界といったところだろうか。
家族が大好きだった彼女には酷なこととなろう。
ま、なんとかする手段がないとも言わないけれど……。
「エーリヒくらい自由に魔法を使えるのが一番かしらねぇ」
「まほう!?」
義姉がしみじみ呟く声に反応し、高い幼子の声が響いた。
音源は繕い物をしていたミナの膝で寝ていた一人の幼児。兄夫婦の長子にして、私に“おじさん”という称号を与えてくれた幼い甥っ子だ。
彼の名はヘルマン。歩き回り言葉もしっかりしてきて家族をハラハラさせることに余念のない、生命エネルギーの塊である三歳児だ。
父親のエネルギッシュさを遺憾なく受け継ぎ、しかし見た目は清楚なミナ嬢の生き写しという、前世であれば子役として方々に引っ張りダコになりそうな彼は、ここ暫く初めて遭遇した魔法に目が無かった。
それはもう大人としてはまぶしい位のきらっきらした目で私を見上げてきて「おじちゃま、まほうみせて?」と辿々しくせがんでくるのだ。もうね、この世でエリザの次に可愛らしいのでは? と馬鹿叔父っぷりを発揮して色々見せてやったね。
そのせいで彼は魔法という言葉に酷く敏感だった。さっきまですやすやと母親の膝で寝ていたが、どうやら頻発される魔法という単語に寝ていられなくなってしまったらしい。
部屋の中央で優しい光を投げかける光源を見上げ、感嘆の声を上げてじぃっと見つめる姿は本当に可愛らしい。これほど無条件に尊敬されると、面映ゆいけれど心の底から嬉しくなってしまって困るね。
魔法の光源は四〇ワットくらいの電球色をイメージした柔らかい明かりを投げかけている。蝋燭や行灯の灯りしかしか知らない人には、とても明るく見やすいと感じられるだろう。
チラつくこともなく、高いところで輝くため落ちる手元に影も落ちにくい。帝都では比較的安価に――貴種目線であれば――手に入る魔導具で再現できるありふれた光源も、この南方の田舎では正しく魔法の仕上がりだ。
これほど喜んでくれるなら、手持ちの道具で似たような魔導具が作れるので置き土産にしようかと思っている。
「おじちゃ、すごいね!」
「そうかい? ありがとうヘルマン」
無邪気に足下に絡みついてくるヘルマンは、幼少期のエリザを思い出させる。出歩けるようになった頃は、何時もこうやって足下に絡みついていたっけな。大人びてきてからは手を繋ぐようになってくれたけど、こうやって全身で頼ってくれるのは兄貴冥利に尽きる思い出だった。
甥っ子は魔法使いに憧れているようなので、内職の手が空いたら杖でも作ってやろうか。ちょっとした術式を込めて、声を上げて振り回せば先端が光るギミックとかも込めて。前世でも姪っ子にお誕生日で似たような玩具を買ってやった思い出があるしな。
ああ、ただ、それ一本だとお友達が嫉妬して大変かな。じゃあ、幼い日に兄へ贈ったような剣と盾の玩具も量産しようか。今の私なら一つ作るのに半刻かからないから、お友達全員と冒険者ごっこができるようにしてやろう。
格好良い剣にがっしりした盾、持っているだけで強くなったように思える長い槍や神秘的な杖に、見た目は大仰だが紐を張っただけの弓矢。これだけ色々揃っていれば、あっという間に荘の人気者だな。
ほっこりした気分になった私は甥っ子を膝に乗せてやってから、煙管を取り出して一服つけた。そして<見えざる手>で作った“カタ”の中へ吐き出せば、煙は鳥の形に固定されて舞い上がる。飛んでいるように見えるよう“手”を動かせば、彼は幼い歓声を上げて目一杯手を叩いてくれる。
私が見せる魔法とも言えない魔法で、一番のお気に入りがこれだそうだ。子供というのは誰しもが大人が見せる煙草芸に憧れるものなのだろうか。私も祖父に煙草の煙で輪っかを作ってくれとせがんだ事があったしな。
懐かしさを煙に込めて輪っかに仕上げて吐き出せば、その合間を煙の鳥が優美にくぐり抜けていく。一層激しさを増す拍手に目を細め、私の魔法が彼の小さな思い出になれば良いと思った。
「それだけで食ってけそうだなお前」
「いっそ冒険者じゃなくて大道芸人でもいいんじゃねぇの?」
我々の知る煙草と違って子供に害は無かろうが、煙を吸わせるのは何なので換気のため微かに空けた窓の外から輪っかと鳥を追い出せば、双子がこれまた適当な感想を投げてくれる。芸の道は言うほど簡単ではないのだが。
「馬鹿野郎! エーリヒは俺たちの代わりに夢を追って冒険者になってくれるんだぞ! 適当なことを抜かすな!!」
そして適当なことを抜かすなと言いながら、見当違いのことを抜かしてくれる兄上であるよ。別に兄貴が捨てた冒険者の夢を代わりに背負った訳じゃないんだよ。
「いつかこの荘にもエーリヒの冒険譚を携えた詩人がやってくるんだ! そう、えーと……神剣のエーリヒみたいな凄いのが!」
「パクリじゃねーかよ、その二つ名」
「兄貴の趣味丸出しだろうが、もっとセンスがいいの思い付かなかったのか」
「んだとぉ!? イェレミアスの神剣サーガを馬鹿にするとあっちゃ兄弟でもただじゃおかねぇぞテメェ!!」
盛り上がっているのは結構だがね、兄貴諸君、嫁御どのがどんどん目を険しく細めていっているのが分かっておいでかな? そろそろ雷が落ちて、また三人揃って床に正座させられてもしらんぞ。こんだけ騒いだら機嫌良く寝ている長女のニコラが……。
「ふあぁぁぁぁん!!」
あーあ、案の上だよ。暖炉前で熱を一身に受け止めて穏やかに眠っていた、兄夫婦の長女が騒がしさに午睡を邪魔されて弾けたように泣き始めてしまった。
「ヘルマン、ちょっとおんもに行こうか。お外の方が大きな煙の魔法を見せてあげられるから」
「うん! みたい!!」
落ちる雷から甥っ子と共に逃げ出すことにした。今回ばかりは私は絶対に悪くないので庇ってなどやらん。見捨てるつもりかとでも言いたげな同胞の視線を軽く蹴飛ばし、私は面に出てしばし甥っ子を煙芸で喜ばせてやった。
「なぁ、エーリヒ」
帆船の形を模した煙を飛ばし、それを甥っ子が捕まえようと必死に走っている姿を微笑ましく眺めていると、私と同じく説教を聞きたくなかったらしい父がいつの間にやら隣に立っていた。
「いつ頃出る予定だ?」
「そうだね、雪が溶けたら行こうかと思ってるんだ」
本当は農繁期が終わるまで手伝いをしていきたいのだが、目的地が遠いので出発は早いほうがいいだろう。エンデエルデと呼ばれるマルスハイムまでは身軽であれば一月と少し、荷があって余裕を持った旅程なら二月は欲しい。
学校でもあるまいし春に始めねばならぬという法はないが、気分的に新しいことをするなら春がいい。この地に桜はないけれど、やっぱり新入生と言えば四月だからな。世間一般で家を出るなら、農繁期に捕まらないよう農作業が始まる少し前にという話も聞くほどだし。
「そうか。ならもう一月二月というところか」
「そうだねぇ……豊穣神の休暇、今年はなんだか長そうだし」
雪は豊穣神が一年頑張った後にとる休暇の褥だという。これほど見事な寝床をこしらえたということは、今年はかなり長寝をなさる算段なのだろう。畑を起こすのが遅くなるとかなり忙しくなるが、神の休暇に文句を申し立てるわけにもいかないし、頑張って貰うほかなかろう。
その分、秋の実りは例年より豊かになると聞く。迷惑をかけた代わりとばかりに。
「なぁ、エーリヒ」
「なんでしょうか、父上」
新しい煙を出してやって、雪の中を転げ回る甥っ子を楽しませていると父が酷く真面目な調子の声を出す。驚いてそっちを見やれば、これまた酷く真面目な顔でじぃっと私を見ているではないか。
すわ何か重要なことを言われるのではと背筋を正してみれば……。
「俺は、剣に踊る者とか格好良いと思うんだが、どうか?」
あんたもか親父…………!?
【Tips】二つ名、異名、通り名。その者の所業を分かりやすく説明する修辞的な技法。冒険譚などに謡われる英雄にはこれを持つ者が多く、誉れ高き偉業が多ければ多いほど増えていく傾向にある。
が、それを向けられた本人がどう感じるかは当人次第である。
ファンアートを頂いてテンションが上がったので更新です。
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次辺りで準備も終わって出立というところでしょうか。
家族描写も多少は入れないと薄味になるとはいえ、結構間延びしてしまいました。
まぁいいか、ネット小説だからな! 尺の縛りがないので好きにやってしまおう。
困るのは将来の私だから平気平気。
ということで一巻を書いている時の私をぶっ殺してやりたい気分で一杯です。こいつのせいでほとんど書き下ろしなんだよなぁ……。




