第32話 マシュー
彼の提案に了承して移動を始めてすぐ、「そこまで長話をしたいわけじゃない。ただ少し忠告をしておきたかっただけだ」と、彼は歩きながら伝えてきた。
忠告とは何だと思いつつ、昨日の非礼を詫びると彼は不思議そうな顔をしていた。
「こんな外見だから、ごろつき呼ばわりされるのも、魚顔だと呼ばれるのにも慣れたもんだ。それに、コブダイは結構好きだしな。縄張り意識の強さが男らしくてかっこいいだろ? ま、連中は基本全部メスだけどな」
そう言って笑う彼を見ていると、警戒していたこちらの心が汚れていたように感じてしまう。
仮に彼らがヘンリー氏の言うように海から来た人ならざるものであったとして、少なくともこうして会話をしているマシューが邪なものであるようには思えなかった。
玄関の前まで歩いてきたところで、彼は「ここで良いだろう」と立ち止まった。
「悪いな、応接間をそのまま使うのが良かったんだろうが、俺らはあの中に居るとどうにも気分が悪くなるんだ」
「マシュー殿、ですよね? ルイ殿はどこに?」
「兄貴……あー、ルイはああ見えて人見知りなんだよ。たぶん今頃は部屋で絵でも描いてるんじゃねえかな」
「そうだったのですか。と言うことは、昨日は相当気を張っていらしたのでは?」
「俺はともかく兄貴はまあなぁ……それでも、親父を今の村に1人で出歩かせるわけにもいかねえし」
そう言ってマシューは腕組みをして苦笑いしていた。
昨日、ヘンリー氏とマシュー達兄弟を見た時に、マシュー達を護衛に雇われたごろつきかと勘違いしてしまったが、彼の護衛をしていたという部分については間違いなかったらしい。
「まあともかく、改めて『マシュー・コルネア』だ。よろしく」
「帝国騎士団のベリル・カーティスです」
「国立魔法生物研究所のキリエ・メルクリウスといいます」
それぞれ握手を交わし、早速本題へ。
「忠告とは言ったが、まあ大体わかってるだろうが今の村のことだ。バケモンどもがうろついてやがる。一昨日の夜には漁師が1人さらわれた」
「さらわれた? と言うことは、何が起きていたのか知っていたんですね」
「全部は把握してねえよ。だが先に気が付いた神父の方から連絡があってな、俺たちで被害にあった漁師の船も隠して『しきたりを破ったから行方不明になった』っつう事にしたんだ。村中をパニックに陥らせる訳にはいなかなったからな」
「しかしそれでは村人を危険に晒しているだけなのでは?」
「わかってるさ。だが、村には自警団も駐屯兵も居ない以上、危険な魔物相手に直接対処なんてできねえ。それに――」
彼はおもむろに自分の服のボタンに手をかけ、一番上のものを外した。
首まわりを覆っていた襟が若干ゆるんで開く。
「俺は、人間に見えるか?」
魚顔だが普通に人間らしい顔の範疇。
言葉も流暢であるし、話している時も人間らしい感情が感じられる。
自分もキリエ博士も、その問いに頷いて答えた。
すると彼は「ありがとう」と答えつつも、服の襟に手をかけてぐいっと引き下げ、隠れていた首まわりをあらわにした。
「でも、親父にも聞いたろ。俺らは、たぶん……人間じゃない。物心ついた頃から自覚はあったし、親父もそれをわかってて俺たちにはいつも首まわりを隠せる服を与えてくれた」
彼が見せてきた首は一見すると普通の人間とは変わりないように見えたが、しかし鋭い刃物で切られたかのような切れ込みが一筋入っていた。
その切れ込みは彼が力を込めるとパクパクと僅かに開閉して、内側にはヒダのようなものがびっしりと詰まっているのが隙間から見えている。
「鰓……」
キリエ博士がぽつりと呟いた。
その言葉を肯定するようにマシューもまた頷いて、また服を戻してボタンを閉じていく。
「親父は信じたくないらしいが、兄貴と俺は今回の事件の裏に人間か、もしくは俺たちの同族が居るとにらんでる。奇形魚の騒ぎと言い、昨日の事件と言い、何者かの意地を感じないか? 考えてもみろ、俺たちみたいに人間社会に溶け込める人ならざるものが、他に居ないとどうして言い切れる? 必ず居るはずだ。連中だけの世界で育った、俺たちの同族が」
深刻そうな面持ちで語る彼。
いったいどんな気持ちで自らを『人ならざるもの』であると断じているのか、彼の気持ちを推し量る事は自分には出来なかった。
「どこに連中が紛れてるのか、俺にはわからない。だが気をつけてくれ。特に騎士のあんた、既に一度連中とやりあったんだろ?」
「ええ」
「1回戦って、奴らはあんたらの力量を把握してるはずだ。帝都に戻る予定らしいが、俺の勘が正しければ連中はきっと妨害してくる。だから、とにかく人を見たら首元に注意してくれ。俺から言えるのはそれだけだ」
「……肝に銘じておきます。ありがとうございました、マシューさん」
彼との話はそこで終わり、別れの挨拶を交わしてヘンリー氏の屋敷をあとにした。
帰り際、ヘンリー氏がルイとマシューの2人を呼ぶ声がしていたが、マシューによれば「たぶんあんたらが言ってたアトラスって男の事だろうな」とのことだった。
おそらく彼らはこれからアトラス氏の家へと向かうのだろう。正直、一度会った時のアトラス氏の慎重さからして、まず家へと入れてもらえるのか疑問だったが。
宿への帰り道。ヘンリー氏の邸宅は高いところにあるから、村も海もよく見える。
青空のもとで、コーレル村の前に広がる海はきらきらと美しく光り輝いていた。奇形魚や半魚人、ほの暗い言い伝えなど、まるで無関係であるかのように。
「うーん……私は、さすがにここで手を引くべきですねえ」
「どうしたんだ? 急に」
ふと、歩きながらキリエ博士がそんな事を言い始めた。
彼女の顔はコーレルの海へと向けられ、眼鏡のレンズの内側でも波はきらめいている。彼女の長い栗色の髪が潮風に吹かれてなびく。
こんなところまで潮の香りが届くのかと、自分は塩辛い風に目を細めていた。
「神様だとか、魔物を差し向けてきてる何者かだとか……どう考えても学者の仕事じゃないでしょう?」
「それは、その通りだが……ここまでの成果だけでも充分だ。結局、すぐに帝都には戻る事になるわけだしな」
結局、魔物の群れだとか神がどうのだとか色々あるが、奇形魚の調査隊を再編成する以前にバラム帝国は目下の問題に対処する事になるだろう。
まずはコーレル村に巣食っている新種の魔物について、バラム帝国から軍と騎士団を派遣してそれらを殲滅。コーレル村の言い伝えについては、教会に任せるのか学者に任せるのかわからないが過去の文献や実態の調査に乗り出すはずだ。
自分は一度交戦した経験から魔物の殲滅に駆り出される可能性が高いが、キリエ博士の方はこの場合はもう出番が無い。
コーレル村から持ち帰る予定の魔物の死骸や生きている状態の奇形魚など、帝都でそれらを調べる事にはなるのだろうが。
「少し、休んでいかないか」
「ベリルさんからも、何かあるんですか?」
道の脇に展望台のようにになっている場所を見つけて、彼女にそう促した。何をしたいのか、やはり彼女には見透かされていてそんな返事が返ってくる。
ゆったりと海を眺める為なのか、広場に設置されていた木製のベンチに2人で腰掛けた。
彼はキリエ博士に読んでほしくは無かったのだろうが、彼の気持ちをキリエ博士は知っておくべきだと、手紙を受け取ってから今になってやっと気が変わった。
ふところにしまっていたメルクリウス伯からの手紙を取り出して、彼女へと渡す。
「読んでくれ」
「……? お父様……?」
かさかさと指と紙が擦れる音が響く。
ふーっと深く息を吐き出して、遠くの海を眺めていた。




