月が綺麗だ
ナツさんの部屋へと俺は向かう
冬真やヒメにはこんなときだが、今日だけは家を空けてもらった
彼女の部屋をノックする
返事はない だから俺は遠慮がちに扉を開ける
彼女はベットに座り、壁に横たわっていた
気力そのものが全て失われてしまったかのように
冬がおもむろにに近づこうとすると
「近づかないで」
彼女はそう告げた
それでも俺は彼女に近づいた
「殴りたければ殴ってくれて構わない」
「どうして、あなたは私に優しくするの?」
彼女は俺に疑問を投げかけた
多分、ずっと思ってきたことなのだろう
「君等が好きだから 前から言ってるし、今でも同じ気持ちだ 一緒に住まわせてもらってるつもりで生きてる」
ナツはおもむろに立ち上がり、おれの前に立った そして服を脱ぐ
俺は彼女と目を合わせる そこには希望なんてものは何一つない、暗い、闇があった よく知っている色だった
「私の体に、価値があると、思ってる?」
ナツは俺の言葉を、そういう意味で受け取ったのだろう
ナツは己の髪に手をかける するりとそれはずり落ちた
「この髪は、もう生えてこないの そういう、呪い」
知っていた 彼女の能力 彼女に起こった悲劇を
「私の能力は交わったものに、異能を与える聖寵:比翼連理」
「ただ交わればいいわけじゃない 愛が、ないといけないの だけど、アニマは生涯でたった一人しか愛さない そういう生態 だから、敵は私の人格を何度も作り上げた その都度、私の中に私じゃない私が増えていった 今も、いるわ」
彼女の与える異能は神を介さないため、使用に対するリスクがない 神の監査が入らないから没収もされない 本来ならば祝福にしかならなかった能力は呪いになった
「この髪はね、私が交わったうちの一人の趣味 与えた能力は、毛無 彼は、毛が怖いんだって だから全身から、私の体毛を剃り落とした そうしないと興奮できないからって もう、生えないように、そういう能力」
今の彼女は能面で言葉も平坦、感情が表に出てこない
その状態は、俺にはよくわかった 痛いほどに
「私の体を求めた男がいた 別の意味でも 体の、一部を、欲しがったの 人体収集が趣味で、私の体は随分、好みだったんだって だからね 私の体のほとんどのものは、もう本物じゃないの 心すら 私のものじゃない 誰かの、ものになった 誰かのもので、溢れてる」
ナツはしゃがみ込んで、俺をみる その偽物の瞳で
「これでも、私が私だって、あなたは言える?」
「言える」
バチンと頬を叩かれた
「何度でも、言える」
また頰を叩かれる
「いくらでも殴っていいよ」
「俺の言葉に苛つく君の心を、俺は見てる そこに、君がいると俺は知ってる 俺の目は、君の存在を見逃さない 必ず、見つける」
俺の体質は決して喜ばしいものばかりではないけれど、今は、彼女をちゃんと見つけることができる そこだけは、感謝してる
ナツはどうしようもなく、感情を制御できずに俺を殴り続けた 俺は黙ってそれを受け入れた
「なんで!なんで!なん、で…! 私のせいで、ヒマワリちゃんは! ぐぅぅっ!! ナギちゃんも、ほかのみんなも…!!」
「私の身体は、もう、まともじゃない!」
「手足だって本物じゃない! 髪だって、私が切り落とされ髪をかき集めて被ってるだけ 惨めよね… 滑稽よね! こんなに傷んで、使い古されて、いずれは使い物にすらならなくなる…!」
自分の身に何が起きたのかを全部赤裸々に話す 自分がどれだけ穢れているかを 突き放してほしい 罰してほしいと 彼女の心が悲鳴を上げていた
「こんな私の何が綺麗なの? こんな私の何が汚れてないの? 何を知ってるのよあなたが!」
「そんなに私のためだと言うのなら私の手足を返して 善ちゃんが綺麗だって言ってくれた髪を返して! あかちゃんだってもう産めない わたしは!自分の足で立つことすら、もうできない!」
「君が望むならそうしよう」
また頰をぶん殴られた 今度はグーで
「どれだけ時間がかかっても何とかする 手足も、髪も、子供だって 何とかする 彼のことも…」
「気休めは辞めて! そんなことで、埋まるものじゃない! 埋められるものじゃ 私は、もう、いいの… もう…疲れた」
全てが抜けていくように 彼女は座り飲む
「俺は君を幸せにしてやるとは言えない そんな傲慢じゃない 苦しいのに、それを忘れろなんて残酷なことは言えない だが、それでも、願うことが許されるのなら、君の人生の最後に、悪いことだけじゃなかったって思ってほしいと思ってる」
俺は絞り出すように、言葉を紡いだ
「何、それ?」
「俺が苦しくなるのはいい 俺が痛くても構わない それでも 君に、君の人生に、ほんの少しでいいから 光を当てたい たった一つ、たった一つでいいから、よかったこともあったと 絶望だけで人生を締めてほしくない 最後が呪いの言葉であってほしくないんだ」
「私のせいで大勢死んだの… ヒマワリちゃんだって!」
強い自責の念がこぼれる
「君のせいじゃない」
「私のせいなの!」
悲痛な瞳が射抜くように俺を見る
「君のせいじゃない」
ひっぱたかれようと、何をしようと君のせいになんて絶対にしない
ナツさんは再び怒りをぶつける 何度でもぶつければいい 痛いくらいですませていい問題じゃない 痛くなったら、そのたびに、俺が全部引き受ける
だってこんなに、彼女の絶望が伝わってくる
「何度でも言う……! 君のせいじゃ、ないんだ!」
頬が擦り切れて、目尻から血を流しても、冬は歯を食いしばって、真っ直ぐと彼女を見つめていた 揺るぎない意志で
「あなたに、わたしの何がわかるの!」
彼女の怒りが、慟哭が、絶望が、たくさんの苦しみが込められていた
「君の痛み、わかるとは言わない でも君が苦しんでることはわかるんだ 苦しい思いをしてる人間に、なぜ鞭を打たなければならないんだ こんなに傷だらけだ こんなにすり減ってる 心も身体も 全部 もう終わっていい それでも 最後まで自分の大切だったもののために戦ったんだろう君は」
大切なものを、無価値だったとは言わせないために 君はここまで頑張ってきたんじゃないか
よくやってるよ 君は頑張ってる たった一人で
たくさん傷ついた彼女の頬を撫でる
たくさんの涙を流したその瞳を
もう涙で染めなくてもいいように
ナツの嗚咽が漏れる その背中を優しく撫でた
いつまでも いつまでも……
「あなたは何者なの? なぜ私を助けてくれるの?」
どうしてそこまでしてくれるのか 彼女は困惑する
「……その話をするなら君にとって嫌なことを思い出させることになる……」
「それは、なに?」
「初めて君がヒデオを助けた日のこと」
ほんとに嫌な記憶
「俺はそれをみていた」
「あの場にいたの?」
「あの場にいたわけじゃない けれど知ってるんだ」
彼は時々よくわからない表現をする
「俺の今の顔は君のよく知るマシロのものだ 狙ったわけじゃないけれど、こうなった 昔は、怪物だって、言われてたよ」
ナツさんは黙って俺の話を聞いていた
「差別と偏見だけが人の本性だと俺は思ってた あの日まで」
現実では問題を解決できなかった
「あの日、君はこういったんだ なぜ顔が醜かったら人を殴っていい理由になるの?って」
驚天動地だった そんな価値観があるということさえ俺には考えが及ばなかった そういうことが当たり前の世界だと、思っていたから 期待、なんてしたこともなかった
「涙が出るかと思ったよ」
ずっと魅入ってしまった その意味さえ知らず
現実にそんな人間はいない なら創作の世界で作ればいい 創っていいんだって 他人から見れば馬鹿みたいな夢をみた 夢を、見ることを許された
俺にとって美しいと思える人間の形を知った 俺の人生観に初めて大きな影響を与えた事件だった 俺の生きる指針ができた
「だから、その後に君に降りかかったことは激しく俺に怒りを燃やした ホントならその場に駆けつけてあいつらを八つ裂きにしてやりたいとさえ思ったよ そうできなかったことを今は、後悔してる」
「そんなことで、救われたの?」
「ああ、俺にとってはそれだけでよかった それだけで、生きてこれた」
あの地獄の日々の中、他者は俺にとって敵か、敵の敵だった そんな環境で味方はそばに置けない 置いてしまえばそれが弱点になる ナツさんの存在は近くて遠い だから、多分支えになったんだと思う 彼女は現実の存在ではない でも、俺には眩しく見えた
「助けて上げられなくて、ごめんな」
今にも壊れてしまいそうな、彼女の頭を優しく撫でる
私は彼の顔を見上げる
いつも見ているはずの顔が、今日は違うように見えた
「あなたは、何者なの?」
彼女はもう一度、同じ質問をした けれどそれはきっと違う意味だ
「今は全部話しても混乱するだけだと思う でもいつか必ず全部話すよ 必ずだ」
私はその言葉を信用できると思った 彼はずっとそうやって私達と向き合ってくれていたから
隣で泣きつかれて眠る彼女の頬を撫でる
麗、君が言った言葉を思い出す いつか自分よりもだいじなものを見つけられたとき、きっとあなたの人生は本当の意味で始まるのだと
今は少しだけわかる、気がする 自分以外を大切にするってのは、自分の命を軽んじることではなく、大事なものに自分の大切なものを重ねることなんだと、気づいた そりゃわかんないよな こんなの
わかった気になってるだけかもしれない けれど、そうだったらいいなと、思った
今までの自分はどこか虚ろだった 彼女の命を優先してるようで、自分の命が軽かった でも今は、この手の温もりを愛おしいと思っている 気持ちが乗っかっている
「君の顔が、よく見える」
もう…真っ白な世界じゃない……
「今夜は、月が綺麗だ」
彼女に何が返せるだろう?
彼女からもらったものをどれだけ……
彼女が、最後の最後まで、呪いしか吐かないような、そんな結末にならないように
それは祈りにも似た、自身への誓いだった
冬は窓から外を見上げる
こんなに苦しみと絶望に満ちた世界なのに それでも 美しく見える瞬間が、あるのだ
◇
ナツはまどろむ
たくさん泣いて、たくさん吐き出して いま、隣にいる人の顔を見上げる
優しく見下ろす彼の顔をみる
いつも一人で突っ走る姿が誰かに似ている 姿も性格も、全然違うのに…… この町を駆けずり回っている彼の姿を思い出す みんなには見せない 彼の弱さを、強さを 傷なんて何一つないような顔をして、誰よりも傷だらけに見えた…… 彼の言葉ひとつひとつが私の心に染み入るのは、彼もまた、たくさん傷ついてきた人だから
私が思っている以上に それを想うと、胸が苦しくなった たったそれだけで生きてこれた その言葉の重みが私には悲しかった たったそれだけのことで、彼はここまで頑張ってくれた 支えてくれた どれだけ、絶望したのだろう どれだけ、裏切られてきたのだろう そのことが、とても悲しかった 私は彼に何が返せるだろうか?
チリチリと頭の片隅に走る痛みがある
今、私は瀬戸際にいる
この感情の正体を知ったとき、私は破滅するのだろう
それでも…その時にきっと私は、この残酷な世界の中でそれでも悪くなかったと思えるような そんな、気がしたのだ




