富士川の戦い
富士川の戦いとは言うが、実際には平家の軍勢が、水鳥の羽音を源氏の進軍と勘違いし、恐れをなして逃げ去ったという、それだけのこと。
平家軍は、平維盛率いる軍勢が差し向けられた。ざっと7万騎だという。
兵の数はおおよそであり、正確ではない。
平維盛。
祖父は清盛。父は重盛。
容貌は、『光源氏の再来』などと呼ばれるほどだから、女にはモテたのだろう。
しかし、武人としては、凡庸以下ともいえる。
もしも、平家の世がこの先も続いていたなら、清盛の孫、重盛の子として、後継者になっていたやもしれない。
「維盛様!どちらへ行かれます!?あれは源氏軍の進軍などではなく、単なる水鳥の羽音。」
一番冷静だったのが、この一介の兵士だという。
維盛「うるさい!わしが撤退だと言ったら、撤退だ!」
ああ、こりゃダメだ。とても平家一門の後継者の器ではない。
世の中には、評論家という人たちもいるが、これは、いかなる評論家でも評論のしようがないと思うだろう。
平家軍は支離滅裂。とても収集できる状態ではなく、この場は撤退した。
源氏軍は、この様子を見るなり、
「はっはっは!栄華に浮かれ、腑抜けになったか!」
頼朝「されど、敵の兵力は、ほぼ健在。油断するな。」
直接戦わなかったので、兵力の損害は、ほぼゼロだったが、結果として源氏を勢いづけることになった。
これをきっかけに、甲斐源氏の武田信義が、甲斐、駿河、遠江を所領とすることになった。
それより、平維盛のその後は、どうなったのだろう。
清盛「維盛を廃嫡とする!」
廃嫡、つまり家を継ぐ権利を奪うということだが、これでは致し方ないか。
その後、倶利伽羅峠の戦いでも、大惨敗を喫する。
これでは、戦力にならないどころか、逆に足手まといになると、自身も思っていた。
都落ちの時に離脱し、他の平家一門の者たちとは別行動になる。
維盛は後悔していた。なぜ、富士川の戦いの時に、まともに戦いを挑まず、恐れをなして逃げ出してしまったのだろう。
まともに戦いを挑んだところで、あの時に勝てたのか?倶利伽羅峠の時のように、大惨敗を喫して、維盛の首が、富士川の河川敷にて、さらし首にされる、それを恐れていたから、逃げ出してしまった。武士にあるまじきことと、わかっていながら。
維盛は、那智の沖で入水することを選び、自らの命を断ったという。
ただし、維盛の遺体は上がっていない。結局、遺体は見つかることは無かった。
源氏の支配する世では平家の者は罪人扱い。たとえ生き延びたとしても、残党狩りの手勢に見つかれば、その場にて始末される。あるいは落武者としてどこかの山奥の村にでもかくまってもらうより他ないだろう。