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青年期 十五歳の冬 二

 歩き慣れたが随分と歩けなかった懐かしい道。


 その向こうに覗くは懐かしの我が家。


 微かに傾いだ煙突、父上が修理しようとして縁を踏み抜いたまま諦めた屋根の縁、いつぞやの嵐で吹っ飛んだのを交換したためそこだけ新しい正面口。


 ありふれた、しかして得難き帰るべき家。


 息を切らして駆け寄って、ドアを開け声を上げる。


 「ただいま!」


 これこそが正しい帰郷だと思うんだ。


 どよめきにも似た感嘆を聞きながら私は酒杯を卓へ叩き付け、口元を拭った。


 なんであたしゃ荷ほどきさせて貰えないで、旅装のまま集会所で酒呑まされてんでしょうね。


 最初は良かった。櫓から降りてきた自警団の同胞に「帰って来たのか!」と暖かく出迎えられたと思えば、出会う奴出会う奴が大声を出して騒ぎ立てるせいで人がどんどん集まってくる。


 そして私の姿を見て勝手に話を膨らませるのだ。


 やれお貴族様に気に入られて仕官できただの、いやいや立派な馬が二頭も居るから騎士位を貰ったに違いないだの、体を綺麗に飾っているから――単に<清払>のおかげで身ぎれいなだけだ――お妾になったのだとの好き勝手いってくれる。


 一つ一つに言い返すことも満足にできず、冬の間楽しいことに飢えていた荘民達がなんだなんだと騒ぎを聞きつけて集まり、最終的に騒動が収拾しきれず荘の集会場へと引きずり込まれた。


 あとは僅かばかり残った酒だのを各人が持ち寄り、土産話を聞く会という体での飲み会が始まった。


 帝都はどうだったという当たり障りの無い――もはや私の行き先や仕事が知れ渡っていることには触れまい――質問に始まり、都会の娘さんはやはり綺麗だったか? といった男らしい質問やファッションはどんな具合だったかという女性らしい華やかな問い。


 中には噂に聞く花街がどうだったかという下卑たものや、向こうの酒はどんなのが出回っているのかという、お前ら本当に酒が好きすぎだろもう種精神の聖堂に出家しろと言いたくなるようなものまで話題は多岐にわたった。


 家の体面もあるので振り払うこともできず、ノリ良く質問に答え、杯の底を渇かす間もなく注がれる酒を呷っていたのだが……。


 「で、冒険者はいたのか!? どんなだった!?」


 「何しれっと混ざってんですか兄上」


 何食わぬ顔で喧噪に混じって酒を呑み、私の肩に手ぇ回して空になった器に酒をつぎ足している兄の存在が実に解せぬ。


 「いいだろエーリヒ! 聞かせろよ!!」


 「可愛いおねぇちゃんはいたか!? あと、見たこと無い種族の美人さんは!?」


 それどころか双子の方の兄貴共まで混じっていやがる。多分、いつの間にか姿を消していたマルギットが家族に帰参を伝えてくれたからだろう。一応の家族と話す時間をくれようと――騒がしい宴会から逃げたという可能性から目をそらしつつ――気を遣ってくれた彼女に感謝した。


 ああ、懐かしい顔だ。誰しもが居なかった年月相応の成長をしていて、ハインツ兄さんは髭も生えそろってきて家長としての風格が出てきたし、次兄のミハイル兄さんは何やらこぎれいな格好をして髪まで撫で付けているじゃないか。ハンス兄さんも質問の質はともかく、所作が妙に洗練されていて見違えるようだ。


 他にも見知った顔が沢山あって嬉しかった。幼き頃に林を駆け回った面々、優しく見守ってくれていた大人達、ごく当然のような面をして誰より酒を呑む豊穣神の僧。


 彼らに囲まれて土産話をするのはいいともさ。だけど、もっとなんだ、家族との心温まる再会みたいなのを期待していたんだよ私は! これはなんか違わねぇか!?


 つくづく理想通りに運ばない人生だと痛感しつつ、私は半ば自棄を起こして酒精を飲み干し、絡んでくる暇人どもを律儀にかまってやった…………。












【Tips】娯楽に乏しい荘においてプライバシーを期待してはならない。












 ことごとく絡んでくる酔っ払い共を潰し返し、私は一人集会場を抜け出してテラスの手すりに腰を降ろした。冷えた夜気が酒精を帯びて熱を持った頬に心地よい。


 忘れていたよ、田舎は娯楽に乏しいからちょっとしたイベントで飲み会に発展することを。都会に出稼ぎに出ていた奴が戻ってきたら、騒ぎに発展させない筈もないわな。


 一本ちょろまかしてきた葡萄酒の栓を歯で引っこ抜き、迎え酒とばかりに一口呷る。


 「……酸いな」


 種精神の聖堂が庶民向けに作ったものだから随分と酸っぱい。普及品にまでこだわる彼らの品なので不味いわけではないが、やはり貴種について廻った一年で味わった美酒の数々に比べると物足りなくもある。


 だけど、文句を言いつつどんちゃん騒ぎしながら呑んだ故郷の酒は美味かった。


 うん、むしろコレが美味いって感じなんだよな。


 「主役が抜け出してどうしたんだよ」


 それはきっと、親しく懐かしい気配が側にあるからこそなのだ。


 「親父殿こそ、外は寒かろうに如何なさった」


 「ようやくゆっくり話せそうだと思ってな」


 宴会を諫めるでもなく、積極的に絡んで来るでもなく遠間に私達兄弟を見守っていた父が、集会場を抜けて私の隣に腰を降ろした。同じように酒をちょろまかしており、片手には炙った干し肉の袋もある。


 無言で差し出される袋から一ついただき、塩辛い肉を酸い葡萄酒で流し込む。粗野な故郷の味が舌にしみるようだった。


 「良く帰った」


 「ええ、帰りましたよ」


 「……ご苦労だったなぁ」


 万感の意と共にかけられる労いの言葉に頷き、私は近況を父に問うた。どうにも湿っぽい話が始まりそうで、折角の帰郷だから明るい話の方をしたかったのだ。


 父は私がアグリッピナ氏の丁稚になるのを本当に気に病んでいたからな。


 それに私の近況は仕送りをつけた手紙と共にちょくちょく送っていたのだが、手紙を出すのは金がかかるので返信は遠慮してもらっていたから気がかりではあった。返事をしたためる料金を添えるより、仕送りを添えた方が家のためにもなるだろうと思ったから。


 きょとんとする父に酒瓶の口を向けることで聞かせてくれよと誘いかければ、ややあって父は家の変化を穏やかな口調で語り始めた。


 なにやら兄はお盛んなことに私が居ない三年ほどの間に更に甥っ子と姪っ子を一人ずつ増やしてくれたらしい。今は四人目の姪か甥が義姉にあたるミナの腹を膨らませているそうだ。


 そしてなんとミハイル兄さんは荘の顔役に気に入られ、彼の所に婿入りして二人目の娘の婿になったとか。安定して子供が生まれ始めて部屋住みが必要なくなったので家を出るにしても、随分と良縁に恵まれたものだ。


 ただ、一番驚いたのは三男のハンス兄さんは代官への出仕が適ったということ。


 「お前が毎度毎度結構な仕送りをしてくれたんでな。アイツも試しに私塾にやらせてみたんだよ。最初はガキに混じって通うのを嫌がってたが、それが来春から祐筆の一人として城塞勤めってんだから分からんものだ」


 私が実家にしていた仕送りは、まぁ自分で言うのも何だが孝行息子だなと思える程度の額ではある。なので父は一人だけ私塾に行けていなかった兄を送り出してやったそうだ。


 成人を迎えてから――双子は長兄の年子だからな――手習いで私塾に通うのは、無いとは言わないが十分珍しい部類の話である。そんな珍しい生徒であった兄は意外にも筆記が達者であり、珍しさもあって代官の目に止まったようだ。


 そして課題をこなして普通に私塾を卒業し、半年ほどは荘の代書人や顔役の下で物書きの手伝いをしていたそうだが、綺麗な筆致が遂に認められて仕官の打診が来たのがこの秋のこと。


 年俸は四ドラクマ(金貨)という扶持でいえば二人扶持くらいで、一家を養うにしては些か心許ないものだが、勤続年数や仕事ぶりによって上がっていくことを考えれば大出世である


 なにより代官に出仕して城塞勤めというのは荘に住む人間の夢のようなものだ。現実的な意味で狙える最大の立身であり、現代に直せば新卒で一部上場企業の花形部署入社みたいなものである。


 いやぁ、驚いたな、私とエリザが出立してからトントン拍子じゃないか。


 まてよ? 長兄は荘の中でも豊かな農家の家長で、次兄は顔役の婿、三男は代官の祐筆――書記のような仕事――になり長女のエリザは魔導院の聴講生。


 で、かくいう私は無職の冒険者志望と。


 あれ? もしかしてエリート一家の中で一番しょぼいポジションに収まってね?


 自分で選んだ道とはいえ一抹の侘しさを感じながら、別の意味で酸っぱくなってきた葡萄酒の瓶を空けた。


 「いやぁ……みんな大出世ですね」


 「お前のおかげだよ、エーリヒ」


 そんなことはなかろうよと否定した。世に偶然というものはあろうが、結局の所は突き詰めていけば自分の力量で全てが決まるのだ。


 そもハインツ兄さんの子だくさんに私は関与のしようがないし、ミハイル兄さんが婿入りできたのにも無関係で、ハンス兄さんの出仕は確かに私塾に行けたからというのもあろうが、そこから先は兄自身の才能あってこそだ。礼を言われる筋合いくらいはあるかもしれないが、私のおかげってことはなかろうよ。


 「お前がそういうなら、そういうことにしておくか」


 「なんだか煮え切らない言い方ですね」


 「親ってのはな、子がやったことは全部大したことにしてぇもんなんだよ」


 言って豪快に笑い、父は堅い掌で私の頭を撫でた。実に荒い手つきで、もう髪を乱しているといった方がいい手付きなれど、その心地はライゼニッツ卿の髪結い氏に丁寧に梳いて貰った時よりもずっと良い心地がした。


 荘を出てからの苦労が報われるような、そんな気持ちだった。


 「で、お前さんはどうすんだ」


 お互い何やら気恥ずかしくなってしまい、半端な笑みを浮かべながら少し間合いを取る。そして恥ずかし紛れの質問に迷い無く答えた。


 予定としては春までは荘に留まって手伝いをしたりしつつ休暇にするつもりだ。急に馬を二頭も持ち込むのだから、その分の金と宿代くらいは入れる準備をしてある。道中で野盗だのをひっ捕まえたりして懐はちょっと温かいからね。


 そして春になったら西方の辺境行きへ向かい冒険者になる。


 これは前々から決めていたプランだ。


 冒険者の仕事というのは基本的に雑事であり、分かりやすい怪物退治といったものは少ない。


 それもそのはず、人類の生存圏で都市が構築されるような所では危険な生物や遺跡といったものは駆逐されて久しいからだ。町を一歩出たら魔物と遭遇するような危険な環境では、経済活動など成り立とうはずもないので至極当然である。


 冒険者の一般的な仕事はお使いや護衛、人捜しから屋根の修理のような雑事など。近場の森や林に危ない生き物が迷い込めば討伐にかり出される事もあるけれど、実情はずっとずっと地味なのである。


 ただ、地方に行けば話は少し違ってくる。


 未開拓地域であれば危険な生物が跋扈し、野盗の数も巡察吏が行き交う都市圏と比べれば多く、強盗なんだか豪族なんだかよく分からん曖昧な連中すらもいるという。


 斯様な地域に脚を伸ばせば、多少は私が望んだ冒険者らしい活動ができると思うのだ。


 無論、危険度は跳ね上がろう。当然の権利のように魔物が姿を現すことしきりにして、人を嫌って地方へ逃れた幻想種や魔獣と遭遇する可能性も格段に高まる。


 つまり功名の糧が幾らでもあるってわけだな!


 とまぁ脳天気に宣ってみたが、これでいて「田舎に行けばなんとかなんべ」と適当やっているのではなく、下調べはちゃんとしているのだ。帝都に流れてきた冒険者に聞き込みをしてみたり、本を読んだりして情報は収集済みである。


 データマンチのデータとはなにもスキルに偏ったものではない。その地方の特性、有力者や風習、それらを上手に使ってGMに<いいくるめ>で交渉(口プロレス)を仕掛けられるのもデータ知識あってのこそ。ぬかりはないともさ!


 十分な吟味の上で拠点として目をつけたのが、ライン三重帝国は西方辺境域、エンデエルデとの異名を取るマルスハイムだ。


 マルスハイムはバーデン公爵家の傍流に当たるマルス=バーデン家が治める地であり、彼の地は西方の衛星諸国家群と隣接する三重帝国の最辺境地だ。故に直訳すれば“地の果て”とも読めるエルデエンデと呼ばれ、州都であるマルスハイムも正式名称よりも異名であるエルデエンデと呼んだ方が一般では通りが良いほど。


 マルス=バーデン辺境伯の領地は政治的に混乱しているなんてことはないが――そもそも辺境が乱れていては帝国が鼎の軽重を問われる――危険は他の安定した地域と比べれば格段に多い。


 手が入りきらぬ故に悪漢が跳梁できる土壌、豊かな自然の合間に潜む牙持つ者、いつ紛争が起こるか分からないが交易すれば実入りが大きい衛星諸国家、それらを通してたどり着ける西方の異国に通じているため依頼は尽きぬ。ここで活動して位を上げられれば、それだけで冒険者として箔が付くとされるほどに。


 いわゆる魔境の一つだな。冒険者の飯の種が腐るほど転がっている地は、浴びるように親しんできたTRPGのシステムでは珍しくなかった。舞台として事件を起こすのに都合がいいからだ。


 そして、人が思いつくようなことは探してみれば現実にもあるもの。


 雪が失せれば、道の不整備もあって二月ほどかかろうが辺境域へ出て冒険者をやる。


 夢を叶えるのだ。


 そして、その先にも至る。


 確かに私は冒険者になることを夢見ているが、それは酒場の端っこでうなだれて初心者に絡む心折れたチンピラ(モブ)になりたくて言っている訳ではない。


 冒険者となって心躍る冒険をしてみせよう。ロマンなど実際には無いと嘯く者もいるだろうが、本当に欠片もロマンがなければ冒険譚も英雄伝も生まれない。


 希なる物を求めて何が悪いというのか。私は私が憧れた冒険者になり、いつか夢見た冒険をしてみせるとも。


 既に目処は立った。後は飛び込むだけだ。


 なった後のことはいつもと同じ。私の能力次第である。手前をチップとしてボードに放り投げ、サイコロの出目を気にするのは如何様な人生であろうと変わらないもの。さにあらば、高めに賭けて転がす方が面白かろうさ。例え真っ赤な目が友人の如く付き従ってこようとも。


 「私は冒険者になるよ」


 憧れはさび付いていない。憧憬は未だ鮮明だ。夢は心で燃えている。


 精神年齢はいい年こいてるが、男なんていつまで経ってもガキなものさ。笑わば笑え、私だって笑い返してやろうとも。


 いつか詩の一つも謡われるような身分になってみたいと思って、誰が私を誹れよう。一度たりとて大望を抱かぬ者に立派なことを成し遂げられた試しが何処にあらんや。


 「そうか」


 相槌一つ。たったそれだけなのに、何よりも背中を強く押されているような気がした。


 私は本当に恵まれているな。両親の将来を心配する必要はもはや無く、家も十分に富んでいて心配など逆さに振っても出てこない。これほど身軽にしたいことができる身は早々になかろう。


 私は本当に幸福だ。


 「ああ、そうだ」


 自分も酒を空にした父が唐突に言って手を打った。


 「母さんが怒ってたぞ、帰って直ぐ酒とは何事かと」


 「はっ!?」


 何という理不尽!? 私から始めた訳じゃないんですけど!?


 「しかも馬も適当に預けて荷ほどきもしないなんてとミナと一緒にお冠だ。帰ったら男衆揃って説教だな」


 「いやいやいや!? おかしくないですか!? 私は悪くないでしょう!? 父上くらいは弁護してくださいよ!?」


 「いやー、怒られる奴が多いと一人あたりの説教時間は減るからなー。俺も聖堂に酒追加してくれって金出しちまったし」


 「どうりで酒が尽きねぇと思ったよ!! 何やってんだアンタ!?」


 冴え冴えと輝く更け待ち月が、妙なオチがついてしまった私を笑っているようだった…………。












【Tips】辺境域。諸外国と国境を接する領域。この地を統治する者は辺境伯と呼ばれ、国内貴族の中でも特に有力な者が選ばれる。

ということで突発更新です。

帰郷イベでしんみりさせてもらえないエーリヒの図。


もう書店もきちんと開くようになってきましたね。

通販サイトでも在庫が回復してきたようで。

つまりはそういうことです。イイネ?

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― 新着の感想 ―
しょぼいポジション……現皇帝の後継と元皇帝と縁があって、宮廷伯兼任の教授が認める弟子で、派閥の長を務める教授のお気に入り 最終的に殺し合いになったし本人は知らないモノの、現皇帝も肯定的な意味で認知済み…
[一言] いつも楽しく読ませていただいています。 誤字報告です。  中には噂に聞く花街がどうだったかという下卑たものや、向こうの酒はどんなのが出回っているのかという、お前ら本当に酒が好きすぎだろもう…
[気になる点] 仲間は増えるのかな? [一言] 帰省のイメージが完全にエーリヒと同じだった・・w まだ冒険者じゃないと考えると長いプロローグだったなあ
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