少女は教会に行く
転生してから二週間。ここでの生活にもだんだん慣れてきた。
毎日規則正しく起床、ラジオ体操をして体を動かし、ガルさんと朝ごはんを食べたら、勉強の時間。最近はもっぱら文字の読み書きに励んでいる。昨日やっと自分の名前を書けるようになった。
午後からはお手伝いの時間。家事はもちろん、井戸で水を汲んだり、ガルさんと森で食材を採集しに行ったりもしている。
健康的かつ生気あふれる生活。こころなしか知識だけでなく体力もついてきた気がする。
村の人たちからも「元気だね」「いい子だね」とよく褒められる。謙遜しつつも、内心では有頂天になってるのは内緒だ。
そして! 本日は! ついに!
教会へ行ってまいりまーす!!
一般常識をある程度身につけ、村を出ても支障なく過ごせるだろうと、ガルさんに認められ、慈善活動についていけることになったのだ。やったぜ!
勉強は苦手だけれど、効率よく学習できたのは、ガルさんの教え方がわかりやすかったから。そして、この国の文化に日本らしさが混ざっていたからだ。
焼きそばパンがあるくらいだし、なんとなく勘づいていたけれど……。
よくよく聞いてみると、フェアリーン王国は東の島国とやらと貿易をしているらしい。
その小ネタ、原作にもあったな。その島国って、十中八九ジャパンでしょ!
やっぱり日本の漫画だから、日本の文化が見え隠れしちゃってるのかも。だからってこんなに露骨じゃなくても……と、つっこみたい気持ち半分、おもろいから許すが半分。
今日は早朝から、ガルさんがパン作りに精を出している。わたしも簡単な作業だけ手伝わせてもらった。
森で採ったきのこと果実をふんだんに使ったパンが、ふっくらと焼きあがっていく過程は、見ていてとても楽しかった。
ちなみにラインナップはこちら!
ベーグルやクロワッサンなど定番なものはもちろん、食パン一斤を丸ごと使用したきのことじゃがいものパングラタン、果実を煮詰めて作ったジャムをたっぷり塗ったコッペパン、さらには犬や猫などかわいらしい動物をイメージした菓子パンまであります!
全部味見させてもらったけど全部おいしかった。わたしに語彙力があれば、グルメリポーターをあっと言わせるような食レポができただろうに! くっそう! 伝えられなくてごめんな! 本当においしいんだよ! とりあえず食べてみ!? 食べたらわかる。舌が唸るとはこのことだと。
「あ、ルリ。服はどう? 着心地悪くないか?」
「はい、いい感じです! ありがとうございます!」
今日着ている服は、わたしが最初に身に着けていた例のワンピース。
ところどころ穴が空いていたり、ほつれていたりしていたらしく、ガルさんが修繕してくれた。
ガルさんに指摘されるまで、服がボロボロだったことに気づかなかった。言われてみれば、体が傷だらけの分、服に被害が出るのも自然なことだ。あのときの自分にどれだけ余裕がなかったのか、思い知らされる。
びしょびしょでぼろぼろだった形跡がきれいさっぱり消え失せたワンピースは、型崩れすることなく、やわらかな質感が体にフィットしている。ガルさんがいい物だと言っていたのがわかる。着ているだけでお嬢様気分を味わえそう。
はじめての外出にぴったりの服だ。
村から教会まで、徒歩で約一時間。
大人で一時間なら、わたしの場合は倍以上かかるだろう。さすがに歩き続けるのは難しいため、何度か休憩を挟み、ピクニック気分で行くつもりだった。
が、運良く馬車が通りかかった。軽車両ほどのサイズの荷車を、一頭の馬が引いていた。
リアル馬車だよ……! やっべえ! すっげえ!
ちょっとした感動を覚えつつ、途中まで荷車のうしろに乗せてもらった。たびたびガタンッと大きく揺れ、お尻が痛くなる。
実際の馬車ってこんな感じなのね。自動車に慣れているせいか、乗り心地がいいとはお世辞にも言えなかった。これも経験、経験。
馬車のおかげで予定していたよりずっと早く目的地に到着した。
「あっ! あれですか!?」
「そう。あの建物が教会だよ」
緑の茂った丘の上に、大きな建物がそびえ立つ。
建物を囲う柵の手前まで駆け寄り、間近から隈なく見る。
細く尖った水色の屋根、汚れのない純白の壁、白い枠に縁どられた丸い窓。シンプルな外装から清らかな空気を感じる。
ふほおぉぉ……と形容しがたい感動を漏らした。
ここが、教会。
ガルさんの育った、大切な古巣。
そして、シンデレラ様がよく足を運んでいる場所。
偶然ここでシンデレラ様と出くわしたりしないかな。漫画みたいに死んでないよー、生きてるよー、ってさりげなく教えてくれたりしないかな……?
どうしても奇跡を信じてみたくなる。
わたしはとにかく平和に、幸せに、生きていきたい。ガルさんとラブでピースな生活をさせてほしい。
そこかしこに立ち込める暗雲が、一刻も早く立ち去ることを願うばかりだ。
「おかしいな……」
教会に入る前から真剣に祈りを捧げるわたしをよそに、ガルさんはふしぎそうに周辺を見渡していた。
「何かありました?」
「いつもなら子どもたちが遊んでるんだけど、今日はやけに静かだからさ。ちっと気になっちまって」
現在の時刻、午前十一時半。天気は晴れ。気温は暑すぎず、寒すぎず。外で遊ぶにはもってこいの日和。
でも、人っ子ひとりいない。建物の中からも遊んでいそうな声は聞こえてこない。
涼やかな風の吹く、静寂。
常連であるガルさんが、疑問に思うなんてよっぽどのことだ。何かあったのだろうか。杞憂ならいいのだけれど。
「とりあえず入ってみようか」
ここにいても仕方がない。ガルさんは首を傾げつつも、パンの入った大きめのバスケットを持ち直し扉を開けた。
入口から真っ直ぐ伸びる道。左右には、木製の長椅子が整列されてある。
道を進んだ奥にたたずむは、教会の象徴であろう女神の銅像。
ステンドグラスから差しこむ光の雨が、女神の銅像に降り注ぐ。
神々しく輝く女神の足元にすがりつくように、何人もの子どもが座りこんでいた。孤児院の子たちだろうか。
高い天井に、嗚咽が反響していた。
「うぅ……」
「ひっく……っ」
「うわああん!!」
不可解な光景だった。
ある子は泣き崩れ、またある子は魂が抜けたかのように銅像を見上げている。
いったい何が起こっているのだろう。
ラブでピースな空気はかけらもない。痛々しい慟哭がひしめき、教会全体を揺らす。
みんながみんな、絶望感に打ちひしがれていた。
なぜ、どうして、と疑念が増殖していく。言葉にもしたくない最悪な予感がよぎる。取り除こうとしても、奥深くまで根を張り、離せない。
ガルさんもこの光景に凍りつき、近づくことすらできずにいた。
わたしは無意識にガルさんのスカートをつかむ。
背後に死神がいる気がした。
「ま……マリーさん、何か……何が、あったんだい……?」
おずおずと声をかけると、子どもたちの背中を抱いている一人の女性が振り返った。
マリーさんと呼ばれた四十代前半くらいのふくよかな女性は、修道服を身にまとっていた。シスターあるいは修道女と呼ばれる人だ。
わたしたちに気づくと焦った様子で駆け寄ってきた。青白い顔はひどく歪んでいる。
なぜ。
どうして。
まさか。
……まさか。
「ガル……! あ、あなた……あなたは、聞いていないの……!?」
「マリーさん、落ち着いて。いったい何が……」
「し……シンデレラ様が……っ」
「エラ? エラに何かあったのか!?」
わたしは、知っている。
わたしの願いは、いつだって、叶わない。
「シンデレラ様が、亡くなったって……」
今にも消え入りそうな声だった。
はらはらと滴る大粒の雫が、愛のこもったバスケットを濡らしていく。
長い長い沈黙が落ちた。
川で溺れたときに似た息苦しさが、喉の内側を這う。
隣から、ヒュ、とかすれた息継ぎが聞こえた。
「…………う、そ、だろ……?」
ガルさんは震える口を必死に引き上げ、不格好な笑顔を作った。けれど、項垂れるマリーさんに向ける目は据わっている。
「ハ……ハハ……そ、そういう冗談、笑えな……」
「本当、なの。国王陛下が直々に発表されたのよ」
「な……っ」
現実は、残酷だ。
人を簡単に地獄へ突き落とす。
ガルさんの手元からバスケットが滑り落ちた。
あれほど好ましかった匂いが、今では毒のように身体をかき乱し、吐き気を誘発する。
枯れることのない、子どもたちの悲痛な泣き声。脳内に直接響き渡り、視界がふっと白んでいく。
ガルさんは血色の悪い下唇を嚙み締めた。じわりと血がにじむ。
わたしがガルさんのスカートを引っ張っても、何の反応もない。怖くなって、裾を握る力を強めた。
「……が、ガルさ……」
「し、信じられない。……そんなの、信じない……!」
「あ、ガルさん……!」
わたしの手を振り切り、ガルさんはふらつきながら教会を飛び出した。
反射的に追いかけるが、マリーさんに腕をつかまれた。
「どうか今は、ひとりにさせてあげてください」
「え……? でも……!」
「あなたがガルとどういう関係なのかは存じませんが、あの子には気持ちを整理する時間が必要なのです」
あぁ、そうか。マリーさんも、ガルさんを大事に思っているんだ。
同じくらい取り乱しているはずなのに、相手の気持ちを慮り、今できることを精一杯考えている。
きっと余裕があるわけではないのだろう。この場にいる、いや、この国の民たちはみんな、錯乱した感情の行き場が見当たらず、悲嘆に暮れている。
わたしだって頭も心もぐちゃぐちゃだ。非力な自分への憤り、打ち砕かれた期待、現実の不条理さ。どれもこれも心臓をえぐり、何もかも遮断してしまいたくなる。
……でも。
ガルさんをひとりにできない。
だって、きっと、泣いてる。ひとりで泣いてるから。
「ひとりにしちゃったら、気持ちを分かち合えない。誰もガルさんの涙を拭ってあげられないんです……!」
息を呑むマリーさんの隙を突いて腕を振り払い、急いでガルさんのあとを追った。
ひとりになれそうなところはどこだろう。
教会の周りを見て回ると、建物の裏手に薪が積まれてあった。そばには薪割り用と思しき切り株があり、そこに大きな背中が小さく縮こまっていた。
「くっ、……う、っ」
ガルさんの泣き声を、はじめて聞いた。
必死に声を押し殺しているが、えづくような嗚咽がこぼれている。
両目を手で覆い隠し、ひとりぼっちの世界で耐え忍ぼうとしていた。
やっぱり……ひとりになんかしたくないよ。
「ガルさん……!」
頭より体が先に動いていた。
うしろからガルさんを抱きしめた。こわばる身体をあたためるように腕を回す。
閉じこもった闇の中に、つと、弱々しく揺らめく深緑の瞳が覗いた。
「……ル、リ?」
「ガルさん。ガルさんっ!」
声がちゃんと届いているか不安で、何度も何度も名前を呼んだ。
ガルさんは浅く息を吐くように笑った。うつろな笑い方だった。
「……情けないとこ、見られちまったなあ……」
「情けなくないです!」
「ハ、ハハ……」
そんなふうに笑わないで。
無理して大人なふりをしないで。
ありのままのあなたをさらけ出していいんだよ。
わたしの手はとても小さくて、守りたいものすらうまく守れない。
でも、寄り添うことはできるはず。
わずかに乱れた赤茶の髪に、手を伸ばした。ガルさんの撫で方を思い出しながら、髪の表面にそうっとやさしく手のひらを重ねた。
「ひとりで、泣かないでください……。そばにいさせてください!」
「ルリ……」
「わたし、ガルさんの涙をすくいたいよ……っ」
「ッ、……ルリ……」
ガルさんの顔を覆っていた手が、力尽きたようにだらんと下がった。みるみる表情が崩れていく。
ガルさんはわたしの肩口に額を寄せた。少しずつ震えがこらえきれなくなり、数回鼻をすすると、やがて赤子のようにしゃくりあげた。
ガルさんの気持ちが流れ込んできたのか、わたしの目にも、刺すような痛みとともに涙の膜が張った。
シンデレラ様には直接会ったことないのに、「会いたい」「会えない」寂しさに頬が濡れていく。
たどたどしく頭を撫でるたび、手首に付けたブレスレットが揺れた。




