第30話 忘れ去られていたもの
「おや、知っていたかね」
「山中の遺跡で似たものを見ていただけです。これが、コーレルの海に?」
最初に遺跡でそれを見た時は魔物をかたどった物だと思っていた。
神の姿と言うにははずいぶんと禍々しいように思えるが、しかし思えば我らが主の姿も知らないなと、ふと考える。
人間が勝手に考える“神々しさ”など、現実からは到底かけ離れたものかという納得はあった。
ふと、そこでキリエ博士が割って入るようにして、自分とヘンリー氏の会話を止めた。
「ま、待ってくださいヘンリーさんも、ベリルさんも! まさか、本当に神様なんてものが現実に居るとでも――」
「ヘンリー氏が居ると言うのなら、居ると考えておいたほうが良いでしょう」
ヘンリー氏から、彼が隠していた話を聞く。
そのために今日はここまで来たのではないかと、彼女を見やる。
現実的でない事に首を突っ込んでいるのは自覚している。話は聞くが、それをまるっきり鵜呑みにする気もない。
ひとまずは彼の話を全て把握した上で、ここまでの調査結果の照らし合わせて自分達で考えていけば良いと考えている。
「それに、博士も仰っていたでしょう。『好き勝手に生き物の設計図を弄る何らかの術を持つ何者かが居てもおかしくない』と」
「で、ですが……」
「そんな真似ができる者が、人間の理解など及ばない上位存在以外に考えられますか? 人間にこんな真似が出来るなら、とうに帝都の研究所で実用化に向けての研究でもされている頃でしょう」
「う……わかりましたよ、確かにそんな事も言いましたし。まあ、ある意味私の予想が当たっていたと言いますか……」
キリエ博士もそれを思い出したのか、「すみません、続きをお願いします」とヘンリー氏へと小さく頭を下げて一旦引き下がる。
この辺り、神なんてオカルトは思考の中に入れられないと、研究者として当然のことだから仕方ないだろう。
おかしいのは自分の方だ。「そういう可能性もあるだろうと」、すんなり受け入れてしまっている。
「話を戻すが、つまりこれが実際にコーレルの海のどこかに潜んでいる……と、考えられている。そして、これが目覚めた時、世界に災厄が振り注ぐだろうとも」
「しかし、まだ目覚めていないのでしょう。なぜ災厄が訪れるとわかっているのですか?」
「災厄については、既に記録があるからな」
「……?」
既に一度目覚めていたのかと驚く。
しかし世界に災厄が降り注ぐと言うわりには、バラム帝国にその記録が残っていないのが不思議だ。
それほど大規模に被害をもたらすものならば、それらしい災害の記録くらいは残っているはずだが、しかし自分の覚えている限りでは世界はおろかバラム帝国全体を襲うような大災害の記録は存在しない。
ヘンリー氏はパラパラとノートのページをめくっていき、あるページまで来るとまた続きを話し始めた。
「バラム帝国がコ・レム・ノルゥとの戦争に勝利し、コ・レム・ノルゥの土地がバラム帝国の一部となってすぐの頃の記録だ。コ・レム・ノルゥの王族は神を封じる役目をバラム帝国に引き継がせようとしたが、邪教の教えは受け容れられないとしてそれを無視した。邪教を信仰し続けるならば貴族として迎え入れる事も出来ぬと、コ・レム・ノルゥの王族はその地位を完全に剥奪された」
彼の指が文章を撫でる。相変わらずその文字の意味はわからないが、確かにそこには『バラム帝国』と読めなくもないような文字が確認出来る。
最初にこれを文章であると認識出来たことからも、言語体系は近いのだろうか。
「コ・レム・ノルゥではその神を信仰することにより、その性質を変えて封じようとしていた。しかし、バラム帝国の聖女教が塗り替えてそれが途切れてしまった事で、封印が途絶える。キリエ・メルクリウス嬢、神とは信仰が途絶えた時、どうなると思う?」
「え……それは、信仰されなくなったのならば、消えていなくなるのでは?」
「フム、確かにそういう場合もあるだろう。しかし、それが実体をもって存在している場合は別だ。コ・レム・ノルゥでの信仰は未だ、その神の性質を変えるまでには至っていなかった。信仰を失い、民に裏切られた神の行動は1つだ。愚かな裏切り者どもに、罰を与えること」
また、彼の指が文章をなぞっていく。
荒れ狂う海の挿絵が文章の下部に添えられていたが、よく見ると波間の下に街があるようにも見えた。
「津波がコ・レム・ノルゥを襲った。多くの人々が死に、街は一晩にして消えた。巨大な王宮までもが、海中へとさらわれていった。裏切りへの代償として。それからだ、コーレルの海に奇形魚が現れるようになったのは」
つまり、山中にて発見した遺跡は津波によって破壊された城の跡だと言うのかと、あそこまで来るほど巨大な津波がこの土地を襲ったのかと、ただ黙って目を見開いていることしか出来なかった。
ふと訪れた静寂の中で、黒鉄の箱から現れた神の像だけが、禍々しい気配を漂わせている。
「……なぜ、最初から話してくれなかったのですか?」
「話したところで、御二方はこの話を信じるかね? いや、まず聞こうと考えるかどうかも怪しい。信じてくれたとして、では今度は私の息子たちはどうなる? お前たちが研究対象にしないはずがない」
「……」
そう言われると、こちらは納得するしかない。
いきなり言い伝えの神のせいで奇形魚が現れるようになったのでそれを解決してくれと言われても、頭のおかしい村民の戯言であるとしか捉えなかっただろう。
ここまで奇妙な魚に魔物や山中の遺跡の存在など、状況証拠を揃えてきていたから、こうして彼の話を聞いていられている。
「しかし……息子さん方については、考え過ぎです、ヘンリー殿。我々は、常にバラム帝国民の味方です。彼らが良き民である限り、我らはその味方であり続けます」
「……どうだかな。その言葉がどこまで信じられるものか。しかし、こうして話したからには御二方を信用する他にないが」
ヘンリー氏はそう言いながら、神の像をまた黒鉄の箱へと戻して鍵を閉めた。
ふと、キリエ博士がヘンリー氏へと問いかける。
「結局、あの奇形魚……半魚人や、鎧貝は何なんですか。ヘンリーさんは、何か知ってはいないのですか?」
「申し訳ないが……だが、ここのところ数を増やしてきた奇形魚や、陸に上がってきた化け物共、それに私の息子たちはきっと前触れなのだろうな」
「災厄に備えるとは、何なんですか。私達にも何か協力出来ることは――」
「御二方は――調査隊の者らは皆、帝都まで逃げ帰るのだろう? 既にゴドウィン殿から聞いているとも」
彼の視線がこちらに向けられる。
突き刺すような視線。
「ヘンリー殿は、私達に滞在していて欲しくは無かったのでは?」
「これまではそうだった。だが、そうも言っていられなくなったというだけの話だ。自分勝手な話だが、神父以外にも協力者が必要だったと今頃になって思っている。私達は、自分達が対峙している存在について何も知らなかったと、限界を迎えた今になって痛感しているのだ」
そう言って彼は深くため息をついた。
漁師の失踪事件の直後、ヘンリー氏は村の教会の神父を呼び出してなにやらやっていたようだが、やはり彼も村の秘密について知る人物だったらしい。
あとで教会の方に伺う必要があるかと考えつつも、自分たちの置かれている状況を思い出して、余計な外出は不要だろうとすぐにその考えは捨てる。
「ヘンリー殿、我々はただ帝都に戻るだけではありません。諸々の事情を鑑みて、調査隊をより大規模なものに再編成する必要があると考えた結果、一度帝都まで戻る事になったのです」
「そうか、それでその内のどれほどが信憑性の薄い村の言い伝えになど真面目に取り合ってくれる? 災厄を回避するための情報はどうやって集めれば良い? 私ですら、神の名前すら知らないというのに!」
どうすれば良いかなど、帝国騎士団に所属する騎士の1人でしかない自分には到底思いつくわけもなかった。
自分にやれる事といえば、結局は戦うことしか出来ない。
その時、はたと何か思いついた様子のキリエ博士が口を開いた。
「……アトラス・クロニース老とは、お知り合いでは無いのですか?」
「アトラス……? ああ、数年前にいきなり越してきた変わり者か。彼が、どうしたのだ」
「彼もたぶん、その神について詳しく知っていると思います」
キリエ博士がそう言った瞬間、ヘンリー氏の目がかっと見開かれた。




