表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/26

巨星墜つ~清盛の死

1181年、3月20日。


武家として初めて、政権を取った男が今まさに、最期の時を迎えようとしていた。


『墓はいらぬ、頼朝の首を我が墓前に捧げよ・・・。』


という遺言を残し、平清盛は64年の生涯を閉じた。


死の間際、高熱にうなされる中で、清盛が見ていた夢は、地獄から己を迎えに来た亡者たちの夢ではなく、父、忠盛、そして母と過ごした幼少の日々のことだったのでは?


清盛を生んだ母の名は、祇園女御ぎおんのにょうご

また、清盛には、父の忠盛の再婚相手である池禅尼いけのぜんにという母親もいた。


生みの母と、育ての母がいた。そして、忠盛は実は育ての父であり、本当の父は白河上皇ではないかという説もあった。


長男の重盛が生まれた日のことも、夢で見ていた。


しかし結局、平家一門は、清盛ありきだったのではないか。

清盛ほどのカリスマも、頼朝、義経ほどの存在も、平家一門にはいなかった。

さらに、ここにきて、平家一門の内部における主導権争いで、不協和音も生じていた。

長男の重盛は合戦の前に死去。その重盛の長男である維盛のだらしなさもあった。

次男の基盛も既に亡くなり、主導権を取っていたのは、三男の宗盛と、四男の知盛だった。

平家一門は急速に求心力を失い、ちまたでは源氏に対する期待も高まっていた。




清盛の死は、頼朝、義経のもとにも、すぐに伝わった。


頼朝「何!?清盛が死んだだと!?

それで、清盛はわしの首を、己の墓前に捧げよと、言い残したのか・・・?

そうか、天は我らに味方したのか。このような形でな。

その遺言が実現することは、無い。」


義経のもとにも、伝えられた。


義経「できることなら、この手で清盛を討ち果たしたかった、この怒りを誰にぶつけたらよいものか。」


都を平家の手から奪還する、まずは平家を都から追い出すこと、公家たちからも要望が来ていた。


領民「そうねえ、最初のうちは、源氏にもそれほど期待していなかったけど、どうせ平家には勝てやしないとか、思っていたけど、勝てる気がしてきたね。平家の鼻をあかしてやろうじゃないの。」


そして、清盛の死は、この男のところにも既に知れ渡っていた。木曽義仲である。


義仲「清盛の死んだ今こそ、千載一遇の機会だ!」


倶利伽羅(くりから)(とうげ)で迎え撃つ準備をしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ