少女は気になる
身構えるわたしを、黒ずくめの不審者は黙って見下ろした。安否を確かめるように何度も視線を往復させると、ゆるやかに瞼を伏せる。
意味深な沈黙に耐えきれず、わたしは平静を保ちながら頭に浮かんだことを口にした。
「わ、わたし、孤児院に戻らないと……!」
今すべき一番の行動。ずばり、帰宅!
ローザちゃんたちが捜しているだろうし、あまり心配かけたくない。
「孤児院か……。たしかに城よりは安全か」
黒ずくめの不審者は顎に手を添え、何やら考えこんでいる。
わたしも考えないと。帰る方法を。道順がわからない以上、やっぱり木に登って方角を確認しながら移動するのが手っ取り早いかな。
脳筋も同然な策に我ながら呆れていると、いつの間にか黒ずくめの不審者がわたしの足に引っかかる草木を取ってくれていた。
マントを華麗にさばきながら、わたしに背を向ける。
これって……ついてこい、ってこと?
わたしは服についた土汚れを払いながら立ち上がり、おずおずと隣に並んだ。
黒いブーツが一歩ずつ歩き出した。わたしの歩幅に合わせ、ゆっくり進んでいく。
この人が不審者でないことを、身にしみて感じる。追手の男よりよっぽど騎士に見えた。
「あ、あの、助けてくれてありが……」
「いえ、感謝していただけるような立場ではございませんので」
わたしが言いきらぬうちに、拒まれてしまった。
「で、でも、あなたが助けてくれたからわたし……」
「おやめください」
また、言葉を奪われた。
黒ずくめの子は半歩先を行く。たったそれだけの差で、たやすく遠ざかっていく。
木の葉に埋もれた影の中に、姿かたちが同化していった。一切日に当たらず、フードを深く引き下げうつむいてしまえば、もうそこは闇一色。
「すべて俺のせいなのに……っ」
苦汁をなめたつぶやきが、ぽつり、こぼされた。
俺のせい……?
何が? すべてって……本当にすべて?
わたしを葬ったのはさっきの騎士の男らしくて、だけどこの人は自分のせいって言ってて……ああもうわけわからん!
でも、この人からは敵意を感じない。
一緒にいても怖くないし、嫌じゃない。
少なくとも、わたしの心臓は、大丈夫だって言っている。
「……生きてて、よかった……」
マスク内にこもる、か細い息遣い。外に放たれることなく儚く消えていく。
フードからそっと、ほのかに揺れる瞳が片方だけ垣間見えた。淡く透けた黒い光に、少しずつ熱が帯び、一番星のように灯っていく。
麗らかな風がわたしたちを横切った。木々を撫で、葉を散らし、自然に音を奏でる。
心地よい静けさに、身体の芯から凪いでいく。全身リラックスすると、今度は右腕の痛みが鮮明になる。
その些細な挙動にすぐ気づいた黒ずくめの子は、おろおろとした様子でわたしの様子を窺う。
「う、腕、痛みますか? 折れてません? 歩くのつらくないですか? 休みます? お、俺がお運びすることもできますが……」
「これくらい大丈夫ですよ!」
質問を畳みかける不器用な気遣い方に、わたしは笑って応えた。
ちょっと痛むだけで、骨は折れてないし、ふつうに動かせる。
右腕以外にも体中にまだ完治していない傷がいくつも残っている。ひとつ増えたところでどうってことない。
証明してみせようと腕を大きく振った。きらめくブレスレットがふわりと回り、靴モチーフのチャームがステップを踏む。
ほら、大丈夫でしょう?
「それより、さっきの騎士の人はもう大丈夫なんですかね……?」
「そのことでしたら心配ご無用です。人違いだったと納得してくれたので、もう追ってくることはありません」
「人違い……」
あんな自信満々に追いかけ回しておいて、結局人違いとはなんて迷惑な。慰謝料を請求してやりたい。絶対寿命数年は縮んだ。
はあ、怖かった。それじゃあわたしは、あの男に川に突き落とされたわけでもなければ、殺されて然るべき罪人でもないということだよね。それはよかった……けど。
振り出しに戻った。
黒ずくめの子は、知っているのだろうか。
わたしの過去。あの男の目的。
本当に、すべてを。
気になることが多すぎて悩んでいると、黒ずくめの子が深刻な面持ちで問いかけた。
「ところでシンデレラ様はいずこに?」
「え?」
「シンデレラ様も孤児院で休まれているのでしょうか」
「えっと……」
何を言っているんだろう。
突然話を振られて驚いたのは言わずもがな、シンデレラ様がご存命であることを前提に話が進んでいくことに戸惑いを隠せなかった。
騎士と恰好こそちがえど、この山に来た理由は同じだと思っていたけれど……。
「まさか知らないんですか?」
「何を……」
「シンデレラ様が天に召されたことを」
「え……?」
青々しい落ち葉がぐしゃり、黒いブーツのかかとに踏み潰される。粉々に割れた破片は、もう直せない。
時が止まったように半歩先の足が動かなくなった。
この反応、やはり聞かされていなかったらしい。
追手の男と知り合いなようだし、近衛騎士団の関係者なのだろうが、何も知らずに同行していたならば酷な話だ。受け止められないのも無理はない。
「で、でも、あなたはここに……」
「わたしがどうかしました?」
「……どう、って……」
会話が噛み合っていない。
目に見えて混乱している。
こうなることをおそれて、大人は何も教えなかったのだろうか。
あの日のガルさんと、重なる。教会にひしめいた慟哭、後追いしかねない青白い顔、ひとりぼっちの背中。すべて昨日のことのように思い出せる。
わたしは目を逸らさず、隣を見つめ続けた。記憶に残る『生きて』の声色を倣い、おもむろに語りかける。
「あなたもシンデレラ様を愛していたんですね」
「……そんな、他人行儀な言い方……」
他人? それはそうだろう。
「だってわたし、お会いしたことないですもん」
「な、にを、言って……」
この人は会ったことあるんだろうな。
シンデレラ様はよく孤児院に慈善活動しに来ていたから、そこに住む子どもたちもみんな、顔見知りだと考えていたのかもしれない。
わたしは知っているけれど、知らない。
漫画の中の登場人物としてしか知らない。
本物のシンデレラ様は、どんな人だったのか。この先ずっと、人づてにしか知り得ない。
みんなとはちがう悲しみが、痛いほど胸を打つ。重たくのしかかる後悔が消えることはないのだろう。
「わたしも一度でいいから、シンデレラ様に会ってみたかったなあ」
「……」
空を仰ぎながら苦笑すれば、黒ずくめの子はなにか言いたそうに生唾を飲み、長いまつ毛を震わせた。
上を向いたまま歩いていくわたしに、黒いブーツがためらいがちにあとを追う。さっきよりも速度は落ち、木々のざわめく景色さえスローモーションのように感じた。
隣りあったあどけない影が、寄り添ったまま伸びていく。
気づけば空は、茜色に澄んでいた。
「あっ、ルリおねえちゃん!!」
赤い果実のなる木を過ぎた直後、わたしを呼ぶ声がダイレクトに届いた。
一番にわたしを見つけたテオくんが、全速力で突進してきた。一拍遅れてローザちゃんとニックも気づくと、あわただしく近づいてくる。
「もうっ! どこ行ってたの!?」
「ひとりで勝手に行くなよバカ!」
「まほうつかったんでしょ!?」
汗ばんだ顔を赤く膨らませるローザちゃんとニックの間で、純粋な笑顔を向けるテオくん。
強烈な罪悪感が突き上がってくる。
「ご、ごめんなさい……」
わたしは謝るしかできなかった。
「心配したんだからね!」
「はい……ほんと、ごめんね……」
「よく迷わず合流できたな」
「それは……」
「しゅんかんいどうだよきっと! ぼくみたんだ! しゅぱぱーって!」
テオくんにはあとでちゃんと説明するとして。
「この人が助けてくれて……って、あれ?」
隣を指さしたときにはすでに、黒ずくめの姿はいなくなっていた。
今の今まで一緒にいたのに。まさか本当に瞬間移動? なわけないか。テオくんもさっきはこんな気持ちだったのかな。
周りを軽く見渡してもどこにもいない。気配すら感じなくなり、呆然としていると、突然ローザちゃんがひらめいたようにぽんと手を叩いた。
「あっ、わかった! 騎士様が連れてきてくれたんでしょ!」
騎士様という言葉に少しだけ悩んだけれど、深く刻み込むようにうなずいた。
「うん……そう! わたしの騎士様!」
「やっぱり!」
怪しくて、やさしい、ふしぎな人。
死亡フラグを折ってくれた、騎士よりも騎士。
でも結局お礼を言えなかったな。聞きたいこともたくさんあったのに。名前も、わたしのことを知っているのかどうかも、聞けずじまい。
また会えるだろうか。
会えたらいいな。
わたしがそんなことを明言しているとも知らずに、数メートル離れた木の上では、黒ずくめの子がその様子だけを見守っていた。
談笑している光景に安堵しながらも、頭の中には先ほどの会話が何度も反すうされ、疑念が色濃くなっていった。
「本当に勘違いなのか……? いいや、僕が見間違えるはずがない。一度調べてみる必要がありそうだな」
子どもたちが全員集合し、だんだん夕日に染まっていく山を下りていく。
黒ずくめの子は藍色の髪だけを目に焼き付けた。
「告別式が終われば契約は切れる。今度こそ守らなければ――たったひとりの、姫様を」




