ヘンダーソンスケール 0.1 ver3
ヘンダーソンスケール 0.1
物語に影響がない程度の脱線。
副題:帝都青春物語
頭の悪い買い物をして後悔することは前世でも間々あった。
大きな買い物を給料日前にしてしまったり、どう考えても値段相応ではないものに手を出したり。なにはともあれ、手元に物が残ろうが残るまいが、減った通帳の残高や薄くなった財布が重く背にのしかかってきた。
それと同じく、ついつい頭の悪い買い物で熟練度を使ってしまった……。
誰に誇って、どう使うんだよって代物を。
ああ、そうだよ、笑わば笑え、若さに負けてやってしまった。
「どうしたんだいエーリヒ、溜息が多いけれど」
「少し自省しなければならないことがあってね」
さて、ここはいつもの浴場。労働の汗を流しにミカと連れだってやってきた。今はミカも男性体であるから、このアホらしくも永遠について回る悩みを分かって貰えるかもしれない。
いや、相談できるわけもないか。ついつい欲望に負けてアレのデカさとか持続力とかで見栄を張ったなんて。ついでに使う当てもなくテクニック面を<妙技>にするとか、無駄遣いの極み過ぎて死んだ方が良い。それに留まらず取得済みの欄に並ぶ、どうでもいい特性群を見ていたら頭痛さえ覚える……。
たしかにあったけどさぁ! そっち方面の交渉で情報を引き出せるシステムも! でも相手もいねぇのに何してんの私!?
どうしようもない阿呆さに頭を抱えて後悔する私をミカは暫く心配していたが、本当にくだらないことなんだと言うとやっと納得してくれた。
「なら……僕も下らないことで一つ聞きたいことがあるんだ」
「ん……? なんだい、私たちの仲だろう……遠慮することはないさ」
溜息を飲み下して友へ顔を向ければ、彼は至極言いにくそうに口を開いては閉じ、閉じては開きと数度のためらいを見せる。そして大きく息を吸い、ついに踏ん切りが付いたのか口を開いた。
「花街って知ってるかい」
「ぶふっ!?」
水売りから買った柑橘水を思わず吹き出してしまった。なんだってこうもタイムリーな話題を!?
「吹き出したってことは、行ったことが……」
「ない! ないよ!?」
私の名誉のためにも言わせて貰う、断じてない。というより、どこからそんな金が出てくるのだ。
さて、花街とはいわゆる歓楽街のことであり、活計として春を売るご婦人と男性のお店がある通りである。
性の健全さは国家の健全さを示す指標の一つであり、ここが乱れていると他で治安を引き締めようとしても難しい所がある。人身売買の温床となるだけではなく、他の犯罪や国家に益をもたらさない非合法な商売などを養う土壌となるからだ。
私たちはどうあっても快楽を求める。自我を詰め込んだ脳髄が“そういった”構造になっているからだ。水を飲むのも飯を食うのも眠るのも、果てはクソをひるのまで生きる上で不可欠なことだから、脳がご褒美として快感をもたらしてくれる。これらの行動が苦痛であったなら、全ての命は生まれながらにして生を否定することであろう。
全く同じように生命の命題である拡散、増えることにも快楽が伴う。これを不要とするのは、生命として増える必要が薄い――たとえば私のクライアントの外道とか――連中ばかりだ。
生物が生物として当然持ち合わせている欲求を無視しても良いことなど何もない。故に国家は風紀をある程度健全に保つため、管理された悪徳の存在を許容する。地球でも性にとやかく五月蠅いキリスト教が幅を利かせていた時代でさえ国家による管理売春は存在していたのだ。一体どうして三重帝国が無視する理があろう。
治安の維持と一定層の生活のため、三重帝国においては国家による管理売春制度が整備されている。といっても国営で色々やっているのではなく、国が法を定めて民間の事業者に認可を出し、運営を監督し税を取るという半官半民に近い形態だ。
国から免状を与えられた事業者が店を出し、娼婦や男娼を雇い――年期奴隷の労役や犯罪者への苦役もあるそうだが――営業される娼館は、必然的に一つの区域に纏められる。
それが花街。華やかに飾られた、人として当然の欲望と大量の金がつぎ込まれる本能の町だ。
まぁ、薄ら暗い所がないとは言うまいが、話に聞く限りはかなりきちんとした所だ。少なくとも中世キリスト教圏のように一目で娼婦と分かる格好を仕事外でも強いられる訳でもなく、ましてや娼婦達が市民権を取り上げられ殴られようと殺されようと文句を言えない身分に落とされることもない。
軽蔑する者がいないではないが、少なくとも三重帝国において娼婦や男娼は名目上きちんとした仕事の一つである。
従業員の扱いにはかなり明確な法が整備されているそうだし、中には種として“この手の行為”に抵抗が薄いどころか好む者達も居るからだ。
必要な物を必要なよう、建前を用意しつつ効率的に運用する。なんとも三重帝国らしい存在である。
「……興味があるのかい」
問うてみれば友は顔を真っ赤にして小さく頷いた。
いや、うん、私もそうなのと同じく、彼もそういったお年頃だからなぁ。中性人という、性別がクルクル入れ替わる人種だからこそ、感じる物もあるのだろうし。
「なんというか、年の近い聴講生達の話を聞いていると、この手の話が結構漏れて聞こえてきてね。ほら、僕たちは中性の時は……ないだろう? だけど、性別が切り替わって男性になると妙に……えっと」
なんでだろう、彼がもじもじしながらこういう事を言っていると酷く淫靡に見えて微妙な気分にさせられてしまう。私に“そっちの気”はないはずなんだが。
「女性の時は全然なんだ。だけど、不思議と男性の時だけは……」
「落ち着けミカ、いいから、分かったからみなまで言うな。あと、それは極めて正常な反応だから落ち着こう」
男性の性欲は若い頃から上がり初め、女性の性欲は体が成熟してから上がり始める。ヒト種の体の構造がこうなっているだけの話であり、切り替わった性別がヒト種と同じ中性人であるミカにも同様の現象が起こっているだけなのだ。
覚えがある者もいるだろう。麻疹のようにアレなものに興味と情熱を燃やす青い時期があることを。ミカにもそれが訪れただけの話だ。
ただ彼の場合、性的に落ち着いた中性時と女性時を挟んでいるからこそ、少年と青年の間で揺れる体の熱に悩まされているのだろう。だから人から漏れ聞こえてくるだけの話でも酷く興味を擽られるのである。
ならば私も真面目に受け止めてやらねばならぬ。一度は成人し、落ち着くまで成長した経験を持つ大人として。同時に同年代の体を持つ友として。
いやほんと、やっかいなんだよなコレ……。
「アレだ、ミカ、花街が何をするところか位は分かるよな?」
「エーリヒ、流石にそれは君でも失礼だろう……男女が何をするかくらい、教養として知っているよ。第一、君も田舎育ちなら分かるだろう?」
あー……確かにそうか、性的には田舎の方が開放的だし、知らぬ訳もないか。特に彼のように三重帝国では特殊な種族であれば、親も最初から教育するだろうしな。
「親しい女性もいないし……花街は“そういったこと”をする場所なんだろう?」
「まぁ、そうだね。店によって楽しく酒を飲むだけの所もあるようだけど」
「それで彼らの話題に入っていくこともできないから、君なら何か知っているかと思ってね……」
美少年がタオル一枚まとってもじもじしている姿は、正直花街なんて行かなくてもなんとでも出来るだろうと思えるくらい悩ましい。彼は気づいていないのだろうか、近頃性別がシフトする度に彼を遠巻きにしていた少年少女――たまにいい年こいた大人とか、どうしようもない変態とか――が艶っぽい目で見ていることを。
友人のモテっぷりはさておくとして、そんな彼の力になってやりたいのは山々ではあるが……私も財布が厚い方ではないし、色にうつつを抜かしていられるほど暇ではないこともあり、存在は知っていても行ったことはなかった。
三重帝国の都市部において、数年も住んでいれば花街で童貞を切ることが然程恥ずべき文化ではないと肌で分かってくる。猥談に興じる学生の側に居れば、誰ぞが娼館に初めて行ったそうだとか、そんなある意味微笑ましい話題が聞こえてくることも多いから。
学生の彼らは慎ましやかな生活を送りながら僅かな小遣いを御用板で稼ぎ、異性への憧れを抱えて花街へ出かけていく。気持ちは分かるとも、文化風俗が違えど男という生き物は種族が違ったって男でしかないのだから。
さて、花街の相場は幾らであっただろうか。私もそちらにアンテナを立てていなかったので詳しくはないが、安い店であれば――当然、女性の見目も相応のものになろうが――銀貨が数枚あれば足りると聞く。
「君、予算は幾らくらい用意できるかね」
「ん……まぁ……三……い、いや、五リブラくらいなら」
色々な葛藤を飲み下しながら、魔導師特有の素早い思考を無駄に回して生活費を計上したのかミカは苦学生としては頑張った値段をあげた。
きちんとした相場を知らないのでなんとも言えないが、それなら大衆店と呼ばれるレベルでも上の方のお店に行けるだろうか。
いや、何にしてもだ。
「そうか、だけど焦ることはないぞ友よ」
まずは偵察から始めるべきだろうさ…………。
【Tips】花街。合法的に欲求を満たさせるための施設を集めた区画。領主によって監督された民間業者が事業を行っており、また生殖を司る豊穣神の神殿も深く関わっている。
性は人の営みから切って離せぬものであり、無為に否定したところで待っているのは悲劇ばかりであるが故に。
二人揃って間抜けな感嘆の声が出た。
ここは花街。帝都は東部の市壁付近に位置する立地的には辺鄙といってよい所。
しかしながら、中央から離れているのが嘘のように色欲の町は見事に飾り立てられていた。
街路は帝都というだけあって清潔なのは言うまでもないが、立ち並ぶ店の数々は全て朱や碧など目を引く色で塗り上げられており、これぞ盛り場というべきある種の空虚さを称えた華美さで目を惹く。
幅の広い格子窓の張り見世の奥には様々な種族の女性が並んでおり、思い思いにくつろいで客を待っている。一度旅行で行った事があるドイツの“飾り窓”と時代劇で目にした日本の郭を足して二で割ったような光景であった。
「な、なんだか凄いなエーリヒ」
「あ、ああ、そうだなミカ」
思わず寄り添って手を握り合ってしまう。完全に雰囲気に飲まれてしまって、一人になるのが不安で仕方がなかったのだ。
これもきっと若い体に引っ張られているせいだろう。落ち着いてきた前世の肉体であったなら、建物を落ち着いて観察しながらのんびり一週するくらいの余裕はあったはず。
おっかなびっくり道を行けば、張り見世の女性からくすくす笑われているのやら、すれ違う男性――時折女性も――から微笑ましそうに見られているのがひしひし伝わる。
ここでは実に見慣れた光景なのだろう。花街に憧れた子供が少し背伸びをして見に来ることが。
「あらあら、かわいらしいお客さん」
「ぼくたち~、あそんでかなぁい」
からかい半分に声を掛けてくる綺麗なお姉様方にドギマギしつつ、今日は偵察だからと奥へ進んでいった。この辺もまだまだおおらかな時代ということか。
後で調べて知ったことだが、歓楽街の店には二つの種類があるらしい。
一つは張り見世に女性が並ぶ派手派手しい店であるが、こちらの形態は私が抱いた感想の通り遊郭の妓楼に近い風情である。
一時間幾らという値段で店に入って指名した相手を侍らせて、お酒を飲んだり会話をしたりして遊び、関係が進んだら肉体的な交渉に至るという一種の疑似恋愛を楽しむ店だ。
もう一つは比較的地味な建物で、こちらはかなり直裁に行為だけを目的とした店だそうで、私が小耳に挟んだ安ければ銀貨数枚で女性と“遊ぶ”ことができる店らしい。
といっても店の中でラウンジのような空間で接待を受けつつ落ち着いた雰囲気でお酒を呑むような店もあるようで、見た目だけで判断するのは中々に難しいようだが。
ぐるりと花街を一周した私たちはフラフラと適当な広場へ戻り、空いていたベンチへ頽れるように腰を落ち着けた。
「いや……凄いところだった」
呟いてみれば、隣で口を開く元気もないほど圧倒されたらしいミカが頷いていた。香水や白粉、そして女性特有の香りに酔ったのだろう。流石にもう一本隣の通りにある女性向けの花街を冷やかして廻る元気はなかった。
「分かったことが一つあるんだ」
ひねり出すような呟きに反応して彼を見やれば、顔は上気して興奮の色があるのに顔には不思議と憔悴の影が落ちている。
「僕にはまだ早い」
「そうだな……私もだよ」
トータルではアラフォーからアラフィフに近づきつつあるというのに、まるで童貞の――確かにこの体は未使用だけど――中学生が、こっそり成人向けコーナーに入ったような動揺っぷりは如何ともしがたい。
ああ、だからか、いつもは何かあるとチリチリうるさい耳飾りが静かだったのは。
軽い頭痛を覚えて目をつむれば、幼馴染みが高笑いを上げる幻聴と幻覚が見えるような気がした。
うん、こっち方面での冒険は控えよう。
私は今日、友人と一緒に改めて大人になったような気がした…………。
【Tips】花街の利用は成人してから、というお題目が存在する。
ご報告のために平日のど真ん中に頭の悪い閑話をでっち上げて更新です。
いえ、このネタ自体はずっと考えていたんですけどね、ミカは男性としての友人でもあるので。
この年頃の友人が猥談で盛り上がらないわけがないだろいい加減にしろ!
ということで書籍版発売から一ヶ月ほどが経ちまして、コロナの影響もあって紙の売り上げは平時と比べれば随分と落ち込んでしまっているため拙著も少しまぁ……アレな状態ですが、なんとか2巻を出せることと相成りました。
これが報告したかったので更新したようなものです。
未だAmazonでは生活必需品最優先ということで品切れが続いていますが、楽天やヨドバシ、各種アニメショップ通販などでは取り扱いがございますので良かったら手に取ってやってください。
ぶっちゃけ2巻の初版数にかか(以下、風紀を著しく乱す内容であったため検閲削除)




