偽りの人影
「このようにn=sini/sinrとなり⋯⋯」
髪が寂しくなった教師が壇上で説明している。
教室では、真剣に授業を聞く生徒、睡魔と戦いながらもどうにか起きようとしている生徒、完全に負けた生徒。様々な生徒がいた。ちなみに、となりの湊は完全に負けていた。
湊、こんなんじゃテストの点数が悪くなっちゃうよ⋯⋯。
キーンコーンカーンコーン。
「では、ここまで」
「ありがとうございました」
「終わった〜」
「お前はずっと寝てただろ」
伸びをしている湊の後ろから風間のチョップが飛んでくる。
「見切った〜」
湊は瞬時に振り返り、風間のチョップを止め――られなかった。
「痛えな」
湊は頭を撫でる。
「つ〜か、寝てないし。夢の世界への旅を楽しんでただけだし」
「訳すと、私は寝ていました、だろ?」
「そうは訳さないだろ。なぁ、澪」
澪は頷く。
「だってさ」
「月島さんを巻き込むな」
「なぁ、湊。知ってる?」
「何が?」
校庭の葉が色づき始め、学校では多くの生徒が一つの話題で持ちきりになっている。
「出るんだよ、幽霊が」
風間は幽霊のポーズをする。
「へぇ」
湊は澪から送られてきたメッセージを見る。
「ねぇ、もっと反応して」
風間は湊の肩を揺らす。
「いや、だって。子どもじゃあるまいし」
「じゃあ、こんなにワクワクしてる俺は子どもなのか?」
いかにも、幼い子どもがするような反応で抗議する。
「そうだな」
湊はふっと微笑み、澪の方を見る。
「ここにも、子どもみたいな反応してる人いるけどな」
澪の目は子どものように輝いていた。
「湊、幽霊だって。面白そう」
「月島さんって喋れたの?」
風間は目を丸くする。
どうしよう⋯⋯。話せないわけではないんだよね。湊には話せるんだけど、他の人は何を言えばわからなくなっちゃうんだよね。でも、そう言ったら、風間くんを傷つけちゃうかもしれないし⋯⋯。
澪は風間にグッドポーズとバツマークをする。
「ん~、それはどっち?」
「澪は俺には話せるの」
湊が代わりに説明する。
「話したっしょ、あの事件」
「ああ、済まなかった」
風間は素直に頭を下げる。
「で、幽霊?」
「ああ、そうそう。街の外れにでっかい館があんだろ」
湊はスマホの地図アプリを起動する。
「これ?ホテル・コカブ」
湊の画面には、洒落たくまの看板が掲げられたホテルの写真。
「そうそれ」
風間が画面を指さす。
「そこでさ、夜な夜な誰もいないはずの部屋に人影が出るんだって、怖いだろ〜」
「はいはい、怖い怖い」
「湊、行ってみない?」
澪が湊の袖を引っ張る。
「え?」
「ほら、月島さんは乗り気だよ」
湊は頭を抱えた。
「澪が行って、俺が行かないと⋯⋯。澪は風間にコミュ症を発動して、無言のすごい空気が流れるだろ。それをなくすために風間は無駄に喋り⋯⋯」
湊は頭をかき乱した。
「ああ、もう。行くよ、行く」
「決定〜、じゃあ週末な」
そして、その日――。
『すまねぇ、風邪引いちまった』
電話越しに風間の声が聞こえる。
『二人で行ってきてくれ』
「ああ、分かった。お大事にな」
湊は電話を切る。
「じゃあ、三人で行こうか」
その場には湊と澪、そして、高橋がいた。
「なんで俺まで⋯⋯」
高橋がため息をつく。
「まぁまぁ、大人の引率も必要でしょ」
「ったく」
舌打ちをしながらも高橋は大人しくついてきてくれる。
ホテルに着いたのは日が沈んだあとだった。
周りの明かりは少なく、熊の看板が薄気味悪くあたりを照らしている。
「雰囲気あんな、こりゃ」
「そうですね」
湊が賛同する横で、澪も頷く。
すると、門の影から人影が動いた。
「うわっ」
澪は飛び退いた湊の背中に隠れる。
「皆様、ようこそお越しくださいました」
人影が丁寧にお辞儀する。
「ゆ、幽霊が喋った!?」
「湊、よく見ろ」
看板の明かりが人影を照らす。
そこにいたのは、白髪の髭を蓄えた男性だった。
「何だ、普通に人じゃん」
「失礼だぞ」
高橋が湊の頭を叩く。
「改めてようこそ、ホテル・コカブへ」
その男性は両手を広げる。
その姿はやけにしっくりきた。
「私、支配人の緑川です。どうぞ、ご気軽にお呼びください」
「予約の高橋です」
「ええ、よく分かってます。なんせ、幽霊の騒ぎで宿泊客が激減しましてね。今夜もお客さんはあなた方を含め、七人しかおりませんから」
台詞に反してその声はどこか楽しそうだった。
「では、どうぞごゆるりと」
「というか、高橋さん、予約まで取っていたの?」
「まぁな」
高橋の目が輝く。
「幽霊が出るホテルなんて気になるに決まってるだろ」
「高橋さんもそっち側だったか」
湊が頭を抱える。
「そっち側って?」
「大丈夫です、こっちの話です」
ホールへと向かう廊下には、多くの肖像画が飾られていた。そのどれも今にも出てきそうだった。
「なんか、不気味っすね」
湊が呟く。
「これらは、歴代の管理人の肖像画でございます」
緑川が、楽しそうに説明する。
「ほら、このように、私の肖像画もございます」
廊下の途中に今よりも若い緑川がにこやかにこちらを見ている肖像画があった。
ホールに向かうと、すでに三人の男女がいた。
澪は一人ずつ観察する。
窓辺で本を読んでいる少し儚げな女性。カメラを構えた男性。椅子に腰掛け、目を閉じている落ち着いた様子の男性。
緑川の言っていたことを考えると、全員宿泊客なのだろう。
カメラを構えた男性が澪たちに近づいてくる。
「こんばんは、今夜は月がきれいですね」
「はい?」
「いえ、はじめまして。僕は、白瀬です。よろしく」
「あ、ああ。よろしくです」
湊は白瀬と握手を交わす。
「僕は、幽霊を写真に収めたくてここに来たんだ」
白瀬はシャッターを押すジェスチャーをする。
「気になるだろ?誰もいない部屋の人影。絶対幽霊の仕業だ」
話していくうちに白瀬の目は輝き、熱量が上がっていく。
「それに、このホテルでは昔自殺があったとか⋯⋯」
白瀬の熱量に比例して、澪と高橋も乗り気になっていく。
「本当に出るんですかね」
湊がやれやれと肩を落とす。
「出るよ!」
「出るって!」
白瀬と澪の剣幕に押され、湊は「お、おう」と頷いた。
「いや、自殺なんてありませんよ」
緑川が丁寧に訂正する。
「あ、そうなんですか。すみません」
白瀬が頭を下げる。
「でも、ロマンがあるわね」
本を読んでいた女性が顔を上げる。
「もし、幽霊に会えたら、黄泉の国のことを聞いてみたいわ」
「さすが、小説家だね〜。千尋は」
「ありがとう」
その女性はふっと微笑む。
「はじめまして、私、小説家の青野千尋です」
そして、丁寧にお辞儀した。
「あ、あの、小説家って、あの、青野さん、ですか、?」
澪が興奮しているのか、しどろもどろになりながらも、懸命に話す。
「珍しい、澪が人に話せるなんて」
湊が関心している横で、やはり澪は断念していた。
『青野さんって新人賞取った、今最高の小説家だよ。会えただけで嬉しいのに、こうやってお話できるなんて感激。あ〜、小説持って来てサインもらえばよかった』
湊は澪からのメッセージを青野に見せる。
「ふふっ、サインなんて、私のでいいの?」
澪は赤ベコのように首をふる。
「幽霊なんて馬鹿馬鹿しい」
椅子に座っていた男性が立ち上がる。
「そんなもの存在するわけがない」
「そうとは、言い切れないじゃないですか?藤野さん」
白瀬が抗議する。
「誰ですか?」
「藤野直樹さん、私の元カレ」
青野はさらっとそう言った。
一拍遅れて、
「ええっ!」
湊が声を上げた。
「湊、失礼だよ」
澪が袖を引っ張る。
「大丈夫だよ、なんかもう慣れちゃった」
「ちなみに、現在は⋯⋯」
「ふふっ、白瀬くんの彼女」
「ええっ!」
今度は高橋のチョップが湊の頭に落ちた。
「さて皆様、自己紹介も済んだところで、ご夕飯を用意ができました」
緑川は食事の入ったワゴンを持ってきた。
「お腹すいたな〜」
湊が呑気な声を出す。
食事を終えて澪、湊、高橋は高橋の部屋に集まっていた。
「本当に行くんですか?」
ぼやく湊の前では澪と高橋がるんるんで探索の準備をしていた。
「そりゃ行くだろ」
高橋は当たり前だろといわんばかりの顔をする。
澪もグッドポーズをしてくる。
「まじかよ」
湊はため息をつく。
「ってだって、こんな幽霊探しに向いている日はないぞ」
そう言って高橋は部屋のカーテンを開ける。
「こっから人の部屋が見えるんすね」
「このホテルは中庭があり、空から見るとカタカナのロの形になっているんです」
澪は緑川の説明を思い出していた。
「あの部屋って藤野さんの部屋っすよね」
澪は湊が指さした部屋を見る。
カーテンで見えないが、藤野がテレビを見ているようだった。
「さて、行こうか。白瀬さんも一緒に行こうって言ってくれたし」
高橋はリュックを背負い、ドアへと向かう。
「ちょっ、待ってくださいよ」
湊がそのあとに続く。
「澪?」
澪は中庭を見つめていた。
「どうした?」
「いや、なんか⋯⋯。大丈夫、行こうか」
「いや〜、楽しみだな」
澪と高橋がスキップしながら、廊下を進む。
「転ばないように、気をつけなよ」
湊が注意するも遅く、二人とも何もないところでコケる。
「なにこれ?」
高橋が床を見る。
「いや、どう見たって延長コードでしょ」
どうやら、伸びた延長コードに引っかかったようだ。
「ったく、危ないな。それよりも」
高橋は前を向き、「幽霊、幽霊」とよく分からない鼻歌を歌い始めた。
楽しみだなぁ。幽霊探し。会えたらロマンがありそう。
澪がそんなことを考えていると――。
「キャーーー」
どこからか、悲鳴が聞こえた。
「こっちからだ」
すぐさま、警察官モードに戻った高橋が叫ぶ。
「はい!」
澪と湊も後に続く。
階段を駆け下りると、青野が部屋の前で尻もちをついていた。
「大丈夫ですか?」
高橋が駆け寄る。
「私は大丈夫ですけど、白瀬くんが⋯⋯」
青野が指した方向に視線を向ける。
そこには――。
仰向けになった白瀬の遺体があった。
「はぁ、なんでこう、行く先行く先事件が起こるんだ?」
高橋がため息をつく。
その隣で澪は現場を観察する。
ホテルの二階。私たちの部屋の二階下の部屋。ベッドにテレビ、ミニ冷蔵庫。特に変哲のない部屋だった。
高橋の指示でそれぞれから話を聞くことになった。
まずは、第一発見者であり、被害者の恋人の青野から話を聞いた。
「事件が発生した時、どこにいましたか?」
「自分の部屋で次の小説の事を考えていました。少し、煮詰まってしまって白瀬くんにアドバイスをもらいに行こうとしたら⋯⋯」
青野の顔が少し暗くなる。
「分かりました」
高橋はいつもの手帳に書き込んでいく。
「では、そのとき何か不審なことやものはありませんでしたか?」
「部屋に着く少し前に、ゴトンという音が聞こえた気が⋯⋯」
「ゴトン?」
「ええ、何かが落ちるような音でした」
「何が落ちたかは分かりますか?」
「いえ」
「そうですか、ありがとうございます」
高橋が頭を下げ、青野は部屋をあとにする。
次に話を聞いたのは、藤野だった。
「事件が起きた時、どこにいましたか?」
「自分の部屋で、テレビを見ていました」
澪は部屋で見た藤野を思い出していた。
確かに、カーテン越しにテレビを見ていた気がする⋯⋯。
「確かに、僕たちも部屋から見えた気がします」
湊が澪が思っていたことを口にした。
「ちょうど、中庭から藤野さんの部屋が見えるんです」
「あっ、そうなんですか」
藤野は笑みをこぼす。
「では、何か不審なことはありませんでしたか?」
「いえ、何も」
「そうですか⋯⋯」
高橋は暗い顔をするが、すぐに戻す。
「ありがとうございました」
「さて、次は緑川さんだな」
高橋が伸びをしていると、部屋のドアが音もなく開いた。
「こんばんは」
緑川は愛想の良い笑みを浮かべている。
「どうぞ、おかけください」
高橋が椅子を勧める。
「では、事件のとき、どこにいましたか?」
「中庭で草木の手入れを」
「何か不審なことは?」
高橋が定型の質問をする。
「ありますよ」
「えっ?」
なんだかさも当たり前のようにいいのける緑川だった。
「今夜のお客様のことです」
確かに、七人目には会ってないかも⋯⋯。
澪がそう考えている横で、高橋は質問する。
「名前分かりますか?」
「ええ、『おなじきのう』さんです」
「おなじきのう?」
「ええ、そう言ってました」
「え、待って待って」
湊が横から口を挟む。
「『おなじきのう』?漢字は?」
「いえ、聞いておりません」
「そうですか⋯⋯」
湊が戻ろうとしたが、澪に袖を引かれた。
「その『おなじきのう』どこにいるか知りたい」
「うい」
湊はグッドポーズをする。
「ねぇ、その人、どこにいんの?」
「さぁ?分かりませんね。受付に来ただけなんですよね」
「『部屋は?』」
緑川はフッと笑う。
「百聞は一見にしかずです。ご案内します。ついでに話でも聞けたら」
緑川に案内された部屋は白瀬の部屋の二つ隣だった。
コンコン。
「おなじさん、警察です」
「⋯⋯」
返事はなかった。
「いないようですよ」
「そうだな」
素直に高橋は引いた。
「次、どうしましょうかね?」
三人は高橋の部屋に戻ってポテトチップスを囲んでいる。
小気味のいい音を鳴らしながらポテトチップスを口に運ぶ。
「藤野さんの部屋からか中庭から行くんだったら、俺らか青野さんに会うはずですもんね」
「そうだな、そうなってくると、青野さんか、おなじさんか」
高橋はそうつぶやきながら窓辺に近づく。
高橋が離れた瞬間に、湊が残りのポテトチップスを口に流し込む。
ゆっくりと咀嚼し――。
「犯人誰なんだよーー」
頭を抱えて叫んだ。
「ん?何だあれ?」
湊が叫んでいる横で高橋はベランダから身を乗り出している。
「何があるんですか?」
一通り叫び終わった湊が近づく。澪もそれに続く。
「いや、あれ」
高橋が指さしたとこには、授業などで使うプロジェクターが草木のとこに落ちていた。
その瞬間――。
澪の思考が弾けた。
幽霊。ロ型のホテル。延長コード。ゴトンという音。人影。『おなじきのう』さん。そして――プロジェクター。
「分かった」
澪が呟く。
湊は振り返り、口角を上げる。
「じゃあ、いつもの方法だな」
そうして、ホールに青野、藤野、緑川が集められた。
「『さて』」
湊が前に立つ。いつも通り、その手には、スマホが握られている。
「『今回の事件はとても簡単です』」
湊は身振り手振りを交えて話す。
「『先に結論から行きましょうか』」
湊は指さす。
「『犯人はあなたです――』」
「『藤野直樹さん』」
「俺?」
藤野は自身を指さした。
「ええ、あなたです」
「いや、おかしいだろ。俺は部屋でテレビを見ていたんだよ。君たちだって見たんだろう」
「ええ、あなたの人影は見ました」
「なら――」
「でも、俺らはあなた自身は見ていません」
「っ!」
「単純なトリックですよ」
湊は先ほど見つけたプロジェクターを持つ。
「『これで、違うところから映像を映していたんですよね』」
「いや⋯⋯」
「『場所は、おなじきのう、いやおなじきのふさんの部屋からですよね』」
「ん?何が違うんだ?」
高橋が首を傾げる。
「『読みではほぼ同じですが、文字が違うことである人物を指し示しているんです』」
「どういうことだ?」
「『アナグラムです』」
湊はスマホを見せる。
「これはアナグラムメーカーです。見ててください」
画面の文字が動き、おなじきのふから「ふじのなおき」に変化した。
「ほらね、藤野直樹さん」
藤野は拳を握りしめる。
「幽霊騒ぎだってあなたの仕業でしょう。このプロジェクターで練習していたところを誰かに見られ、幽霊がでるという噂がたってしまった」
その話を聞き、高橋は肩を落としていた。
「で、まだやる?プロジェクターからあなたの指紋が出れば終わりなんだけど」
湊は暗く冷たい笑みを浮かべていた。
「チッ」
藤野は顔を上げる。
「ああ、そうだな。その通りだ」
「動機は?」
「あいつが千尋を奪ったからだよ」
「へぇ」
少し熱量が上がる藤野に対して、湊の声はどこまでも冷たかった。
「だから」
「ああ、そうだよ。この手であいつを地獄に――」
パァァン!
藤野の頬に青野が平手打ちをする。
「そういうところが大嫌いだから、あなたと別れたのよ」
藤野は膝から崩れ落ちた。
そのまま、高橋に連れられた。
ホールを出る途中、澪と目が合った。
「なぜ、俺だと分かった」
澪は一息置いて、
「言葉は嘘をつきませんから」
そうして、事件の幕は下りた。
「残念、幽霊がいなかったなんて」
澪がため息をつく。
「澪、楽しみにしてたもんな」
二人はホテルの廊下を歩く。
「はっ!」
湊が壁の肖像画を見て、息を呑んだ。
「どうしたの?」
「いや、これ見て」
緑川の肖像画の下にネームプレートがあった。
そして、そこには――。
「享年62歳⋯⋯?」
澪の目が輝き、湊の顔が青ざめる。
そして、湊の悲鳴が静かな夜に響いた。




