青年期 十五歳の冬 五
都会と田舎で物価が違うのはよくあることだが、田舎の方が物価が高いことがある事実に前世のせいで違和感が強い。
とはいえ、生産も流通も田舎の方が少ないから、この時代では仕方がないのだ。むしろ当然の理屈とさえいえる。板一つとっても林業の規模と工房の多さ、需要に伴う流通量によって価格は上下するもので、住宅需要が大都会と比べると乏しい田舎では良質品の根が張るのは至極当然であった。
ああ、こんなことなら帝都を出るときに買い込んでおけばよかった。倍以上違うなんて聞いてねぇよ。
ある晴れた冬の昼下がり、私は目減りした財布の中身の代わりに手に入れた板材を抱えて馬房に来ていた。家で作業して汚すわけにはいかないからだ。
手には借りてきた大工道具が一式と使い慣れた彫刻道具。あとはちょっとした細工を込めたインク壺が一つ。
いやはや、本当に驚いた。子供の頃は金を使ったりしなかったので田舎の物価を知らなかったのだが、食い物以外が悉く帝都より高い。同業者の職工組合なんぞがあったから――魔導院の御威光もあるが――手軽に手に入るものが全然お手軽じゃなくなった。こりゃあ酸化銅なんぞの魔法触媒にも苦労させられそうだな。
値段のことはどうしようもないけれど、手に入ったのだからこれ以上の文句はやめておこう。人生諦めも肝要だ。通販サイトでぽちっとやれば必要な物が日用品から趣味の物まで手に入った贅沢な世界のことは忘れようじゃないか。むしろ金で取引してくれたことに感謝するべきである。
私は買ってきた板材に木炭で下書きをして準備を終えると、彫刻道具を取り出そうとし……。
「ふっ」
「ひゃんっ!?」
耳に息を吹きかけられて彫刻刀を取り落とした。
耳を押さえて振り向けば、悪い笑みを浮かべたマルギットの姿が。くそ、黒星がまた一つ……。
「可愛らしい声をご馳走様」
「危ないなぁ、怪我したらどうするのさ」
「そうならないよう、作業を始める前にしたでしょう?」
ということは暫く前から観察されていたという訳か。やはり種族の強みを活かした構築をされるとヒト種は弱いな。鈍いし脆いし、暗視技能にも限界がある。まぁ、バックアタックを食らう可能性はマルギットが同道してくれればかなり薄まるから、そっちに熟練度を振るのも勿体ないしやらないけれど。
「それで、何を作るつもりでいらして? 家具にしては仰々しい模様ですこと」
「ちょっとした小道具をね」
熟練度はもっと大事なことに使うのだ。具体的にはこの箱、<空間遷移>のレベルを<基礎>まで上げることで使えるようになった<物体遷移>の触媒に使った。
前にも<空間遷移>は莫大な熟練度が必要になると言ったが、本当にお高い。一年かけて貯めた熟練度を吹き飛ばして漸く<基礎>まで上げて、そこから非生物限定で安定して物を遷移させられるようになった。
それもかなり制約がある状態でだ。精々手に持つことができる程度の重量と質量の非生物を一度に一つ、決めた場所から引っ張り出せるようにする程度。それでも移動技術が未発達なこの世界では大したことなのだけれどね。
空間遷移技術がここまで習得困難になったのは神々の思惑があるのではなかろうかと最近ちょっと考察している。移動と情報伝達が簡便化すれば文明は飛躍的に発展するので、過度な成長を遂げられないようフェイルセーフとして世界が拒んでいるため、習熟にも発動にも斯様に莫大なコストがかかるというのが私の推測だ。
さもなきゃ<戦場刀法>を何とか<神域>に持ってけるだけの熟練度を<基礎>レベルで要求されてたまるかよ。色々な前提が崩れるのを嫌って用意された設定としか思えんわ。
いや、うん、分かるよ、高レベルになればなるほど<空間遷移>みたいな魔法が出てきてセッションがやりにくくなるのは。それこそ「あ、やべ、これあの魔法があれば一発でシナリオクリアされるじゃん」みたいな魔法に頭を悩ませた経験は全てのGMが持っているはずだから。
推理シナリオで嘘を看破する魔法を叩き付けられて白目を向いたり、護衛シナリオで先行した魔法使いが転移魔法で護衛隊商を送り届けて全てのイベントがぽしゃったり……初心者だったころは色々やらかしたものだ。
だから仕方ないんだ、GMに優しくなさ過ぎる世界は衰退するからね。仕方ないね。
世知辛い世界の事情はさておくとして、物体を遷移させる術式を成立させたが、これがまた燃費がとんでもなく悪い。魔力事情を改善させた私をして、適当に使うと一発で魔力枯渇を引き起こすクソ燃費だ。
それを解決するためにこの箱を作ろうとしている。
大人しく適当な所に腰掛けて観察しはじめた幼馴染みの声援を受けつつ、私は彫刻刀で下書き通りに紋様を刻み込む。そして、その縁に前もって帝都の工房で用意したインクを塗り込めていった。
これはただのインクではなく、幾つかの魔法薬と“私の血”を混ぜ込んだ特殊なインクだ。直ぐに乾いて劣化しづらくなり、防水能力を持たせる魔法薬を混ぜ込んだ上で私の血を入れることによって私の魔力との親和性を高める細工が施してある。
そして、それで術式陣を刻んで密閉された空間を作れば、空間遷移の精度と燃費は格段に向上する。この棺桶よりは一回りほど小さい箱の中身であれば、中身を簡単に選んで取り出せるし一日に六~七回は問題なく使えるくらいの燃費になるはずだ。
要は一番大変なのは取り寄せる物の情報だのを設定して、その上で座標を掴んで取り寄せることなのだから、一番大変な所だけを簡略化・限定化することで労力は軽減できるよねという論法である。
これに関しては一応アグリッピナ氏にも監修はしてもらっている。その時に「態々こんなことしないといけないわけ?」という貴族オブ貴族な感想を頂いてしまったが、貧乏人には貧乏人なりに工夫しなければならないことがあるのだ。説明しても納得はして貰えなかったけど、協力はしてもらえたので失敗することはなさそうだ。
紋様を刻み込み――箱の内側だけにしてある。外にまで達したら禍々しすぎるので――箱を組み上げるのにかかった時間は一刻ばかりか。とりあえず実験としてそこらで拾った木切れを放り込んでみる。
「ねぇ、一体何を作っていらして?」
「論より証拠ってことで、今から使ってみるから見ててよ」
そして術式を起動。低燃費な魔法ばかりを好んで使ってきた私には不慣れな、多量の魔力が一気に抜けていく気持ち悪い感覚に軽い吐き気を覚える。
しかし、掌の上に生まれた空間の黒い“ほつれ”から木切れが吐き出されたので実験は成功だ。ただ、こうも気分が悪くなるなら戦闘の真っ只中では気軽に使えないな。もっと燃費を向上させるか、魔力が抜ける感覚になれねばなるまい。
「まぁ!?」
マルギットの驚く顔に気分よく箱を空けて見せてやる。箱の中からはきちんと入れていた木切れが消えている。当然のことだ、これでアイテムが増殖していたら本当の不具合だからな。世界からどんな突っ込みが返ってくるか分かったもんじゃねぇ。
「そんなこともできるなんて……魔法は凄いのねぇ」
「そうだろう? これで重い物とか壊れ物を安定した所に置いたまま旅ができるんだ。そして必要になったら取り出して使えば良い。この箱ごと呼び出すこともできるからね」
説明してやれば、彼女は首を傾げて聞いてきた。
「なら、私が収まって呼んで貰うこともできるのかしら」
あー……うん、そうなるよね、分かるよ。
でもまだ無理だ。<空間遷移>は一瞬だけこの世とはまったく異相が異なる世界を通して物を移動させる技術なので、残念ながら普通の生き物は耐えられない。生き物を“生きたまま”で移動させようと思えば、もっと高度な術式を練らなければならない。
アドオンと空間遷移本体の熟練度も合わせれば、私を構築している熟練度の全部をぶち込んでなんとか……というところだろうか。
うん、仕方ないよね。だって人間に瞬間移動されたら、それだけで破綻するシナリオは多すぎる。色々とバランスが狂うから割高にしておきたい世界さんの都合はよーく分かる。さもなくばGMだって態々魔法が使えなくなる都合の良い空間や結界を用意したりはしないさ。
「魔法も全部が都合よく、とはいかないものなのですね」
「分かってくれてなによりだよ。魔法使いとなれば、何だってできると勘違いする人もいるからね」
幼馴染みが理解ある人種で本当によかった。私達魔法使いはあくまで世界の構造をちょちょっといじくって世界に“気を遣わせている”だけに過ぎないから、世界の法則を完全に無視して便利な現象を引き起こせるわけではないのだ。
無から有は生み出せないし、一欠片のパンから無限にパンを増やせはしないし、焼き魚を元の魚に戻すことなんてできはしない。だが、知らない人に限ってなんでも出来ると思われがちだからな。その点を鑑みれば、未熟な私に師が魔法使いであることを隠せというのも納得がいく。
便利屋として使えると思って無茶振りを喰らっちゃたまらんからな。
私達はこの箱があれば冒険をどう進められるかをしばし楽しく相談しあった…………。
【Tips】空間遷移の箱。エーリヒが自分用に作った箱であり、この中に入っているものは低燃費で<空間遷移>させられるよう術式陣が組み込まれている。
昔、夜中に家を抜け出すと言えばコンビニに買い物へ行くことだった。高校生の頃、冷えた空気を楽しみながら、あの安っぽい唐揚げを囓る時間は特別なことだったね。
ただ、今やあの賑やかな看板の灯火は遠く、月の明かりを頼りに近くの林へ逃げるようにやってくるだけだ。不健康そうに味が濃い唐揚げも、大好きだった甘ったるいコーヒー牛乳もここにはない。
あるのは自分と丸い月、そして手にした剣という名の力。
基本の型を繰り返す。戦場刀法は大雑把な剣術であるが、型はある。受けに向いた構え、前のめりに切り込に行く構え、攻撃を誘って逆撃を叩き込む構え。仮想の敵と切り結び、延々と気が赴くままに剣を振りたくる。
自警団の訓練はいい運動と練習になる。ランベルト氏とガチでドツキ合うのは、何度か命の危機を感じるだけあって最高の熟練度稼だ。正直、<神域>リーチの私に剣術と体術だけで迫るあの人の完成度合いは洒落になってないね。なんでこんな田舎でのんびりしてるのか理解に苦しむほどだ。
正直ガチで剣一本担いで殺し合いをしたら勝てるか分からない。単純なスペック比というよりも持っている引き出しの差とか……あと、運の太さとかが大分違う気がするのだ。
人が藁のように死に、誉れ高き騎士が流れ矢に倒れ、飛び交う魔導で一角の武辺者が気まぐれのように死ぬ戦場。そんな地獄で引退できるまで前線に出続けられるリアルラックの強さはかなり羨ましい。会戦に参加していたということは、戦術・戦略級の魔法にかちあったこともあるだろうから。
とはいえ鳥をやっかんだ所で飛べないように運のいい人をうらやんでも幸運にはなれない。タイムラインに流れてくるガチャの結果を恨めしげに眺めたところで、贔屓にしているキャラが出てくれるわけもなし。
だから私は私のやり方で殺しにかかれば良いのだ。剣の稽古だけでは、折角の魔法の腕が鈍ってしまうからな。
剣を振ってエンジンがかかってきたので、調子を少し上げていこう。
中距離に陣取った仮想の敵に持っていた剣をブン投げた。投げナイフほど正確には行かないが、三kg以上ある鉄の塊が高速回転してぶつかってくるのだから、当たるのが刃だろうが束だろうが誤差よ誤差。
「二番」
指を一つ鳴らし、補助詠唱と共に術式を起動。空間が解れ、二番のタグをつけた剣が虚空から掌中に現れる。因みにさっき投げた剣には一番のタグがついていた。
長さは“送り狼”より少し長いくらいの剣は、ミカと遠出した時、ヴストローへの往路で襲ってきた野盗共からの戦利品である。
ついで<見えざる手>を起動し、投擲した剣を拾い上げ一本の腕で扱う。二刀流、というより<多重併存思考>により独立稼働する半自律の見えざる剣士がいるような調子だ。
そのまま幾つか型を繰り返した後、不可視の剣士で押さえつけていた仮想の敵に投擲。拘束してから投げ物でとどめってのは様式美だよね。
「三番」
“手”で操る剣を増やしながら空間遷移で剣を呼び寄せ回転を上げていく。四つ、五つとタグを振った剣を延々取り寄せて使い捨てるように持ち替えてゆく。全て無銘であるが品質はよい拾いものだ。得物を厳選しておけば、魔剣の迷宮でやった即席の戦列よりずっと統率が取れたコンボが出来上がる。
同士討ちはせず、しかも互いの体で射線が埋まらない“私と同格”の剣士が“手”の数だけ並ぶ。消費魔力の割に実にえげつないできに仕上がったんじゃないかと思うね。
六番目の剣、一番新入りである昨年アグリッピナ氏が初めて襲撃を受けた時にかっ剥いだ剣を放り投げ腰の“送り狼”を抜き放つ。
そしてそれすらも“手”に委ね、虚空に手を伸ばし声も無く名を呼んだ。
あの忌々しく寝所を這いずり、盲いた愛を語るおぞましき魔剣を。
空間を斬り削る呼び出された事への歓呼。求められ剣として握られる事へ随喜の絶叫を上げながら“渇望の剣が”手の中に這いだした。
黒い刀身は相変わらず。かすれて読めない古語が刻まれた樋の文字も悍ましく、月の光さえ飲み込む黒い剣は絶好調であった。
ただ、その身は些か“短く”なっていた。
具体的には殆ど“送り狼”と同じ寸法にまで縮んでいる。
ある日ふと呼び出して使っていると、言語は認識として認識できぬが曖昧に意味を理解できる思念の絶叫が私への愛を叫んだ。
至らなかったと。愛されるには愛さねばならないと。
そして、愛されるために貴方をより強く愛すると。
気が付けばこの呪物は私の都合のよい身幅に手前を合わせることを覚えていた。
まるで恋人に合わせてファッションを変える女性のようだと考えてしまったが、それもまた愛であると言われれば否定できないのも事実。愛した相手から心底惚れて欲しいと思うのは自然なことだろう?
男だって相手のためにスーツをバシッとキメることもあれば、財布より溢れそうな贈り物で気合いをいれることだってある。愛のため真摯に自分を擲っていると思えば、悪い気はしなかった。
妙に体に馴染む“渇望の剣”を振り回し、技を幾つも試し構えを次々と切り替える。仮想の敵を何十と切り倒した頃、思い立って私は握りを変えた。
片手で剣を振るうのではなく、両の手で柄をしっかと握り渾身の力で振り回す構えへと。
すると、瞬くほどの間も介さず、ましてや手の中で得物が伸張したという実感さえ欠片も感じさせることなく“渇望の剣”は元の威容を取り戻す。私の身に大きく余る、長大な両手剣の姿へと。
黒く艶めかしく光る刀身は囁きかけるように剣呑な光を宿し、見ているだけで魂が何処かへ落っこちてしまいそうな危うい美しさで語りかけてくる。
愛している、愛していると盲目的に。
そして私は彼女からの懇願に応え、全力で空間を薙ぎ払う。大仰な風を斬る音が巻き上がることはなく、大気は死んだように薙いでいる。
もし虚空が命を持ったなら、確実に絶命したと確信するほどの手応え。一切アドオンを振っていない、両手剣の扱いであれば自分でも「おっ、これサイコロ二回は余分に回ったな」と思うほどの一撃を放つことはできなかっただろう。
渇望の剣は私に合わせることを覚えた。一つの意味ではない。どのような姿でも十全に振るわれるべく、両手剣であるにも関わらず<片手剣>スキルのアドオンが適用されるようになったのだ。
持て余すほど長い剣が全くの違和感を覚えることなく自然に扱えている。回避行動に移ることもできれば、その長大な刀身を活かした防御まで自然にこなす。果たして“渇望の剣”が私に合わせたのか、はたまた私が合わせられているのか疑問に思うほど滑らかに剣の舞踊は続く。
肉体と剣の境目が曖昧になるほど踊り狂った後、不快な偏頭痛がこめかみから脳の奥へ刺さるように走った。魔力の枯渇を報せる警報だ。脳が無茶をしすぎると“オチるぞ”と教えてくれているのだ。
全力でコンボを使った際の継戦能力の確認はこの辺にしておくか。汗みずくになってしまったが、自分がどこまで戦えるかを把握しておくのは本当に大事だからな。いざ実戦で術式を使って昏倒しました、なんてことになったら笑うに笑えない。
よし、色々考えて構築したが悪くないんじゃないかな。まだアグリッピナ氏ほどの理不尽性能ではないが、結構なクソゲーを相手に強いることができると思う。
後、最初から全力を出すなら剣を個別に呼ぶのではなく、箱ごと引き寄せた方が最終的な消耗は少なく済むかもしれないな。そっちの方が絵面もインパクトがあるかもしれないし。
とりあえず後片付けをしたら井戸で水浴びをして寝るかと思っていると、とても大事なことを忘れているのに気が付いた。
「……あ、コンボ名なんにしよ」
私としたことがコンボ名を忘れているじゃないか。毎度毎度スキル構成を長いお経みたいに唱えるのは大変なので、よく使うスキルの組み合わせには演出もかねて名前をつけるのが一般的だ。シンプルに一番二番で済ますこともあれば、設定を練りに練って腕とか目とかが疼きそうな名前をつけることもあるのだが、これが結構大事なのだ。
時短の意味もあるが、やはりTRPGには格好良い演出を可能とする設定を披露するのが醍醐味というもの。何か格好良い口上を述べてサイコロを転がす爽快感と言ったらもうね。
私は「もう終わりなの?」とでも言いたげに啼く渇望の剣を地面に突き刺し、しばし思案に耽るのであった…………。
【Tips】コンボ名。発動させるスキルを一纏めにして申告するもの。あらかじめGMにキャラ紙を見せておき、このコンボ名の時はこれだけのコストを使って記載のスキルを発動させると分かりやすくしておけば戦闘で長々お経を唱えなくても済むため重宝される。
心の中の中学二年生を大爆発させるもよし、ネタに走るもよし。最終的に盛り上がれば大抵の事が許容されるのがTRPGという遊興である。
ヤケを起こしてこんな時間にサプライズ投稿。
詳細はTwitterを参照。
書籍のサイン本が当選者の手元に届いたようですな。
とはいえサインなんて人生でしたことがなかったので酷いできだったので練習しなくては。
サインする本が増えなければ無駄になってしまうわけですけども(チラッ チラッ)




