少年期 十四歳の春 二
権力って凄い。そんなことを適当に考えつつ、私は外套を脱いだ。
さて、ここは帝都から二日ほどの距離にある貴種向けの大きな旅籠である。三重帝国の基幹街道沿いには、貴種の館もかくやといった旅籠が一定距離ごとに点在している。
全ては社交シーズンになれば帝都へ集まる貴種達の参勤交代めいた政治体制のためだ。青い血が流れる高貴なお歴々は、よほどでなければ馬車や野の天幕で眠ることを良しとしないからな。
大立ち回りをやった日に直ぐ旅籠に泊まれたのは、全てアグリッピナ氏の強権のおかげである。やってきた巡察吏達に名乗り、割り符を見せ、紹介文を書いて全ての雑事を押しつける。後は数騎の剽悍な巡察騎兵に護衛されながら、今宵のお宿――飛び込みでも最上の部屋をあてがって貰えた――へ到着である。
普通、ああも一般的ではない野盗に絡まれたなら、これほど簡単には解放して貰えない。当たり前の話だが怪しすぎるからだ。巡察吏の屯所へ連れて行かれ、細かい話を聞かれるなど数日は拘束されるのを覚悟すべきである。
だが権威と階級が物を言う君主制国家において権力は法の上に立つ。法とは権力を支えるために作られているからだ。法が権力を拘束するという構図は、近現代入ってから漸く成立するものであり、この地においては一定の腐敗と下克上を難しくする頸木という意味合いが強い。
法が権力を下すのは、より強い権力が法を行使する時のみ。前世の日本でも似たようなものだが、君臨する統治者が存在する地においてはより顕著である。
下手に止めたら手前どころか家族の首が飛びかねない相手を規則にあるからと屯所に同行させられる訳もなく、色々な感情を嚥下した「ご協力感謝いたします」という言葉に見送られて私たちはここに居る。
うん、権力って凄いねホント。ここまで露骨だと欲しいとも思わないけど。
「んー……質は悪くないけど、やっぱり工房には劣るわねぇ。居心地というか、安心感というか」
様々な設備が充実した――なんと使用人が寝る用の別室まである――貴種向けの大部屋に入るなりアグリッピナ氏は旅装を着崩してカウチに転がった。そういえばこの人、何だって態々ベッドとかを使わずカウチやハンモックを愛用しているのだろう。
根っからの引きこもりみたいなことを宣いつつ雑にブーツを脱ぎ捨て、束ねていた髪を解く雇用主の姿にはもう慣れて呆れすら抱かない。ただ、貴種の子女は足を人前に晒すのは拙いんじゃなかったっすかね?
ああ、いや、単に野郎と見られていないだけか。
色々と始末をつけ、後は部屋に食事を運んで貰えば終わりという段階で、私はアグリッピナ氏に手招きされた。
何事かと思ってカウチの側に向かえば、彼女は怠惰に寝っ転がったまま煙管をもてあそびつつ口を開く。
それは、やっとこ聞かされた今回の旅の目的。いわば、野盗に見せかけた刺客相手にやっていたことの本旨。
アグリッピナ氏は腹を括ったらしい。私も教えられていない彼女の専攻、魔導師として追い詰めていた目的は本来数百年かけてゆっくり追うつもりであったらしい。今すぐ必要になるのではなく、目的さえ果たせば“使った時間は幾らでもペイできたから”との呟きから、ある程度の目的を察することはできた。
要は使った時間を取り戻せる何かということだ。長命種という時間の縛りがない種が求める時間なんてものは……口にするだけ無粋ってところかね。
ただ、それも事情が変わってしまった。アグリッピナ氏はずっと暢気な研究員の身分で、自分のためだけに研究を淡々と続けたかったそうだ。
なんともまぁ、自堕落な話である。私にも分かりやすいスケールに話を落とせば、大学生くらいの身分で延々と小説を書いていたいみたいなものであるのだから。
……あれ? 天国では?
自堕落面に落ちかけた自分の脳みそを叱咤して気を取り直せば、雇用主は愚痴っぽく嵌められて教授にさせられてしまった経緯を話してくれる。肩書きだけみれば立派であるけれど、貴族なんてのは金の代わりに死ぬほど多量の義務を課せられる仕事中毒者でもなければ楽しくもなんともない、建物の地下深くに埋められる礎石のような仕事だ。ただしたいことをして生きていきたいアグリッピナ氏には到底向いていない。
が、君主制国家において一度押しつけられた役割を果たせなければ、それは果たさなかった側の責任となる。
そこでアグリッピナ氏も悩みに悩み抜いた。逐電して実家に帰ることから、ガチ政争を仕掛けて意趣返しをすることまで、過激なのから穏当なのまで思考能力の全てを傾けて考えに考え抜いた。
結果、適当に利用しつつ、ある程度利用されてやるのが一番“気楽”という結論に落ち着いたらしい。
そのため、適当な――本来の意味で――仕事をするための地盤作りの一環として、今回の旅が企画されたそうな。
「なんというかね、私って昔から興味が無いのよ。世に言う出世とか栄達とか名声とか……心穏やかに好きなことをして過ごせりゃそれでいいわけ」
どっかでヒト種の貴族、その三女くらいに生まれていれば一番幸せだったかもしれないわねと宣って彼女は煙管から灰を落とした。
「てきとーに政略結婚で所帯持たされて、てきとーに旦那の相手して、たまにサロンに顔出して、あとは家庭教師に子供任せときゃ良いわけだし。そこで刺繍なり園芸なり、趣味を見つけて穏やかに生きていけば幸せでしょうねぇ」
「……正直、貴方が窓際に座っておとなしく刺繍してる光景とか想像できないんですけど」
「失礼な丁稚ね。一通りできるのよ、こう見えて」
煙草に新しい葉を詰めながら彼女は笑った。貴種としての教養は一通り身につけていて、彼女の故国では常識となる、夫に持たせてやるための刺繍入りハンカチを仕立てる文化を全うに果たせる程度の腕前はあるそうだ。
「ま、運命を嘆いてムカつく野郎のはらわたで綾取りをする算段を練るより、多少なりとも楽な方に行った方が人生楽しいわよね。だから真面に伯爵閣下をやってやることにしたわ」
絶対嘘だぞ、と憔悴したライゼニッツ卿の顔から思ってしまったが、ここで蜂の巣を突っつくほど私は阿呆ではない。賢明な丁稚は主人の愚痴に対し、ただ分かりますともという顔を作って頷いてやるだけである。
「貴種としての特権を使い倒して研究を進める。そして宮中伯としてのコネ、教授としてのコネも帝室や魔導院が過労死するくらいの勢いで使いまくってやるわ」
こうなっては私にできることは沈痛な面持ちで陛下とライゼニッツ卿の冥福を祈るばかりである。いや、一人もう死んでるから、死んで尚重労働させられるこの世の理不尽を嘆くばかりか。
いやー難儀難儀、ファンタジー世界も下手すると前世より世知辛いね。死して尚労働させられるとか冗談じゃねぇよ。
……何やら妙な悪寒が背筋を走ったが、気のせいだろうか。多分疲れてるだけかしら。
「それでね、これは提案であってお願い」
甘い煙草の煙を吐いて、珍しくアグリッピナ氏は表情を正して私に向き直る。
「エーリヒ、貴方成人に合わせて私の騎士にならない? 伯爵ともなれば下級の叙爵権を与えられているから、帝国騎士として取り立てて上げる。行く末は“養子”ってことにしてウビオルム伯爵家を継承させてあげてもよくってよ?」
びっくりしすぎて「は?」という言葉さえ出せなかった。
この人、急に何を仰っているのでしょう。
「ぶっちゃけると、便利すぎる人材なのよね。従僕としても使えるし使者に出して申し分ない能力もあって、その上で殺そうと思っても中々殺せないくらいの腕前はあるし、今になって手放すの惜しくなってきたわ」
「そこはこう、ぶっちゃけるにしてももうちょっとお上品に表現してくださいよ……」
確かに私が結構な便利キャラである自覚は持っていた。ある程度の自衛ができて、読み書き計算も可能、貴族文化と暗黙の了解に多少の理解もあり、ついでに魔法使いとして決して弱くはない。
戦略シミュレーション系のゲームだと、序盤から終盤まで「主力は使いたくないけど、必要ではあるんだよなー」って案件で過労死させられ続ける要員だろうさ。延々と色々な領地に飛ばされて治水工事させられるようなアイツだよ。
それにしても、もっとこう……なんというか、情緒っつーもんがね?
「今更私が言葉を飾った所で、何考えてるかくらい分かるでしょうよ。だったら正直に言った方が手間がないわ」
よっこらせ、と起き上がった彼女は私を見つめながら手を出し出す。
「そうね、手始めに実入りの良い荘を三つ預けましょうか。年俸は二〇〇ドラクマくらいにはなるかしら。支度金として五〇〇ドラクマほどで見栄えのいい板金鎧を仕立てて、私兵団の設立もやっちゃってもらおうかしらねー」
三ヶ荘を治める代官といえば大した物だ。我が故郷を治めているテューリンゲン卿と同レベルと言ったところだろうか。農民の四男坊であれば涎が出るような提案、この上ない立身出世である。こんな出世をしたら、ケーニヒスシュトゥール荘で未来永劫の語り草となろう。
「貴方が普通の子供じゃないくらい、もう嫌って位察してるから細かいことは言わないわ。別に貴方の生まれがヒト種であろうと、神のつばが付いた何かだろうと誤差みたいなもんよ」
甘く、蠱惑的に香る煙草の煙に混ぜるように毒の言葉が吐き出される。初めて会った日から変わらない、憎らしいほど絶世の美を称えた表情は今日も最後まで外連味たっぷりだ。
「ねぇ、私に仕えなさいな。私なら貴方を完璧に使いこなしてあげられるわ」
ある意味とても真摯な言葉は、返って美辞麗句で飾った勧誘よりも私の心に染み入る。
雇用条件をはっきり示し、将来のステップアップ報酬も明確に。
なにより、この人は報酬を惜しがって渋る手合いでないことくらい分かっている。
三重帝国で地下の庶民が騎士に取り立てられることは不可能ではない。だが、一代で叙爵され正当な貴種となった例は多くない。そこまでいけば、荘に留まらず全土で詩にでもなって名が残ろう。もしかしたら、荘では私を称える祭りまでできるかもしれない。
だけどまぁ……。
「いや、過労死させられそうなんで遠慮しときます」
「あ、分かる?」
「分からいでか」
悪びれもなくカラカラ笑う雇用主にして師に呆れた表情しか見せられない。
領地付き爵位ということは、今まで天領として管理していた代官やら官僚やらがついてくる訳だが、彼らは地に付いた人間であり人に付いた人間ではない。
現代人にこの感覚は理解が難しかろうが、君主制国家においては非常に大事である。
日本の戦国時代でいえば地侍や国人衆と直参家臣の違いとでもいうのが良いか。
家臣は主君より禄を預かり、領地を与えられているため忠誠は領主に向く。一方で国人衆は領主に帰属しているが、その身分は土地に根付いており荘や村を修めているがため場合によっては幾らでも主人を変えられる。
天領を預かる代官は元々皇統家の名において任命された官僚であり、忠誠は国家に向いているし、代官が修めている土地とて別の貴族から叙勲された騎士やら国家から任命された騎士が担当してるため、当然領主が変わりましたよと言われても「へぇ」くらいの心持ちであろう。
そして領地経営には忠誠心があり信用できる配下ほど重宝するものはない。
ぶっちゃけ騎士家の年俸は安い。騎士は代官として壮園を管理すると共に武官として即応戦力を維持せねばならないが、なんとその維持は年俸から捻出される。経費という概念がふわっとしているのだ。
無論、領主としては維持できるだけの禄を与え、荘から年俸以外の物納品もあるため不足することはない。が、騎士としての体面を保てる数の騎手――少なくて数騎、富んだ騎士家でも一〇騎ほど――と従士隊に歩卒隊を編成し、調練していては贅沢はできなくなってくる。
良い暮らしがしたいなら、何らかの“副収入”が必要になってくる訳だ。
便宜を図って荘から金を直接受け取るだの御用商人と癒着して云々だの、如何にもな悪巧みは行き過ぎ――領主の懐にダメージを与える規模――でなければ看過される。そうでなくば、地に根付いた人間の忠誠心を損なってしまうから。
だからといって全員が全員好き勝手していたら領の収益が減り、最終的な税収が落ち込むので引き締め役も必要な訳だ。
故に領主個人に忠誠を向け、真面目に仕事が出来る人間は重宝がられる。そして使い倒されて毛根や胃を痛めつけられるのである。
幾ら金貰ったって、この人の下でんな損な役回りはごめんだよ!! 割に合わねぇわ!!
「至極残念だけど諦めましょうか。腹に一物抱えて仕事されても困るし」
「……そこで弱みを抱えていると言わないのは良いところですね」
「だって、下手に刺激しても得しないでしょ?」
爆発したらおっかない相手くらい分かるわよ、と再度笑い、アグリッピナ氏は立ち上がって髪の毛を整えた。
「さぁて、フラれちゃったし工房に戻りましょうかね」
「え? 食事は?」
「貴方が食べなさいな。やっぱり休むなら自分の寝床に限るわねー」
何やら空間遷移してさっさと帰る心づもりでいらっしゃるらしい。そうして、明日の朝に戻ってくるからと適当なことを宣い、雇用主は空間の“ほつれ”に消えていった。
……ああ、うん、せやね、おうち帰って寝る方が楽なら、そりゃ帰るわね。
一人取り残された私は処理しづらい様々な感情を抱えたまま、とりあえず本日何度目になるかも分からない溜息を吐いた。
そして神々に祈る。近い将来、私の代わりに目をつけられて酷使される御仁の冥福を。
許してくれ、私はエリザや友人達の次くらいに我が身が可愛いんだ…………。
【Tips】人事は行政管区内において行われており、全てが領主の一存で決まるわけでもない。そして貴種の副業を禁じる法もない。
さぷらーいず、ということで少し時間があったので続きです。
アグリッピナ氏、嫌がらせのために努力することを決意。そして使える物は主君だろうが師匠だろうが使い倒す腹づもりの模様。
大抵の面倒な質問は「そちらは帝室と打ち合わせておりますので、お問い合わせのおつなぎを致しましょうか?」だの「お師匠様のお許しがなければ」と絶妙な具合にブン投げて回避している様子。
畜生ムーブここに極まれり。
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また、実に有り難いことにファンレターをいただいてしまいました。
それも二通も。
この情報社会に態々手紙を仕立てて編集者まで送ってくださる心意気に絆されて投稿ペースが上がったといっても過言ではありません。
この場を借りて深く御礼申し上げます。