第26話 ベリルとキリエ
カチャカチャとカトラリーが皿にぶつかっては響く音。
普段ならば気にも止めない環境音が、今はやけにうるさく聞こえていた。
1人ぶん、空いてしまった座席も胸の奥をざわつかせている。
あまり良くないコンディションだ。
神経が苛立っている。
「(食事の間だからと武器を持ち込めないのは間違っているだろう。今は緊急事態なのだぞ)」
一日の仕事を終えて、今は皆が食堂に集まって夕食の時間を楽しんでいる。
今は大変な時であるが、だからこそ普段のペースを崩してはならないというのがゴドウィン隊長のお考えだ。
しかし、夕食の席に剣や呪符を持ち込むのは御法度であると、身を守るすべが取り上げられてしまっている状況が腹立たしい。
これまでだって常にそうしてきたはずなのに、マナーなんてものに行動を制限されている事に今更ながら苛立ちを覚えている。
一応、普段から身につけている最低限の防具だけは許されたが、これだけでは何か起きたときに少々心もとない。
「顔、不機嫌ですね」
「いつもそうだとよく言われます」
「いえ、今は特に機嫌が悪そうだなあ、と」
隣に座っているキリエ博士が、こちらの顔をのぞき込みながらそんな事を話しかけてきた。
彼女も調査隊の撤退と、その理由については既に聞かされているはずだが、意外にもあまりこたえた様子も無く、いつも通りのあっけらかんとした様子でいる。
護衛の騎士から犠牲者が出たと聞いて、それがどれだけ重大な事か、キリエ博士ともあろう人が理解していないはずはないと思っていたのだが。
「中々、思い通りにはいかないものです」
「思い通り?うーん……ベリルさんが何を考えてるのか、私にはよくわからないですけど……あんまり深刻になり過ぎない方が良いんじゃないですか?」
「深刻……深刻、ですか」
自分が持って産まれた性質と過去のトラウマゆえに、神経質になりがちだと言うのは自覚している。
言ってみれば、命のやりとりをする職業。
バラム帝国の騎士団に入っておきながら、こんな事を考えるというのも妙な話だが、自分は“安心”を求めていた。
自分だけの安心ではない。
それは、皆がなにものにも怯えることなく、なにものにも脅かされることなく、ただ平穏に生きて行けること。
そのために、今の自分は戦っていると言っていい。
「まあ、そうですね。確かに、深刻になり過ぎていたかもしれません」
「おや、聞き分けがいい」
「いつも聞き分けはいい方でしょう……」
彼女のそんなセリフに気を抜かれつつ、そう言葉を返した。
横目で彼女の顔を少し眺めて思う。
彼女は自分の護衛対象であり、そして紛れもなく自分の味方でもあると。
彼女と会話している間は、不思議と心が落ち着く。
いつも少しおどけた様子というか、まあ彼女は少し天然気味なのかもしれないが兎に角、意識しているのかしていないのかはわからないが常に明るく振る舞っているキリエ博士と話していると、自分まで元気を分けてもらえているような感じがした。
それに比べて、自分は――
「……クレールは、大切な友でした」
「居なくなってしまった、騎士の方ですね。釣りがお上手でしたよねえ」
「ええ、まあ。候補生時代はクレールとカイルと自分と共に寮生活でしたから、単なる同世代の騎士以上の存在でした。時には皆で帝都に出かけたりもしましたよ。すぐに女性を引っ掛けようとするカイルの軟派な態度にクレールと2人で頭を抱えたりもして――」
「おいベリル!今俺の悪口言っただろ!」
「言われたくなきゃ悪い癖は治すんだな、女好き。いつか刺されても知らんぞ」
キリエ博士との会話を聞きつけたカイルが離れた席から抗議してきたが、ばっさりと彼の抗議を切り捨ててやる。
図星を突かれた彼は「あちゃ〜」とでも言いたげな顔をしながら、片手で顔をおさえて自分の席に沈んでいった。
そんなやりとりを見ていてか、キリエ博士はくすくすと笑っていた。
「寮……いい響きですよね。憧れちゃいます。私にはそういう気心知れた友人は居ませんでしたから」
「おや、意外ですね。むしろ友人は多い方だろうと思っていたのですが」
「いや〜それがですね! もうサッパリ! 一応、私も貴族のお嬢様ですから? お茶会だとか舞踏会だとか、貴族同士の交流みたいなね、参加したことありますけどぉ〜おぉ……」
そこまで言って、彼女は腕組みをして唸りはじめる。
眉間に若干シワが寄り、口もとがなんとも言えぬ、苦笑いのようになっているのは自嘲なのか、嫌な思い出でもあったからなのか。
「馴染めなかったんですよね。あの空気に」
「つまり……貴族らしく生きることに、向いていなかったと」
「ま、そんなところです。派手なドレスで着飾って、み〜んな同じようにお澄まし顔でニコニコして、高位貴族のお嬢様を中心にして派閥なんか作ってみたりしちゃって」
「貴女もその『高位貴族のお嬢様』では?」
「ハイ、なので私の派閥が作られそうになった事もありました」
くるりと唐突にこちらに向けられた彼女の顔は、珍しく“真顔”だった。思わずこちらもぎょっとして、僅かばかり身が引けてしまう。
完全に表情が抜け落ちている。よっぽど嫌な思い出だったのだろう。思いがけず酷なことを聞いてしまった。
「あー……ええと、すまない」
「別に良いですよ。終わったことですし」
「ありがとう。しかし、聞けば確かに友人も作りにくいだろうな、それは。と言うか、それで出来る『友人』というのは本当に友人と言えるのか?」
「さぁ? どうなんでしょう。結局、そういう交流からは逃げてきちゃいましたからね」
憂鬱そうにそう話す彼女だが、それで正解だったのだろうと心の中で思った。
同じ貴族から彼女を見れば、貴族としての責務も果たせなかった者だとか、メルクリウス辺境伯のところの変わり者だとか、そんな見方をされているのだろう。
キリエ博士は人の美醜に鈍い自分から見ても、はっきりと美しいと感じる容姿をしている。だから、感情を押し殺して貴族の世界にとどまっても、それだけで成功しただろうとも思う。
しかし現在、彼女はこうして研究者としてバラム帝国に貢献し、貴族として、国を支える者の1人としてしっかりと責務を果たせている。
要は、向き不向きの問題だ。
彼女は貴族のお嬢様として社交界の華となるよりも、その才を勉学の世界において花開かせる方が彼女には向いていた。
「(メルクリウス伯はやはり娘思いな方だ。口ではあれこれと言いつつも、娘が幸せになる為にどうすればよいか考えておられる)」
思えば、もう二十歳を超えたキリエ博士に婚約者が居ないというのも不思議な話だった。辺境伯の娘に婚約者が出来たなら、平民とはいえ貴族の家で育った自分の耳に届かぬはずが無い。
娘のことを重んじたから、将来を親が決めてしまうような事は選ばなかったのだろう。兄のトー・メルクリウスが居たからというのもあるだろうが、大貴族のわりにはずいぶん優しいものだと思う。
「(だが、後継ぎに選んだはずのトー・メルクリウスを信用するなとも、どういう心変わりなのだろうな)」
ふとそんな事も頭を過ぎったが、今それについて考えても仕方がないと一旦忘れて、現実に戻ってくる。
「キリエ博士がこちらの道を選んでくれて良かった」
「え? なんですか藪から棒に。あー、いや、喜んでくれてる?のは私としても嬉しいんですけれども」
「そうでなければ顔を合わせることすら無かっただろうと、思ってな」
「……あっ――」
いつの間にか、肩肘張っていた自分が自然と脱力して、普段通りの、帝国騎士ベリルでもない、ただのベリル・カーティスに戻っていく感覚があった。
苛立っていた神経も気付けば平静を取り戻し、耳障りな音も頭の中から消えて、暖かな光に包まれた食卓の景色が目の前に広がっている。
どうしてそんな事になるのか、今の自分では説明もつけられなかったが、ただ不思議と心地よい。
「そっか……そう、でしたね。もう、あと少しで、ベリルさんともお別れ……ですか」
「クレールのやつが、おそらくだが死んだからな。今回ばかりは仕方のない決定だ。皆をこれ以上危険にさらしているわけにはいかない」
クレールは十中八九、既に死んでいる。
しかし自分のなかではまだ希望を持っていたいから、わざわざ“おそらく”なんて自然と付け加えてしまう。
弱い自分の、良くないところだ。希望的観測を持ちたがる。
「かっこいいですね、そういう事サラッと言えちゃうの。大切な友達を亡くして、辛いはずなのに」
「そういう仕事だからな」
そう言葉を交わしつつ、彼女の言った事に内心で少し驚いていた。
食卓の席についてから、ずっと元気に振る舞っているように見えていたが、あれは彼女なりの努力だったと今更ながら気が付いたからだ。
自分の他人を見る目もまだまだ浅い。
「やっぱり、耐えてただけだったのか」
「子供の頃は、命を狙われたりなんてしょっちゅうでしたから。辺境伯なんて、周辺の敵国からは散々恨み買ってますからね。それで護衛を失ってもいちいち塞ぎ込んでいられないですから、慣れたもんです」
「僕も似たようなものだな。ただ今回は貴女に助けられた。少々視野が狭くなり過ぎてしまっていたからな」
そう言って食事を口へと運ぶ。
今は英気を養う時だ。人を守る為に戦いたければ、休息も取らなければ肝心な時に力に欠ける。
「もう少し、一緒に居られるかななんて思ってたんですけどねえ……」
「あと数日、無事に帝都へと帰るのが貴女の仕事だ。そして、貴女を護り帝都まで送り届けるのが僕の仕事でもある。僕らの関係もほんの数日だけだし……元通りの関係に戻るだけと思えば、別れも辛くないだろう?」
キリエ博士の細く白い指先がワイングラスの縁をなぞっているのが視界の端にうつる。
寂しさはもちろんあった。
この数日間、キリエ博士は良き相棒であり、手のかかる妹のようでもあり、そして気心の知れた友人のような関係になっていったと、自分は感じている。
平民上がりの騎士と辺境伯のお嬢様なんて、本来ならば絶対に交わることのなかった関係だろう。
しかし不思議と彼女とは気があっていた。まるで以前からずっと知り合っていた友人のように、呼吸が揃うのを感じることもあった。
しかし、それもこれで終わり。
あとはメルクリウス辺境伯の望み通りに、任務が終わるまでキリエ博士を無事に護り切るだけだ。
「ハァ〜〜、ほんとに鈍い人ですねえ。もうちょっと気の利いた言葉とか無いんですか?」
「別れとは言っても別に今生の別れでは無いだろう? 貴女も普段は帝都で働いているのだし、会おうと思えばまだ会えるさ」
「いやっ、そういう事じゃ……んん〜〜」
コロコロと表情が変わる彼女を見ているのは楽しい。
そうしていたら、ふと反対側の隣から肩をコツコツと叩かれた。座っているのはノヴ博士だ。
彼は小さな子供でも見るような優しげな目をこちらに向けている。
「ノヴ博士……?」
「エヘッエヘ、いっ、今言った事は、忘れちゃダメですよ。気の合う人は、とっ、とても貴重、ですから、ね?」
「……? はい」
そう返事をすると、彼は満足げに笑ってまた「エヘエヘ」と笑いながら食事に戻っていく。
いったい何だったのかと首をかしげていると、今度はキリエ博士の方からまたため息が聞こえた。
「はあ、まあ今のところは結構です。それよりも、せっかくですし調査についての話もしませんか?」
「調査? 明日からの調査は中止だと伝えたと思っていたが、伝え忘れていたか?」
「いえ、それはちゃんと聞いてます。でも私のほうが落ち着かないんですよ、こんな謎を残したまま帰らなきゃいけないなんて」
「それについては同感だが……」
食事を口に運びながらも、彼女は手のひらサイズのメモ帳を取り出してあるページを開き、食卓の上に乗せて見せてきた。
そこに書かれていたのは“フジツボの騎士”のスケッチで、グロテスクな見た目も黒色のペン1つで整然と描かれている。
研究者達に半魚人とフジツボの騎士の死骸を軽く見てもらったが、その時にこのスケッチを描いたのだろう。
「フジツボの騎士か」
「ベリルさんはそう呼んでいるんですか?」
「名前もわからないから、見た目の印象で勝手にそう呼んでいるだけだ」
「ま、何でもいいですけどね。私はこれを仮に“鎧貝”と呼ぶことにしました」
「鎧貝?」
重要なのは貝の方なのかと思いながら、じっくりとメモ帳に目を通す。
やはり、見た目の通りにあの鎧はいくつもの貝が癒着し、形成されたものであるらしいのだが、しかし貝であるのに肝心の身が見当たらない。
通常の貝における貝柱の部分は、内側の肉体に向かって伸びているようだが、そうすると鎧の中身も貝の集合体なのだろうかと考えていた時に、横からキリエ博士の声が入ってきた。
「ちなみに、中身は人間でしたよ」




