第二十二話 クレセルイ・クアトルム子爵
ルジエール公国の中央議事堂を兼ねた壮麗な式典会場に、白と青の装飾がはためいていた。ここで新たに子爵位を授かる者が公に祝福され、正式に爵位を授与されるのだ。
式典が始まると、荘厳なファンファーレがホールに響き渡り、参列者たちの視線が中央の通路に注がれた。青銀のタキシードに身を包んだクレセルイが、一歩ずつ静かに、けれど力強く歩を進める。その隣には白色のドレスに身を包むベルセリール。揺れるピンク髪と狐耳を誇らしげに立てながら、微笑みを絶やさず寄り添っている。
会場にはルジエール公国の貴族や学者たちが顔を揃え、中央最前列にはクアトルム本家の家族が並んでいた。父アルキスは厳格な表情でクレセルイを見守り、長兄ゲイルは微笑みを浮かべて腕を組み、ルーナリアは小柄な体を震わせながらも兄を見つめていた。
やがて壇上から大司政官が告げる。
「クアトルム家次男、クレセルイ・クアトルム! 魔石解析の功績、そして公国学術会への寄与を認め、ここに子爵位を授ける!」
その言葉とともに会場に拍手が沸き起こった。クレセルイは壇上に進み出て、授爵証を受け取る。青い瞳を細め、ベルセリールと目を合わせて微かに笑った。
そして祝福の列が続く。最初に現れたのはティルシャ。純白の聖女衣装に身を包んだ彼女は、ベルセリールとクレセルイの前に立ち、小さく一礼すると柔らかく笑った。
「おめでとうございます、クレセルイ様。これからは人々を導く立場になられるのですね。私も信じています」
その真摯な祝辞に、クレセルイは思わず胸を熱くした。そしてティルシャの後ろから、黒髪を後ろで束ねた長身の青年がゆっくりと歩み寄ってくる。鋭い眼差しを湛えた男――クレセルイの親友、レグリス・クシュル・ルジエールだ。
「クレセルイ、おめでとう!やっと貴族に戻れたんだな?」
「うん、ありがとうレグリス!」
レグリスは堅い握手を交わしながら笑い、ベルセリールにも軽く会釈を向けた。
「君が噂の奥方だな。初めまして、俺はレグリス・クシュル・ルジエールだ。クレセルイの……まあ唯一の親友だ」
「初めまして!私は、ベルセリール・アルドラシル・クシュル・クーデリアです、ベールとでもお呼びくださいね!」
ベルセリールの無邪気な自己紹介に、レグリスの口元がわずかにほころんだ。
続けてクアトルム家の父アルキスが近づく。銀髪に鋭い狼耳を持つ紳士で、厳格な空気を纏っている。だがこの日ばかりは、微かに目を細めていた。
「クレセルイ、よくやったな!これからは子爵となり正式にクアトルム家の名を持つ分家の当主とお前はなる訳だが?クアトルム家の名を汚すなよ?」
「はい……父上」
ゲイルは肩を叩きながら笑い、ルーナリアは兄に抱きついて「おめでとう……クー」と小さく呟いた。
次々と祝福の声が届き、式典の空気は熱気に満ちていった。食事会場に移ると、豪華な料理がずらりと並び、貴族や要人たちが談笑する中、クレセルイとベルセリールはお互いの存在を確認するようにそっと手を取り合っていた。
「ベールちゃん……支えてくれてありがとう」
「当然でしょ! 私はクーちゃんの奥さんなんだから」
夜の賑やかな式典の会場の灯りがひときわきらめいていた。クレセルイはこれまでにないほど多くの人に囲まれ、祝いの言葉を交わしながらも、その青い瞳はずっとベルセリールを探していた。
初めてあの屋敷で出会った時の事をお互いに思い出す。色々とあったが今では互いに今は隣に寄り添って当たり前にいる存在になっている——そのことが、クレセルイにとって何よりも誇らしかった。
※※※
夜の式典会場のテラスは、賑やかな会場の喧騒からわずかに隔離され、静かな冷気と月明かりに包まれていた。ベルセリールは煌めく夜景を見下ろしながら、クレセルイの笑顔を思い浮かべて微笑んでいた。
その背後から気配が近づく。振り返ると、黒髪を後ろで束ねた長身の青年——レグリス・クシュル・ルジエールが、無言のままベルセリールの隣に並んで夜景を見つめていた。
「クレセルイがあんなに自然に笑っているのを、久しぶりに見た。あいつは……昔からああいう顔を簡単には見せないんだ」
レグリスの低い声には、どこか遠い感情が滲んでいた。ベルセリールは驚いた顔で彼を見上げ、ゆっくりと問い返した。
「……クーちゃんが……昔は、笑わなかったんですか?」
「ああ……ティルシャの誘拐事件の後、特に。責任感が強いくせに、いつも一人で何とかしようとして……周りから心配されるのを嫌っていた。あの頃は、無理に笑おうとしても、どこか壊れたような顔をしていたんだ」
「……それって……」
ベルセリールは胸の奥が痛むのを感じながら、そっと続きを促した。レグリスは右手を月明かりにかざす。その義手が冷たい光を反射し、静かにきらめいた。
「これ……知りたいか?」
「……はい。教えてください」
レグリスはわずかに微笑むと、ゆっくりと目を伏せ、言葉を探すように沈黙した。そして語り始めた。
※※※
「……あれは三年前の春の終わり頃だった。クレセルイは魔石に使える薬草をセレモナ山で見つけたと騒いでいて、俺を誘って山に入ったんだ。使用人なんか付けず、二人きりでな」
初夏を思わせる緑が眩しい山道を、少年二人はわくわくした顔で進んでいた。クレセルイは採取したい草を見つけると目を輝かせ、レグリスは「ったく、お前は変な奴だな」と笑いながらついて歩いた。
しかし、日が傾き始めた頃。森の奥から低い唸り声が響き、二人の前に灰色の獣影が現れた。セレモナウルフ——単独でも獰猛さで恐れられる山犬だ。クレセルイが息を呑んだその瞬間、獣は跳躍し、少年に向かって一直線に牙を剥いた。
「……咄嗟に体が動いて、俺はクレセルイを突き飛ばした。次の瞬間、鋭い痛みと温かい血の感触が右腕に走った。山犬は、俺の腕を噛んでいた」
獣はレグリスの腕を深々と噛みしめると、狂ったように引き裂こうとした。レグリスは必死で振り払い、クレセルイの悲鳴が森に響いた。何度も木を蹴り飛ばし、ようやく山犬は姿を消したが、右腕は骨まで抉られていた。
「すぐに山を降り、屋敷に駆け込んだ。けど……すでに噛み傷から菌が回ってた。結局、医師からは……右腕を切断するしかないって言われたんだ」
※※※
レグリスの声は静かだが、思い出すほどに苦しみがにじんでいた。ベルセリールは小さな声で絞り出す。
「……その時、クーちゃんは……?」
「あいつは、ずっと泣きながら謝ってた。自分が薬草なんか探さなければって、自分のせいだって。何度も何度も俺にすがりついて謝って……」
レグリスの瞳がベルセリールを捉える。夜風が二人の髪をそっと揺らしていく。
「クレセルイは、自分のために誰かが傷つくのを何よりも嫌う。あの夜から……あいつの笑顔はずっと曇ったままだった。俺のために義手を作りながらも、罪滅ぼしのつもりだったんだろうな」
ベルセリールは手を胸元に当て、言葉を失っていた。レグリスは少しだけ表情を緩める。
「……でもな、今日、あいつは心から笑ってた。君のおかげだ、ベール。あんなクレセルイを見たのは、本当に久しぶりだった」
「……私……」
「君にだから、この話をしたんだ。俺は……あいつが幸せになるなら、もう十分だと思ってる。ベール、ありがとう。こんな話を聞いてくれて」
レグリスは小さく笑い、すっと夜空を見上げた。星々が瞬き、式典会場の灯りがテラスまでぼんやり届いている。
「……クレセルイを、頼むな」
その一言を残し、レグリスはゆっくりと式典会場へ戻っていった。ベルセリールは月光に照らされながら、その背中をいつまでも見送っていた。
「……なんだろう?レグリスさんから感じる不思議な感覚は?」
何かの思い? 温かみ? 胸の奥に温かくも切ない想いが広がっていくようなそんな感覚の何かをベルセリールは感じた。




