最後の善意
「きたわね」
聖都の中央区、行政と治安の中枢を担う存在、光聖。
ヒジリさんは、現在この町の行政・治安を一手に背負う責任者だ。
冬とナツはその下につく形で、治安維持のための制圧や食料の調達・畜産の担当をしている。ほとんど冬が担当をしているので責任者ともいわれていたが、橋渡しをするには冬は鉄砲玉すぎた。
交渉事なんかには向かない。
コナタとカナタは特に。
ヒジリさんは、机に向かったまま顔も上げず、淡々とそう言った。
机の上には書類が山のように積まれている。
配給量、備蓄残数、難民流入数、治安報告書の付箋と添削の後がびっしり。
赤字、数字、修正線が大量に書き込まれている。
前来た時よりも書類が増えているように感じる。
一枚一枚の重みを感じている表情だ。
自分の裁量一つで、来週死ぬ人間の数が変わる。
「ヒジリさん、これをどうぞ」
そう言って、冬真が忠犬のごとくヒジリさんの前に片膝をついて何かの書類を差し出す。
パラパラとめくりながら、苦い顔をする。
「だめね」
速攻のダメ出し。
「申し訳ありません!」
背筋を伸ばして、冬真は元気な返事をする。
なんか訓練でも受けてる?
忠実なしもべみたいになってるよ?
冬は若干引いた。
「あなたのことじゃないわ。食料生産の量と備蓄の数が合わない。中抜きしてるやつがいる」
「それについては調べがついてます。すでに粛清済です」
冬は事後報告を済ませる。
食料と水は貴重品だ。数量ごまかしは許さない。
ただでさえ、今月の餓死者は多い。聖都の周りには囲いができるほど人が集まって、デモのようになっている。限界も近い。
「仕事が早いのは助かるけど、結論を急ぎすぎよ。粛清ではなく、連れてきてほしかったわね。ほかの関係者も知りたかった」
渋い顔をする。
「関係者含めて始末したと言っているのです」
「だから、生け捕りにしてほしかったと言っているのよ。むやみに死人を増やしたくないの。粛清というのは民に恐怖心を与えるもの。今の状況ではむやみに怖がらせるだけで、下手をすると暴動が起きる」
「だからといって、甘い対応が許される状況でもないでしょう。余裕のある状況ならまだしも、『このくらいで許されるなら自分も』って枷が外れやすいほど、この町は病んでいる」
スタンスが違う二人。どちらにも一理があり、そのことをお互いに理解していた。
どちらが正しいかなどわかりはしない。
だからやるべき、と、だからやるべきでないは両方成立しうる環境だ。民の緊張は日に日に増していってるのを肌で感じる。
何かのきっかけ一つで、ドカンと吹き飛ぶ。いくつもの導火線がこの町には存在している。やらなくていい言い訳よりも、やっていい言い訳を探す時期にシフトするのも、カウントダウンが始まっていた。
「【最後の善意】を解放します」
「……できるの?」
ヒジリさんは苦渋の表情だった。
「やるしかないでしょう。ヒデオは行方不明だが、やつの所持するナスはいまだ空で【最後の善意】の妨害をしている。ナスか、アカマナフのどちらかを潰せれば、最後の善意は解放できる。というより抑えきれなくなる。彼女が停滞している理由は力不足なのではなく、彼女の義約のせいだ」
【最後の善意】とは、この聖都の上に輝く聖寵でできた疑似太陽のことだ。
より正確に言うなら、光晃そのものでもある。
こいつのおかげで、聖都の外に広がる環境汚染から守ってくれている。まさに慈愛の光。
空気汚染、水質汚染、作物汚染、土壌汚染、精神汚染など、多くの災害を遠ざける。
本来なら、この世界全土を覆うはずだった。
最後の善意を打ち上げるために空へと上がった彼女は、敵の罠に嵌められた。
この世界には太陽、聖水、癒風、作物、土壌、善心、そして存在を司る護神像が存在する。それらは本来空に浮かび、世界に豊穣を約束した。
ダエワは、これに反する力を宿す。ダエワの信奉する人工の神、アンリマー・タルヤはこの世界の自然の神、アフ・マズーラダに反する存在、反存在として造られた。
ゆえにアンリマー・タルヤから生まれ出るものもまた、神の創造したものと対になるものとして生まれている。
護神像はアニマの中から特別な者を選びだし、特別な聖寵を与える。
ヒカルは最強のアニマ。
その聖寵は《凌駕》。
異能だろうが、技術だろうが、一度見たものを理解さえできれば全て模倣し、凌駕する。
彼女は光家の中でも歴代最強だ。
【最後の善意】は、この世界の太陽を担っていた護神像:スプンタ・マンユが落とされたことによって世界が終焉を迎えるその時に、その護神像の力すら模倣し、凌駕した奇跡。
しかし、敵はそれすらも対策を講じてきた。
アニマの聖寵とは、何の制約もないわけではない。
アニマ特有の秩序属性というものが存在する。
秩序属性は不義理を許さない。
ゲームにはルールがある。サッカーボールの素手持ちはゲームそのものを茶番に変える。
アニマの聖寵は制限が設けられる。
それを、義約と呼ぶ。
彼女の義約は、
①不意打ちをしてはいけない
②戦いを挑まれて逃げてはいけない
③先制攻撃をしてはいけない
この②と③を突かれた。
囲まれて戦いを挑まれたが、敵は攻撃を先送りにし続けている。先制攻撃をしてはいけないゆえに、彼女は永遠の立ち往生をする羽目になった。
ルールを重んじるがゆえに、ルールに縛られる。
一番自由を獲得できるはずの人物が、一番ルールにがんじがらめになっている。
「いつ?」
ヒジリさんも覚悟を決めたようだ。
「三週間以内に」
それより早めることは無理だ。
増え続ける人々に合わせて、町の生存範囲も広げないといけなくなる。当然、安全面のための刻紋も、食料の生産量も増やさないといけない。
東奔西走の日々でさえ、回りきっていない。
防備は十分にした状態で戦いを挑みたい。
「最後の善意解放作戦は、わかった。だが、もう一つお前には依頼をしたい」
「なんですか?」
「お前にはナツのサポートとして、監査所に潜入してほしい」
きたか。
「理由は?」
「彼女には教員として、この町に入る人間の調査を依頼してるのだが、あまり状況がよくない。最近、ノルマを使ったダエワたちの工作が活発化してきてる。奴らも必死、ということだろう。敵の策も巧妙化してきてる。だから手伝ってあげてほしい。ちなみに、君は避難民の一人として入ってくれ」
「どうしてですか? 普通に監査官でいいのでは?」
「繋がっている人間を知りたい。手招きしてる人間がいるはずだ。監査官の心象をよくする方法などや、単純に賄賂か。君には監査官の視点ではなく、避難民の位置から探ってほしい。できるだけ接触してきやすいように頼みたい」
「この町に手招きしてるネズミがいるなら、そいつは俺の顔を知っている可能性が高いけど」
「お前は認識をある程度弄れるだろう? うまくやれ。というか、お前くらいしか、もう対処できそうな人間がいない」
そう言われちゃね。
「わかりました。何とかします」
「ナツには伝えておく」
その日は、それで解散した。




