少年期 十四歳の春 三
休日出勤でオフィスに一人になると微妙にテンションが上がったのを覚えている。
なんというかアレだ、非日常感があって気分が高ぶるのである。あ、いま普段と同じ所で普段と違うことしてる! という感じが実に楽しい。
「うわ、うっま……」
ということで、私氏、雇用主の目がないのを良いことに大はしゃぎの図。
運ばれてきた食事を自分で貴族の様式を守ってセッティングし頂いてみる。上座に座って<見えざる手>で給仕し貴族ごっこだ。
貴族御用達の旅籠、そして一番良い部屋だけあって食事の質も高い。質素な晩餐メニューであっても感動的な旨さである。前菜に使われている野菜は全て瑞々しく、塩漬け肉の煮込みに使っている肉は長期保存のためではなく美味しくなる塩梅を図って漬けた美食のための一品。鳥煮込みも庶民であれば燃料代が惜しくなるほど丁寧に煮詰めてあり、シメについてきたデザートは何とフランクフルトクランツである。
こっちでは西方人の花輪焼きと呼ばれるケーキは貴種御用達の高級品で、私も数えるほどしか食べたことがない。テーブルマナーの練習で貴種の食べ物を食べているエリザが大層気に入り、一口食べた途端にマナーも放り出して「兄様も美味しいから食べて!」と椅子から立ち上がり押しつけてきたのが最初だったか。
以降、出てくる度に分けてくれていたが、こうやって一人で食べる時が来るとは。私だけ食べてはずっこいので、明日アグリッピナ氏に頼んで此処の旅籠の物を土産に包んで貰おう。どうせ明日も旅籠には泊まらないだろうから、その時に持って帰って貰えばいい。
包んで貰うとかなりの値段になるが、今日は“たまたま”懐があったかいならね。寄付してくれた野盗諸氏に感謝である。
銀貨が必要となる菓子といったら一部の人は馬鹿らしいと思うかもしれないが、これが強い甘味に乏しい中で食うと実に美味いんだ。近世のお菓子じゃなかったっけ? と囁く脳みその一部が黙ってダブルピースするくらいに。
さて、旅館で飯を食ったら風呂と相場が決まっている。そして、貴種向けの部屋に風呂が備わっていない筈もなく、ボイラーで湯を沸かして貰える内風呂があった。
円形の石の浴槽とタイル敷きの洗い場は現代の感覚だとこぢんまりしたものであるが、家で風呂に入れる贅沢といったら正しく王侯貴族級。足を伸ばして風呂を独り占めする贅沢さといったらね! 頼めば香油と花びらまで浮かせて貰うとなれば、やってもらうしかないでしょうよ!
カミツレの心地よさに溺れて随分と長湯してしまった。一人でゆっくり湯船に浸かるのは久しぶりだったからな。普段ならもう寝ている時間か。
ぼちぼち上がろうかなと思っていると<気配探知>に反応がある。
微かな人の気配。しっかり意を殺し、足音を消した気配は宿の従業員のものではない。
むしろ、日が暮れた後に部屋へ従業員が訪れることはあり得ない。呼び出しのベルを鳴らす紐を引っ張らない限り、彼らは貴種の生活に不干渉を貫く。それが礼儀であるからだ。
そして察する。やはりかと。
「ロロット」
「はぁい~愛しの君、お呼びぃ?」
湯船から上がりながらシャルロットを呼べば、待っておりましたとばかりの気軽さで掌サイズの妖精が現れる。くるくると周りを飛び回り、実にご機嫌そうだ。
「乾かしてもらえるかな」
「はぁ~い、ついでに髪も綺麗に結っちゃお~」
お願いすると彼女はふわりと私の周囲を旋回し、緑の燐光のような術式反応をまき散らして世界を歪める。すると、体から水気は綺麗に落ち、しっとり濡れていた髪もふわりと乾く。
そして、幾房かの髪が独りでに持ち上がって瞬く間に三つ編みに整えられ、余った後ろ髪が纏められる。ドライヤーがなければ乾くのに半時間はかかる髪も、妖精のご加護があれば瞬く間ときた。
「んぅー、今日も良いにおーい」
報酬は整えた後の髪で好きに遊ぶ権利。気分は分かるので好きにさせてやる。ほら、干したての布団に飛び込むのと同じと思えばね。
手早く服を着込み、入浴の間も傍らに置いていた武器を手にする。衣擦れにも気を遣いながら服を着て、その間に掴んだ気配は六つ。
懲りない連中がやってきた訳だ。寝込みは人間が最も気を抜く瞬間だからな。武装した立哨が立ち、利用者の秘密を守ることに腐心する旅籠に泊まっているなら尚更。警戒をかいくぐってやってきたとなれば、かなりのやり手か。
実にお気の毒なことに目的の人物はとっくに帝都の工房に引き上げているのだけどね。
それにしてもタイミングが悪い。
いや、実はこの展開、私も読んでいたのだ。あの御仁が半笑いで先に帰った理由も、どうせ慣れた工房で休みたいからって理由だけではなかろうし。
だから本当なら余所で休もうと思っていた。この手の大きな旅籠の側には、側仕えや護衛向きの旅籠が併設されているため、夜襲を避けようとそっちに行きたかったのだ。
ただまぁ……美味しい食事とさ、無料の風呂があればね?
意地汚く欲張った結果、二回目のミドル戦闘が生えてしまった。ううむ、でもな、暴れたから風呂には入りたかったし、食事を無駄にするのも悪いからなんだかな。
何はともあれ、間に合わなかったものは仕方がない。気配を消して正面入り口の脇に陣取る。そして、暫く待てば閉じている筈の鍵が静かに開かれた。
ピッキングか、それとも魔法か。宿のグレードに合わせてボチボチの複雑さの錠だったが――やはりアグリッピナ氏は魔法で施錠していなかった――まーた手練れを放り込んできたなコレ。
確かめるようにドアが開かれ、暫くの後に陰が入り込んでくる。一つ、二つ、三つ……壁に張り付いてその背を見送り、感じていた気配の全てが入室するのにあわせ……そっと隙間から外に出た。
風呂入った後に暴れて汗を掻きたくないからね。もう戦果は十分だろう?
「ありがとう、ウルスラ」
「どういたしまして、愛しの君」
廊下から出て距離を開けてから、何も言わずとも隠密の手助けをしてくれたウルスラに礼を言う。私個人では流石にあそこまで気配を消して騙くらかすことはできない。しかし、夜という場において夜闇の妖精が手を貸してくれるなら話は違う。
「君はお礼は何が良い?」
「そうね、こんど月が良い夜に一曲踊ってちょうだいな」
貴方が恐れるような意味ではなくね? と囁き、褐色の少女は夜の闇に溶けて消えた。
可愛いおねだりだ。これくらいなら迷いなく応じられるのだけど、たまにガチでヤバい提案が飛んでくるから気が抜けない。
さて、連中もプロだし、ターゲットがいないとなったら余計な事をしないで大人しく帰ってくれるかな。価値のあるものなど最初から置いてないし、精々が私の荷物程度。物取りの仕業に見せかけるより、何事もなかった方が処理も楽だろうから帰ってくれるとは思うけれど。
無駄な労力を払わせて申し訳ないね。多分、これからも似たような事が頻発するんだろうな。どうせ宿にも招待された屋敷にも実際には宿泊しないのだろうから。
寝床を失ってしまったので新しい寝床を探さねば。流石に夜分となると部屋を用意してもらうのも難しいから、馬小屋を借りねばなるまいが仕方ないか。
なにより冒険者の寝床といえば馬小屋だからな! ちょっとテンション上がってきた。
では早速旅籠へ向かおうと思っていると再び<気配探知>に薄い反応と……殺気が一つ。
鈍く薄く、しかし絡みつくような殺気に体が弾かれたかの如く反応した。全力で前方へ飛び退き、間髪入れず練り上げた<魔法の手>で体を左方へ跳ね飛ばさせる。
初撃は大気を引き裂く振り下ろし。殆ど間もなく追い上げてきた一撃は、投擲のために研ぎ上げられた棒のようなナイフの飛来。初撃をしのいだ事で安心していれば、その場で痛い目を見ていた。小ぶりなので死にはすまいが、大打撃は避けられない。
ほら、私って一般人だから、四肢にナイフ刺さったまま戦うとかしたくない……。
着地を狩るように弧を描いて襲いかかる何かを半端に抜いた“送り狼”で防ぎ、打撃の勢いを借りて間合いを開ける。回避か防御に成功したら短距離移動されるとか、思えばメチャクチャ鬱陶しい挙動してるな私。
冗談はさておき、攻撃を防ぐに際して鞘がある腰元と腕の二点で支えることで受けやすくしていた剣を抜き直し襲撃者と相対する。
ぱっと見て、なんと形容するのが良いか悩む敵手であった。
上体の輪郭を隠すフード付きの外套、そしてその下から伸びるヒト種にはあり得ない長い胴。地を踏みしめる外骨格の細い足の群れは昆虫系の亜人であると察せられる。
ヤスデとムカデ、どちらであろうか。
一部の隙もなく姿を隠し、男女の判別さえつかぬ敵が担うは長大な棍であった。のたくる体に負けぬほど長い得物を優美に振り回し、襲撃者は初撃を凌いでみせた私の様子をみているようだ。
一目で私は敵を実に“やりにくい”相手だと感じた。
しなやかに長い手、二足歩行する人類種であれば上背の都合で持て余すほど長い棍、そして一番は……。
「ぬっ……!?」
全く出足の読めない多節の足!
多数の脚をうごめかせることで進む敵は、二本の足と異なり出足が極めて読みづらい。攻撃の起点は足にあり、ついで胸を見ていれば腕の動きの起こりが分かって何処を狙っているか読めるのだが、この脚の動きは全く先をよませてくれない。
左右にも前後にも大きな動作もなく歩いてくる上、間合いの詰め方が独特すぎてタイミングを外される。その上、胴を高くもたげることで上を取ってきて、ただでさえ長くて始末の悪い棍を円運動で振り下ろしてくるので性質が悪すぎる。
極めつけは巨体に見劣りしない怪力ときた。普通の兵士なら分隊で横列を組んでも軽く蹴散らされる怪物だ。
クソ、突入が失敗した時に備えてえげつないのを伏せてやがる!!
棍の振りは早く、コンパクトな円運動は動きのダイナミックさに反して全く雑な所がない。あまつさえ、二本足ではすり足を駆使しても不可能な細やかな移動によって、微かな隙さえ殺している。
敵ながら見事な構築。自らの種、その強さを完全に活かしきった戦術は卓であったら次の参考にするのでキャラ紙見せてといいたくなるほどだ。
攻撃精度も素晴らしい。二本足の悲哀、どうしても次の一歩までに生じる体の揺らぎを刈り取るように振るう一撃の正確性は、その時その時で狙って欲しくない所へ的確に襲いかかってくる。
刺客じゃなくて、もっと華々しい地位にあっても良いくらいの妙手であった。
遠心力を用いた攻撃は半端な防御を弾き飛ばす勢いがあるので、私は幾度か回避することでタイミングを計り前に出る。剣を両手で逆に握り、袈裟に振り下ろされる棍を掠らせるようにいなした。何度も槍と戦う時に用いた、弾くのではなく優しく逃すやり方は棍相手でも変わらない。
かなり上手く決まった手応えがあった。フードで隠された顔が驚いているのが分かる。殆ど弾かれたという感触すらなかっただろう。
さぁ反撃だ。長柄の得物はリーチに優れるが、こうやって懐に入られると途端に弱い。
それに、多節の脚部はしなやかに全方向へ動く蛇体人と違い、前方へ振りたくって攻撃に使うこともできまい。背を向けることなく後退する速度は中々だが、追いつけないほどでもない。
このまま無力化するのであれば、親指を切り飛ばせば良いだろうかと思っていると首筋にひやりと嫌な感覚が。
とっさに“送り狼”を掲げて防げば、甲高い音を発して何かが弾け……同時、腹に鈍い痛みが走った。
呻きを堪え<雷光反射>により緩やかに流れる視界で弾いた物を追えば、それは刀身を灰で塗って夜間でも目立たなくした投げナイフであった。
そして、外套の下からのぞく“もう一対の腕”。ああ、畜生抜かった。
思えばそうではないか。敵は最初の奇襲で棍の一撃を放ち、同時にナイフを投じてきた。
片手で振るえる得物ではないのだから、腕がもう一本あるほうが自然ではないか。
いやまったく、帷子を着込んでいてよかった。襲撃を予感していたから、煮革鎧こそ来ていなかったが鎖帷子だけはきちんと着込んでいたのである。
うむ、もの凄く雑に軽減されたり貫通されたりするけれど、やはり装甲点は偉大だ。
ただ金属の塊を本来なら刺さる勢いで投げつけられたのだから当然痛い。その痛みを返すように送り狼で切りつける。襲撃者は懸命に棍で防御し、もう一対の手で短刀を抜いて攻撃してくるが“二回攻撃してくるなら二回リアクションするだけ”と割り切って動けばなんとでもなる。
それにこちらにも隠し種はあるのだ。
後退し最適な間合いを取ろうと追いすがる襲撃者に張り付きながら、私は<見えざる手>で裾の内から触媒を引っ張り出して<閃光と轟音>の術式を叩き付ける。
慮外の攻撃にのたうつ襲撃者が遮二無二煮振り回す棍を飼わし、ダメ押しに“手”で外套の内側に吊したクロスボウを手に取った。
そう、昼間の戦闘で拾ったアレだ。
機構が複雑で一度壊れると難儀しそうだが、再装填が簡単で割と小柄というところが気に入り、革帯を少しいじって左肩から吊せるようにしてみた。使うためには<弩弓術>を新しく取得する必要があったが――<短弓術>の援用はできなかったのだ――運用が至近距離で不意打ちのためなら<基礎>でも十分。
攻撃を受け止めるなり、今みたいに魔法で不意を打つなりしてから抜き打ちで放つ。かなり意表を突く良いだまし討ちだろう?
外套がはためき、脇をあけて開いた射線を通して引き金を引く。弦がはじける甲高い音とボルトが空気を裂く音が響き襲撃者がもんどり打った。
加速された視界の中でも捉えきれぬ速度で飛翔したボルトが、敵の肩口に突き立っていた。
相手がやったことをそのまま返す。別に見て思いついた訳ではないけれど、パクってしまう形になってしまったな。
って、あぶねぇ!?
背後に倒れながら、襲撃者は体をのたくらせて鞭のように足を撓らせて蹴りつけて――果たしてこれは正確な表現なのだろうか――きた。丸太のような体を叩き付けられては溜まらないので倒れ伏して回避すれば、襲撃者は体を低く伏せ、思わず「うぇっ」と漏らしたくなる速度で逃げ去っていった。
感覚は潰しているはずだったが、そういえば昆虫系の亜人はヒト種とは異なる感覚器を持っていることを思い出した。ムカデかヤスデならば触覚で匂いを嗅ぎ、移動することも能うか。
それにしても、如何にもな節足動物めいた挙動。久しぶりに幼なじみの狩り姿を思い出してしまった。確かに彼女も短時間であれば、到底追いつけないくらい機敏に走るからな……。
しかし参った、取り逃したか。今から追いかけても追いつけないだろうし、手負いの刺客となると手強さは更に上がるだろうから追撃戦はやめておこうか。仲間を引き連れて逆襲に来られても困るし、私も大人しく姿を隠すとする。
なによりあれだ、派手に立ち回りすぎた。派手に物をぶち壊しはしていないが、戦の気配に聡い者達が何事かと起き出したのか少し周りが騒がしい。権力の庇護がない状態で巡察吏のお世話にはなりたくないからな。人が住んでいる場所で暴れると色々うるさいのだ。
ただ、こうなると宿は取れそうになかった。仕方ない、外套に包まってその辺で休むとしよう。
高い旅籠に泊まっていたのに野宿、風呂にも入れたのに汗みずく……ついてないね。
やはり勧誘を断って良かった。だって、騎士になって側に仕えると言うことは、年柄年中こういった襲撃に備えねばならないのだろう?
配下を雇って鍛え、警備計画を立て、奔放で思いつきで動くきらいのある主人に全てぶち壊される。
その上で自分の領地の面倒を見て、荘民からの陳情があれば解決してやり、ある程度の金も自分で工面し治安を守り続けると。
一体何の刑罰だ。
「いてて、青あざできてないだろうな」
腹を抱えながら私は姿を隠すため林に向かう。ああ、この視察が終わるまでに一体何度こんな夜を過ごせば良いのか。
いくら熟練度が貯まるとはいえ勘弁願いたいね。私は別に戦闘中毒というわけではないから、四六時中強者を求めてる訳じゃないんだよ。
たまには穏やかな旅情を欲したってバチはあたるまい。春先でまだまだ冷える夜気に震えながら、私は数えきれぬほどの溜息を更に一つ積み上げた…………。
【Tips】市街地・壮園内・旅籠の付近などの生活域における私闘は一〇リブラ以上の罰金刑ないしは半年の社会奉仕活動を課せられることがあり、抜剣しての私闘ともなると一ドラクマ以上の罰金刑及び拘留・投獄の可能性もある。
書籍版の宣伝もかねて更新です。
緊急事態宣言も一部では解除されましたが、まだまだ用心は必要だと思いますので必要な外出の際に本屋が近場にあれば手に取ってやってください。
私は先週、やっと自分の本が並んでいる所を目にすることができました。
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別に私のサインがあったからといって【ヘンダーソン氏の福音を+1】になったり魔法の武器化されたり、専用化加工で命中判定にプラスがついたりはしませんが、気が向いたら応募してみてください。
親切な方がコメントとかDMで教えていただいたので、拙作のトップから私の名前をクリックすれば私の作者ページに飛べて、そこからTwitterにアクセスできるようにしております。
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数話といった繋ぎも長くなってしまいましたが、やっとこ冒険者にしてやれるなぁ。