第39話 決着
「ヴァァァァァァッ!!」
獣のような咆哮で、ぼやけかけていた意識が現実に戻される。
小さな結界の内側に、騎士の模造品と二人きり。
「(……クレール?)」
フジツボの騎士の白濁した瞳がじっと自分を見据えている。
そこに意思は感じられない。中にあるのは、ただの死体なのだから。
なのに――冷静になれと、誰かに肩を叩かれたような気がした。
「(感傷的になり過ぎている)」
だが、冷静になるべき事に間違いは無い。
再び剣を真正面に構え、フジツボの騎士を見据えつつも状況の確認を行った。
敵の数を減らしたのが効いている。眠っている調査隊の面々を外へと運ぼうとしている半魚人達の作業に遅れが生じている。
しかし、ユージーンは片腕を失ったものの戦意を失うことなく立ち上がり、カイルも身体のあちこちに真新しい火傷を作りながらも消火に成功して体勢を立て直していた。
悪くはないが、良くもない。
ひとまず先延ばしには出来たが……と言ったところだろう。
今はまだ気合いで動かせているが、先ほども足が動かなくなったように、身体の限界が近づいて来ていることを考えると状況はやや悪化しているのが正しいか。
「(楽にしてやりたいが)」
素早い動きで斬り掛かってきたフジツボの騎士。その剣をこちらも前に踏み込みながら受け流し、返す刃で鎧の関節を狙って足の筋肉を切断する。
その瞬間にフジツボの騎士はがくんと膝をついて倒れたが、それだけでは止まらずに無事な方の足をバネのように使って身を翻すと、その勢いで反撃の一撃も見舞ってきた。しかし――
「ばん」
既に自分の身体はそこには無く、フジツボの騎士の間合いの外側から狙い澄ました爆破の魔術が飛ぶ。
三度の閃光、耳をつんざく爆発音。フジツボの騎士の身体は凄まじい衝撃と高温に晒され、めきめきと音を立てて石の床にめり込んだ。
その隙に不安定になった結界に直接手を触れ、魔力を流して内側から破壊して外へと飛び出す。
結界からの脱出を果たせば、即座に四方八方から襲い来るのは待ち受けていた半魚人とエラ付きのウエイター達。
自分はただ、ユージーンとカイルの2人を最優先で殺す目標と見据えて、道を作るために手のひらを前へと向ける。
まだこの場には気を失っている調査隊の面々も居る。余波で彼らが傷付くことの無いように、威力は可能な限りおさえて攻撃範囲も絞る。
「ばんっ!」
時計の針は数字の5を指し示した。
絶叫が上がる暇もなく、肉の焼ける臭いと鉄臭さの混じった空気が鼻を抜ける。
ユージーンの放った雷の魔術を魔力を纏わせた腕で受け流しつつ、襲い来る魔物共を斬り伏せていく。
氷の飛礫が頬を掠めて飛んでいった。カイルが苦しげな表情をしながらこちらを狙っている。
限界まで戦って、自分が動けなくなって、まだ敵が残っていたら?
誰か一人でも連れて逃げ出すという選択肢は無かった。全員を生きて帰す為にやれる事は、全身に毒が回って動けなくなるよりも先に、見える敵全てを殺し切る事だけ。
最悪、殺し切れなかったとしても連中の指揮を執っているユージーンとカイルの二人さえ殺せていればそれで良い。
「ヒューッ……ハーッ……!」
骨を断ち切る時の感覚が手に伝わる。
自分の呼吸音がやけに大きく脳に響いた。
剣に付着した血を払いながら、テーブルの上を駆けて魔術による攻撃を回避しつつ再びユージーンの前へ。
応戦の為に片腕でも己の剣を構えるユージーンに、勢いのまま剣ごと叩き斬ってやろうと剣を肩に担ぐように構えて力を込めた。
その、時だった――
脇腹に鋭い痛みが走る。
おかしい、そこには誰の気配も無かったはず。
驚いて視線を落とすと、そこには自分の脇腹に突き刺さったナイフと、それを握る1人の男の姿があった。
捕らえていたはずのティム博士だった。
「……にひひ」
眼鏡の奥で金色の瞳がぎらりと光る。
それも1つではない。本来なら1つの大きな瞳だけが存在している場所に、複数の瞳がぎゅっと詰まってひしめいている。
ナイフの柄は両手でしっかりと握られていたが、しかしもう1対肩のあたりから生えている両腕が存在し、その指先から魔術を放つ前触れの火花を散らしていた。
「苦しそうですねえ、ベリル君」
「……ッッ!?」
「キミはここで、死んでください」
自分が彼へと籠手を向けるよりも早く、ティム博士による攻撃魔術が放たれる。
瞬時に視界は迸る電撃と激しい明滅に見舞われ、軽々と吹き飛ばされるほどの衝撃が全身を襲った。
防御姿勢を取ったは良いものの、抵抗する間もなく続けざまに別方向から炎の魔術でも放たれたのか、今度は衝撃と共に高熱が全身を駆け巡る。
――バリィィィン!
何か割れるような音。
背中にぶつかった硬いものの感触。
一気に冷たくなる周囲の空気。
それで、自分は窓を割って建物の外へと投げ出されたのだと理解した。
暗い。
重量に従い、身体は下へと落ちていく。
そして次の瞬間、全身が冷たいものに包まれた。
◆◆◆◆◆
大きな水音が夜のコーレル村に響いた。
喧騒はそれきりで、夜の闇に押し潰されるような静寂が戻ってくる。
壁に空いた大穴を抜けて宿の前の庭へとカイル、ユージーン、ティムの3人は歩いて出ていった。
3人に続くようにまた、クレールの遺体を使用したフジツボの騎士もついてゆく。
「あれだけやって、紙一重……ってトコか? これで終わってくれてると良いんだが」
ベリルが落下していった方向を眺めて、カイルは腰に手を当てて深くため息をついた。
ティムはフジツボの騎士を伴ってもう少し先へと歩いてコーレル村の中を流れる水路の様子を覗き込み、ユージーンは一旦剣を鞘へと納めて肘から先が失われた腕に治癒の魔術をかけている。
それで腕が再生することは無いが、焼けただれた断面を新しい肉と皮膚で覆うには充分だった。
「おいカイル、ヤツにトドメを刺しに行くぞ」
「え? いやいや、さっき殺されかけたのもう忘れたのか? あんたアイツにこだわり過ぎなんだって。もう片腕無くなってんのに、今度こそあんたマジに死ぬぜ」
「あの時はヤツも余裕があったからだ。今は毒もだいぶ回ってきたし、負傷してもっと弱ってるはずだ。今、ここで殺しておかないと、後々面倒なことになるのは目に見えている」
自分も大怪我をしているのに無茶な事を言い出すユージーンに、カイルはまたため息をつくしか無かった。
なおも戦いに向かおうとするユージーンをカイルは止めようとして、ふとティムが二人へと振り返る。
「まあまあお二人とも、良いじゃありませんか。決定打になったのはユージーン殿の魔術ですし、コーレル村の水路には多くの眷属も潜ませている。いくら騎士として強くとも、水中では彼らに勝ち目も無いでしょう?」
「……ティムか。お前には助けられたが……何だその気色悪い姿は? 例の祝福とやらを受けると、悪趣味な身体に変えられるのか」
足を止めたユージーンは、ティムの今の姿を眺めて不快そうに顔をしかめた。
顔はおおむね元のティムの通りだ。しかし、その両目は昆虫のような複眼に変化し、彼の腕は二対の計4本に増えている。
彼の着用していた服は破けて、露出している上半身のところどころが爬虫類のウロコのように変化していた。
「おやおや悪趣味とは失礼ですねえ。そう! アナタには“敬意”が足りていない。あの御方を、敬う心が――」
「元より俺はそんな気持ちでそちらに付いたわけでは無い。同じにしてくれるな。それにだ、予定を一日早めて作戦を決行する事になったのは貴様のせいだと言う事を忘れるな」
「ええ〜、仕方ないじゃないですかあ。クレール君に正体を気付かれる前に始末しておきたかったんですよぉ。彼、暗部の人間でしょう?」
新しい身体を得て高揚しているのか、おどけた様子のティムをユージーンは舌打ちをしつつ睨んでいた。
結局、真夜中のコーレル村に消えていったベリルを追うのはやめて、カイルの方へと戻っていく。
「冷静になってくれて助かるよ」
「ハァ。気合いが抜けただけだ」
不機嫌な様子でユージーンはそうこぼす。
その時、1人のウエイターが壁の穴を抜けて2人の元へと駆け寄って来た。
「カイル様。贄を裏へと運び出していたのですが、一名既に死んでいて……いかが致しましょうか」
「死んだ?」
報告を受けてカイルの眉が吊り上がる。
ベリルの件に続いて発生した予定外の事態に、2人は顔を見合わせた。
「どうなってんだカイル。薬が効いてないかと思えば、今度は効きすぎて死人が出たか?」
「文句なら帰ってから作ったヤツに直接言えば良いだろ。今度は粗悪品じゃないマシなものを作ってくるだろうさ」
「次なんざあるかよ全く……いくら優秀とはいえ連中も所詮は運よく拾われただけのはぐれ者か」
そんな悪態をついて、ユージーンはまた舌打ちをして首を横に振る。
しかし不平不満ばかり言ってもいられないから、首にエラのあるウエイターへと向き直って口を開いた。
「死んだのはキリエ・メルクリウスではないな?」
「はい、別の学者です。確かノヴとかいう」
「なら良い。最低限キリエ・メルクリウスさえ生きて連れて帰れれば良いんだ。贄が足りないとなれば適当に村民から見繕うさ。構わないな、カイル?」
「俺からは特に何も無いね。さっきので俺たちは頭数も随分減らされたし、とにかくさっさと撤退したいよ俺は」
「ハァ……腰抜けめ」
建物の中へと戻っていくウエイターの男を見送り、残った片腕で頭をかきながらユージーンはティムの居る方へと振り返った。
彼にとっては頭の痛いことだったが、カイルの言う通りに作戦部隊が痛手を負った事に間違いは無い。ユージーン個人の考えとしては無理をしてでも確実にベリルにトドメを刺しておきたいところだったが、冷静になった脳はその考えを否定していた。
「ティム。聞いてたならさっさと撤退するぞ」
「ああ失礼、どうしても月を眺めたくなって。にひひ……この身体になってから、どうしても月の光を浴びたくて仕方なかったんですよねえ」
あと2日もすれば満月だろう。雲間から覗く丸い月は、ダイヤモンドのような輝きを放ちコーレルの海を静かに照らしている。
だらしない笑い顔を晒しながらそんな事を言うティムに二人して呆れつつ、帰路へつこうとしたその時だった。
突如として、ティムの胸部から手が生えた。
「えっ」
がくん、と。ティムの身体が僅かに仰け反る。
間の抜けた彼の声が夜の静寂の中でやけに大きく響いた。
破壊された宿の壁を背に、2人の騎士は目を見開きながらも即座にそれぞれの剣を抜いた。
ティムの左胸から一本の腕が突き出ている。
銀色の籠手を装着した腕が手のひらを空に向け、どくんどくんと脈動する肉の塊を握り締めていた。
「あ……それ、私の……」
ティムが何かを言い切るよりも前に、その手は肉を思い切り握り潰し、そして勢いよく引き抜いた。
支えを失ったティムの遺体がその場にどさりと崩れ落ち、彼が立っていた場所の真後ろに1人の男の姿が現れる。
荒い息遣い。
俯いて影になっているせいで表情は伺えない。
装着していた鉄製の胸当てや肩当ては、先ほどの魔術を受けたからか破損して一部失われている。
真新しい返り血にその身体を赤く染めて、それは月明かりに照らされて立っていた。
「ベリル・カーティス……」
かすれるような声がユージーンの喉から漏れる。
彼にとっては千載一遇のチャンスのはずだった。
見るからに弱りきっているベリルが、自分たちの前に立っていた。
自分たちの計画を無理矢理に破壊しかねない危険分子のベリルをここで消せる。己の手で、ベリル・カーティスを殺せる。
なのに――
剣の柄を握る腕が小刻みに震えている。
喉の奥が渇くような感覚があって、ユージーンはつばを飲み込んだ。
「(勝てない。殺される)」
「ったく、あれ本当に人間か? そろそろどっちが化け物かわかんねえな」
苦笑いしつつも軽口を叩くカイルの隣で、そんな思考をしていたことに気が付いてユージーンは己を恥じる。
しかし、共に手負いであるカイルもユージーンも、武器は構えていてもその場から一歩も動けずに攻めあぐねていた。
彼らの目の前に居る男は武器は手にしていない。
だらりと垂らした両手に力が入っている様子はない。
ウエイターから奪ったショートソードは何処ぞで落としてきたか。
だが、それがその男の状態をより悪く見る要因にはならなかった。
なぜなら、ティムに刺された脇腹を除いて怪我らしい怪我をほとんど負っていない。
脇腹の傷も既に出血は止まっているのか、服に血の染みが広がっていくような様子も無い。
それは、この男がまともな装備も無く水中という不利な環境にありながら、無傷で眷属達をほんの数分で始末してきたと言う事に他ならなかった。
「……クレールは、ここで切る」
「そうか、ユージーン」
「合わせろ、少し隙を作るだけで良い。そうしたら、すぐに撤退するぞ」
「頭が冷えてくれたみたいで何より」
からかうようなカイルの言葉にユージーンはまた舌打ちをしつつ、次の瞬間には風よりも速く2人は飛び出していた。
ベリルもまた、同時に。
充血した目が機械的な動きで2人の動きを捉え、目の前にまで迫ったカイルの剣を指先でつまみ、ユージーンの振るった剣を籠手で弾いた。
つままれたカイルの剣は鈍い音を立てて歪み、ユージーンの剣は弾かれた際の衝撃で半ばから折れてしまったが、それにより一瞬、ほんの僅かの時間だがベリルの両手から自由が奪われる。
「クレール! とにかく時間を稼げ!」
ユージーンの合図と同時に、ベリルの背後に回り込んでいたフジツボの騎士が斬り掛かった。
振り下ろした剣はすんでのところで避けられてしまったが、フジツボの騎士は即座に剣を捨てたかと思えば、間髪入れずにベリルに掴みかかる。
殺意の無い攻撃に反応が遅れたのか、ベリルはフジツボの騎士に押される形で揉み合いになり、しかし尋常ではない腕力でフジツボの騎士の鎧をめきめきと剥がし始めた。
フジツボの騎士にとっての本体は寧ろ鎧の方だ。危機的状態だったが、それでも己の命よりもユージーンからの命令を優先してベリルの身体を持ち上げてそのまま夜の闇へと消えていく。
ばしゃんと再び大きな水音があたりに響いて、その数秒後に耳をつんざくほどの轟音と共にコーレル村の水路へと雷が落ちた。
一瞬、凄まじい閃光によって真夜中のコーレル村は真昼のように明るく照らされてカイルもユージーンも眩しさに目を覆う。
自然に発生した雷ではない。十中八九、ベリルが水路に潜む眷属もろともフジツボの騎士を殺すために、魔術によって発生させた雷だった。
「化物め……!」
「もう充分だろ。コ・レム・ノルゥに行こう」
息を切らせながら、2人は宿の中へは戻ることなく高く跳躍し、宿の屋根の上を通ってコーレルの森へと消えていく。
数分間続いた喧騒は止み、コーレル村に再び夜の静寂が戻って来た。




