青年期 十五歳の冬 三
散々な帰郷の翌日、私は実家の庭で薪を割っていた。
「あー、いってぇ……」
痛む膝を抱えながら、薪割り台の上でナタを振るって暖炉にくべる薪を割る。三重帝国でお説教を受ける伝統ポーズ、床の上で正座という苦行によって足がお通夜状態だ。
一説によれば開闢帝リヒャルトがやらかした廷臣を訓告するに際し「こうした方が身に染みるだろう」として始まった文化らしいけど、説教される側としては要らん文化作りやがってと思うばかりである。西方のヒト種の膝は長時間の正座ができるような骨格にできてねぇんだよ。
目覚めと共に始まったお小言は数刻にも渡り、エリザを絡めた話題を好機とみて、私がエリザからの土産があるからと切り出して漸く抜け出せた。因みに他の男衆はまだ捕まっており、いい年こいた所帯持ち二人と代官に出仕する祐筆が揃って正座しているというシュールな光景は継続中だ。多分今日はもう他の男衆は足がしびれて使い物にならんのではなかろうか。
何はともあれ、帝都で母と義姉のために良い反物、小洒落た櫛や簪なんぞを仕入れてきていて本当に良かった。エリザからの手紙を預かり、ライゼニッツ卿から細密画――欲しいといえば何枚も取り出してきたので、素で気持ち悪いなこの人と思ってしまった――も一枚貰っておいたのもよく利いた。
私もエリザも実家に手紙を書いていたので元気にしていると分かっていても、やはり姿を見られる絵がついてると実感も違うね。男衆はやっぱうちの子が一番可愛いやねとご機嫌であったし、女衆は見事な絵を描いて貰える身分になったことを素直に喜んでいた。
これが小児性愛気質の死霊に絡まれてのことではなく、甘い美貌の御曹司に入れ込まれてであったらもっと良かったのに。荘民にとっての夢が仕官であるのと同じように、女性にとっての夢はやんごとなき美貌の王子様に見初められることであるのは全世界共通なのだから。
まぁ、半端な王子様では世界で一番可愛いエリザに見合わないので、兄貴採点で弾かせていただくが。最低限私をタイマンで問題なく蹴散らせる位強くて、ライゼニッツ卿に負けないくらいお洒落させてやれて、アグリッピナ氏並の強権をで守ってやれなくては役者が足りん。
昨日は私が居たからあまり話題に上らなかったけれど、細密画もあれば女衆達の間でエリザを話題にした時も盛り上がるだろう。はがきほどの大きさの絵図に描かれたエリザは、黒の生地に灰のフリルをちりばめたドレスで身を飾る、それはもう豪奢で美しい姿だからな。
ただ、男衆への土産は明日に持ち越した方が良いか。
帝都の工房街で買い求めた上等な鍬や鋤の刃や護身用の短剣はともかくとして、珍しい異国の酒なんぞ持ち出そうもんなら説教が加速しかねないからな。
「ふぅ……」
これくらい割ればご機嫌取りには十分かな、と思える量を割った所で<気配探知>に反応が微かにあった。これもボチボチアップグレードしたいところだが、使い道はちょっと考えてあるので先送りだな。
今日は少し余裕を持って振り返れば、綿入りのローブを着込んでもっこもこに膨れた幼馴染みが私めがけて屋根の上から跳躍している最中であった。
気づかれたことに「あれっ?」とでも言いたげに驚いた表情をする彼女を正面から捕まえる。脇の下に手を差し込んで子供のように持ち上げる体勢で保持し、そこから時計回りに数度廻ることで運動エネルギーを霧散させる。きちんと衝撃を殺してやらないと、私にも彼女にも危険だからね。
「おはよう、マルギット」
「さっそく黒星を返されてしまいましたわね」
会心の笑顔で受け止めた幼馴染みは、唇をとがらせて残念そうにしている。大人がやると鼻につく表情だが、彼女がやると可愛らしいから困る。見た目だけなら二つ年上というのが中々信じられないな。
「宿酔でもしてると手加減してくれたのかな?」
「手を抜いたつもりはなくってよ?」
降ろしてやろうと思ったが、それより早く手が首に伸びてきて毎度の如くぶら下がれてしまった。小柄ではあるけれど、以前よりは確実に背が伸びているので負担は少なくなっている。並ぶと腰元くらいだったのが、今や頭が股下くらいにくるようになったので当然ではあるか。
しかし、随分と可愛らしい格好をしているな。寒さに弱い蜘蛛人らしく冬場は着込んでもっこもこになっているのは見慣れたものだが、きちんと蜘蛛の足一本一本にレッグウォーマーのような防寒具を履いているのが絶妙だ。前は無かったから、自分で編んだのだろうか。
だが、態々朝からここまで着込んで我が家を訪ねてきたのは何故だろう。
「昨日は殿方達に独り占めされてしまいましたからね。だから今日はゆっくり土産話を聞かせて貰おうと思いまして」
素直に聞いてみれば、これまた飾らない答えが返ってきた。確かに昨日の宴会は男衆が騒いでたから、女性は参加していなかったな。確かにあのノリに女性で混じるのは辛かろう。
まぁ、折角来てくれたのだからのんびり話すとしよう。居間では説教継続中なのでもてなすには不足するから、私達は馬屋へと向かった。
馬房では我が家の農耕馬、ホルターが兄弟馬と並んで大人しくしていた。カストルとポリュデウケスは気性が荒い方ではないので、問題なく打ち解けてくれているらしい。
「それにしても見事なお馬ですことね。これって普通のお馬じゃなくて軍馬でしょう?」
「そうだね。軍馬種で……なんだっけ、オステン……なんとかって品種なんだけど」
大陸中央部から入ってきた精悍な馬を穏やかな西方馬と混血させて、体格と御しやすい気性を両立させた品種云々の話を聞いた覚えがあるのだが、馬房で仕事をしながらだったのでちょっと曖昧だ。
「金貨が何枚必要になるくらいの子達なのかしら。よっぽど頑張ったのね」
「いや、この兄弟は主人から……元主人から下げ渡して貰ったんだよ。もう一〇歳にもなるからね。元々はその主人の馬車を牽いてて……」
馬房の近くに腰を降ろし、割った薪を使って焚き火の準備をした。ヒト種である私が着込んでいても少し寒いなと感じるくらいなのだから、マルギットには更にきつかろうと思ったのだ。
それにしても膝にマルギットを乗せていることに早速何の違和感も覚えなくなっているな。よくよく考えたら結構な体勢であるのだが。
まぁ、私達の間柄で気にすることもなかろうかと思い直す。馬達の来歴から荘を出立した頃の話となり、思い出話は口から滑るような滑らかさで零れていった。イベント一つ一つが濃すぎて忘れようもない。冷静に考えたらよく生きてたよな、私。
小枝を纏めて焚き火の種を作る。そこで一つ幼馴染みを驚かせてやろうと思った。
私が魔法使いであることを相方にまで隠すことはなかろうよ。
少し離れるように促し、簡単な火を熾す術式を起こす。煙草の火種になる程度の細やかな火が魔術によって生み出され、木くずの塊に燃え移り煙を上げる。
「まぁ!」
「ふふふ、凄いだろう?」
魔導師どころか市井の魔法使いからも鼻で笑われそうな術式なれど、魔術や魔法に馴染みの無いマルギットには新鮮に映ったようだ。私は自慢げに魔法を使えるようになったのだと、<見えざる手>で槇をジャグリングしながら帝都での生活を少し語ってやった。
すると彼女の競争心にも火が付いたのか、何やら胸元に手を突っ込んだかと思えば一つの首飾りを取り出したではないか。
小さな手に握られているのは動物の牙を加工した素朴な首飾り。しかしそれは、彼女が握れば小刀に思えるほど大きく鋭い肉食獣の牙であった。
長さは成人の人差し指を優に越える牙を持つ生物は早々居ない。こいつは……。
「大狼の牙でしてよ」
誇るように差し出された牙は、狩人である彼女が身につけていると言うことは紛れもない勲章なのであろう。自分で狩り、苦戦した相手の一部を狩人はお守りとして身につける。その力を自らの一部とするように。
これほど長い牙を持つ大狼となれば体長はヒトに吾するか上回るほどの大物のはず。灰色の王という恐ろしき群狼がトラウマになっている三重帝国で積極的に狩られ、数を減らした狼となれば相当に用心深く賢かったに違いない。これほどの敵手を討ったとは素直に恐れ入るな。
「荘の近くに入ってきたのを討ち取りましてよ。あの林、子供達が遊んでいる近くでしたから必死でしたわ」
「おお……詳しく聞かせておくれよ」
誇らしげに語られる大捕物に心を躍らせ、お返しとばかりに私も帝都での冒険を語る。互いに話題は尽きることなく、薪が燃えて頼りなくなってきても飽きが訪ねてくることはない。
ただただ不在だった時間を埋め合うように語り合い、求めるように脳は思い出を吸い込んでいく。
それにも何時しか終わり時がやってくる。冬場の気が早い陽が中天に達し、そろそろ昼食時になって煙突の煙が賑やかになった。ぼちぼち私達も昼食をいただかねばならないだろう。
さて、思い出話もして舌も滑らかになった所で大事な話をしなければ。
いくら幼馴染みだろうが、どれほど約束があろうが、彼女が“分かっていて”付き合ってくれていようが守るべき一線はあると思う。
守らなくてはならない一線ではない。私が守るべきと信ずる一線である。
一言断って私はマルギットを抱きかかえ、今まで腰掛けていた場所へ降ろす。
「何かしら」
投げられた言葉は疑問というより、どう楽しませてくれるの? という期待を表しているよう。積み重ねた精神の年齢だけでいえば初老に達しつつある私でも、どうやら精神の機微においては彼女の方が上手だったらしい。
ま、いつだって気の利かない野郎ではご婦人に勝てないようできているからなぁ。
これが帝都で勉学に励んでいる友人であれば、私は少し頭をひねって戯曲の一説でも諳んじてみたかもしれない。
だけども彼女は洒脱を理解しても奢侈を好む性質ではなかった。
だったらストレートにいってみよう。
膝をつき、随分と背が低い彼女を仰ぎ見てきっちり目を合わせる。琥珀色の瞳は悪戯っぽい微笑みに歪み、私がどう踊るかを愉快そうに観察していた。
「荘を出る前にした約束を覚えているかい?」
意を決して切り出せば、鈴が鳴るような声で笑ってから、彼女はわざとらしく「なんだったかしら?」と返してきた。
一二歳から出立してもう一五歳だ。彼女は一七歳になり、もう少しすれば行き遅れと誹られてもおかしくない年齢になってしまう。三重帝国での成人は一五歳で結婚適齢期は一七歳くらいまで。二〇を過ぎれば完全な行かず後家だ。
そんな大事な時期を待たせてしまった。ここで待ってくれていたと甘えてはいけない。
「約束より早く丁稚を上がったよ」
「そういえばそんな約束もありましたわね」
くすくすと笑って見下ろしてくる彼女がからかい混じりの挑発をしかけてくる。この三年、“お声”がかかることは間々あったと。
当然だろう。彼女は素敵な女性だし、それ以外にも惹かれる点は多い。代官抱えの猟師一家ともなれば、荘の中で格は決して低くない。たとえ噂があろうがなんだろうが、粉をかけてくる奴はいたろうさ。
だけど彼女は一番に私を見つけてくれた。男としてうぬぼれたって悪くは無かろう?
「でも君は私が誓いを守るのを待ってくれた。だからマルギット、もう一度君を誘わせてくれ」
誓わせたのは彼女だと興ざめなことはいうまいよ。どうあれ誓ったのは私で、誓いを守るべく帰って来たのも私だから。
ここで誘うのが男の甲斐性ってものさね。
「私の後ろを守ってほしい。一緒に冒険者になってくれないか」
言い切って手を差し出し俯く。まるで結婚を懇願しているかのようだ。
笑い声はますます大きくなり、至極満足そうなものになっていった。そして、じれるような時間が過ぎた後、そっと手が取られる。
「良い子ね。お姉様に任せなさい」
「……ありがとう」
ほんと、良い幼馴染みを持ったね私も。
「力を貸してあげる。貴方の影を危ない誰かが踏まないように。危ない影を踏んでしまわないように。何時だって先を行って、何時だって後ろに立って寝込みを守ってあげますわ」
「なら私は君に刃が届かぬように離れず付いていくよ。常に前にあって危難を払い、絶えず背を守って悪意を遮る。剣の一本、矢の一条も通さぬように」
「ふふ、誓いを果たしたから新しい誓いをってところかしら」
踊るような軽やかさで飛び降りた彼女は、私と目線の高さを揃えるとじぃっと見つめながら問うてきた。あの日のように。互いの耳に耳飾りの穴を空け合った夕暮れのように。
「誓いなさいな、半端はしない。貴方がやりたいような冒険者をやりぬくと」
「誓うよ。一二歳の時と変わらず、折れないし曲がらない、冒険者になるって」
いつも浮かべている悪戯な笑みが引っ込み、慈母のような笑みを付くって彼女は再度「本当に良い子」と言って私の髪を一房すくい上げ、そこに唇を落とした。
「なら、付いてってあげる。西の果てであっても、南の海の向こうでも、北の冠雪の上でも、東の熱砂の地であっても」
「ありがとう。そのどの光景であっても、君が先導してくれるならきっと良いところのはずだよ」
かくして私は最初の仲間を得た。分かちがたく、得難い仲間を…………。
【Tips】三重帝国の適齢期は十五歳から十七歳ほどといわれているが、これは男子においては長子の一般的な年齢であり、女性にあっては手に職を持たず家を継承しない者でのこと。立場や職業の有無によって多少の前後はある。
ということでまたしてもサプライズ。
漸くきちんとマルギットを冒険者に誘えました。
あと二つ三つ準備や荘に帰ってからの話をしてから冒険に出立となるでしょうか。
まぁ、私のことだから閑話を思いついてねじ込まないとも限りませんが。
いつも感想とRTありがとうございます。
大変力になっているのと同時にネタにつながるので、いいぞもっとや(ry




