書庫の攻防
※ストラルドとマルセル王子の会話。本編では「陰謀」の後くらいのお話です
王城の書庫は入口付近こそ整然と並べられているが、奥へ行くにつれて煩雑化する。
古い文献や歴史に関すること、あるいはまことしやかに囁かれてきた伝承に至るまでが、所狭しと押し込まれている。書物が好きな人間がいたら、悲鳴を上げそうな様相だ。
主に「紙が傷む」という理由で。
「あ、ルディ!」
少年特有の高い音は、睡眠が不足した頭には少々毒だ。
それに幼少期の愛称で呼ばれるほど、親しい間柄ではない。本棚の脇から顔を出した王子は、積み上げられた本の上に頬杖を突いた。床からの高さに何か思うべきか、まだ未発達の背丈を笑ってやるべきか。
「ミリィに読ませる本を、探しているの?」
「さて。そのようにお考えになる根拠から、お聞かせ願いましょうか」
王子はぱちりと瞬きをして、小首を傾げた。
「だってルディ…………ストラルドは、書庫の本なんてほとんど読んじゃってるよね。わざわざ何冊も抱えて、持ち出す必要ないと思うんだけど」
「ええ、まあ。確かに、これらは書庫から持ち出す予定として選んだ本です」
「ミリィは今、お勉強してるの? ぼくも一緒に勉強してもいい?」
「これはお珍しい」
探していた本を棚から抜出し、既に抱えていた数冊に重ねた。
そうしてストラルドはやっと、こちらを見上げている王子に視線を合わせる。といっても、そのためにやや腰を曲げなくてはならなかったが。
「王子殿下におかれましては最近、とみに学問を嫌っておいでだとか。せっかくの申し出は大変ありがたいのですが、彼女は庶民の出。殿下と机を並べること自体恐れ多いことですし、そもそも文字が読めない彼女はまず無理でしょうね。あまりにも初歩的な内容すぎて、殿下が退屈なさってしまいそうです」
「それ、嫌味?」
「つい先ほど、ウィンベルトが泣きそうな顔で殿下の名を呼んでおられました」
「うわー」
形の良い眉を寄せた後、王子がうんざりとした顔になる。
英雄の子は凡庸である前例もあるが、この嫡子は父の良いところを受け継いで生まれたらしい。真面目な性格になりえないのは、どちらの要素にも期待できない。イザベラ王妃は良くも悪くも上流貴族の淑女であったし、アレクセル王は自由奔放ぶりで大臣たちの頭を悩ませることの方が多かった。やるべきことはやっているから、他は許されるという問題でもない。
半日以上も他国の使者を待たせたことや、大事な式典をすっぽかしたこともある。
今思えば、それも国王なりの考え方があったのだろう。
失われて初めて気付かされるほど、皮肉なことはない。理解できたからといって、それが正解かどうかを答えてくれる人間はもうこの世にいないのだから。
「ミリィは偉いな」
「……は?」
「ストラルドみたいな陰険で嫌味な奴が教師やってるのに、ちゃんと『王女様』やってるんだから。父様が言ってたけど、そういう個人の良さっていうのは身分や外見で差別しちゃダメなんだって。家柄が良くても頭が悪い人はいるし、お金がなくて勉強もろくに受けられない子が、大人顔負けの機転を働かせることもあるって」
「なるほど。それならば殿下はより多くの知識を得、より勉学に励まれた方がよろしいですね」
「なんでそうなるの?!」
「おや、殿下ほど聡明な方でもお分かりにならない?」
揶揄を含んだ言い回しに、王子は頬を膨らませた。
「ミリィが可哀想だ」
ここのところ、王子のお気に入りは「ミリィ」だ。
(支障が出るかと思いましたが、これは……本名を名乗らせなくて正解でしたね)
そもそもユーコが来る前から、王女が脱走する際の通称として使われてきた。女剣士だったり、侍女だったり、はたまた庶民街に住む職人の弟子だったり――……とにかく王女の裏の顔はいくつもある。
王女の替え玉作戦が発覚して以来、王城では「侍女のミリィ」がちょっとした噂の種だ。王女本人である場合はどうとでも切り抜けられるが、ユーコでは不安要素しかない。
この辺は上手くやるとして。
「殿下は誤解されているようですね。私は陰険で嫌味な人間かもしれませんが、弱い者をいじめる趣味を持ち合わせておりませんよ」
「ぼくは弱者じゃない、って言われても嬉しくない。全然」
完全にへそを曲げてしまった子供は厄介だ。
さりとて、ストラルドも暇ではない。本来の仕事である書記官をこなしながら、空いた時間でユーコの教育を担当している。自習で覚えられる読み書きと違い、歴史は暗記物だ。ゆえにこうして、わざわざストラルドが選んだ書物を読み聞かせてやろうと思っていたのに、書庫を出ていく前に見つかってしまうとは。しかも完全に目的が見抜かれている。
ウィンベルトでは動いてくれないので、他の餌をと考えていた時だった。
「気になる子をいじめるのは、弱い者いじめだと思う」
「…………殿下? 一体、何のことです」
「そりゃあ、ミリィは可愛くて素直で優しくてかわいいけど!」
「同じものが二度入りましたよ」
どうやら姉への愛情が、同じ顔をしたユーコへとずれてしまったらしい。6才と思えないほどの聡明さを見せる王子が、たった一人の存在でこうも変わるか。
いや、イザベラの国王に対する執着はこれに似たものがあった。
(これは……、厄介ですね)
とても色々な意味で。
王女にも、ユーコにも、今後やるべきことが多くあるというのに。しかも味方は少なく、敵は未知数。国外にも潜んでいる可能性が否定しきれない今となっては、幼い感情に付き合ってやる余裕も残しておけない。
「殿下、申し訳ありません。仕事が残っておりますので、御前を失礼いたします」
「待って! ぼくの話はまだ終わってないよ」
「ああ、ウィンベルトが来たようですね。残りは彼にお話しください。それでは」
「ストラルド!!」
高い声が頭に響く。
「ミリィを泣かせたら、ぼくが許さないからね」
背中へぶつけられた台詞に足を止めかけて、かろうじて堪えた。心の波は見ないふりをして、表向きは平然と書庫を出ていく。
(涙? 涙など、勝手に泣くから出てくるのでしょう)
ストラルドが泣かせたわけではないが。見開いた目から零れていく大粒の涙は、記憶の端にしっかり残っている。
奴隷たちにも故郷があるように、ユーコの故郷もどこかにあるのだろう。
会話の端々から、それなりに発展した文明を持っていることも分かっている。彼女は読み書きができないのではなく、シクリアで使われている文字が読めないだけだ。頭は悪くない。
今は小さな苗に土を与え、水をやり始めたばかり。
どんな花を咲かせるか。それはまだ、誰も知らない。




