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青年期 十五歳の秋 二

 持ち寄った食材で作った料理が並ぶ我が下宿の食卓は、いつもと比べて些か豪華な面容が揃っていた。


 見切り品の塩漬け豚ではなくちょっと上等な肉で作った塩漬け肉の煮込み(アイスヴァイン)玉葱と赤茄子の汁物(アイントプフ)は私の手によるものであり、骨付きの羊肉(ラムチョップ)牛乳煮込(シチュー)みはミカお手製の故郷を思い起こさせる味。


 ドングリでかさ増しした素朴ながらも美味なパンや奮発して買った白パン――なんと黒パンの五倍以上のお値段――を主食とし、食べ盛りの十代半ばの欲望に従った肉主体の献立は完成する。


 苦学生と貧乏丁稚が用意できる精一杯の昼餐は、私たちのしばしの別れを惜しむための催しであった。


 「じゃあ、我が友の健やかなる旅路を祈って」


 草臥れてきたローブではなく、古着屋で新しく買ってきたらしい愛らしい娘装束を着込んだ美少女が酒杯を差し出した。


 微かに波打つ輪郭を覆う黒髪と深い知性を湛えた琥珀の瞳、そして柔らかな印象を受ける瓜実の顔つきは女性体となったミカだ。


 第二次性徴が始まった彼は男性時と女性時の差異がよりハッキリしてきて、今では目を見張るような美少女となった。この外見で普段はローブを男性風に着こなし、髪を後ろになでつけて男性用の宮廷語で話すこともあって実にクラッとくるギャップを醸している。


 ただ、必要にもなろうと女性用の宮廷語も覚えた――イントネーションをがらっと変えられるのは実に凄いことなのだ――ミカは、今日は髪をなでつけず淑やかに結い上げてくれていた。


 「我が友の栄達を願って」


 乾杯の言葉にはにかみながら、私も葡萄酒の杯を掲げて小さく打ち鳴らす。


 出立を祝うと同時に別れを惜しむ杯だった。


 「ああ、いい味付けだ。塩見を控えめにして肉の味を活かしてるね。獣臭さは香草で殺したのかい?」


 「そうだよ。ただすり込むんじゃなくて、埋め込んで煮るとより臭いが消えるんだ。君のシチューも羊肉のきつい臭いがなくて実に美味いね」


 「ふふふ、母に仕込んで貰った特性のレシピがあってね。一日がかりになるけれど、美味しいだろう?」


 口調だけはいつものものだが、仕草まできちんと女性の作法に合わせられる彼女の器用さには感嘆させられる。役者でも食っていけそうなくらいだ。


 「しかし、冒険者か」


 しばし互いの料理を楽しくつつき、食卓の上も片付いてきた頃に彼女は酒精混じりの吐息と友にそんなことを漏らした。


 「僕はてっきり、コネを作って君も魔導師になってくれるものだとばかり思っていたよ」


 酒杯を回して弄び、中の酒が回る様を伏し目がちに見る彼女は酔いが回ってきたのか随分と物憂げに見えた。今日は折角だからと良い葡萄酒を選び、ろくに薄めもせず楽しんでいたから酔うのも早かったのだろう。


 「なんだい急に。私はずっと冒険者になりたいと言っていたじゃないか」


 「そうだけどね、精力的に働いている君を見ていたら、もしかしてと思ってしまったのさ。妹君の学費の心配も必要になったなら、あそこまで苛烈に働く必要はなかっただろうに」


 不意に彼女の手が伸びてきて、私の鼻先を擽った。そこは確か、暫く前に戦った時に傷ついた場所であったか。


 「こんな目立つところに面傷(おもてきず)まで負うほど頑張るなんて、普通じゃないよ」


 鼻先に続き、頬、額、唇と過去に追った傷の箇所を指がなぞっていく。どれもこれも一年間の数えきれぬいざこざで負った負傷であり、傷跡は可愛くないからと宣う妖精共のご加護により古傷として残ることはなかった。


 いや、私はよかったんだけどね? 間抜けな理由ならまだしも、戦傷なら格好良いじゃない。面傷は戦士の誇りだよ。


 「……残らなくて良かった。本当に」


 よく覚えているねと言いたくなるくらいに消えてしまった傷跡をなぞり、彼女はまた酒杯を干した。お酌をしてやると遠慮なく半分ほどをがぶりとやって、細く悩ましい息を吐く。


 「ちょっと期待していたのさ、後輩として僕に教えを請いに来る君をね」


 「本当、急にどうしたんだいミカ。それこそ、仮にそうなっても私と君では学派も目指すところもきっと違うだろうに。私の雇用主は払暁派だよ」


 「学閥を越えた友誼なんて珍しくもないさ。確かに黎明派は孤立気味ではあるけれど、中天派の蝙蝠達を見たまえよ、あの交友関係の節操のなさは中々のものだよ」


 そこで例として出しながら蝙蝠とディスるあたりどうなんだと思わないでもないが、私は友の酔っ払って脈絡のない話にきちんと付き合ってやった。


 師から教わることは大事だけど、他の講義もあるので教授達との付き合いは教えてくれる先達がいないと厄介なこと。論文や感想文一つとっても記述のやり方があり、友人が居なかった彼女は苦労していたこと。丁稚の身としては分からなかったことを沢山語ってくれた。


 聞けば聞くほどほんわかしてぬるま湯のような日本の大学に通った人間からしては「はぇー、きびしい」としか思えない環境である。代返とか過去レポとかの巫山戯た単語が欠片も出てこないのは、流石は魔法・魔術のガチ勢しかいない最高学府というべきか。


 あの地は猶予期間を楽しむ場所ではない。自己を錬磨し、至るべき場所へ向かうための場所。ただ漫然と身を置く者を受け入れるような学び舎ではないのだと改めて認識させられる。


 「なら、ミカ……私の妹を、エリザを頼むよ」


 私はそこについて行ってやれない。仮に帝都に残ってアグリッピナ氏に仕え続けたとして、魔導師でない私には踏み込めない領域だ。


 分かったつもりではいるとも、いつまでも守ってやるのが兄貴の優しさでないことは。それでも、お節介を焼きたいのが兄貴の(さが)ってもんだからね。


 「……仕方ないなぁ」


 私の頼みを聞いて一瞬呆けた彼女は、しかし直ぐに再起動して口の端をくっと上げる珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 「貸し一つだよ、我が友」


 自慢げに微笑む彼女に対し、私も笑みで返し、胸に手を添えて慇懃に頭を下げてみせる。


 「かしこまりました、偉大なる(グロース)教授殿(プロフェッソア)。何に代えてもご恩に報いましょうぞ」


 「ん、苦しうないぞ冒険者、返礼を期待する」


 いつもの劇を模した大仰なやりとり、私たちの間ではお約束になってしまった遊びをしてクスクスと笑い、残った食事を片付けて、買い込んだ酒も余さず飲み干した。


 その結果、彼女は遂に酔い潰れて轟沈と相成った。体から軸が抜けたようにふにゃりと机に伏す姿は、ちょっと色々と目に悪い。


 うん、十五歳というとね、育ってくるからね、色々ね……。


 「おいおい、大丈夫かいミカ」


 「んむ……ん……ああ、だいじょうぶ、だいじょうぶだとも……ただちょっとねむいだけで……」


 これは大丈夫じゃないやつだな。まぁいいか、今日は一日空けてあると言っていたし、寝床を貸してやるとしよう。


 私は一言断ってから彼女を抱き上げると、長身に反して随分と軽い体を私の寝床に運んでやった。そしてやれやれと下に戻ろうとするも……服が堅く握られて離れられなくなっていることに気が付いた。


 「おい、ミカ、放してくれたまえよ」


 「ん……」


 知るかとばかりに友はすでに夢の中に落ちている。参った、横抱きにして運んだので――米俵みたいに担ぐのもどうかと思ったのだ――胸元を捕まれるとどうしようもないぞ。


 このまま馬鹿にみたいに突っ立っているのもなんだし、どうせ何度か一緒に寝たこともある身だ。今更気にすることもあるまいと一緒に寝床に入ることにした。


 私は<うわばみ>の特性があるからべろんべろんに酔っ払うことはないけれど、それでも酔いはするのだ。酔っていることを自覚して尚、理性的に動けるという酒のバステを無視してバフだけを受け取れる私は酒で自分を見失わない。


 だけど、臭い台詞はきっと酒のせいであろうよ。


 「また会いに来るとも。それとも君の方が来てくれるのかな。フィールドワークが欠かせない分野だろうから……」


 柔らかな黒髪を胸元で受け止めて、腕を枕として貸してやりながら私も午睡を楽しむことにした。


 友人と凄く贅沢な午後は、暫く楽しめないのだから…………。












【Tips】魔導師はフィールドワークにでることも珍しくない。紙の上だけでは証明できない魔導理論も数多く、特に実地で建物を作る造成魔導師は建物の様式を学ぶため各地を行脚することが多く、中には研究が高じて外国にまで出かける者もいる。












 かつんと心地よい駒の音色とは逆しまに、胃を絞り上げられるような一撃がぶち込まれた。


 頭を高速で回し、盤面と手駒を考え、全ての手段を<多重併存思考>が許す限り模索してみるも……。


 「あっ……ありませんっ……」


 詰んでいた。きっちり十三手、どうあっても私の皇帝は行き場をなくし、譲位しても躱しきれぬ完璧な布陣。


 「ありがとうございました」


 楚々とした笑みと佇まいに反した豪腕で私の手筋を両断した指し手、ツェツィーリア嬢は実に満足気に頷いてみせる。


 ぐぬぁぁぁ、最後の一局でこんなに綺麗に負かされるとか何なの!?


私は今日、出立の前日になって、ベルンカステル邸へ挨拶に訪れていた。当日の朝はゴタゴタするから、見送りはなしでと皆が気を遣ってくれたが故、こうやって前日にお茶会の席を設けていただいたのである。


 折り悪くフランツィスカ様は“会合”とやらで帝都を離れていらっしゃったためお目通りすることは能わなかったが、せめてものお礼とご挨拶として手紙を預かって貰ったので最低限の義理は果たせただろうか。


 そして私達が二人きりでする語らいとなれば当然兵演技というわけで、月夜で時を凍らせた温室の中で私達は当たり前のように一局指していた。


 別に何かを賭けていたなんて訳でもない一局であるが、こうも綺麗に決められると後頭部を金槌で打ち据えられたような衝撃を受ける。


 「えっ、ちょっ、ま……どこから? えーと、え? いや、この盤面までは悪くなかった筈、いやだけどここで竜騎を“討たせた”ってことはないだろうし……」


 盤面に張り付いて手順を浚っていくも、何処が原因でこれ程にどうしようもない盤面に持って行かれたが全く分からない。何も失敗はしていなかったはず、悪手は指していなかったはずなのだが、何処が敗着に繋がった!?


 一切の過ちを犯さぬまま敗北に至る。まるで文字通りの魔法が如き指し筋に脳みそがねじれるようだった。負けた悔しさもあるが、これほど見事にやり込められた悔しさで反吐が出そうである。三国志で趣味かなにかの如き勢いで憤死していく軍師や武将の気分が今はよく分かった。


 まるで分からず親の敵のように盤面を睨んでいる私を、してやったりとご満悦の表情で見下ろしているセスに感想戦を頼むも「教えません」と弾むように言われてしまった。普段は絶対しないような意地悪をするほど私を負かしたのが嬉しかったらしい。


 「も、もう一局! もう一局だけ!!」


 「なりません、エーリヒ。別れる前に一局、と言ったではありませんか」


 聞き分けの悪い子供を窘めるような口調でありつつ、その実表情は笑みを堪え切れていない。淑女らしからぬニヤニヤした笑みを隠そうともせずに彼女は人差し指を口の前に添え、残念でしたと宣った。


 うぐぐ、確かに「この一局で今後を占いましょうか」という趣向でもあったため、今更もう一局するのは美しくない。


 だけど、だけどぉぉぉ……。


 苦悩の余りマナーもかなぐり捨てて――彼女も許してくれるだろうという打算もあってだが――頭を抱え身をうねらせる。ここまで見事に負かされたことと、トリッキーな指し筋を好むプレイヤーとして「こういう風に勝ってみてぇ」という感情が合わさって内蔵を炙られているような悔しさがとまらねぇ。


 うん、やっぱりなぁ、本気でやってるゲームって負けると悔しいんだよな。これに入れ込んで時間を“世紀”単位で浪費する不死者共が存在するのも頷ける。


 ただ、私程度の時間しか使っていなくても負けたら憤死するほど悔しいのに、それほど錬磨した連中が負けたらどれほどに悔しいのだろうか。


 「うふふ、久しぶりの快勝でした。古い定石も馬鹿にしたものではありませんね」


 上機嫌に少しだけネタばらししてくれるセス嬢……ああ、棋譜か!?


 「一時期伯母上も愛好していらっしゃったようで、書斎にあったのです。今では対策されてしまっていて年期が入った愛好家には通じないようですが、初見であれば刺ささるような手筋がいくつも」


 ぐぬぁー! だが狡いとは言うまい! 私みたいにひたすら指したり一人で回したりして勉強する方法も当然アリだが、先達の棋譜を漁り指導を受ける方法もまた正義! そんな手筋にメタを張った先人達がいるのであれば、データ愛好者として否は断じて突きつけまい。


 悪いのは知らなかった私と、負けた私の両方なのである。


 「ぐぅ……いいでしょう……なら次は私も勉強して正面から打ち破ってみせましょう」


 「ええ、楽しみにしています。だから、また指しに来てください」


 茹だりそうな頭を美味しいお茶菓子と香り高いお茶で落ち着ける頃には、長い間指していたこともあって解散の時間と相成った。


 「いいですかエーリヒ、勝ち逃げされるのは悔しいでしょう?」


 別れ際にツェツィーリア嬢はそういって私の側に立った。そして、貴重極まりないであろう美麗な駒達の中から“女皇”を取り上げて私の手に握らせた。


 「私に勝ち逃げされるのが悔しいなら、何があっても死んではいけませんよ。私も遠からず帝都を離れ、元の僧院に戻るでしょうが……必ず指しに来てください」


 この駒一つで一体どれだけの価値があるのか計り知れないが、それ程に重い約束だと彼女は言いたいのだろう。


 いいだろう、私も悔いが残る一局を残して終わりたくはない。これからずっと、誰かと兵演棋をやって勝っても引っかかった小骨のようなこの一局が残っていてはスッキリしない。


 「はい、必ずや。勝ってこれを返却いたしましょう」


 友人からの期待には友人として応えよう。この世で信頼し、また遊びたいと心から思える友人ほど得がたい者は早々ないのだから。


 「ええ、期待して待っています。だから、これは私からの祝福です」


 差し出される手を見て、意図を察するのに若干の時間が必要であったが……沈黙に顔を真っ赤にした彼女のおかげで意図に気づいた。


 私は跪き、あの日のように真っ白で汚れない手を取る。


 新雪の如き処女(おとめ)の肌、それも夜陰の神の寵愛厚き尼僧となれば加護も一入か。


 あまり遅いと私から戦いに行ってしまいますからね、との脅しを聞かされながら、私は彼女の掌にそっと唇を落とした…………。












【Tips】奇跡には何も格式張った祝詞を上げ、香を焚かねば発動しないものばかりではない。真摯な願いと思いこそが真に強力な加護を授けることもある。

ということで連日更新です。

ラノベニュースオンラインアワードとかいう催しもあるので推してね! という宣伝をしろと某所から圧力を掛けられたが故の更新ではないです。


ミカとセスからも見送りを受けて次話で出立になりますね。

流石に長々と道中をやったりはしませんのでご安心ください。

悪い手を叩いて止めるのは中々難儀ですが。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 確かアイスヴァインは白ワイン?でアイスバインがお肉だっかなかって [一言] 楽しく読ませてもらってます。
[良い点] びっくりするほど男友達がいないぞこの人! 聴講生から死ぬほど恨み買ってそう ああ、負の威光でも熟練度もらえるから儲けもんだね
[一言] 「この一局で今後を占いましょうか」 ↑ 占いとしてはこの世界の冒険者としての定石に気をつけろと解釈するところでしょうか 後ろ盾なしでの役所関連とか?(>ω<)
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