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即興小説集  作者: quiet
10/10

Cheers(制限時間:30分)(お題:あいつと酒)

 お酒に失敗はつきものとはよく言われるけれど、私にはその手の記憶はひとつもない。

 お酒に強いからというわけじゃない。かといって、全く飲まないわけでもない。そこそこに飲んでいて、それでいてひとつも失敗を犯さなかったということ。念のため申し添えておくと、自制心に特別優れているってわけでもない。大学の頃は留年寸前で出席率と戦ったことだってあるのだ。自慢になるわけもないお話。

 ただ、特別気を付けていただけなのだ。失敗を犯さないように。特にお酒を飲んでいるときは、ごくごく人並みに、自制心を失ってしまうから。それだけは、決してしないように。

 本当に言いたいことを、言ってしまわないように。


 親友というものができるタイミング。大人になるとできない、なんてことがまことしやかに囁かれているけれど、もしそれが本当だとしたら、十八歳の頃の私は子どもだったのだろうと思う。

 出会いは今でも覚えている。学校の購買部で教科書を抱えて、レジに並んでいるとき。シーンは覚えていても、その理由は覚えていないのは、たぶん時が過ぎ去ったことの証明になる。

 特別優しい人ではなかったと、贔屓目ありでもそう思う。しっかりした人でもなかったし、真面目でもなかった。優しくないし、だらしないし、不真面目だった。でもよくよく考えてみればこの世に優しくてしっかりして真面目な人なんて存在していなくて、だからそれで十分だったのかもしれない。

 モラトリアムは広大で、私たちは時計盤の上に立って、いつも歩き方を探していた。北極星こそまるで見当たらなかったけれど、ふたりで秒針に押し流されていくくらいのことはできた。私たちは揃って小賢しかったから、そういうのが大切な思い出になるってことだって、ちゃんとわかって、無為を楽しんでいた。

 春には川べりを歩いた。散る花に若さを重ねたりして。

 夏には水族館に行った。泳ぐ魚に不自由を重ねたりして。

 秋には月を見上げた。注ぐ光に受動性を重ねたりして。

 冬には雪に触れた。流る滴に人生を重ねたりして。

 そうしていつの日か、ふと気付いてしまった。言いたいことがある。言ってはいけない言葉のうちに、ひとつだけ輝いているのが見える。

 言葉は世界から物を切り出してしまう。だから、見えてしまえばそれでお終いで、見える前には戻れない。季節は巡るけれど、心に同じ景色は二度と訪れない。秘密というのは、抱えてしまったらもうなくなることはない。それを打ち明けることができない限りは。

 ちょうど、お酒が飲めるようになったころのことだった。

 仕方のないことだと思う。言葉が出てこないようにと、自分を恐がり始めたのも。仕方のないことだと思う。日に日に嵩をましていくコップに、何も注ぎたくなくなってしまうのも。

 何度か、不満をこぼされたこともある。どうして抑えて飲むんだと。自分はこんなにべろべろになっているのに。そんなに信用できないか。自分を曝け出すのが嫌か。

 うん。

 頷いては、路上でお腹を出して寝ている人のシャツを引っ張って、隠したりしていた。

 そんな日々のこと。

 四つの季節が、四度巡った時間のことを。


 今、思い出した。

 というのも、間違ってお酒を買ってきてしまったから。

 レモンジュースだと思ったのだ。スーパーのレジの、すぐ目の前にあったから。安いなと思って、つい買ってしまったのだ。どうして気付かなかったのだろうと思えば、それはたぶん年齢確認をされなかったからで、ふと目線が遠くなる。随分遠くまで歩いてきてしまったものだ。

 お酒はよくない。

 今となってはむしろ、以前よりきっぱりとそう思う。会社の人たちは信じられないほど酒癖が悪いし、同級生たちは摂取アルコール量に比例するようにふくふくと重みを増していくし。合法ドラッグみたいなものじゃないか、とは大学生の頃には冗談で言っていたことだけど、今では半ば、本気でそう思う。

「どうしよ、これ」

 悩まし気に缶を持ち上げてしまったりしながら、実のところ気持ちは固まっていた。流しに捨ててしまう気にはならない。安月給の若者にとって、安売りの缶飲料というのは、実を言うとそこまで安い買い物ではない。なけなしとまではいかないが、小さな冒険なのだ。

 小さな冒険なのだ。

 ね、

 小さな冒険なんだよ。

 この国の未来は暗く、おかげさまで安い価格ですぐ酔える、そんなお酒が幅を利かせている。しばらく飲んでいなかった。この缶で、どのくらい酔えるだろうか。

 あの連絡先には、まだ通じるだろうか。

 悲しきかな飲みュニケーション。言いたいことの言えない小心者は、こうして自らの酩酊に期待をかけるしかない。

 大人になるってこういうことだとしたらあまりにも哀れだけれど。

 哀れな自分に乾杯、というフレーズを覚えることは、とりあえずできるようになった。

 プルタブを引く。

 本当は、失敗を選べるようになった自分に向かって、掲げていたりする。

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