ヘンダーソンスケール 0.1 ver2
ヘンダーソンスケール 0.1
物語に影響がない程度の脱線。
副題。マグダレーネ・フォン・ライゼニッツ教授の華麗なる一日。
その日、魔導院五大学閥、ライゼニッツ閥の創設者にして今も尚閥を率いる死霊の才女、マグダレーネ・フォン・ライゼニッツ教授は大変ご機嫌であった。
かねてよりの懸案事項であったアグリッピナ・デュ・スタール研究員の処遇も決まりそうで、他の教授勢への根回しも順調に進んでいる。
半ば以上嫌がらせでアグリッピナを魔導院と皇帝の間におく折衝役としての宮中伯に推したのは、お察しの通り彼女が書いた絵図によるものであった。
ただ、半ば以上は嫌がらせであっても、その全てが嫌がらせによるものではない。彼女は曲がりなりに三重帝国の貴族であり、この国にも魔導院にも多少の愛着がある。国が良い方に傾くのは望むところであるし、腐っても弟子は弟子、栄達させてやりたくもあった。
人間は能力を全力で発揮してこそ生きる楽しみもあろう、それが彼女の持論である。そう、見た目はお嬢様然とした死霊の教授殿は、こう見えて内面は結構体育会系であったのだ。
斯様な価値観を持つ彼女からして、アグリッピナは完全に才能を無駄にしているようにしか見えなかった。怠惰に書庫に籠もって物語や本に溺れ、何を思ったか研究員をすっ飛ばして教授に名を連ねる才を持ちながらも手を抜いて研究員に留まる様は、怠惰を通り越して理解すら及ばない。
だからこれはいい機会だと思い品評会の為に訪れていたマルティン教授にアグリッピナを紹介した。全ての懸案事項が片付き、上手く行く妙手であると。
昔から小人閑居として不善をなす、つまりアホが暇をしていると碌でもないことしかしないと言われているが、魔導院に籍を置けるような人間が暇を持て余せばどうなるか。
往々にして小人が為す不善が取るに足らぬものにしか思えぬ阿呆をしでかすものだ。
現に彼女も一度やらかしたことがあった。
政治的にも落ち着き、研究していたテーマも一段落で、当時抱えていた弟子達も羽ばたいた百年ほど前の出来事。あまりの暇さに走り書き程度で止めたほうがいいかと思った“ちょっとヤバイ術式”をきちんと理論を詰めて作ってしまった。これを知っているだけで下手をすると首が飛ぶレベルの実現不可能とされた術式、それを完成させられた喜びに舞い上がり……結果“最深度実験区画”を一個駄目にした。
アレは酷かった。思いつく限り全員の偉い人に怒られたし、次の教授会ではもう一度死んでしまうか、この場の全員を縊り殺せたらと思うほど全員から煽られ倒した。思い出すだけで泣きたくなる出来事。
正直に言えばアグリッピナからは、あの頃の自分と同じ匂いがするのだ。才能があり、理論を練る頭と実現させる魔力が揃っている。
そして、才能ある魔導師が漏れなく罹っている奇病……思いついたら実現させずにはいられない悪い病気にもしっかり罹っている。既に彼女の内側には困難で実現するのは好ましくないと思われながら、必ず実現させると固く誓った何かがある。
間違いなく。さもなくば縁故でもなんでもなく教授位に上り詰めた吸血種の元締めが気に入るはずがあるまい。
何をしでかすかまでは分からない。死者の蘇生? そんなちっぽけな野望を抱くタマではなかろう。大量破壊? むしろできない教授がどの程度いるのか知りたい。物質創造? そんなもの、心に秘めて最終目標にしている魔導師のなんと多いことか。
アレは暇にしておけば、きっととてつもないスケールのことをしでかす。ライゼニッツが魔導師として培ってきたカンと経験が確度の高い予言として脳裏に警鐘を鳴らした。
だからこそ、懸案事項を一石二鳥どころか群れごと薙ぎ払ってくれる今回の出来事は彼女にとっての福音であった。小人も忙しければ馬鹿をやらないなら、同じ理屈はきっとヤバイ才能の持ち主にも言えること。
その上、今日は東方交易路から上等の反物が幾つも入ってきて、サロンの奥方に買いあさられる前に幾つか仕入れることもできたし、新しい被服のデザインで「これは!」と思うほど輝く物も見つけられた。
今日ほど良い日はそうないだろう。
だからだろうか。彼女はちょっとした気まぐれで散歩に出た。本来貴族位を持つ人間が帝都とはいえ気軽に散歩になど出られるものではないが、昔を思い出してそんな気分になったのだ。
馴染みの仕立屋で買い物を終えると、彼女は御者に館へ帰るよう命じた。御者も慣れた物で、主人がこういった気まぐれを起こすのはよくある事と受け容れる。なにより、この何代も前から仕えている主人が“何をどうすれば死ぬのか”と疑問に思うような存在なのだから、心配することがどれ程の徒労なのか誰よりも分かっているのだ。
心得た使用人の背を見送って、ライゼニッツ卿は魔法によって光の屈折率を変え、自身が透けて見えないような偽装術式をかけた。そうすれば市井の者をやたらと驚かせることもないし、これを見破るような人間であれば“お忍び”を察することくらいはできるから無粋な干渉もされない。
そうして久方ぶりに一人の町娘気分になり、彼女は街をプラプラと散策した。こうやって何をするでもなく街を彷徨くこともまた、時として研究を回す新しい起爆剤になりうるのだから楽しいものである。
当て所なく今日も神経質なまでに掃除された街路を歩き、衛生のため町中で大量に放し飼いされている猫を構うなどの自由な時間を楽しんだ後、彼女はとある市にやってきた。
帝都では下町にあたる区画にある市はモノも人も多く随分と賑わっているが、どちらかといえば下層の労働階級向けの市でもあるので、その賑わいは雑然としていると形容するのが適しているであろうか。
ヒトの男が野菜を売る屋台があるかと思えば、小鬼が手製と思しき雑多な生活用品を筵に並べ、犬鬼がどの種族向けなのかも曖昧な古着を猫車に満載して商売をしている。正に多種族国家である三重帝国の縮図のような場所であった。
ただ、貴種として長く過ごしてきたライゼニッツ卿であるが、このような混沌とした空気は嫌いではなかった。聴講生であった頃は同輩と共に下町に宿を借り、質素倹約を旨として食料の調達なんぞも自分でしていたものだ。
興が乗ったからか、特に用もないのに果実や野菜を並べる露天になど立ち寄ってみる。目映い黄色さに惹かれて手に取った檸檬は、態々南内海から仕入れてきた品なのか切り分けもしないのにサッパリと酸い夏らしい香りがした。
懐かしい香りだ。ヒトであった頃、季節が来ると旬の果物を同輩達と買い込んで加工して楽しんだものだ。薄切りにして酒に漬け込んでみたり、薄い財布から出し合って蜂蜜に浸してみたり。今はもうないはずの唾液腺が開くような心地がした。
あれから随分と経ってしまった。見送った友は多く、もう同期と呼べる存在で魔導院に籍を残すは己のみ。最期を看取った者もいれば、別の役割を見つけて論壇を退いた者もおり、今となっては行方さえ知れぬ者も幾人か。
さて、思えば遠くへ来たものだ。変わらないことといえば、娘時分に仲間と集まって可愛らしいものを囲んで黄色い声を上げていた趣味くらいのもの。ライゼニッツ卿は強い回顧の念に駆られ――決して店主から愛らしいお嬢さん、などと褒められたからではない――檸檬を一袋買い込んで市を歩き出した。
厄介ごとにも終わりが見えて、懐かしい気分でいい心地だから今日は久方ぶりに台所に立つとしよう。使用人に怒られるかもしれないが、どうしても檸檬の蒸留酒漬けを作りたい気分なのだ。酒もさることながら、漬けた後の檸檬を使って作る砂糖煮が仲間内からは大好評でもあったから。
あの頃は砂糖もとんでもなく高価だったので――今でも気軽とはいえないが――これを作るだけで大冒険だった。今も生きている数少ない友人に思い出話を添えて贈ったら、喜んで貰えるだろうか。
そんな懐かしく温かい感情を抱いて市を歩いていると、不意にライゼニッツ卿は雷に打たれたような衝撃を受けた。
心の琴線に触れる。否、激しくかき鳴らす情景に直面したからである。
市の一画、鼠人の店主が営む野菜を商う露天に一組の男子がいた。
一人は彼女もよく知っている人物だ。夏の陽光を反射して黄金も褪せるほど見事に輝く長髪、それを左右一組の細い三つ編みを作って緩く束ねる姿は懸案事項である弟子が抱える丁稚に相違ない。男児なれど背の半ばにほど達する、貴族の令嬢でさえ嫉妬するほど見事な艶を湛えた髪を見紛うはずがなかった。
衝撃の源は彼ではない。今日も勿体ないなぁと思うほど地味な服装で飾った少年の隣には、もう一人の少年……いや、少女か? 一目で性別が判断し辛い連れがいた。
緩く波を打つ豊かな黒髪は真夏の光を受けて光の冠を戴き、笑えば少年のように、考え込めば少女のように映る悩ましい顔は西方の宗教画を連想させる。ほっそりとして均整の取れた体つきは、これまた性差を上手く認識させぬ曖昧にして艶を感じさせる得も言えぬ造詣。これまで何人となく美少女と美少年を愛でてきたライゼニッツ卿をして始めて感じ入る愛らしさ。
それがお気に入りの子と絡んでいることのなんと尊いことか。野菜を品定めして笑い合い、時にからかうように肘で突き合っている姿は「もうずっとそうしてて!」と限界っぽい叫びがでそうなほど。
無意識の内に足がそっちに向いていた。腰に結わえた帯に短杖を刺しているということは、魔導院の聴講生であろうか。研究員として見たことがある顔ではないし、まだ独立している年齢でもないだろうから、きっとそうに違いない。
ということは、魔導院の教授として声をかけても合法だ。うむ、合法である。
ふらふらと蜜に誘われる虫のように近づくライゼニッツ卿。その気配に気付いたのか、金髪の彼はふっと振り向き……ひっと小さな悲鳴を上げた…………。
【Tips】東征帝と号される始めて西方交易路を開拓した皇帝の事業により檸檬や砂糖黍などが西方東部域へ持ち込まれ、以後気候に見合った南方諸国家に下賜され栽培・流通する文化が生まれた。
TRPGには当て所なくブラついていると振らされる突発的遭遇表なるものがある。
物語に起伏を持たせるために戦闘を発生させたり、システム側が用意しているNPCを絡ませたりして物語を豊かにするものだ。
ただ、出目によってはとんでもないものが紛れており、何の因果か街道で古代龍と鉢合わせして全ての予定が吹っ飛ぶような事態にも繋がるのが困りもの。実際、一度エンカウントしたせいで龍に全裸土下座を敢行し、宝を貢ぐことで見逃して貰うことにセッション目的が変わった思い出がある。
まぁ、その龍には成長してからお礼参りをした訳だが……。
「いい! とてもいいです! やはり金髪には黒! そして黒髪には白! その二つが並んだとなったらもう!!」
この良い空気を吸っていらっしゃる死霊の教授殿には、どんなお礼が似合うんでしょうかね。
「ねぇ、友よ」
「聞くな」
「いや、聞かせて欲しい」
「だから聞いてくれるな」
漆黒の天鵞絨で作られた、なにやら共和世期のフランスめいた風情の服装を着せられた私の横に並び、同型で色彩を白にしたデザインの服装で身を飾られ、物憂げな表情で椅子に座ってポーズをとる友が死んだ目で呟く。
「あのひとどっかおかしくないかい?」
「あー、いっちゃったー……いっちゃったかー……」
怖れている事態が遂に起こってしまった。日頃から私の賽子はよくない出目を頻繁に叩き出すが、まさかこんなことになるとは全く予想していなかった。
だって考えもみてくれ。従者が付くお貴族様が、私達庶民が買い物に来るような市場に来るなんて思わないだろう? 貴族は貴族らしく、庶民は庶民らしくがこの世界の不文律だ。だから私もミカと出歩く時は気を遣って、ライゼニッツ卿とエンカウントしそうな所では若干距離をとるようにしていたのに……。
全てが台無しになってしまった。そして、悪い予想も大凡当たっている。
端的に言うとなんだが私の友人は美人だ。男性時は幼さが残るがイケメンで、女性時は少年的な美少女。そして中性時は正しく美人と称するのが一番適していると思う妖しげな美を放つ風貌。
とくれば前々から、この生命礼賛主義者の死霊と合わせたら何が起こるかは火を見るより明らかだ。私程度でも捕まって身を飾らされてしまうのだから、こんな飾り甲斐のある逸材を見つけてしまったらどうなるか。
こうなるんだよ。
「もっと、こう、アンニュイな表情をしてもらえますか!? そうです! えーと、ああ、そうだ! 望まぬ結婚を強いられているような! そしてエーリヒ、貴方はそんな主人を憂うような感じで!」
「ライゼニッツ卿、貴方は天才ですか! その設定、最高じゃないですか! 滅茶苦茶尊い!!」
「そうだ! ライゼニッツ卿、実は帝室から頂いたお仕事で、仮縫いまで終わってるのがあるので合わせてみませんか!? その設定なら、こっちの方が絶対映えます!!」
限界を迎えた趣味人みたいなことを宣って発狂する死霊と、その取り巻きであるお馴染みになってしまったお針子衆のテンションが有頂天だ。遭遇から大して時間が経ってもいないのにこの様なので、暫くお祭りは終わりそうにないな。
何があったか、さして詳細に語る必要はなかろうよ。
遭遇、確保、収容、なんかの財団みたいな流れが凄まじい速度で行われた。魔導院の聴講生である事、別の学閥であっても彼の師がライゼニッツ卿の旧知であったこと。そして、私の友人であるということが決め手となって、二人揃って拉致され、急な来訪にも関わらずお針子達の超絶大歓迎を受けてしまった。
「キツイと思うが耐えてくれたまえよ我が友」
「エーリヒ、真逆とはおもうが君、これを結構な頻度で……」
自分の目でも精気が職務放棄しているのはよく分かる。友人の物憂げな表情が更に憂いを帯びる様を見て、こんな同情されとうなかったと心から情けなくなった。
「聞きましてライゼニッツ卿! 我が友、我が友ですわよ!?」
「ええ! 平素からですか!? 平素からこの調子なのですか!?」
とりあえず、このお詫びは後で正式にたっぷりさせて貰おう。いや、このコスプレショーも別に悪いことばかりじゃないんだよ。小遣いはくれるし、食事も良いものをご馳走してくれるから。ただ、相当の自己性愛を持ち合わせていなければ異様に辛いだけで。
私の上役だからと尊重して付き合ってくれる友人に内心で無上の感謝を捧げ、何が楽しいのかきゃぁきゃぁ騒いでいる死霊に恨みをぶつける。
別に呪われてあれ、とまでは言わないとも。ただ、この人もたまには痛い目を見てくれたら溜飲が下がるのになと思う程度だ。弟子がああなら師もこうか、と思ったのは誰にも秘密にしておかねば。
そういえば、アグリッピナ氏が精力的に動いているよな。
それが少しでも私にとって愉快なことでありますように。細やかな祈りを心の支えとして、私は突発的なファッションショーに耐えるのであった…………。
【Tips】お気に入りを飾り立てて可愛がる文化そのものは貴族の中で取り立てて異端というほどではない。
ということで助走回です。直ぐに十五歳にしてしまうとエリザが描写できないので、練っている間に色々と話が増えて困る。まぁ、PC達のロールが上手くて因縁を解決させてやるためにセッションが数話延びるのは界隈だとよくあることなので大目に見て下さい。
さて、いよいよ来週には書籍化本の発売です。
こんなご時世なので買い物にでるのは難しいと思いますが、通販や電子書籍版もあるのでよかったら手に取ってやってください。
六万文字以上の書き下ろしはさておき、ランサネ氏の挿絵が素晴らしいので。
特にヘンダーソンスケール1.0のマルギットが実にエr……げふんげふん。