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パン屋はひとりで泣かない

ガルレット視点です。



自分の半分にも満たないか弱い身体に支えてもらうなんて、我ながらどうかしている。

洗礼を受けたか受けてないかくらいの幼子に、みっともない姿を見せるつもりはなかった。……見せたくなかったから、あの場を逃げ出したのに。



『ひとりで、泣かないでください』



どこかなつかしさのある温もりが、なけなしのプライドを一瞬にして溶かしてしまった。


シンデレラ様――いいや、エラ。

君もこんなふうにそばにいてくれたよな。


かつてのやさしさがよみがえり、自分でも信じられないくらい素直に泣けた。

熱を帯びた雫が、絶え間なく流れていく。一度堰を切ったものを抑えられるはずもなく、気づいたらルリに身を預けていた。




ひとりで泣くのは、癖だった。



孤児院に入りたてのころ、あたしはいつも部屋に閉じこもっていた。


醜い欲望を目の当たりにし、好き勝手甚振られ、傷だらけになった身体。体内にはおぞましい血が流れ続け、汚らわしい痕は洗っても消えず、一生治らない。

自分のことが嫌いで、憎くて、気持ち悪い。こんな自分を自分自身ですら信じられないのに、他人を信じてられるわけがない。

世界のすべてが敵に見えた。


マリーさんや子どもたちは根気強く話しかけてくれたが、扉を開ける気にはなれなかった。

孤独を貫くことしか自分を守る方法がわからなかった。


そんなある日のことだった。

正午過ぎ、いつものように布団にもぐっていると、突然部屋の窓が激しく振動した。

本当に突然のことで、驚愕より恐怖心のほうが勝っていた。こわごわと布団から窺ってみると、窓から見知らぬ少女が顔を覗かせていた。身振り手振りで、窓を開けるよう言っている。


誰だ、あいつ。嫌がらせか?

警戒半分、鬱陶しさ半分ですぐに布団の中に戻ったら、少女は懲りずにドンドンドンッ!!と窓を強く叩いた。

あまりにしつこいものだから仕方なく窓を開けてやると、



『ねえ! あっちで一緒に遊びましょうよ』



艶めく白銀の髪を持つ小柄な少女が、したり顔で身を乗り出した。外で追いかけっこをして遊ぶ子どもたちを指差しながら、無邪気に仲間に誘ってくる。

どこかの富豪の娘のようで、よそ行き用のお高いドレスに身を装っていた。

あいにくあたしは洗礼式を迎える前に売り飛ばされ、社交界を経験してこなかったから、少女がどこの家の人間かわからない。ここにいるということは、教会に寄付している貴族様だろうか。


見るからにいい子ちゃんだった。

どうせ、ひとりぼっちなあたしに同情して近づいてきたにちがいない。


純粋な厚意など知らないあたしは、少女の笑顔の裏に何かあるのではないかとうがった見方をしていた。



『やだ。どっか行け』


『そんなところにいたってつまんないわよ』


『ひとりがいいんだ』


『ひとりで泣いたらいけないわ』



少女の手があたしの目元をなぞった。涙の跡のついた目。赤く腫れたところを、白魚のような指が撫でていく。

あたしは思わず手を払いのけた。思いのほか音が立ち、ほんの少し罪悪感を抱く。


今の、痛かったかもしれない。

傷つけようとしたわけじゃない。でも……。


ごめん。たった三文字をうまく声にできない。思えば、心からの謝罪なんてしたことがなかった。

窓を閉めて逃げてしまおうとした。しかし少女がそれを許さない。



『ひとりで泣いていたら、誰が涙を拭いてあげるの!? 誰があなたにやさしくするの!?』



令嬢とは思えぬ剣幕で窓枠を乗り越え、勢いよくあたしを押し倒した。

逃げ場が、なくなってしまった。

呆気にとられるあたしに、少女はあどけなくほほえんだ。



『ひとりでいても苦しいだけだわ。わたしに少し分けてもらえないかしら』


『え……?』


『わたし、あなたと仲良くなりたいの!』



おとなしそうななりをして、体当たりでぶつかってくる。つくづく人は見かけによらない。あの商人の男もそうだった。やさしいふりをして、罪を犯していた。

やっぱり、みんな、信用ならない。

どれだけ笑顔が眩しく、言葉が真っ直ぐでも、すぐには心を許せない。


でも、本当は、待っていたのかもしれない。

固く閉ざした分厚い扉を、力尽くでこじ開けてくれるときを。


一歩踏み出す勇気をくれる、救いの手を。



『わたし、シンデレラっていうの。あなたは?』


『…………ガルレット』


『じゃあ……ガル。ガルね! わたしのことはエラって呼んで?』



そのとき、あたしの時間はようやく動き始めた。



それからエラは、孤児院に遊びに来るたび、ベッドにもぐるあたしの隣に居座った。

勝手に話し出すエラに、あたしは最初黙りこんでいたが、詮索してくることはなかった。毎回飽きずにくだらない話をし、あたしに疑問を投げかけては、すぐに別の話題を思い出す。

会話はずっと一方的なのに、いつも楽しそうだった。時折あたしの表情を見て、安心したような笑みを浮かべる。

気づけば、あたしは自分から話しかけていた。


悪夢にうなされ、夜な夜な忍び泣いていたことを見破られたときがあった。

エラはいつもの世間話はせず、ただやさしく肩を抱いてくれた。



『泣きたいときは、泣いていいのよ』


『……この前はひとりで泣くなっつってたのに』


『それはひとりだからよ。誰かがそばにいるときはいいの!』


『なんだそれ』



わたしの持論よ! とエラは胸を張って言う。



『今はわたしがそばにいるでしょう? だから泣いていいの。わたしが悲しい気持ちをすくってあげる!』



エラとはふたつしか歳が変わらないのに、ずっと大人びて見えた。男爵家の次女として幼いころから教育を受け、寛容な考えを培ってきたからだろう。

あたしとは根っこからちがう。わかり合えることはきっとない。

そうやって線を引き、これ以上傷つかないようにしていた。


自分のことしか考えていなかった。



その翌週のこと。

エラが、孤児院で倒れた。

あたしの目の前で、エラが意識を失ってしまった。



マリーさんが教えてくれた。

エラは生まれつき体が弱いのだと。


塞ぎこみがちだったあたしを心配して、毎週のように訪問していたけれど、本当は一か月に一度しか許されていなかった。エラは無理を言って、あたしに会いに来てくれていたのだ。

たまに彼女の姉も一緒に孤児院に来ることがあった。それはきまってエラの体調がすぐれず、付き添いが必要な日だった。


エラが倒れたのは、あたしのせいだ。

自分ばかり苦しいと思いこんでいた。なんて愚かなんだろう。そんなわけないのに。

もう会ってくれないかもしれない。

なぜだかすごく怖かった。


しかし、二か月後。元気になったエラは、真っ先にあたしの元に来てくれた。

そこではじめて自分の話を聞かせてくれた。



『この身体のせいで、たくさんの人に心配をかけてしまっている……。だからその分、早く元気になって、たくさんの人の役に立ちたいの』



エラにも、ひとりで泣いた夜があったという。けれど姉のリーゼラをはじめ、家族がそばで支えてくれたから、今こうして笑っていられる。

そう語った彼女は、弱さを感じさせない凛とした眼差しをしていた。


あたしとエラは、やっぱり、ちがう。

だけど、わかり合うことはできる。あたしが何もわかろうとしなかったのだ。



『……ご、ごめん』



その三文字を、やっと口にできた。

エラはすべて気づいているくせに、とぼけるように破顔するだけだった。

全身にまとわりついていた重圧が、すっと軽くなるのを感じた。


今ならきっと言葉にできる。

あたしは、はじめて、淀んだ胸中を打ち明けた。



『……ずっと、怖かった』


『怖い?』


『また傷つけられるんじゃないかって、全員怖く見える。男は近づかれるだけで気持ち悪い。自分のことも……男だと思われることすら……もう、なんか、いやで。たまにどうしようもなく身体を燃やしたくなる』



身体の汚い部分を一枚ずつはぎ取っていくようにさらけ出した。

嫌われてしまわないか不安な反面、エラのことを信じてみたかった。



『なら女の子になる?』


『……は?』



緊張感をいとも簡単に吹き飛ばされた。

いつもそうだ、エラは想像のななめ上を行く。



『女装とかどう?』


『ど、どうって言われても……』


『女の子になってみたら、吐き気が治まるかもしれないわ。人との関わり方も変わると思うわよ』


『そん、そんな……騙すみたいな……』


『あら、騙してなんかいないわ。自分が居心地のいいと思う恰好をするだけよ。悪いことじゃないわ』



突拍子もない助言を、エラは至って真面目な顔で言う。



『まず自分が大丈夫になってから、少しずつ交流を広げていけばいいのよ』



とってもいい考えじゃないかしら、と自画自賛するエラに、あたしはつい噴き出してしまった。

何をおかしなことを、と呆れながらも、生まれ変わってみるのも一興かと前向きになれた。長年しみついた恐怖が、ちっぽけなものに感じられた。

涙が出るほど笑った。こんなに笑ったのはひさしぶりだった。


その後、マリーさんから女児用の服をもらい受けた。身なりを変え、一人称を変え、引きこもっていた自分を変えた。

孤児院のみんなは最初驚いていたが、「似合ってるよ」「かわいいね」「一緒に遊ぼう!」とすぐに受け入れてくれた。ずっと拒絶していたにもかかわらず、みんなの態度は変わらない。ためらいがちに感謝を告げると、みんなの笑顔が輝いた。



奴隷生活をしていたころ、食事のない日々が続いたことがあった。

生き延びるために取引先の貴族の家に忍び込み、厨房でパンを数個奪い取り、その次の日には自給自足を目論みレシピを盗んだ。

その話をエラにすると、まずは行動力を褒められ、次いでなぜか挙手をされた。



『ガルのパン、食べてみたいわ!』



唐突なリクエスト。どうせならと、孤児院のみんなの分も作った。今までの詫びもこめて。

完成したパンは、ぱさぱさしているうえに固く、ふつうにまずかった。これでも一生懸命作ったつもりだったから落ちこんでいたが、エラたちはおいしい、おいしいと言いながら食べてくれた。わかりやすいお世辞でも、ちょっと泣きそうになった。


将来はパン屋になるのもいいかもしれない。そう思った。



十五歳になったあたしは、男性恐怖症および人間不信が緩和されてきたものの、女装に慣れてしまい、やめるにやめられなくなったまま孤児院を巣立った。

あたしはエラの家の領地にあるパン屋で、住み込みで働き始めた。

まさか本当にパン屋になるとは。その道を選んだ自分に恥ずかしさもあり、それでいて誇らしさもある。

店では、下っ端としてこき使われながらパンを作り、売り、また作るを繰り返す。たまの休日は、孤児院の近くにある村でエラと待ち合わせし、場所を借りてあたしがパンを、エラが服を作り、孤児院に届けに行った。

そんなのどかな生活が二年続いた。


師匠である店主から、店を持ってみないかと誘われ、ふたつ返事で引き受けた。王都で商売していた店主の知り合いが、店を畳むことにしたらしい。その店を譲ってもらい、あたしを信じて託してくれたのだ。


同時刻、エラの運命も動き出した。

現在の国王陛下であるチャーミル様と出会ったのだ。

体の弱かったエラは、恋愛という恋愛をしてこなかった。今では体調が安定し、健康体そのものだったが、病弱だという噂がすでに広まっており、なおかつ家族が超のつく過保護なため、結婚適齢期になっても婚約すらしたことがない。

きっと、エラにとって、チャーミル様が初恋だった。

はじめてのことに終始戸惑っていた。開店準備をしていたあたしのところに前触れもなくやってきて、



『ガル……! どうしましょう……。わたし……許されない恋をしてしまったわ……』



と助けを求めてきたくらいだ。あたしに会うなり号泣し、情緒を乱したエラを見たのは、あとにも先にもあのときだけだ。


その一年後、エラとチャーミル様は婚姻を結んだ。

側室として後宮に入り、エラとはなかなか会えなくなった。気軽に「エラ」とも呼べない。後宮でいじめられていないか心配もしていた。

けれど手紙に何枚も綴られた惚気を読んだら、すぐに安心できた。

返事の一行目には『おめでとう、幸せになりなよ』と大きく書いてやった。その日の晩酌はやけに進んだ。


王家の一員となったエラが、昔あたしに話してくれた夢――たくさんの人の役に立ちたい、そのために行動し続けた。

奇病に侵された人を支え、貧しい人を助け……ほかにも、小難しいことはよくわからないが、他国と仲良くなったらしい。

おかげで感染症対策が定着し、文字の読み書きを庶民も習得でき、輸出入により食糧を安定して供給できるようになった。

本当にすごい奴だ。奴、なんて言っちゃいけないな。すごいお方だ、シンデレラ様は。

相変わらず、あたしの想像を超えてくる。



『ねえ、ガル。本当は秘密にしなければいけないのだけれど、ガルには特別に教えちゃうわ。あのね、子どもが産まれたの。わたしとチャーミル様の子よ。とってもかわいいの。名前は、ミュールリ。どう? すてきな名前でしょう?』



ひさしぶりに届いた手紙にはそう書かれていて、自分のことのように喜んだ。


きっと、いい母親になる。

そして、これからも多くの人を救うのだろう。そんなエラをあたしは遠くから見守っているのだろう。

幸せな未来だった。これも実現されると信じていた。


疑う余地などなかったはずだ。


なのに。




――なあ、エラ。



また会いたかったよ。

会って話したいことがたくさんあったんだ。


なあ。


どうしてだよ。





「――ねえ、ガルさん」



涙ぐみながらも凛と通る声音が、遠くなっていた耳に自然と入ってきた。


ルリ。

エラの子になぞらえ名付けた、やさしい子。


ルリはどこかエラに似ている。

裏表のない素直さと、前向きな行動力で、日常を明るく照らしてくれる。



「シンデレラ様ってどんなお方ですか? シンデレラ様のこと、知りたいです」



ルリが過去形にせず、言葉を選んで伝えてくれて、胸が熱くなった。


すぐに現実を信じられない。それなら無理して信じようとしなくていいんだ。

エラの声も、笑顔も、言葉も、全部憶えている。


エラは今もあたしの中で生きている。



だから、今は、エラに話したかったことを、あたしの思いを、ルリに聞かせてあげよう。




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