虚ろな覚醒と、諦めの微笑み
「――どうして、もっと早く死んでくれなかったの?」
妹のミレーヌが、扇子の影でくすくすと笑っていた。
視界が赤く染まり、喉の奥から込み上げる鉄の味が、ドレスの襟元を汚していく。
見上げれば、そこには冷ややかな目で見下ろす婚約者・ジュリアンの姿。
そして、後ろで満足そうに微笑む義母。
「セレスティア、お前が大人しく死んでくれれば、俺は悲劇の婚約者としてミレーヌと結ばれ、伯爵家の財産もすべて手に入る。……最初からお前なんて、誰も愛していなかったんだよ」
ああ、そうだったのだ。
月に一度のお茶会でも、私を一瞥すらしてくれなかった理由。
プレゼントの一つも届かず、私に贈られるはずの言葉もすべて妹に注がれていた理由。
私には、最初から居場所なんてなかった。
誰の『特別』にもなれない、ただの邪魔者だったのだ。
(ああ……疲れたな……)
悔しさや怒りよりも先に、冷たく澄んだ諦めが胸を満たした。
愛されたかった。
お母様が亡くなってからずっと、ただ誰かに「必要だ」と言ってほしかった。
でも、もういい。
すべて、終わりにしよう。
冷たい石畳の上で、私はゆっくりと目を閉じた。
◇
「――様、セレスティア様! お目覚めですか!?」
侍女の焦った声に、私はゆっくりと瞼を開けた。
見慣れた天井。優しく差し込む木漏れ日。
手を見つめれば、毒で黒く変色していたはずの指先は白く滑らかなままだった。
机の上のカレンダーに目をやる。
そこには、私が毒を盛られて息絶えるちょうど『二ヶ月前』の日付が刻まれていた。
「二度目、なの……?」
神様の気まぐれか、それとも悪戯か。
一度死んだはずの私は、悲劇の二ヶ月前へと巻き戻っていた。
「セレスティア様、大変です! 王太子のアルフレッド様が、急遽当家を訪れるとお触れが届きました! お出迎えの準備を――」
侍女の慌ただしい声を聞きながら、私は呆然と自分の胸に手を当てた。
やり直しの機会を与えられたというのに、私の心には復讐の炎も怒りすら湧いてこなかった。
あるのはただ、底のない深い疲弊と「静かに消えたい」という想いだけ。
もう、頑張るのも、誰かの愛を乞うのもやめよう。
ジュリアンにも、ミレーヌにも、義母にも……すべて差し上げよう。
私は二ヶ月後の死を回避したら、誰にも言わず、この伯爵家を捨てて遠くの田舎町へ静かに消えよう。
誰も私を知らない場所で、一人でひっそりと生きて、ひっそりと死のう。
そう決意すると、不思議と心が軽くなった。
「……セレスティア」
ぼんやりと着替えを終え、応接室へ向かう廊下。
不意に、低く掠れた声に呼び止められた。
振り返ると、そこにはこの国の王太子――アルフレッド殿下が立っていた。
冷徹で完璧、「氷の王太子」と恐れられる彼が、なぜか肩を激しく上下させ、額にうっすらと汗を浮かべて私を見つめている。
その瞳は、何か恐ろしいものを見るように激しく揺れていた。
「……アルフレッド殿下? どうかされましたか?」
私は、すでに何にも執着していない『諦めた笑顔』を浮かべ、深くドレスの裾を引いて礼をした。
もう傷つく必要のない世界へ行くのだから、どんな貴人に対しても恐れはない。
「……その顔は、なんだ」
アルフレッド殿下の声が、小さく震えた。
「はい?」
「なぜ、そんな……今にも消えてしまいそうな顔で笑う……!?」
次の瞬間、私の細い手首が、壊れんばかりの力で強く掴まれた。
見上げると、冷血と噂される王太子の瞳から、ぽろりと一筋の涙が零れ落ちていた。
「……二度と、逃がさない。二度と、お前をあの暗闇に一人で逝かせたりしない……!!」
……え?
「静かに消えたい」だけだった私の二度目の人生は、なぜか冷徹な王太子の狂おしいほどの執着によって狂わされ始めていた。




