005 出発
しばらくして、ハダリー隊長と奴隷商人ヴォネラムとの話し合いがまとまる。すなわちお互いの状況確認と、今後の大まかな方針についてだ。すなわち荷物を手早くまとめてここを出発し、王都へ向かう。
こうして商人や護衛たちや奴隷たちの出発準備が始まる。とは言うものの、奴隷たちの荷物は基本、麻袋1つ分もない。すぐに方がつく。近所を散歩する、ぐらいの準備量だ。
程なくして、縄でつながれた奴隷たちは村の前で並ばされる。
奴隷の両手を結んだ縄は前方に伸びて、前の奴隷の股下を通ってその首周りに結ばれている。そしてその前の奴隷の両手首を結ぶ縄は、さらに前の奴隷の股下へ。このようにして、延々と結ばれている。
2つの足首も、恋人たちが赤い糸で結ばれるように、歩けるが走れないくらいの長さの縄が結ばれている。そのため、足を上げて股下の縄をかわすことができない。
このような結びつきが、何を意味するか?
誰かが逃げるため列を離れようとすれば、その前にいる人間の首を閉め、後ろにいる人間に自分も首を閉められる。そして何人かは首を閉められながら股関を圧迫される。どうやったら奴隷を逃がさないかを追求したシクミだ。
アイネは股の間の縄が擦れて、痛みを感じている。出発前になぜ痛いかというと、ここに来るまでの長い旅で、散々こすられて来たからだ。後ろの人にそのつもりがなくても、歩いていれば自然とこすれてしまう。それがどのくらい痛いかというと、擦れて赤くなった皮膚を荒縄でゴシゴシされるくらいには痛い。
全体を見渡せるように、適度な間隔はあけて奴隷商人側の護衛がつく。兵士たちも適度だったり適度でない間隔で立つ。
ハダリーが、カンパに言う。
「お前は女たちの方を見ろ」
カンパが反論する。
「なんでオレが女たちなんか……」
ハダリーはカンパに顔を寄せ
「むさ苦しい男よりも、お前の方が女たちも安心するだろ。いいか、これは命令だ」
「……わかったっす……」
そして、
「出っっぱーーつ!」
護衛の1人によって、出発の号令がかけられる。
ややあって、奴隷の前の方から、俺の番かと思い出したように奴隷たちが足を動かし始めていく。順調じゃない、とも否定できない滑り出し。長旅で疲れ切った集団が残りわずかになった王都までの歩みを始めたまさにその時、列の後ろの方から上がった野太い大声が静止をかける。
「マッテくれ!」
それは列の後ろの方から上がった声であるにもかかわらず、列の前の方にも聞こえるくらい大きな声だ。
予想外の静止に、ある者は前の者とぶつかって転び、ある者は後ろからぶつかられてつんのめる。そしてある者は声に気づいて止まろうとし、そしてある者は気づいてか気づかないでか進もうとする。のびた縄に首を絞められる者が続出する。
前の方にいた護衛はすぐに混乱を収拾しようと動き出し、中ほどにいた護衛は混乱も少なかったのでだいたい後ろを見ている。後ろの方にいた護衛は、声の出所をたどっていく。そしてたどった先は、奴隷の列の中に行き着く。
それは、本来ならありえないこと。
たかだか奴隷の1人が、この集団の進行を止めるなんて。それも奴隷の列の中にいた1人のギハスロイによって。しかし、それは実際に起きた。
「何をしている!」
すぐに怒り狂った護衛が駆けつける。火山のように怒っている。
女の奴隷たちは、男の奴隷の列の後方あたりに平行に列を作らされていた。なのでアイネは成り行きを見ることができる。彼女たちの近くにいたカンパも同様である。
そこには1人のギハスロイが、仰向けに倒れている男を支えてかがんでいる。倒れている男の頭と手は力なく垂れ下がり、足は体を支えることができず、膝で折れ曲がったままだ。その様子は護衛も見ていたはずだが、容赦なく
「立てーっ!」
と怒鳴る。それでも男は顔色悪くウツろな目のまま動こうとしない。しないというより、できないのだ。
「さっさと立てと言ってるんだ!」
さらなる催促は、関係のないアイネの心をも傷つける。1人の奴隷でしかない彼女は、縛られた手のひらを固く握り締めるしかできない。
一方、カンパが思ったのは、ある種の憤りだ。それは奴隷たちに対する憤りでもある。なんであいつらは、抗おうとしない? なんでこんな状況に、甘んじたままでいるんだ?
このままでは殺されると思ったのか、ギハスロイに支えられながら、男は立とうとする。
手が震えて、足に力が入らない。口は最も呼吸がしやすい大きさに開かれたまま、荒かった呼吸がさらに速くなる。
護衛が早くするようにマクし立てている。汚い言葉さえ聞こえなければ、必死な表情でシッタゲキレイしているかのようだ。
男は立てた膝に手を置いて、中腰まで立つ。が、そこまで。オウトしながらクズれる。
「このやろ……」
もう無理だと思ったのか、護衛も言葉が続かない。
そこで、別な護衛が騒動の中に到着する。
あの奴隷商人の側にいた、両手剣を背負った男だ。元々いた護衛は彼を見て、
「ジャンターブさん……」
と小さく言う。その声は、恐れを抱く畏怖が込でできている。
ジャンターブという男は
「どけっ」
とタスキ掛けに担いでいた、長い両手剣を降ろしながら言う。
「俺がやろう。ちょうど体がなまっていたところだ」
その長い両手剣は、そのままでは長さ的に引き抜けそうもない。が、ジャンタープは剣の鞘を、勢いをつけて後方へとスライドさせる。
現れたのは存在感たっぷりに輝く、磨き上げられた刃。筋肉質で大柄なジャンターブが、その長い剣を振り上げていく。
恐怖は、一瞬一瞬を引き伸ばす。
ギハスロイは弱った男をもう少し強く抱きかかえながら、その剣を注視する。ここに来てさえ、彼はその男をかばうつもりなのだ。
黒くゴツゴツした顔の皮膚に浮かぶギハスロイの目は、アキラめてはいないが、恐怖を打ち消すこともできないでいる。
そして目の前で登っていく剣先を見つめる。
剣が水平になったとき、彼の首から上は45度に傾いている。
周囲の、剣が届かない者たちでさえ、さらに安心を得ようと後ずさってしまう。
そして剣の先が1番上まで着たとき、ギハスロイは首の限界まで見上げることになる。
こいつはやばいくらい腕が立つ、とカンパは思う。自分が剣を振り下ろすのに最適な体の形を、1センチ単位で知っているような動きに一切のヨドみがない。
剣先はまだタメが足りないのか、ジャンターブの頭上を越えてさらに後ろへと。そしてそれが振り下ろされるのは、もう目前だとみんな思ったとき、
「やめなさい!」
それをトガめる声がする。
【アイネ】
言ってしまった……。
列の前にいるお姉さんからは軽く「バカッ」って聞こえるし、後ろからは同じ感じのの視線を感じる。
でもシカタない……
シカタないじゃないか……
そう……やってしまったモノは……
手のひらにギュッと力を込める。
……シカタがないに決まっているっ!
誰かが近いてくるのがわかる。きっとあの『ジャンタープさん』という人だ。
ボクは落としていた視線を、少しずつ上げていく。たくましいフクラハギ、そしてモモの筋肉が見える。
さらに視線を上げる。
その人は大きな剣を肩に担いで、こちらを見下ろしている。そのまま剣を振り下ろすだけで、ボクは間違いなく頭のテッペンから地面まで真っ二つになるだろう。
「テメェか」
その声はあまりにも異質だったので、初め、自分に言われているとはわからなかった。恐ろしくて顔が上げられない。目線だけでも頑張ってあげる。
「あっ……」
何かを言葉にしないといけない。
でも出てこない。
何を話せばいいのかわからない。
このままじゃ、いけない……
「……ボ、ボクだ。……アイネだっ」
何を言っているのだろう……
そういうことじゃない……
それはわかっている……
……わかってるんだっ!
「あ、あんた、商人でしょ。奴隷を切り捨てるということは、その分損するってことじゃない! 商人ならそのくらいのこと、わかるでしょ!」
言ってやった。
そう思ったとき、後ろから大きいとは言えない声で言われた。
「そいつは商人じゃねーよ。バカ偽善者……」
目の前のことで頭がいっぱいのせいか、その意味するところをすぐには理解できなかった。聞こえたままを復唱してしまう。
バカ偽善者……
って、ボクのこと?!
今、どうしようもない状況に置かれているにもかかわらず、ボクは怒りに任せて振り向く。
【カンパ】
言っちまったよ。
少女のあまりのバカさ加減につられて、思わず声にだしちまった。
オレたちウガ国兵士には、奴隷のイザコザは関係のないこと。
そう思ってボウカンをきめてたのに……
「ナンだ、お前は? お前も俺のジャマをするのか?」
大男が話しかけてくる。……それだけなのに、かなりのイアツ感だ。
左手にはめた丸盾は、こいつの筋肉と技量・武器の前にはあまりにも心もとない。
それなら
ヤられる前にヤる。
それだけの話……
ジャンターブの前に出ている左足が、やや前に移動する。
それは剣を振るための予備動作。
くるのかっ?!
それならこっちが先にっ……




